郷土の誇り名古屋城本丸御殿の障壁画~400年前の輝きを今に~

今井 由美

1.はじめに
「尾張名古屋は城でもつ」といわれる名古屋城は名古屋市役所や愛知県庁などが存在する官庁街にあり、名古屋のシンボルとして観光客や市民に親しまれている。現在、「天守閣」は建て替えのために内部は閉館となっているが、「本丸御殿」は現在も過去の資料に基づいた復元模写を続けながら一般公開している。その障壁画に注目し、博物館としての「本丸御殿」の価値を評価し、名古屋城の今後について考察したい。

2.基本データ〔註1〕
所在地:愛知県名古屋市中区本丸1-1
本丸、二之丸、西之丸、御深井丸を含む外堀に囲まれた区域を「名古屋城」としている。「本丸御殿」はその中心に位置している。
総面積:3100㎡。
建物概要:部屋数30室を超える木造平屋建杮(こけら)葺き書院造の建造物。
見学可能エリア:「玄関」「表書院」「対面所」「梅之間と鷺之廊下」「上洛殿」「上御膳所」「黒木書院」「湯殿書院」(図1)
現存障壁画の数:「襖絵75枚144面、戸襖絵45枚45面、障子腰貼付絵76枚76面、杉戸絵34枚66面、天袋襖絵16枚16面、室内天井板絵331面、入側天井板絵369面。建具総枚数は948枚。その内、重要文化財指定面数は1047面」〔註2〕
内部は1049面の現存障壁画を始め、『金城温古録』〔註3〕など多くの記録や写真史料を基に、膨大な数の建具や障壁画が本来の場所に収められ、一般公開しながら当時のままの再現を目指し復元模写を続けている。

3: 歴史的背景
名古屋城は江戸時代初期の1610年(慶長期)、徳川家康の勅命により九男である初代尾張藩主徳川義直の居城として幕府の直轄工事として始まった。天守閣完成後の1615年に玄関、表書院、対面所などの慶長度造営御殿が創建された。創建時の画師は当時の若き当主狩野貞信に命じられた。さらに1634年、三代将軍家光の京都上洛前の宿舎として増築され、上洛殿、御湯殿書院など寛永度増築部分が完成した。寛永時の画師は狩野探幽を棟梁としている。造営事業を指揮したのは幕府御大工筆頭の中井正清であった。〔註4〕明治維新後の1873年廃城令が発布され、全国で廃城が進む中、名古屋城は「離宮」としての役割を担ってきた。1930年には宮内省の手を離れ名古屋市に下賜されると同時に国宝第一号に指定された。第二次大戦下には名古屋市職員によって国の宝を守るべく1049面の襖絵や天井画が城内深井丸の乃木倉庫に避難されていたため消失を免れた。さらに名古屋市では1932年から国宝建造物の実測事業、1940年からは撮影事業が行われ、拓本貼付図を含む309枚の実測図面と738枚のガラス乾板が名古屋城に保管されている。この他にも第14代藩主徳川慶勝〔註5〕が撮影した写真を数多く残している。それらの資料を基に2008年から15カ年計画で本丸御殿の木造復元および復元模写が始まり、2013年から順に公開されている。

