北海道百年記念塔の解体に至る経緯と未来予想図

池田 信夫

北海道百年記念塔(以後 ”記念塔“)は、1968年に北海道開道百年[1]の一環として建てられたモニュメント塔である。2018年に落下した金属片が発見され、北海道は今後50年の維持管理費を試算し、検討の結果、老朽化を理由に解体する事が決まった。記念塔が地域にもたらしたものと、今後の公園エリアについて考察する。

〔概要〕
名称:北海道百年記念塔
用途:モニュメント
設計者(設計競技最優秀作品):井口健[2]
施工:伊藤組土建株式会社
工期:1968年11月~1970年7月
構造形式:鉄骨トラス構造
外装材:耐候性高張力鋼板
階数:地上25階建て
高さ:100m
エレベーター数:1基(保守用)
所在地:北海道札幌市厚別区厚別町小野幌(野幌森林公園内)

〔見る見られる〕
設計者は当初から “見られる” という事に重点を置いていた。展望台から “見る” という機能は北海道も付属的な用途と捉え、その方針は塔の存在意義や方向性に及ぶ決定であった。道内に建つさっぽろテレビ塔[3]や五稜郭タワー[4]は、有料展望台やテナント賃貸収入があり、全国のタワーには、同様の形態を持つものが多い。記念塔は展望台へのアクセスも階段で、エレベーターは保守用に1基のみで、車いすの来場者は展望台に上る事が出来ない。北海道博物館[5]は年間約5万人、北海道開拓の村[6]は10~15万人の来場者で、記念塔もそれに近い来場者と考えられ、展望台を年間5万人が500円で利用したと仮定して、2500万円の収入となり、維持費の一部が賄える金額となる。
現在の展望台からは、建設当時から発展を遂げた札幌都心部の街並みが望めるのである。アプローチ道路の延長線上には藻岩山、園内アプローチの延長線上には札幌ドームが望める。北海道博物館からは、同館設計者の佐藤武夫[7]の配慮により、ロビーから ”額縁に入った記念塔” が望める。記念塔から見える風景が、強く印象に残っている来場者も多いのである。

〔造形美と空間構成〕
塔の平面形状は、“北” の文字を図案化し、表面の凸凹は北海道の歴史を、塔底部のデザインは雪の結晶を表し、”道民の巨大なエネルギーを結集し天をついて限りなく伸びる発展の勢いをあらわす” のコンセプトを見事に具現化している事は評価に値する。立面形状は二次双曲線の方程式による曲線で、鋼板の横目地は等差数列の概念を用い、それを積み上げると高さが100メートルとなった。
記念塔の外装材は、コルテン鋼[8]という耐酸性高張力鋼板で、錆びる事で表面皮膜を作り、劣化防止の性質を持つ材料だが、この “錆びる” という事が 結果として悪印象の原因となる。雨水処理に綿密な検討を重ねた納まりが用いられ、改修工事でも一時的な錆止めを施す程度で済んだが、北海道の冬は雪の影響を受けるため、雨水は処理出来ても、風雪の対応は簡単ではなかった。
記念塔は、国道12号線から約25m上がった位置にアプローチがあり、さらに10m程上がった丘の上に建ち、一周して見回しても、東側からの一部を除き他の建物と重なる事はない。丘を上がる事により、神社仏閣に近い雰囲気を演出し、空と緑、アプローチと塔脚の水に囲まれた空間構成で、贅沢な立地条件に恵まれた地域を象徴する塔となっている事は特筆すべき点である。

