越境コミュニティの拡大発展を創造する ―デザインの観点からみる「世界のウチナーンチュ大会」―

照屋 このみ

はじめに
沖縄県は独自の文化を色濃く現代まで伝承してきた地域性〔1〕がある。その要因の一つがコミュニティの形成過程にあると考えられている〔2〕。しかしながら、多様性が尊重される現代において、郷土愛やアイデンティティといった精神的文化の継承は容易ではないだろう。本稿では、ウチナーンチュ〔3〕の民族意識が具現化されたイベント「世界のウチナーンチュ大会」(以下、当大会)をデザインの観点から検証し、その意義を文化資産として評価、今後の可能性を考察する。

1.世界のウチナーンチュ大会とは
世界のウチナーンチュ大会とは、概ね5年に一度、世界各地で暮らす沖縄県系人〔4〕が沖縄に集結し、互いの健闘を讃え合うと共に友好を深め、ウチナーンチュとしてのアイデンティティを次世代へ継承するための祭典である。1990年に第1回大会が開催され、33年間で7回開催されている〔5〕。当大会は5日間の会期中に様々なプログラムが複数会場で並行して開催される〔6〕。2022年開催の第7回大会では初のオンライン及びメタバース会場で同時開催され、大会の様子が映像としてアーカイブ化されるようになったため、参加の在り方においても広がりをみせている。現在、世界各地に約42万人の県系人がいると推計されており〔7〕、2016年開催の第6回大会では海外27ヵ国29地域から7,353名、国内から603名が参加し過去最高規模となった〔8〕。

2.歴史的背景と開催経緯
1899年、沖縄から初の海外集団移民がハワイへ渡航して以来、多くの沖縄県系人がハワイの発展に貢献してきたという交流の歴史を背景に、1985年、〈沖縄県民とハワイ州民との友好の絆を強化し、文化・産業の交流を一層促進するとともに、相互の親善と理解を深めること〉を目的として姉妹提携宣言がなされた〔9〕。このことをきっかけに、翌年1986年には〈世界各地で活躍する県系人を、ルーツである沖縄の地に招待し讃えよう〉という意図で当大会の開催が検討され、1987年、海邦国体〔10〕に7ヵ国から沖縄県系人515名が招待されると、当大会の前身となる歓迎レセプション「ワールド・ウチナー・フェスティバル」が開催された。検討開始から4年後の1990年、大会実施本部が発足し同年開催に至った〔11〕。

3.特筆
日本人の海外移住の歴史は鎖国令が解かれた1866年に遡り、海外に県人会を有している都道府県も珍しくないが〔12〕、ルーツへ集結し開催されるイベントは数少ない。ここでは、歴史的背景と開催経緯が類似する〔13〕「海外福岡県人会世界大会」を取り上げ、イベントデザインとコミュニティ運営の観点から比較する〔表1〕。
両大会とも会期中に開催される各海外県人会同士の話し合いによって今後の方針が決まっていくことは一致しているが、開催地と主催の在り方については異なる。
当大会は沖縄県主催のもと概ね5年に一度、毎回沖縄開催で一貫している。一方、海外福岡県人会世界大会は、海外県人会からの立候補で次回開催地が決まっており、開催地県人会が主催も務める。過去の開催実績としては、3年に一度、海外で3回開催した後、福岡県開催とのルーティンがあったが、海外県人会会員の高齢化が進み「世界大会を機に里帰りしたい」と考えている人も多いそうで、「2回に1回は福岡で開催するというルール作りをしてはどうか」との提案が承認されている〔14〕。
海外県人会が自ら開催地を選定し、行政のアドバイスを受けながらプログラムの構想、企画、運営の全てを行うことは、主体性を持ったコミュニティを育成し、イベント運営ノウハウも実体験として継承されていくという利点がある一方で、海外県人会会員にとってルーツ開催は特別であることがわかる。ルーツ開催に拘り、参加者が渡航資金を貯めるための期間との意図で5年という開催周期が決められていることは、当大会の特筆すべき点である〔15〕。

