伊豆半島ジオパーク「三島が誇る大地の恵」と「富士山からの湧水の恵」
はじめに
三島市を含む伊豆半島は日本の他の地域と異なり、フィリッピン海プレートの上にあり、南の海底火山であった。フィリッピン海プレートは火山活動と土地の隆起によって、海底火山が徐々に陸化し約60万年前に日本列島にぶつかり一体化した。この時、日本列島に「伊豆半島」が誕生した。
約10万年前に活動を始めた富士火山は、1万7千年前から8千年前にかけて、流動性に富む玄武岩質溶岩を大量に流出し、三島市域まで到達した。この溶岩流を「三島溶岩流」と呼ばれている。
伊豆半島は、2012年9月24日、「日本ジオパーク」に認定され、2018年4月17日に「ユネスコ世界ジオパーク」に認定された。ジオパークは大地の公園であり、ジオパーク内にある見学地域を「ジオサイト」、具体的な見学地を「ジオポイント」と呼び、地形・地質の基礎知識をもつ案内者「ジオガイド」が同行し、ジオサイドやジオポイントを巡る見学旅行が「ジオツアー」である。
1. 基本データ
三島市内、楽寿園内のジオサイト
三島駅前に広がる水と緑に溢れる市立公園「楽寿園」は、市民の憩いの場であり、市内外から見学者が四季を通し訪れる市内第一のジオサイトである。ここには、「三島溶岩流末端部の地形・地質」「溶岩と湧水の関係」「富士山大崩壊による泥流の痕跡」など、多くの興味あるジオポイントが多数存在する。
楽寿園の地形は三島溶岩によって作られている。溶岩の上層部の表面をよく見ると、白い結晶が入っている、これは玄武岩に一般的な「斜長石」という鉱物であり、表面には「気泡」の跡もみられる。溶岩に含まれていた火山ガスや流動中に取り込んだ水蒸気が冷えて出来た空所である。断面が楕円形を示す場合があり、その方向が溶岩の流動方向である。(写真3)気泡は軽いので、流動中に上部に集中し、一枚の溶岩流では上部に集中している。また、一枚の溶岩流は何枚もの溶岩単層の集合体となっており、中~下位部では、気泡は見られない。園内の溶岩は採石され、気泡の多い部分は石垣に、気泡の少ない中~下位部は石橋・石碑・鳥居・門柱・灯籠・墓石などに利用されている。
「溶岩塚」は、溶岩流の末端付近が上流側から押されて、あるいは内部に溜まったガスの圧力で、古墳のように盛り上がった地形である。現在では、園内には40か所認められているが過去には、寺社建立・墓地造成・家屋建造・広場造成などで、殆どの溶岩塚は一部あるいは大部分削り取られた。
「網状溶岩」は、溶岩の表面に出来た「流動しわ」である。重ねた首飾りの様にした向きに垂れ下がっている。園内の30か所で確認されている。本来の状態をたもっているものと、網状溶岩形成後に溶岩塚が盛り上がったために、逆~横向きになっているものもある。
「溶岩洞穴」は、溶岩塚形成時にガスの圧力で盛り上がった空洞の場合と、内部の溶岩が流出して出来た空所「溶岩トンネル」の場合があり、園内で数か所観察ができる。
「溶岩こぶ」は、流動中の溶岩が部分的に外に流れ出そうとして盛り上がり止まった、こぶ状の小さなふくらみがある、これも園内で数か所観察ができる。
2. 事例の評価
園内の主なジオポイント
地点①:片側が開口した溶岩塚の断面であり、溶岩単層の重なり具合、押し上げる圧力による溶岩層の重なり具合、押し上げる圧力によって溶岩層の撓んだ様子が観察できる。表面は採石されているが、右下の縄状溶岩は流動方向やひび割れから、溶岩表面が固まった後に溶岩塚が盛り上がった事を示す貴重な地形である。(写真1)
地点②:中間の手前には、溶岩塚の北半分が残っている。断面には、何枚もの溶岩単層と気泡が集まって出来た空洞と、溶岩が流動しながら固まったために「楕円形」になった気泡などが観察できる。また溶岩単層の気泡の形から、それぞれの方向に流れたこともわかる。中間を過ぎた右手には、曲型的な縄状溶岩が分布している。道路左手の縄状溶岩は固まった後、溶岩塚の形成に伴い逆側に盛り上がっていることが観察できる。(写真2)
地点③:採石された溶岩塚の断面が観察できる。溶岩内部に溜まったガスが溶岩層を押し上げ溶岩洞窟が出来ている。上部の溶岩は自重で下向きに撓んでいる。溶岩表面の北側を観察すると溶岩塚が盛り上がった際、溶岩の重みで引き裂かれた亀裂が南北に走っているのがわかる。この辺り一帯には江戸時代から明治5年まで宝国院があったところである。
3. 三島溶岩の歴史的背景と湧水
三島溶岩
「園内の至るところに見られる岩は、富士山が噴火した際に流出した際に流出した溶岩で