〔成果と誤算〕
記念塔が地域のシンボルとなり、原風景として景観づくりの象徴となった事は最大の成果で、評価に値するが、”唯一の” ともいえ最大の誤算は展望機能を疎かにした事である。北海道には北海道遺産[9]という有形無形の財産群がある。記念塔は選定されていないが、なぜ選ばれるべく活動して来なかったのかという疑問が残る。遺産に選ばれたら半永久的に壊されないというものではないが、道民の価値観を共有する意味では意義があった。
記念塔解体の決定に対し、反対運動や存続要請の声が上がっている。運動団体には、専門家を擁して学術的考察を基に意見書を提出しているところもあるが、北海道は “解体やむなし” の姿勢を崩していない。反対運動の主張も ”高水準のコンペを勝ち進んだ” ”建設費用の半分を道民が負担した” 等の理由だが、”半世紀かけて作られてきた景観が失われる” という事を主張すべきである。金属片落下は事実であり、北海道にとって安全は絶対条件であるが、どの部分から落下した金属片なのか、落下後に補修されたか否かの資料は見当たらない。現在、北海道は解体工事の設計を粛々と進めており、現地を訪れても記念塔解体の事実はどこにも見当たらないが、解体事実と経緯を周知徹底して、今後の同エリアについて道民や民間企業の意見を広く聞く姿勢が必要である。

〔さっぽろテレビ塔〕
記念塔とさっぽろテレビ塔(以後 “TV塔”)を、時間・空間・交流・商業の4項目について比較する。

時間
記念塔:郊外型の時間がゆっくり流れ、長いスパンでも周辺環境は変わらないが、風景がもたらす季節の移変わりが感じられる。
TV塔:都会の時間の流れの中、都市再開発により時代と共に周辺景観は変化していく。

空間
記念塔:小高い丘の上に建つ緑に囲まれた贅沢な空間に、こだわりの造形で建てられている。
TV塔:札幌開拓の軸線上で、明治時代に防火帯として作られた大通公園に位置する。

交流
記念塔:畏敬や孤高といった表現が似合い、交流が生まれるような仕掛けを持たないが、原風景となる地域住民との繋がりは持つ。
TV塔:札幌のイベントの常に中心に存在し、情報発信や交流拠点のシンボルとなる。

商業
記念塔:展望用のエレベーターもなく、収入を得る仕掛けを持たない。
TV塔:年間30万人以上が利用する展望台やテナント賃料の収入がある。

〔畏敬の念とリノベーション〕
記念塔は北海道開拓の先人アイヌ民族に対する畏敬の念で、当初は慰霊施設が計画されていたが、予算の関係で取止めとなり、”記念塔はアイヌ民族の同化政策の象徴” として非難される事となった。北海道・北東北を中心とする縄文遺跡群[10]が世界遺産に登録され、北海道開拓150年にからみエリアを再整備する計画が見えてきた。再整備事業では、恵まれた自然環境や、都心からのアクセスを活かしたエリアリノベーション的な改革を施し、パブリック空間に集う人づくりで、未来につながる仕掛けを目指すとよい。日常を非日常空間で味わう空間創りと、アイヌ文化や北海道の観光情報を発信する拠点を目指す事が、地域社会に対する財産づくりとなり、次のようなリノベーションを進めて行く事を提案する。

慰霊施設:設計者が当初から描いていた想いを、半世紀を経て完成させる。

自然を楽しむ仕掛け:自然の森に森林浴や散策が楽しめる仕掛けを作る。

子供達の遊具施設:ランドスケープデザインの一環として子供用の遊具施設を設ける。

個性的なショップ:富良野ニングルテラス[11]の様な個性あふれるショップを設ける。

学びの場:塔の足元にある“森の自然教室”は、学びの空間として積極的に活用する。

〔記念塔の未来〕
記念塔は北海道開道百年の一環で、“100年もつ塔” として建設され、半分の50年で役目を終えようとしているが、作り上げてきた景観の文化的、歴史的価値は十分に評価される。記念塔と同様に解体の危機に瀕したモニュメントに、太陽の塔[12]がある。存続運動を経て、大阪城や通天閣に並ぶ地域のシンボルとなり、国の登録有形文化財に登録され、世界遺産登録を目指す等、記念塔は太陽の塔から学ぶ事は多い。大阪府民は太陽の塔を通じて、景観を守る大切さに気が付き、かけがえのない文化を手に入れたのである。太陽の塔を実際に観て来たが、あの塔は芸術的価値と圧倒的なパワーがある。今後、耐震補強・改修等でかかる費用負担の問題は、記念塔より莫大になる事が予想されるが、知恵を絞って存続していかなければならない ”日本の財産” である。
記念塔はシンボルとして近隣小中学校の校章や校歌に用いられ、地域住民に愛着を持たれる存在である。記念塔の近隣小中学校にメールインタビューを試み、「校章や校歌に用いられている場合、解体されたらどうするか?」という質問に対し、「歴史として教える」という明確な回答があった。記念塔を解体するという事は、半世紀かけて作ってきた景観や、空間を失ってしまうという事なのである。この事実を踏まえて、北海道と道民が話合う事が必要で、例え結果が解体を選んだとしても、既に原風景となる記念塔は人々の心に永遠に残るのである。景観や空間を大切にするきっかけが記念塔になるのであれば、その果たした役割は大きな財産となるであろう。