4: 本丸御殿の障壁画の評価
当時のままに復元された本丸御殿の障壁画が、どのような意味を持っていたのか。
① 「玄関」は一之間と二之間からなり、本丸御殿への入口である(計46畳)。藩主に謁見する者が控える場でもあった。金箔がふんだんに使われ、勇猛な虎や豹が訪れる者を見据えるように威圧している。一之間の筆者は当時の狩野派の長老、狩野長信によると考えられている。(図2)
② 「表書院」は上段之間、一之間、二之間、三之間、納戸之間にいたる広大な建物(計126畳)で、江戸時代には大広間と呼ばれていた。藩主と家臣などの公式な謁見に使われたり、対面所に至るまでに身分に応じた部屋で控える場となっていた。上段之間のみ当時の狩野派当主・狩野貞信によるものであった。障壁画には金箔地に植物画が多く、荘厳な空間。謁見時には大床の松を背にする藩主にまみえる形となり、風格を感じられる演出となっている。廊下側の付書院や北側には帳台構が設けられ、正式な座敷飾りを揃えている。(図3)
③ 「対面所」は南側に上段之間と次之間、北側に納戸上之間、納戸次之間からなる(計84畳)。公の儀式を行う広い空間であり、藩主が身内や家臣などの対面や宴会の場として使われ、1615年には義直と春姫の婚礼の儀が執り行われている。対面所の筆者は狩野甚之丞と推定されている。華やかでありながら障壁画は落ち着いた風俗画が選ばれた。一之間には京都の、二之間には義直夫人春姫の故郷和歌山の人々の暮らしが描かれている。(図4)
④ 「鷺之廊下」は慶長度造営部から寛永度増築部の「上洛殿」に進む廊下で、将軍や藩主が対面所から「上洛殿」に進む時にのみ使われた。ここから先は長押の上まで図が広がっている。「梅之間」は「たまりの間」といわれ上洛殿の控えの間であった。(図5)
⑤ 「上洛殿」は三代将軍家光の上洛に伴い、将軍の御座所として造営された。上段之間、一之間、二之間、三之間、松之間、納戸之間の六間からなる(計106畳)。慶長度建築部分に比べ格段に豪華で、極彩色の彫刻欄間に長押上まで覆われた障壁画、天井にも板絵がはめられた。飾金具等で彩られ贅の限りを尽くしている。上段之間と一之間は狩野派の最高技法であって最も格の高い漢画水墨画である帝観図が選ばれた。筆者は幕府御用絵師である狩野探幽と狩野杢之助であった。三之間の「雪中梅竹鳥図」は当時33歳の探幽の筆致を表す傑作となっている。(図6)
⑥ 「上御膳所」は上洛殿の北側にあり、上之間と御膳所の二間(計49畳)からなっていた。さらに上之間を襖で区切り上段之間としており、「枝垂桜図」、「花卉図」、上之間には「桧椿図」、「梅竹雀図」、「鴉花卉図」が描かれた。
⑦ 「御湯殿書院」は上段之間と一之間、二之間からなる(計26畳)。隣接する湯殿は将軍専用のサウナ式蒸し風呂であった。
⑧ 「黒木書院」は一之間と二之間があり、初代藩主義直の元の居城清州城にあった父家康の宿舎を移築し、家康との強い繋がりを示した。建材に桧ではなく松を選んだことからこの名前が付けられた。(図7)

5: 二条城と比較して
名古屋城本丸御殿は京都の二条城二の丸御殿と双璧をなす時代的建築物であった。ただし二条城は将軍の居城であるのに対し、名古屋城は藩主の居城であり、格の違いは障壁画の大きさにも反映されている。名古屋城は一軒を6.5寸としているのに対し二条城は7寸で、建具や障壁画はより大きく、厚く、重い。京都は第二次大戦時、空襲の的となることはなく二条城は1603年の創建当時や1626年の大改築の姿を今に伝える貴重な国宝で、その障壁画の数々は重要文化財である。それらは修復を重ねながら、400年もの間受け継がれてきた貴重な歴史的資料であり、至宝の芸術である。〔註6〕
一方で、3棟の櫓と門を除き消失した名古屋城は、国宝第一号として認定されたほど貴重で価値の高いものであった。また、他には類のない程の精密で膨大な資料が保存されていたことにより創建のままの姿を復元することが可能となった。江戸後期から明治にかけ記録された『金城温古録』は名古屋城の百科事典である。名古屋城の全てを記した膨大な記録は建物の構造、天井、欄間、金具、床の間違棚、障壁画などについて克明に記している。さらに様々な調査による合計二千枚を超えるガラス乾板に残された膨大な数の白黒写真や詳細な300枚を超える実測資料が存在することにより、400年前に描かれた鮮やかな色彩の御殿が、今に甦ったのである。(図8)

