松平治郷がもたらした松江市の文化について

吉野 幸子

1.はじめに
松江市は、「国宝 松江城」の城下町として発展した島根県県庁所在地である。歴代の城主の中で、数多くある松江市の文化の礎を作ったのが出雲松江藩第7代藩主松平治郷(まつだいら はるさと:1751~1818 ※以下、「治郷」とする)である。今回は、治郷が作り上げた文化を現代まで発展・衰退していった経緯をまとめ、日本三大和菓子処と言われる金沢と比較し、今後の課題と問題点を考察したい。

2.基本データ
松江市:宍道湖・中海に囲まれた水郷都市である。数多くの古墳群・国分寺跡・最古の大社造建造物「神魂神社」が現存している。江戸時代では、北前船によって大阪や北海道など、交易が盛んであった。

治郷の人物背景:幼少期より書・茶道・禅を学ぶ。茶道具を蒐集し調査・研究・記録した。本を出版するなど、文化的教養の優れた人物である。号が「不昧(ふまい)」であることから「不昧公(ふまいこう)」と呼び親しまれ、治郷が好んだとされる茶器・和菓子・食文化は「不昧公好み」として伝わり、松江市の貴重な観光資源として成立している。財政破綻寸前であった松江藩を立て直した。

治郷の有名な出版物:蒐集した茶道具の目録帳書『雲州蔵帳』、全18巻となる茶道具の図説で記載された道具を“中興名物”・“大名物”などの番付で評価した『古今名物類聚』が有名である。茶道家として『茶事覚書』などの茶書も出版。『不昧公茶会記』は、不昧公が茶会で使用した茶器や懐石料理などが書かれており、好きなものには“御好”と書かれ、不昧好みを知ることができる。

活躍していた時代背景:天明及び化政文化、江戸町人が流行の発信源になった時代である。蔦屋 重三郎(1750~1797)によって出版業が確立された。松江藩では、財源が無くなったため明和の改革(人員整理や江戸屋敷経費節減)を実施し、北前船などの買積み廻船によって木綿製品・薬用人参・蝋燭等を売買し続け、1841年には借金を全て返済した。

3.現在でも受け継がれている文化
3.1 食文化
和菓子は“不昧公好み”の代名詞的な存在である。明治維新の際に不昧公好みの菓子は一旦途絶えてしまったが、明治時代中期に藩御用達であった菓子座「面高屋」につたわる製法の記録や、不昧公の茶会記『茶事十二ヶ月』などを頼りに明治から昭和にかけて復刻した。「若草」は明治時代中期に彩雲堂によって復刻した。特徴は求肥のまわりに緑色に色付けされた寒梅粉がかかっている。「山川」は大正時代初期に風流堂が復刻した。紅白のやわらかい落雁で、白は川、紅は山を表現している。長方形が基本的な形であり、これを割って山もしくは川に見立てる。「菜種の里」は三英堂のみの伝承・販売している。落雁を黄色くし、蝶々に見立てたもち米が散りばめられている。「姫小袖」は一力堂のみ伝承・販売している。3cm弱の正方形でピンクと白色の落雁の中に、小豆味の落雁が入っている。抹茶「中之白」は、治郷が作らせ名付けたとされる。京都宇治の茶問屋「中村藤吉本店」から分家した「中村茶舗」が現在販売している。出雲そばは、古典落語の「不昧公夜話」で、治郷がお忍びで屋台へ行くほど蕎麦好きであったとされる。奥出雲地方で「蕎麦の実」を栽培させ、懐石で蕎麦を提供するなど、結果的に松江藩における蕎麦の普及に貢献した・スズキの奉書焼きという、スズキを和紙に巻いて焼いた松江市の郷土料理である。庶民が直接火にくべて焼いているスズキを食べたいと所望した治郷に、奉書に包んで蒸し焼きにして献上した。出雲皆美本舗「鯛めし」は治郷が愛好する「そば具」と汁かけで考案した料理から家伝料理として以後代々皆美館で伝承されている。