  • 1 1-北海道百年記念塔(2021.12.25・筆者撮影)
  • 2 2-記念塔各面(2021.07.17・筆者撮影)
  • 3 3-記念塔各部位(2021.09.04・筆者撮影)
  • 4 4-立面図(園内配布資料トレース・筆者作図)
  • 5 5-付近見取図(国土地理院の地図トレース・筆者作図)
  • 6 6-記念塔から望む風景(2021.08.14・筆者撮影)
  • 7 7-さっぽろテレビ塔・太陽の塔(2021.10.23・2021.12.13・筆者撮影)
  • 8 8-未来予想図(国土地理院の地図トレース・筆者作図)

参考文献

注釈
[1]北海道開道百年
1968年に、記念事業として天皇・皇后両陛下をお迎えし、国内外から4万人を集めた祝賀行事であった。同事業では北海道章・北海道旗が制定され、赤れんが庁舎の復元、北海道大博覧会、記念切手の発行や、記念タバコが発売され、パレードが執り行われる等、盛大な行事であった。記念塔は事業の一環で、建設候補地に同事業で道立公園に指定された野幌森林公園が選定された。

[2]井口健
札幌市在住(北海道今金町出身)で久米建築事務所所属時のグループ案が、1967年の北海道百年記念塔設計公募において、黒川紀章ら全国から299点の応募の中から採用された。今回、氏にメールでのインタビューを試みた。質問に対する回答はもらえなかったが、”ありがとうございます” の言葉を頂いた。自身の代表作を取り上げた事への謝意と理解した。

[3]さっぽろテレビ塔
札幌の大通公園内に建ち、同市のランドスケープとしての顔を持つ。東京タワーや名古屋タワーを手がけた日本のタワー建築の第一人者、内藤多仲氏による設計であり、1957年に電波塔として建てられたが、現在では予備的な役割しか持っていない。

[4]五稜郭タワー
北海道函館市の特別史跡五稜郭に隣接する展望塔で、五稜郭にちなんで五角形の展望台を持つ。展望台からは五稜郭の美しい星形と、函館市街や函館山を見る事が出来る。五稜郭タワー株式会社が経営する民間の観光施設である。

[5]北海道博物館
2015年に開館した総合博物館で、愛称は森のちゃれんが。1971年に北海道開道百年を記念して開設された北海道開拓記念館を前身とし、北海道立アイヌ民族文化研究センターを統合し、名称を「北海道博物館」と改称した。設計者である佐藤武夫は、隣接する百年記念塔に敬意を表し、ロビーホールから見える塔を ”額縁に入った記念塔” としての仕掛けを作った。

[6]北海道開拓の村
野幌森林公園内にある野外博物館。1983年に開村した北海道開拓時代の「博物館相当施設」であり、54ヘクタールの敷地に52棟の歴史的建造物が移築または再現されている。

[7]佐藤武夫
日本の建築家で建築音響光学の先駆者。名古屋市出身で、佐藤功一に従事し設計を学んだ。日本建築学会元会長、日本建築家協会終身正会員、英国王位建築家協会名誉会員、日本芸術院賞受賞者。

[8]コルテン鋼
普通鋼にリン、銅、クロム、ニッケル、シリコン等の合金元素を添加した耐候性の高い特殊鋼材。発生するサビ自体の皮膜が鋼材と密着し、それ以上の腐食が進みにくい性質を持つ。