4.評価
4-1.循環・発展する共創の構想プロセス
前述した通り、当大会は県主催のイベントだが、構想には県系人の意見が強く反映されている。第1回大会では有識者によるパネルディスカッションが開催されたが、大会の成果として「ウチナー民間大使(以下、民間大使)制度〔16〕」が発足すると、第2回大会からは会期中に意見交換の場が設けられ、活動の成果や課題解決に向けた具体的なアイディアを共有すると共に、次回大会に向けた活動方針が議論され、県へ提言されるようになった。当初は主に民間大使の議論の場であったが、現在ではファシリテーターと通訳を招き、海外県人会長と民間大使を中心に、県内外からの一般参加者、留学生、県庁職員など総勢160名余りで行うワークショップ形式の共創の場へと発展している〔17〕。さらに第3回大会から事前アンケート意識調査〔18〕が開始され、その結果がイベントの構想に関与するという、ユーザー中心主義の循環プロセスが構築されている〔図1〕。回を重ねるごとに関係者人口が増え、自ら”つくり手”として参加が可能な当大会の構想プロセス自体が、アイデンティティを確認し沖縄愛を育む要因の一つとなっていると推測し、これを評価する。

4-2.共同体意識を高めるはじまりと終わり
当大会のプログラム構成を概観してみると、「前夜祭パレード」に始まり、会期中に様々な異文化交流を促す催しがあり、「閉会式及びグランドフィナーレ」によって幕を閉じる。一見、典型的なイベントの構造〔19〕のようだが、乱痴気騒ぎに始まり乱痴気騒ぎに終わるという独自性がみられる〔図2〕。
パレードは個々人の社会的な役割から分離し〈ウチナーンチュ〉へと移行する儀式のようである。沖縄の地を踏み締め、大勢に出迎えられるという体験は、“ここが自分のルーツである”という実感と感動を呼び起こす装置として機能しているのではないだろうか〔資料1〕。
一方、閉会式及びグランドフィナーレは、プロ野球のキャンプ地にもなる沖縄セルラースタジアム那覇で行われる。スタジアムという空間の力もあってか、大衆の中、世界各地の国旗が旗めく様子はさながらスポーツ観戦のような熱気に包まれる〔資料2〕。スピーチする登壇者の言語は様々だが、「ウチナーぐち〔20〕」という共通言語と、エイサー〔21〕や民謡、カチャーシー〔22〕といった伝統芸能もまた共通言語としての役割を果たし、一体感と高揚感が生成される。まさに〈ウチナーンチュ〉としての共同体意識が最高潮に達したところで日常へと統合される時間のデザインは評価に値する。

5.今後の展望
5-1.学術研究対象としての可能性
当大会の報告書は第1回から対外向けに発行されており、各大会において200ページ余りの充実した記録が存在する〔23〕。「イベント」という広く一般が触れることの出来るメディアであると同時に、豊富な資料が残されていることは情報伝達ツールとしても高く評価できる。実際に当大会を対象とした数多くの研究が公表されているが、近年では移民研究というだけでなく、学校教育における教材としても検討されている〔24〕。本稿もまた新たな切り口で当大会を研究しようとするものである。このことは、学術研究対象としても優れていることを示唆しており、新たに始まったオンライン及びメタバース開催についても有益な研究素材として機能していくことだろう。

5-2.個人の成長に着目したデザインの可能性
当大会は大規模なイベントだが、参加者ひとり一人にはそれぞれの思いや物語がある。定期的にルーツに帰るという行為を利用して、当大会の体験記録を生成できないだろうか。歳を重ねるごとに変化していく自身と、対照的に〈変わらない何か〉を認識するという二項対立を乗り越える体験が、自身のアイデンティティを確認することにつながるのではないかと考える。継続的に参加することで形成されていくプログラムの存在は、通過儀礼のような役割を果たし、若年層の参加動機にもなるのではないかと期待したい。

まとめとして
当大会は、2011年開催の第5回大会までは県内在住者の式典参加は対象としていなかったため、まだ沖縄にルーツを持つ海外移民者のためのイベントとしての印象が強い。しかし、郷土愛やアイデンティティの継承という点では県内国内在住者も例外ではない。イベントを体験することで再確認できる共同体意識は全ウチナーンチュのためのものであり、イベント後も時空間を超えてつながることのできる文化資産として位置付けたい。