6:今後の展望について
名古屋城では2008年から「名古屋城検定」を開催し、名古屋城についての理解を深める取組みを行っている。そのため城内には知識の高い市民による無料ガイドを常駐することができている。本丸御殿内部の知識も豊富で、障壁画や天井、欄間、金具の違いなど希望者には詳しい解説を行っている。見学の際、多くの観光客は絢爛豪華な様子に感嘆の声を上げているが、さらに見せ方の工夫ができるのではないか。黒木書院や御湯殿書院のように市民ガイドや学芸員などが案内をしながら、端的に場面ごとの解説行い各部屋の本来の使い方やそのための設えの違い、障壁画の意味するところなどを伝え「見方」を知らせていくことで博物館としての価値が正しく評価されるのではないだろうか。さらに、プロジェクションマッピングやAIを用いて実際に使われていた様子を表現すれば、当時の様子も分かりやすいし子ども達でも楽しく学ぶことができる。障壁画を含める空間としての「本丸御殿」の価値をさらに高めるのではないかと考える。

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    「玄関」の北側に建物への入口が設けられており、南側の廊下を通じて「玄関」→「表書院」→「鷺之廊下」→「上洛殿」→「梅之間」→「上御膳所」の順で見学路となっている。「湯殿書院」と「黒木書院」は建物内部から行くことはできず、建物の外から回って「湯殿書院」の南入口にから入る。およそ15分おきにガイドの案内について「湯殿書院」→「黒木書院」の順に見学するようになっている。「上洛殿」の天井画や「黒木書院」と「湯殿書院」の障壁画などは現在も復元模写を続けながら公開している。見学時には孔雀の間以北のエリアは公開されていなかった。
    特別史跡名古屋城のホームページの「御殿の構成」に公式ガイドブック『名古屋城本丸御殿』p.13に沿って追記。
    https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/guide/honmarugoten/shoin/
  • 2_%ef%bc%88%e5%9b%b3%ef%bc%92%ef%bc%89%e7%8e%84%e9%96%a2 (図2)玄関
    (左)「玄関」は江戸時代には「虎の間」と呼ばれた。一之間には「竹林豹虎図」、「竹林虎図」、二之間には「竹林豹虎図」、一之間には大床があり、違棚には「百合・牡丹・菊・朝顔図」が配置されていた。
    (右上)玄関の外観。入口は「車寄せ」となっている。
    (右下)「竹林豹虎図」に描かれる豹も虎も当時の日本には存在せず、大陸からの資料を基に描かれたとされる。虎のメスが豹だと考えられていた。
    障壁画の下地には金箔がふんだんに使われ、藩主の強さを示すような勇猛な虎や豹が訪れ
    る者を見据えるように威圧している。
    (右上は2018年4月9日、左と右下は2020年1月11日、筆者撮影)
  • 3_%ef%bc%88%e5%9b%b3%ef%bc%93%ef%bc%89%e8%a1%a8%e6%9b%b8%e9%99%a2 (図3)表書院
    (左)「上段之間」には「松竹禽鳥図」、「梅禽鳥図」、「笹薔薇図」、「花卉鶺鴒流水図」、違棚天袋には「芙蓉・杜若・水仙・葡萄図」、一之間には「桜花雉子図」があった。天井も玄関より格の高い折上げ小組格天井となっている。
    (右上)二之間には「松楓禽鳥図」、「槙楓椿図」、「草花流水図」の花鳥図が描かれる。
    (右下)三之間には「麝香猫図」が描かれ、「麝香猫の間」と呼ばれていた。
    欄間を挟んで上段之間と一之間では天井も格が異なり上段之間は折上げ天井となっている。
    豪華な金箔下地に荘厳な松の大木や各種の樹木、花鳥図、麝香猫が彩る空間。公式な謁見の場として荘厳な雰囲気を醸し出している。
    (2020年1月11日、筆者撮影)
  • 4_%ef%bc%88%e5%9b%b3%ef%bc%94%ef%bc%89%e5%af%be%e9%9d%a2%e6%89%80 (図4)対面所
    (左)上段之間には名所であった京都の吉田神社や上賀茂神社、愛宕山の風景・風俗「風俗図(囲碁・壁塗・屋根葺)」、「風俗図(吉田神社・田上・上賀茂神社)」、「風俗図(風呂・刈入)」、違棚天袋には「芦雁図」が描かれた。
