大阪の伝統野菜とそれを利用した地域の行事からの一考察
大阪の伝統野菜とそれを利用した地域の行事からの一考察
Ⅰ.はじめに
①伝統野菜について
日本各地には、その土地その土地で栽培されてきた在来の野菜品種が存在する。これらの品種は第二次世界大戦や戦後の田畑の宅地化や品種改良、食事の西洋化等で市場から姿を消した。しかし、2000年代に入り地産地消や地域の町おこしに利用されるなどで再び注目されるようになった。
大阪にも在来の野菜品種があり現在17種類がなにわ伝統野菜として登録されている。このなにわ伝統野菜は、江戸時代に大阪が食の町として発展していた時期に、それまで栽培されていた野菜に代わり割烹料理の材料や大阪土産として重宝された。現在お正月に食べるお雑煮の材料である金時人参も伝統野菜の一種である。
②大阪における地域の伝統行事について
大阪には有名な伝統的な行事として、天神祭など全国に知られている行事がある一方、地域に脈々と根付いた行事も多々ある。17種類の野菜の中で地域の行事に利用されているこつま南瓜と田辺大根と、その行事であるこつま南瓜祭りと法楽寺の終い不動を取り上げる。
③伝統野菜や地域の行事について
②で述べた地域の行事と、それらと類する他の地域の行事と比較する事で行事の特色を考察し以下に論ずる。
Ⅱ.伝統野菜と行事について
①勝間南瓜とは
現在の大阪市西成区玉出周辺で栽培されていた南瓜であり、一度1930年代に他品種に押され栽培されなくなった。
2000年代に入り、大阪府の機関によって種子が発見され、現在では河南町で栽培されている。そこで収穫されたものが再び玉出の地にある生根神社に奉納されるようになった。
②こつま南瓜祭りとは
冬至の日に生根神社で行われている行事である。冬至の日に生根神社の境内で参拝者にこつま南瓜を使用した従姉妹煮が振る舞われ、参拝者の無病息災や中風除けを祈願する。
③田辺大根とは
現在の大阪市東住吉区田辺周辺で江戸時代に栽培が始まり、大正時代には田辺横門大根と呼ばれた。この名前の由来は、法楽寺西門周辺で栽培されていたことに由来する。戦後病気や宅地化で一時期栽培されなくなったが、2000年に種子が発見され、再び田辺周辺の地域で栽培されるようになる。
④終い不動における大根炊きについて
法楽寺では毎月二十八日の本尊不動明王の縁日が催されており、一年の最後である12月28日は特に終い不動と言われ多くの人が集まる。この終い不動の日に不動さんに無病息災に過ごせたことに報告し、参拝者に炊いた大根が振る舞われるのが大根炊きである。この時に振る舞われる大根が田辺大根である。
⑤2つの行事の共通点
元々地域で育てられていた野菜が、その地域の信仰の場である神社や寺院に奉納されている事である。それらの野菜が戦後一旦栽培されなくなった品種が再び栽培されるようになった事や、現在の西成区や東住吉区は第二次世界大戦中の空襲で生根神社は消失したが、大阪市内の中では地域の被害が少ないもの戦災があった事も共通である。
Ⅲ.大阪の行事と他地域との比較
伝統野菜を利用した行事は、大阪だけでなく全国各地に存在する。その中から、大阪の隣であり大阪と同様に歴史がある町の京都と比較して、大阪との類似点や相違点について述べる。
①京都の行事について
京都にも、伝統野菜としての京野菜があり、現在41種類が京都府によって認定されている。京野菜の中で南瓜では鹿ケ谷南瓜、大根では聖護院大根や辛味大根などが認定されている。比較するために鹿ケ谷南瓜と聖護院大根を例にあげる。
鹿ケ谷南瓜を使用している行事として、安楽寺のかぼちゃ供養がある。この行事は、毎年7月25日に行われている。この行事は200年以上前から続いており、鹿ケ谷南瓜を煮たものを食べて中風にならないように祈願する行事である。現在、安楽寺のある鹿ケ谷では栽培されておらず、この行事のために他地域で収穫された鹿ケ谷南瓜を利用している。
次に、大根を利用した行事としては、聖護院大根を利用した千本釈迦堂の大根焚がある。この大根焚は、お釈迦さまが悟りを開いた日にあやかり参拝者の悪魔よけにされていたのを、健康増進を願う信徒の手に受け継がれて今の姿になったといわれ、信徒により大根を焚いたものが振る舞われる。聖護院大根が使われていたが流通量が少なく違う種の大根も利用している。