  • 1_page-0001 〔表1〕世界のウチナーンチュ大会と海外福岡県人会世界大会の比較分析表(筆者作成)
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  • 3 〔図2〕通過儀礼の構造に見られる特徴的な行動パターンからみる当大会の独自性(筆者作成)
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  • 81191_011_31983124_1_6_%e5%88%a5%e6%b7%bb%e8%b3%87%e6%96%991-1_page-0001 〔別添資料1-1〕沖縄県交流推進課へのインタビュー取材Q&A(筆者作成)
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  • %e5%88%a5%e6%b7%bb%e8%b3%87%e6%96%992_page-0001 〔別添資料2〕福岡県国際交流センターへの文書取材Q&A(筆者作成)

参考文献

【脚註】
〔1〕「人と移動と21世紀のグローバル社会」研究プロジェクトの一員である金城宏幸氏は、「特異な言語と文化、そして集団の歴史を有すると自認するウチナーンチュ〔3〕は、国内のみならず海外においてもコミュニティーを形成し、今では〈越境的なエスニック集団〉としてのイメージが定着しつつある。」と指摘している。(参考文献1、p54より)
〔2〕金城宏幸氏は、コミュニティ形成の独自性について「自分たちが一つの〈民族〉であるとの意識が深く刻まれたのは、薩摩藩の侵攻(1609年)による属国化や、日本国家に組み込まれる契機となる琉球処分(1879年)という歴史を経て、おそらく、明治政府による同化政策を通した皇国民化教育が行われた時代であろう」と考察している。(参考文献1、p55より)
〔3〕ウチナーンチュ:沖縄の方言で、沖縄のことを「ウチナー」というが、〈沖縄人〉のことを「ウチナーンチュ」という。どこまでを〈沖縄人〉とするかは文脈によって異なることもあるが、本稿では〈沖縄生まれの人とその子孫〉と定義する。
〔4〕沖縄県系人:ウチナーンチュ〔註3〕と区別して、沖縄に生まれ〈海外へ移住した〉本人及びその子孫のことをいうが、一般用語ではない。沖縄県内で新聞や行政文書で常用される言葉。また、沖縄に生まれ県外へ移住した本人及び子孫のことを「国内県系人」ということもあるようだ。
〔5〕社会情勢を鑑みており、2000年開催予定だった第3回大会は九州沖縄サミットの影響で1年後ろ倒しになり、2021年開催予定だった第7回大会はCOVID-19の影響で2022年開催となった。
〔6〕プログラムは大きく4つの目的に区分され、開催年の前年から当年にかけて開催される「プレイベント」は認知度を上げるための広報的な役割を果たし、「式典イベント」は歓迎・慰労、「県主催イベント」は次世代への文化継承を意図し、「連携イベント」は当大会とテーマ性が一致すると判断されれば認定される民間団体主催の企画となっている。
〔7〕2016年度、沖縄県文化観光スポーツ部交流推進課による推計値。(参考文献2、第6回、p158、2017年より)
〔8〕参加者数の内訳は、ハワイを含む北米56%、中南米31%、アジア2%、ヨーロッパ1%、オセアニア1%、その他1%で、アフリカからも3名の参加があった。(参考文献2、第6回、p159、2017年より)
〔9〕参考文献4より。
〔10〕海邦国体:1987年に沖縄県で開催された「第42回国民体育大会(夏・秋大会)」のテーマ。スローガンは「きらめく太陽 ひろがる友情」。(参考文献5より)
〔11〕第1会大会報告書には「何十年ぶりかで見る祖国沖縄の晴れ姿に涙したあのウチナーンチュたちの感動を永続的に未来に伝えるものではなくてはならない」と記されており、「一過性のイベント=まつりではなく、永続的・発展性のあるイベント=事業に育んでゆかなければならない」と課題を挙げている。(参考文献2、第1回、p20-21、1991年より)