[9]北海道遺産
北海道に関係する自然・文化・産業などの中から、次世代へ継承したいものとして北海道遺産構想推進協議会が選定し、道民参加によって選ばれる有形無形の財産群。

[10]北海道・北東北を中心とする縄文遺跡群
1万年以上にわたり定住した縄文時代の人々の生活と文化を今に伝える貴重な文化遺産。その価値が認められ、2021年7月27日世界文化遺産に登録された。

[11] ニングルテラス
新富良野プリンスホテルの森の中に広がるショッピングエリア。店舗はそれぞれのテーマを基にこだわりの工芸品が並び、エリアは “まるで妖精がいる様な幻想的な空間” をテーマにしている。

[12]太陽の塔
芸術家の岡本太郎がデザインし、1970年に開催された日本万国博覧会のシンボルゾーンにテーマ館の一部として作られた。万博終了後に取壊される予定だったが、撤去反対の署名運動があり、施設処理委員会が1975年に永久保存を決定した。大阪城や通天閣に並ぶ大阪のシンボルとなっており、国の登録有形文化財(建造物)に登録され、世界遺産登録を目指している。


参考文献・URL
ケヴィン・リンチ著 丹下健三・富田玲子訳 「都市のイメージ」 岩波書店 1968年9月14日
北海道百年記念施設建設事務所編 「北海道百年記念事業の記録」 北海道発行 1969年3月31日
京都大学文学部地理学教室 「空間・景観・イメージ」 地人書房 1983年9月26日
高橋悟(出版共) 「札幌ランドマーク物語」 ~歴史的アプローチによる札幌都心のありかたについての提言~ 1993年 
ディーター・イェーニッヒ著 嶺秀樹・孟真理・大津留直訳 「芸術の空間」造形芸術の言葉への道」 青弓社 1993年7月25日
アードルフ・フォン・ヒルデブラント著 加藤哲弘訳 「造形芸術における形の問題」 中央公論美術出版 1993年9月25日
津川康雄 「地域とランドマーク」 象徴性・記号性・場所性 古今書院 2003年3月25日
吉崎元章・樋泉綾子・石井幸彦・水沢勉・清水裕子・畑山祐子編集 「空間に生きる-日本のパブリックアート」展 「空間に生きる-日本のパブリックアート」展開催実行委員会・空間造形コンサルタント発行 2006年 
大久保純一 「広重と浮世絵風景画」 東京大学出版会 2007年4月23日
今村雅樹・小泉雅生・高橋昌子 「パブリック空間の本」 公共性をもった空間の今までとこれから 彰国社 2013年8月10日
馬場正尊+Open A 「RePUBLIC 公共空間のリノベーション」 学芸出版社 2016年7月10日
嶋田洋平 「ほしい暮らしは自分でつくる ぼくらのリノベーションまちづくり」 日経BP社 2016年7月19日
津川康雄 「タワー」 ランドマークから紐解く地域文化」 ミネルヴァ書房 2016年8月20日
長谷川浩己 「風景にさわる」 ランドスケープデザインの思考法 丸善出版 2017年9月30日
馬場正尊・飯石藍・菊地マリエ・松田東子・加藤優一・塩津友理・清水襟子 「公共R不動産のプロジェクトスタディ 公民連携のしくみとデザイン」学芸出版社 2018年6月15日 
北原理雄 「パブリックスペース 公共空間のデザインとマネジメント」  鹿島出版会 2020年1月30日
原剛 「日本の「原風景」を読む」-危機の時代に 藤原書店 2020年5月10日
平賀達也・山崎亮・泉山塁威・樋口トモユキ・西田司 「楽しい公共空間をつくるレシピ」 プロジェクトを成功に導く66の手法 ユウブックス 2020年7月30日
かねだひろ 「日本展望タワー大全」 辰巳出版 2020年9月10日
馬場正尊+Open A編集 明石卓巳・小山隆輝・加藤寛之・豊田雅子・倉石智典・嶋田洋平 著 「エリアリノベーション 変化の構造とローカライズ」  学芸出版社 2021年3月20日
 