    (右上)上段之間の帳台構(奥)と付書院(手前)が大床の間と違棚の左右に配置された。
    (右下)次之間には初代藩主徳川義直夫人春姫の故郷和歌山を描いたとされる風俗図が並ぶ。「風俗図(綱引・見世物)」、「風俗図(勅使参詣・船下ろし)」、「風俗図(石投・山伏)」、納戸上之間と次之間の襖には「山水花鳥図」が描かれた。
    藩主が身内や家臣と対面し、宴会に用いられた空間を優しい色遣いと穏やかな筆致で彩る。天井は黒漆塗折上げ小組格天井となっており、上段之間ではさらに二重折上げとなっている。
    (2020年1月11日、筆者撮影)
  • 5_%ef%bc%88%e5%9b%b3%ef%bc%95%ef%bc%89%e9%b7%ba%e4%b9%8b%e5%bb%8a%e4%b8%8b%e3%83%bb%e6%a2%85%e4%b9%8b%e9%96%93 (図5)鷺之廊下・梅之間
    (左)「鷺之廊下」では廊下の左右に雪積る柳に鷺の絵が廊下の左右に描かれている。慶長期創建部分にはない長押の上部まで図が広がっている。
    (右上・右下)「梅之間」で雪の積る梅の木に小禽類が遊ぶ「雪中小禽図」が描かれている。
    双方ともに金箔をふんだんに使った下地の上に花鳥画が描かれた。
    将軍が上洛殿に渡る時にのみ使われた廊下で、慶長期の建物と寛永期の建物をつなぐためにつくられた空間。
    (2020年1月11日、筆者撮影)
  • 6_%ef%bc%88%e5%9b%b3%ef%bc%96%ef%bc%89%e4%b8%8a%e6%b4%9b%e6%ae%bf (図6)上洛殿
    (左)上段之間には絢爛豪華な彫刻欄間と最上級の黒漆塗二重折り上げ蒔絵付天井。最も格の高い水墨画で、手本とする中国皇帝の様々な場面が描かれた。「帝観図(高士渡橋)」、「帝観図(露台惜費)」、「帝観図(不用利口)」、違棚天袋には「芙蓉・黄蜀葵・菊笹・梅椿図」、一之間には「帝観図(褒奨守令)」、「帝観図(明弁詐書)」、「帝観図(蒲輪徴賢)」、「帝観図(高士)」
    (右上)二之間には、中国文人の修めるべき四芸が描かれた。「琴棋書画図(棋)」、「琴棋書画図(琴)」、「琴棋書画図(書画)」、天井板絵は現在制作中であった。
    (右下)三之間には四方に四季花鳥図が描かれた。写真は探幽の傑作「雪中梅竹鳥図」。「雪中竹林鳩雀図」、「芦鷺瀑辺松樹図」、松之間には「笹花流水図」、「松雉子流水図」、納戸之間には「藤山吹流水図」、上段之間の北側の菊之廊下には「菊花小禽流水図」、「菊図」が描かれた。
    (2020年1月11日、筆者撮影)
  • 7_%e5%9b%b3%ef%bc%97-%e5%b7%ae%e3%81%97%e6%9b%bf%e3%81%88%e7%89%88 (図7)黒木書院、湯殿書院
    (左)「黒木書院」の一之間には「山水画」、二之間には「四季耕作図(田植)」、「四季耕作図(刈入)」、「四季耕作図(山水)」、「四季耕作図(柳・橋)」、二つの部屋の南側には「雪中柳鷺図」、「雪中芦鷺図」が描かれている。清洲城から移築したということもあり、障壁画の筆致はその他の部屋の筆者である狩野派正系のものとは異なるが、他の部屋に比べ落ち着いた穏やかな水墨画で日常を過ごすのに適した癒しの間となっていた。(写真は名古屋城総合事務所 提供)
    (右上)「湯殿書院」の一之間。将軍は湯上り後に隣接の書院で休息をとったとされる。上段之間には「松笹花鳥図」、「竹椿図」、一之間には大和絵的な「扇面流図」が四面に配された。二之間には「岩波禽鳥図」、「岩浪図」が描かれていた。筆者は狩野杢之助であったと考えられる。
    (右下)「湯殿書院」に隣接するサウナ式の湯殿は総ヒノキ造りで障壁画はない。
    (右の2枚は2020年1月11日、筆者撮影)
  • 8_%ef%bc%88%e5%9b%b3%ef%bc%98%ef%bc%89%e5%8f%b2%e6%96%99 (図8)史料
    (左) 『金城温古録』写真は明治写のもの。
    (右上)「昭和実測図」の表書院横断面図。
    (右下)「ガラス乾板写真」。
    (上記の3枚は、名古屋城総合事務所 提供)