〔12〕日本人の海外移住は、1866年に海外渡航禁止令(鎖国令)が解かれてから150年以上の歴史がある。ハワイ王国におけるサトウキビ・プランテーションでの就労に始まり、アメリカ合衆国、カナダといった北米への移住、1899年にはペルー、1908年にはブラジルへと日本人が渡った。1924年にアメリカで日本人の入国が禁止されると、移民の流れが北米から南米へと移り、その結果、第二次世界大戦前には約77万人、大戦後には約26万人が移住することとなった。現在では、全世界に380万人以上(2021年推計)の海外移住者や日系人がおり、そのうち220万人以上が中南米諸国に在住していると推定されている。(参考文献14より)
〔13〕福岡県からの海外移住は1885年にハワイへ移住したことに始まる。世界大会の開催については、1990年、福岡で「とびうめ国体」が開催された際に海外から県人会の代表者を一同に集めたことがきっかけとなり、1992年から3年に一度開催されている。移住者数は広島、沖縄、熊本に次いで全国で4番目に多く、約5万5千人になるという。現在では、海外24ヵ国39地域に県人会を有している。(参考文献15、参考文献16・p63、p77及び文書取材より)
〔14〕文書取材より。(別添資料2、(1)(2)(3)参照)
〔15〕聞き取り取材より。(別添資料1、(3)参照)
〔16〕ウチナー民間大使制度:海外で活躍し沖縄との交流の架け橋となり得る者を対象とし、世界のウチナーンチュネットワーク構築の人的拠点としての役割を担う。1990年創設当初は定員や任期があったが2004年に廃止され、発足時に認証した者から新たに認証される者まで、随時認証していく方針へ改正された。(参考文献2、第1回、p83、1991年、及び参考文献5より)
〔17〕2016年開催第6回大会実績。(参考文献2、第6回、p77、2017年より)
〔18〕事前アンケート意識調査:初回となる第3回大会では民間大使と県人会、県関係者を対象とする大会実行委員会によるアンケート調査だったが、第4回大会より大会参加者全体を対象とし、琉球大学の研究者を中心とする研究チームと共同で実施されている。項目は①回答者の基本情報、②大会に対する評価、③大会目標・目的(アイデンティティの継承、ネットワークの構築、海外指向性の向上)に関する質問で構成されており、集計・分析結果は大会報告書に記載される。
〔19〕イギリスの文化人類学者エドマンド・リーチ(1910-89)は、人間の文化に見られる多くの通過儀礼(人間の成長・発達段階に応じて行われる儀式)を分析した結果、日常の時間が切り取られ(分離)、それが非日常の時間として置き換えられ(移行・境界)、再度日常の時間に組み込まれる(統合)というプロセスがあり、それぞれのフェーズにおいて「形式性」、「役割転倒・逆転」、「乱痴気騒ぎ」という特徴的な活動形態によって構成されているということを指摘しており、このパターンはオリンピックやワールドカップなど、現代のイベントにも共通する普遍的な時間のデザインであることを示唆している。(参考文献7、p22-32より)
〔20〕ウチナーぐち:沖縄の方言のこと。多くの県系人が「いちゃりばちょーでー(一度出逢えば皆兄弟)」「ゆいまーる(助け合い)」「やーにんじゅ(家族)」など、方言を通して、人とのつながりを大切にするウチナーンチュの精神を理解して使っているようだ。(筆者体験取材より)
〔21〕エイサー:本土の盆踊りにあたる伝統芸能。旧盆の最終日の夜、地域内を踊りながら練り歩き、先祖をあの世へ送り出す。現在では、伝統的なエイサーだけでなく創作されたエイサーもあり、旧盆以外にも運動会、祭り、結婚式の出し物など様々な場で踊られ、魅せるエイサーとして発展している。
〔22〕カチャーシー:沖縄の方言で「かき回す」という意味があり、両手を頭上に挙げ、手首を回しながら左右に振る踊りのこと。主にテンポの速い沖縄民謡の演奏に合わせて踊る喜びの舞。
〔23〕大会報告書には、コンセプトの構築プロセスから交通・輸送・警備対策などの実施体制、広報活動プロセスからアンケート調査結果まで、事細かに記載されている。
〔24〕参考文献17より。