朝日新聞デジタル:「百年記念塔」進む老朽化、行く末は - 北海道 - 地域(2018年07月07日)
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20180709011190001.html (2021/05/29)
北海道資料:百年記念施設の継承と活用に関する考え方について(2017年11月)
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/bns/hyakunenkinennsisetu-kangaekata.htm (2021/05/29)
北海道資料:ほっかいどう歴史・文化・自然「体感」交流空間構想の概要(最終更新日:2019年1月21日)
https://www.pref.hokkaido.lg.jp/fs/3/3/5/8/9/8/4/_/kosogaiyo1.pdf (2021/05/29)
北海道資料:北海道百年記念塔解体工事実施設計に係る公募型プロポーザルの実施について(2020年12月25日)
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/kn/kkr/R2puropo_hyakunenkinentou.htm (2021/05/29)
設計者・井口健 北海道百年記念塔を語る①~⑧ 北海道開拓倶楽部
https://www.hokkaidokaitaku.club/100nenkinento/100neto/iguchi_ken1.html (2021/05/29)
北海道百年記念塔が老朽化で解体へ―その歴史を改めて振り返る
https://hokkaidofan.com/hyakunenkinentou/ (2021/05/29)
北海道百年記念塔の歴史を知りたい。 レファレンス協同
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000245025 (2021/05/29)
09・北海道百年記念塔_札幌市・北海道 | けんちく が いっぱい
http://1955nonnon.jugem.jp/?eid=7 (2021/05/29)
解体前の北海道百年記念塔/設計:井口健(久米建築事務所 現:久米設計)を訪れて
http://kenchiku-tabi.com/hokkaidomemorialtower/ (2021/05/29)
昨日!講演会「北海道百年記念塔のつぶやき」開催のご報告!
https://blog.goo.ne.jp/ebetsusouzousha/e/ba23b2b65f5eed321fe61aef0a035f72 (2021/05/29)
百年記念塔解体 戸惑う学校 札幌・江別の小中校章・校歌の題材
https://blog.goo.ne.jp/ivelove/e/0dc0d5df37a5e181b58a618dc8a6f40b (2021/05/29)
アイヌ差別表現問題~日本人は他民族を侵略・加害していない、という観念が背景に~
・北海道ですらアイヌ民族への加害について無教育
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20210319-00228216/ (2021/05/29)
百年記念施設の継承と活用に関する考え方
https://www.pref.hokkaido.lg.jp/fs/2/4/9/3/0/6/7/_/arikatahonbunkettei.pdf (2021/07/01)
さっぽろテレビ塔
http://www.tv-tower.co.jp/outline/history/ (2021/10/31)
太陽の塔
https://taiyounotou-expo70.jp/ (2021/10/31)
「太陽の塔」はなぜ残った 大阪万博の謎|NIKKEI STYLE
https://style.nikkei.com/article/DGXNASIH30005_Q1A630C1AA1P00/ (2021/10/31)
太陽の塔 「世界遺産への一歩」 「未来輝かせて」 -産経ニュース
https://www.iza.ne.jp/article/20200319-YYUDVYDWHRJS3LPHC7PY2G7SAA/ (2021/10/31)
妖精が住まう森⁉ 「ニングルテラス」で世界に1つだけのお土産を見つけよう
https://hokkaido-labo.com/area/furano/ninguruterrace (2021/10/31)
大通公園 子供の遊び場!遊具やすべり台で遊びまくれ!西9丁目(鯨の森)
https://papamode.net/odori-park-yugu/ (2021.11.20)

※添付ファイルの写真はすべて著者による撮影で、( )内は撮影日を示す
4は園内配布資料、5・8は国土地理院の地図をトレースしたもので、著者作図による。

添付ファイル1 北海道百年記念塔(2021.12.25)
添付ファイル2 記念塔各面(2021.07.17)
添付ファイル3 記念塔各部位(2021.09.04)
添付ファイル4 立面図
添付ファイル5 付近見取図
添付ファイル6 記念塔から望む風景(2021.08.14)
添付ファイル7 さっぽろテレビ塔・太陽の塔(2021.10.23・2021.12.13)
添付ファイル8 未来予想図

年月と地域
タグ: