道南の3縄文遺跡を観光資産として考察する
北海道の縄文文化は古く、帯広市の大正3遺跡からは、14000年前の土器が発見されている。これは中近東やヨーロッパより数千年早く土器製作がおこなわれていたことを示している。また函館市の垣の島B遺跡では、9000年前の漆の使用が確認されていて、縄文人の高いデザインセンスが感じられる。道南部は落葉広葉樹林帯であり、同じ植生の東北北部と共通の、クリ栽培を伴う円筒土器文化圏である。それは広域で安定したものであり、遺跡からは1万年以上に渡る人々の生活や精神性を感じ取ることができる。しかし北海道の縄文人は、列島が水稲栽培に移行した後もこれを採用せず、豊かな自然の恵みを享受しながら、続縄文文化、擦文文化、そしてアイヌ文化へと継続させてきた。このことをふまえて、道南3遺跡を学術的に見るばかりではなく、観光資産と見ることで、縄文文化の発信と街おこしの可能性を考えた。(図ー1)
1.基本データと歴史的背景
大船、垣ノ島遺跡
大船遺跡は5500年前から4000年前の1500年間に営まれた縄文拠点集落で、1965年に最初の調査がおこなわれている。1996年から始まった本格的発掘調査により、竪穴建物120棟、フラスコ状ピット・土坑、から成る大規模な集落であることが判明した。遺物は石皿や石冠などの日常生活用品、漆器、垂飾品、墓への副葬品、またクジラ、シカなどの動物やクリ、ヒエなどの植物が20万点にものぼっている。さらに、近隣の著保内野遺跡の墓地から「中空土偶」が発見され、当時の信仰や祭祀の文化を表す貴重な資料として、2007年に国宝指定を受けている。同地域にある垣ノ島遺跡は2000年から調査が始まり、9000年前から3000年前の長きに渡って営まれた集落跡で、縄文早期から後期までの変遷を辿ることのできる、貴重な遺跡であると判明した。遺構は竪穴建物跡70軒、土坑40基、配石遺構6基、墓や貯蔵穴700基以上、遺物は14.5万点に及ぶ。それでもまだ全体の2%程度の調査しか実施されていない。両遺跡は学術的な重要性から、国指定史跡として保存と整備が進められている。
北斗市遺跡群
函館市に隣接する北斗市には108ヶ所の遺跡があり、そのうち90ヶ所が縄文遺跡で茂辺地川と当別川に挟まれた地域に集中している。最も古い館野2遺跡からは、12000年前の細石刃が出土している。8000年前から2400年前までに営まれた集落跡からは、環状配石、盛土遺構、竪穴住居跡などと共に膨大な遺物が出土している。なかでも3300年前の「人形装飾付異形注口土器」は器に描かれた人物デザインが他地域の交流を表す貴重な資料として、国の重要文化財に指定されている。2011年の当別川左岸遺跡調査からも多数の遺構が現れ、土器23625点、石器5620点が出土している。この地域には多数の村落が確認され、かなり多くの人口を有していたと考えられる。
森町遺跡群
ここにも51ヶ所の遺跡が存在し、そのうち44か所が縄文遺跡である。そのほとんどが北海道縦貫道路建設にともなって発見されたものである。2003年に森町教育委員会が発掘調査をおこなった結果、鷲ノ木遺跡から4000年前のストーンサークルが現れ、その規模は直径37mで、6000個の石で構成される国内最大規模のものであった。またこれに隣接して直径12mの竪穴墓基も発見され、土器や石器の副葬品が多数出土している。鷲ノ木遺跡は北日本における縄文時代の墓制や祭祀、さらに他地域との交流を考える上で貴重な存在として、2006年に国の史跡に指定されている。また近接する遺跡からイカを写実した土器が発見され、当時の生活や精神文化を表すものとして注目されている。
2.事例の評価
3縄文遺跡は道路工事などで偶然に発見されたものであるから、予算のない自治体ではこの先も発掘調査を続けられるかは不明である。しかしこれらの各遺跡に展示施設が設けられていることは、関係者が遺跡の保存や保護、また文化継承に高い意識を持っていると考えられる。というのも地方の小自治体においては、遺跡が発見されても現地保存はするものの、展示施設などは設けないことが多く、遺物の安全な保管ができないでいる。現に大船遺跡でも「函館市縄文文化交流センター」ができる以前の保存小屋が火災にあって、ヒスイ勾玉など貴重な遺物を失っている。
黒板勝美はすでに明治期に「博物館の設立に伴わぬ史跡遺物の保存事業は 少なくともその功果の一半分以上を失うものである」(青木、2018年、171頁)と述べている。3遺跡のなかでも大船、垣ノ島遺跡には2011年に安藤忠雄氏設計の「函館市縄文文化交流センター」(図ー2、図ー3)が建設され、博物館として機能している。北斗市遺跡群からの遺物は、北斗市総合分庁舎の2Fにある北斗市郷土資料館(図ー4)に収められていて、一部は展示されている。森町遺跡群からの遺物は、森町遺跡発掘調査事務所1F展示室(図ー5)にて観ることができる。鷲ノ木遺跡のストーンサークルは自動車専用道路のトンネルの真上にあり、年に何度かの公開時に観ることができる。北斗市も森町も出土品のごく一部しか展示するスペースがなく、工夫しながら継続している。遺跡の近くに小規模でも展示館があることで、情報発信の拠点となり観光資産に繋がっている。遺跡が街おこしになった成功例は、吉野ケ里遺跡や山内丸山遺跡に見ることができる。