【参考文献】
1.町田宗博、金城宏幸、宮内久光編、『琉球大学 人の移動と21世紀のグローバル社会Ⅹ 躍動する沖縄系移民ーブラジル、ハワイを中心に』彩流社、2013年。
2.世界のウチナーンチュ大会実行委員会事務局編、第1回~第6回「世界のウチナーンチュ大会報告書」、世界のウチナーンチュ大会実行委員会、大会開催の翌年発行。
3.沖縄県文化観光スポーツ部交流推進課、「第7回世界のウチナーンチュ大会」、公式サイト、2022年。
4.沖縄県、海外の姉妹・友好都市「アメリカ合衆国ハワイ州」、姉妹・友好都市提携(海外・国内)、公式サイト、2021年。
https://www.pref.okinawa.jp/site/bunka-sports/koryu/honka/shimaitoshi.html(2022年11月22日最終閲覧)
5.公益財団法人日本スポーツ協会、「第42回国民体育大会」、公式サイト、2022年。
https://www.japan-sports.or.jp/kokutai/tabid707.html(2022年11月22日最終閲覧)
6.沖縄県、「ウチナー民間大使」、公式サイト、2017年。
https://www.pref.okinawa.jp/site/bunka-sports/koryu/honka/10851.html(2022年11月22日最終閲覧)
7.早川克美著『私たちのデザイン1 デザインへのまなざし ―豊かに生きるための思考術』(芸術教養シリーズ17)、藝術学舎、2014年。
8.那覇市国際通り商店街振興組合連合会、「那覇国際通り商店街」、公式サイト、2022年。
https://naha-kokusaidori.okinawa/(2022年11月27日最終閲覧)
9.那覇市経済観光部観光課、「沖縄セルラースタジアム那覇」、那覇市観光資源データベース、2022年。
https://www.naha-contentsdb.jp/spot/647(2022年11月26日最終閲覧)
10.中西紹一・早川克美編『私たちのデザイン2 時間のデザイン ―経験に埋め込まれた構造を読み解く』(芸術教養シリーズ18)、藝術学舎、2014年。
11.沖縄タイムス、「【速報】世界のウチナーンチュ大会 前夜祭パレード始まる 国際通りで3千人行進 再会を喜ぶ」、沖縄タイムスプラス、2022年。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1049167(2022年11月27日最終閲覧)
12.琉球新報、「「わったーウチナーンチュ」県人大会閉会式に世界から1万3587人」、琉球新報デジタル、2016年。
https://ryukyushimpo.jp/movie/entry-384236.html(2022年11月27日最終閲覧)
13.沖縄県、「海外沖縄県人会」、公式サイト、2022年。
https://www.pref.okinawa.jp/site/bunka-sports/koryu/honka/10822.html(2022年11月27日最終閲覧)
14.JICA横浜、「海外移住資料館について」、「海外移住資料館」公式サイト、2023年。
https://www.jica.go.jp/jomm/outline/index.html(2023年1月29日最終閲覧)
15.公益財団法人福岡県国際交流センター、「海外福岡県人会パンフレット」、「海外福岡県人会との交流」、公式サイト、2020年。
https://kokusaihiroba.or.jp/wp-content/themes/kokusai/assets/images/page/about/overseas/31.pdf(2023年1月29日最終閲覧)
16.公益財団法人福岡県国際交流センター、「第10回海外福岡県人会世界大会報告書」、公式サイト「海外福岡県人会世界大会」大会詳細、2019年。
https://kokusaihiroba.or.jp/wp-content/themes/kokusai//assets/images/page/about/worldconvention/10ja.pdf(2023年1月29日最終閲覧)
17.嘉納英明・神山英、「世界のウチナーンチュ大会から異文化を学び、自文化理解へ」、「名桜大学紀要」、2016年、p121-131。

【引用】
照屋このみ筆、「越境コミュニティの拡大発展を考える ーイベントデザインの観点からみる「世界のウチナーンチュ大会」ー」、「芸術教養演習2」、2022年度秋期。

【聞き取り取材】〔別添資料1参照〕
沖縄県 文化観光スポーツ部 交流推進課/世界のウチナーンチュ大会実行委員会事務局
日時:2022年11月10日(木)10:00~11:30
場所:沖縄県庁舎

【体験取材】
第7回世界のウチナーンチュ大会
■前夜祭パレード
日時:2022年10月30日(日)15:00~18:00
場所:国際通り(沖縄県那覇市)
■閉会式及びグランドフィナーレ
日時:2022年11月3日(火・祝日)17:00~21:00
場所:沖縄セルラースタジアム那覇(沖縄県那覇市)

【文書取材】〔別添資料2参照〕
公益財団法人福岡県国際交流センター
回答日:2023年1月19日(木)

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