参考文献

〔註1〕 特別史跡名古屋城のホームページのデータに基づく
〔註2〕 名古屋城管理事務所編、『本丸御殿の至宝 重要文化財名古屋城障壁画』、名古屋市本丸御殿PRイベント実行委員会、2007年、154ページより
〔註3〕 『金城温古録』とは尾張藩士・奥村得義とその養子の定によって1842年から
1902年にかけ編集された10編64巻におよぶ名古屋城についての百科事典である。尾張藩により編纂を命じられ、約80年をかけて尾張徳川家へ納本された。石垣を含めた建物の構造や植栽、内部の建具、欄間、金具、障壁画、天井板絵など図や挿絵を交えながら詳細に報告されている。建物のことだけでなく「衣」や「食」についての記載も詳しく、当時の生活・文化が分かる貴重な史料である。
〔註4〕 本丸御殿の工事に関わる絵図(図面)や書状は中井家に伝えられ宮内庁や京都大学図書館等で保管されている。
〔註5〕 徳川慶勝は幕末期を代表する写真家でもあって、文久元年(1861年)までに写真技術を習得し、藩主しか撮影し得ないような名古屋城内部の写真を多く撮影している。名古屋の他、江戸、京都、広島でも撮影している。
〔註6〕 二条城二の丸御殿の全3500面以上ある障壁画のうち、1016面が1982年に重要文化財に指定された。さらに1994年、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。

参考文献
◆特別史跡名古屋城のホームページ
https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/guide/honmarugoten/
◆世界遺産 元離宮二条城のホームページ
http://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/
◆ 上條桂子・名古屋城総合事務所・ユネスコデザイン都市名古屋推進事業実行委員会編、
『名古屋城本丸御殿』、名古屋市本丸御殿PRイベント実行委員会、2018年
(公式ガイドブック)
◆名古屋市教育委員会編、『校訂復刻 名古屋叢書続編 第13巻 金城温古録(1)』、愛知県郷土資料刊行会、1984年
◆名古屋市教育委員会編、『校訂復刻 名古屋叢書続編 第14巻 金城温古録(2)』、愛知県郷土資料刊行会、1984年、
◆名古屋市博物館編、『名古屋城を記録せよ!名古屋城百科『金城温古録』の誕生』、名古屋市博物館、2008年
◆名古屋城総合事務所編、『名古屋城特別展 巨大城郭名古屋城』、名古屋城特別展開催委員会、2013年
◆名古屋城管理事務所編、『本丸御殿の至宝 重要文化財名古屋城障壁画』、名古屋市本丸御殿PRイベント実行委員会、2007年
◆名古屋城管理事務所編、『開府四〇〇年記念名古屋城特別展 狩野派と名古屋城四〇〇年』、名古屋城特別展開催委員会、2010年
◆名古屋城総合事務所編、『名古屋城特別展 将軍の愛した障壁画 二条城二の丸御殿と名古屋城本丸御殿』、名古屋城特別展開催委員会、2012年
◆名古屋城総合事務所編、『名古屋城特別展 描かれた名古屋城、写された名古屋城』、名古屋城特別展開催委員会、2016年
◆岡本八重子編、『名城をゆく3名古屋城』、小学館、2015年
◆岡本八重子編、『名城をゆく22二条城』、小学館、2016年

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