3.2 陶芸
治郷の指導の下で作成されていた布志名焼は、昭和の民芸運動から、スリップウエア技法などを用いた西洋陶器風のデザインを取り入れた作風である。1786年に途絶えた窯元を、治郷が長岡住右衛門貞政を起用し再興した楽山焼もある。現在でも伝統を守り、茶道具を主とした作品が多い。

3.3 和紙
水玉模様の和紙が不昧公好みとされた。現在では安部栄四郎記念館で受け継がれている。

3.4 茶室
治郷が作ったとされる茶室は、菅田庵(1792年建立)と明々庵(1779年建立)が有名である。茅葺の入母屋造りが特徴的で、躙り口、茶室は1~4畳半である。「露地や茶室のことは千宗旦」という言葉を残していることから「わび茶」を特徴とする。

3.5 茶道“不昧流”
片桐石州(1605~1673)の石州流から治郷が学び、治郷が独自に作った流派が“不昧流”である。現在では、不昧流大円会が普及に努めている。

4.現代まで浸透しなかった文化
相撲は、治郷のお抱え力士が何名もいた。お抱え力士は、松江藩御座船の水夫として召し抱えられ、漁をする傍ら武道にも勤しんだとされる。工芸品の指物で、治郷が重宝したとされるのが小林如泥(1753年-1813年)ある。東京国立博物館に作品が所蔵されている。漆器では、治郷と江戸へ伴い、蒔絵技法を会得した小島漆壺斎が様々な作品を残している。松江では「八雲塗」と技法や作風も変化してしまった。現在子孫の小島ゆり氏が東京で活躍されている。

5.金沢市「加賀家」と松江市の治郷が作った文化の比較から考える問題点
金沢市の文化も一人の武人によってもたらされた傾向がある。前田利家(1538~1599 ※以下利家とする)及び前田家が京都から伝来したとされる、能・茶・加賀友禅・九谷焼・金沢箔・金沢漆器・加賀象嵌などの文化は金沢市で現代でも有名である。利家も、茶道を嗜んだとされ、和菓子・漆器・陶芸など関連される文化の発展は松江市と類似する点が多い。和菓子でも、金沢市は日本三名菓といわれる「長生殿」という小堀遠州の書を表面に描いた落雁があり、松江も同様に落雁が「不昧公好み」として伝わっている。しかしながら、金沢市の文化は松江市の文化を総合的に比較すると、金沢市の方が煌びやかで華やかである。色彩豊かな加賀友禅・九谷焼や金細工の美しい金沢箔・金沢漆器と比較すると、松江市の陶芸や茶室は「わびさび」を具現化したような作品が“不昧公好み”とされている。そして現代で、利家は大河ドラマやゲームなどで一躍有名となっているが、治郷は知名度が低い。

6.今後の展望について
治郷は多くの出版物を残し、特に『古今名物類聚』は、分類・格付けを行った研究書であると言える。また、多くの茶道具を蒐集していたことで石井 悠によると「文化財保護の先駆者と言うべきである」(1)という面もある。これらのことから治郷は優れた審美眼の持ち主であると言える。彼が手掛けた文化も、「わびさび」をテーマとした作品が多い。また彼の生きた時代は町人が流行の発信源であったことから、本来ならば親しみやすい文化が多いことが伺える。民芸運動も「不昧公好み」として通じるものがあり、布志名焼も影響を受けて現代に至る。治郷が培った文化は、「わびさび」であり、質素で日常的な美しさがある。例えば茶道といえば敷居の高い印象を受けるが、松江市では抹茶や煎茶を日常的に飲む習慣があり、和菓子も食べる。他では敷居の高いことを松江市では気軽に楽しめることが、今後の発展に繋がるのではと考察する。そして、今回問題点や文化を調べた上で、治郷の知名度の低さを解決するには、茶道を通じて普及することだけでなく、審美眼の持ち主であることや彼の性格などの特性を生かしたPR方法も展開できるのではと実感した。