これらの行事は、何年も続いている伝統行事であり、それらの行事を守っている信徒や農家などコミュニティがあるという共通点がある。また、この二つの行事で使用する野菜は、他の伝統野菜と同様に田畑の宅地化や病気の流行、生産性の向上などで他の品種に取って代わられ、元々育てられていた地域と違う場所で育てられている。
また、京都の行事に関しては、第二次世界大戦で大規模な空襲を受けておらず、人口の増減や文化財の荒廃などはあったが戦前のコミュニティが残されており、戦後京都市が国際文化都市建設法を制定し風致地区を制定するなどしたため、現在にも昔からの伝統行事が残されている文化的背景がある事は重要な点である。
②京都と大阪の行事の共通点
地元で栽培されていた野菜が、耕作地の宅地化や病気、栽培の効率など問題で姿を消したが、一部の農家の方や行政機関により、再び栽培されることになったものを利用している点。それらの野菜を、野菜の旬な時期や季節の行事に合わせて、中風予防や無病息災を祈願し参拝者に振る舞われている点である。
③京都と大阪の行事の相違点
大阪の行事に比べれば、京都の行事は長年行われている行事である。大阪も京都も過去には都が置かれていた歴史のある町であるためこのことは、第二次世界大戦における戦災被害の違いによる地域コミュニティが残っているかどうか、行政の政策などによる文化的な背景の差があると言える。
Ⅳ.大阪と京都の伝統野菜と行事を比較して
大阪京都の行事はどちらも、その地域で採れた野菜を奉納し、参拝者の健康を祈願するという共通点がある。しかし、伝統野菜が第二次世界大戦の戦時中まで栽培されていた記録がある中で、大阪では一度姿を消したが2000年代に再び栽培されるようになったのに対して、京野菜は栽培量が減少したり栽培地が変わったても栽培され続けていた。これらの事が大きな違いであり、戦災と復興やコミュニティの存在が大きく影響していると考える。
大阪は空襲の被害が大きく、復興するに当たりまちづくりの中で、都市化が進み色々な地域から人口の流入する中で新しいコミュニティが形成された点と宅地化が進み、人口の増加に伴い農作物の生産性の向上が図られる中で田畑が減少し伝統野菜が作られなくなった点がある。
京都では、戦災の被害が少なく、宅地化は進んだが大阪ほどの人口流入がなく元々のコミュニティが残存し、行政が伝統を守ろうとし伝統野菜も作られ続けた文化的背景がある中で伝統的な行事が途切れなかった点がある。
今回、生根神社の宮司様にインタビューした中で、食への感謝の気持ちは時代に関係なくあり、こつま南瓜まつりは冬場に食せる作物が少なかった時に食べられる南瓜を振る舞うことで、作物への感謝の場とした先人の思いがある、この地域にこつま南瓜があったことを後世に伝えるために今後も続けていく事が大事であるという内容があった。
また、大阪京都どちらの伝統野菜も、元々は違う品種が栽培されており、それらの取って代わるように江戸時代あたりから栽培されるようになった。現在は、伝統野菜が新しい品種に代わられて、栽培量が減少したものや一時期栽培されなくなったものもある。再度栽培されるようになったものの、調理時間がかかってしまうことや、収穫量が少なく値段が高いなど問題もあり姿を消したものを再度流通量は増加するとは難しい。
その地域の人がその地域での食への感謝する場であった事や参拝者の中風除け等の目的があり、生根神社の宮司様の話のように後世に伝えるために続ける事が大事である。今回取り上げた2つの行事はどこの地域にもある行事と内容は似ているが、これらの行事が大阪で行われる事に意味があると言える。他地域から人口の流入がある都市部で一度途絶えたその地域の伝統野菜を利用している点、市場に中々流通させることが難しい伝統野菜を使用し後世に残すためにも必要な行事である点が特徴である。また京都の行事のように伝統的になるためには、コミュニティを大切にし行事を継続していく事が大切であり、栽培する目的にした行事を続ける事で他の伝統野菜を後世に残して行くためのヒントになる行事であるといえる。
Ⅴ.謝辞
協力頂いた生根神社宮司様、田辺大根栽培農家の方に感謝します.
参考文献
菊池昌治 現代にいきづく京の伝統野菜 誠文堂新光社
柳原一成 近茶流宗家柳原一成が選ぶ日本の伝統野菜 インフォレスト
現代風俗研究会編 野菜万歳風俗学としての農と食 新宿書房
関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター なにわ伝統野菜VS京野菜
安室知 日本の民俗4食と農 吉川弘文社
内田忠賢 日本の民俗10都市の生活 吉川弘文社