3.他の事例との比較
大阪府立近つ飛鳥博物館
南大阪の河南町に史跡公園「近つ飛鳥風土記の丘」がある。29haの史跡公園に102基の古墳が保存されていて、人々は自然を感じながら貴重な文化財に触れて、学び親しむことができる。春には梅や桜、秋には紅葉を楽しめる緑の史跡公園である。ここに1991年、安藤忠雄氏の代表作の一つである「近つ飛鳥博物館」が建設され大阪府によって管理運営されている。コンセプトは「近つ飛鳥」という固有名詞・地域性と「古墳文化」である。博物館の目的は明確に打ち出されていて、この施設を南河内地域の歴史・文化に触れて学び親しむための拠点ーコミュニティ広場にしていき、生涯学習・学校教育の場としていくこと。さらに、内外に先端技術をはじめ多様な媒体を駆使して楽しくわかりやすい発信をしていく。特に近つ飛鳥の文化遺産は渡来的色彩が強いことから、「内外に開かれた国際文化都市大阪」(大阪、2021年)に相応しい国際的な研究交流・情報交換の場として機能させるとしている。実際に自分がコロナ禍以前に訪れた経験から、この博物館がさまざまな努力によって、目的を実現していることがわかっている。最も目を引くのは、レプリカ、模型、グラフィックパネル、マルチビデオなど先端技術を駆使して、古い地味なものを新しい感覚で見せている。しかも先端技術に偏らない、史跡公園を含めた野外性をもった博物館となっている。さらに「博物館の使命」として「1教育・学習、2大阪の魅力向上、3府民協働、4研究・事業企画」(大阪、2021年)を唱っている。近つ飛鳥博物館と道南3展示施設を比較しても、その予算や規模、手法や運営の情熱においてあまりにも大きな差異があるが、道南3展示施設にとって将来の方向性を示すものであり、目標となるものである。
4.今後の展望
北海道と東北北部の縄文遺跡群については、7月中にもユネスコの世界文化遺産登録が、ほぼ決定している。今回の登録では、大船・垣ノ島遺跡は含まれたが、鷲ノ島遺跡は外されている。函館市では函館市縄文文化交流センターの来館者数を通年の2万人から、登録後は6万5千人と3倍に見込んでいる。(函館地域、2021年)それならば他の2施設も便乗して3施設で「遺物や資料を貸し借りをしたり、学校に出張して遺物を展示するなどのアウトリーチ活動をおこなう。また三施設を巡るスタンプラリーをおこなう。」(今村、2021年、188頁)など縄文の道を体験させながら、点在する遺跡を点から線へと繋げ、やがて面となる可能性を期待する。実際に北斗遺跡群の「人形装飾付異形注口土器」(図ー6)に描かれた人面は、大船・垣ノ島遺跡の「中空土偶」(図ー7)と同形である。また三遺跡ともに糸魚川産のヒスイ造形物を出土していることから、密接な交流があったと考えられる。しかも3遺跡は30kmしか離れておらず、北海道においては容易に移動できる距離である。
5.まとめ
道南の3市町は、古くから漁業を基幹産業としてきた。しかし近年の気候変動が原因とみられる漁獲量の減少は、深刻な経済の縮小と人口減をもたらしている。(函館新聞、2021年)今回の世界遺産登録を機に3施設の入館者数を増やせば予算も取れて、近つ飛鳥博物館のような積極的な活動も可能になる。3施設ともに、かなりのボリュームと貴重な遺構・遺物を所持しており、観光資産として十分に活用できるものであり、街おこしの一助になると考えられる。
参考文献
青木豊編集、『博物館と観光 社会資源としての博物館論』、雄山閣、2018年、
今村信隆編、『学芸員がミュージアムを変える! 公共施設の地域力』、水曜社、2021年、
大阪府立近つ飛鳥博物館、http://www.chikatu-asuka.jp/?s=use 2021年7月10日閲覧、
凾館地域ニユースby函館新聞社、https://ehako.com/news/news2021a/13583_index_msg.shtml
2021年7月5日閲覧、
凾館新聞、函館市人口(2020年)、2021年6月2日、
函館市縄文文化交流センター、http://www.hjcc.jp/ 2021年7月1日閲覧、
森教育委員会、『国指定史跡 鷲ノ木遺跡』、森町遺跡発掘調査事務所、2016年、
時田太一郎、『北斗市にのこる歴史』、北斗市郷土資料館資料、2020年、
市立函館博物館編、『津軽海峡北岸の縄文遺跡』、長門出版社、2019年、