7.おわりに
治郷がもたらした松江の文化は、自らが主導となり江戸や京都から技術を松江に伝来させてものが多い。一旦は廃れたが、これまでの功績や資料が残っていたことから和菓子や郷土料理など復刻できた文化もあれば、指物や漆器など浸透しなかった文化もある。松江の文化は、治郷が都会から地方都市へ技術を伝来したと同時に、彼が育てた職人の努力によって培われてきた。それらは歴史的な研究に基づいたものが多く、治郷が書籍を残していたこともあり今日まで発展することができた。治郷を研究することで、今まで浸透しなかった文化が発展、または新たな発見から文化となるものが発展する可能性があると言える。

  • 1_%e6%9d%be%e5%b9%b3%e6%b2%bb%e9%83%b7%e3%81%ae%e8%82%96%e5%83%8f%e7%94%bb 松平治郷の肖像画(2020年01月04日 松江歴史館にて筆者撮影)
  • 2_%e3%80%8e%e5%8f%a4%e4%bb%8a%e5%90%8d%e7%89%a9%e9%a1%9e%e8%81%9a%e3%80%8f 『古今名物類聚』(2020年01月04日 松江歴史館にて筆者撮影)
  • 3_%e6%b2%bb%e9%83%b7%e3%81%8c%e7%90%86%e6%83%b3%e3%81%a8%e3%81%97%e3%81%9f%e8%8c%b6%e4%ba%ba 治郷が理想とした茶人(2020年01月04日 松江歴史館にて筆者撮影)
  • 4_%e4%b8%8d%e6%98%a7%e5%85%ac%e5%a5%bd%e3%81%bf%e3%81%ae%e5%92%8c%e8%8f%93%e5%ad%90%e3%83%ac%e3%82%b7%e3%83%94%e9%9b%86 不昧公好みの和菓子レシピ集(2020年01月04日 松江歴史館にて筆者撮影)
  • 5_%e4%b8%8d%e6%98%a7%e5%85%ac%e5%a5%bd%e3%81%bf%e3%81%a8%e3%81%95%e3%82%8c%e3%82%8b%e5%92%8c%e8%8f%93%e5%ad%90 不昧公好みとされる和菓子(2020年01月04日 松江歴史館にて筆者撮影)

参考文献

【註】
(1)石井 悠『お茶の殿様 松平不昧公』株式会社谷口印刷、2018年、134ページ。

【参考資料】
石井 悠『お茶の殿様 松平不昧公』株式会社谷口印刷、2018年。
不昧流研究会『「三百ヶ条」を通して考える不昧流茶道文化』小宮山印刷工業株式会社、平成23年。
不昧公生誕二百五十周年記念出版実行委員会『松平不昧と茶の湯』小宮山印刷工業株式会社、2002年。

工藤泰子「松江観光における文化資源としての 不昧に関する史的研究」、『日本国際観光学会論文集』(第24号)(2020年01月29日閲覧)
http://www.jafit.jp/thesis/pdf/17_04.pdf

しまねバーチャルミュージアム (2020年01月29日閲覧)
http://www.v-museum.pref.shimane.jp/special/vol01/

「不昧公200年祭」公式ホームページ(2020年01月29日閲覧)
https://fumaikou.jp/

「出雲皆美本舗」(2020年01月29日閲覧)
https://www.minami-hompo.jp/lower/tai.php

風流堂公式HP「風流堂とは」(2020年01月29日閲覧)
https://www.furyudo.jp/furyudo/

彩雲堂公式HP「若草」(2020年01月29日閲覧)
http://www.saiundo.co.jp/2shop_wakakusa.html


金沢市公式ホームページ「金沢和菓子の歴史背景」(2020年01月29日閲覧)
https://www4.city.kanazawa.lg.jp/17003/dentou/bunka/wagashi/index.html

「小島ゆり Yuri Kojima 松江藩御抱え塗師十二代目」(2020年01月29日閲覧)
https://yurikojima.net/index.html

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