す。今から約一万年前に、新富士火山の噴火が始まった最初に流下した基底溶岩で「三
島溶岩流」と呼ばれています。
富士山から南へ流下したこの溶岩流は流動性が高く、約四十キロメートル下の三島まで
到達し、固結したものです。流れた様子は溶岩塚、縄状や餅状の溶岩により残されてい
ます。これらの三島溶岩、三島の自然の一つの特徴で、その昔、三島地方の石材供給
地でもあり、硬い玄武岩のため石材利用も多く三島石(小浜石)として名を高めました
今では私たちの身辺から次第に姿を消そうとしている中で、保存のために湧泉水、実生
自然林や景観も含めて、昭和二十九年に国の「天然記念物及び名勝」に指定されまし
た。」 (『三島溶岩』園内掲示板より)[註1]
溶岩台地の上にある三島
町の中心部を清流が流れる三島。富士山から流出した溶岩と、その溶岩の隙間を通って富士山の雪解け水が街のあちらこちらで水が沸き、“水の都”と呼ばれ、三島はジオの恵みで満ちている。
三島駅北口を出たところで、道路のために削り取られているが、広い範囲で溶岩を見ることが出来る。(写真4)
楽寿園内の小浜池を源流とする蓮沼川と、源兵衛川(写真5)が近くに流れている。源兵衛川は、室町時代に地元の豪族・寺尾源兵衛が湧水をたどりながら掘削し、農業用水として使うために人口的に作ったといわれ、源兵衛川と名付けられた。川の中に配した飛び石や歩道に沿って、せせらぎを見ながら歩くことができ、市街地の真ん中を流れる川とは思えない豊かさで、ミシマバイカモなどの植物を観察することができる。ミシマバイカモは昭和5年、楽寿園の小浜池で発見されたキンポウゲ科の多年生水性植物で、糸状の沈水葉と手のひら型の浮葉に特徴があり、5月から9月のあいだに小さな白い花を水中にみることができる。
楽寿園の正面入り口の道路反対側に白滝公園(写真6)がある。ここには、欅の大木が生い茂り足元には三島溶岩が露出し、ここからの湧水は少し離れた菰池からの湧水と一緒になって桜川(写真7)となる
市内からは少し離れたところでの湧水は、境川と市外になるが観光地として有名な柿田川湧水郡は一日に70~100万トンの水量があり、名水百選にも選ばれている。
先に述べた富士山からの溶岩と、富士山からの雪解け水による湧水は、三島が誇る大地の恵である。
4. 国内外の事例
「ユネスコ世界ジオパーク」は、地層、岩石、地形、火山、断層など、地質学的な遺産を保護し研究に活用され、自然と人間とのかかわりとあらたな観光資源として地域の新興に生かすことを目的とした事業である。
現在世界で(2019年4月現在)41ヶ国147地域が加盟されている。国内では世界ジオパークとして伊豆半島を含む9地域と、日本ジオパークとして35地域が認定されている。特に伊豆半島の中の三島市のジオパークは、富士山からの溶岩と、溶岩の間からの湧水が特徴としている。
5. 今後の展開
ジオパークは地球活動が生み出した地形や地質だけでなく、それらに関わる人々の暮らしや歴史、食べ物も対象になり、自然の美しい景色、湧き出る水、手に触れる土や石の感覚などジオパークを通じて感じることができる。
市内の源兵衛川、楽寿園、白滝公園などや箱根西麓の野菜の特産地坂地区が、ジオサイトの設定となっているが、溶岩の露出など知らないと通り過ぎてしまう。街の中を楽しみながら回遊していただくため、案内看板の設置やジオサイト推進協議会や三島ふるさとガイドの60名ほどのボランティアが、ジオの要素を含めて楽しく伊豆半島の全体の案内ガイドを養成するしくみができている。ガイドの説明で、地質を楽しみ、ジオパークは今の魅力、教育、観光、防災へとつなげていき、市民の協力にて三島の魅力を知ってもらい、広げていくことが原点である。
「註1]園内掲示板の表示内容 2019年12月8日転記
参考文献
増島 淳 「ジオツアー三島宿」の成果(2)『三島市郷土資料館 研究報告6』
三島市郷土資料館 編集・発行(株)平井真美館 印刷 平成25年3月31日発行
大石剛 『伊豆半島ジオパーク トレッキングガイド』静岡新聞社 中部印刷2018年
4月13日初版第4刷発行
小山真人 『伊豆の大地の物語』静岡新聞社 中部印刷 2016年2月18日初版第4刷発行
編集スタッフ 『エコライフみしま』三島市役所編集事務局 平成31年5月1日発行
web https://www.mext.go.jp/unesco/005/004.
htmユネスコ世界ジオパーク 文部科学省 2019年12月15日