博多湾に浮かぶ島~能古島が市民の憩いの場であり続けるための空間デザインついて

金子 和子

●はじめに
福岡市の海岸線の距離は約60㎞である。その両サイドは外洋の玄界灘に面しているが、博多湾のほとんどは海の中道から続く志賀島と能古島に遮られた内海となっている。
[資料1]
その博多湾に浮かぶ能古島は、西区の姪浜渡船場から市営渡船に乗って10分ほどで着く、周囲10㎞程の小さな島で、日帰りで訪れることのできる市民の憩いの場である。
この島を卒業研究の題材として選んだのは、親しんだ愛着もあるが、能古島が文化的資産として評価に値する島であると感じているからである。
本稿では、この能古島の歴史的背景と地域性、市民性の観点から、文化的資産としてあり続けるためのデザインについて考察する。[資料2]

1. 基本データ
所在地  福岡市西区能古島
面積   3.96k㎡
周辺長  10.25km

人口総数    715人
世帯数     259世帯
年齢別人口   15歳以下   64人
                         15~64歳 352人
                         65歳以上    295人
世帯別経済構成  農林漁業(混合含む)  22世帯
                           非農林漁業世帯    122世帯
                           非就業                        99世帯
                           不明               15世帯
※国勢調査報告(平成27年度)より抜粋

2.歴史的背景と地域性の評価
まず歴史的背景から述べたい。
博多湾の入口に位置し、遠く玄界灘を見渡すことのできるこの島は7世紀半ばから約100年間、唐・新羅の侵攻に備えて島北の也良崎に防人が置かれた。
『万葉集巻十六』の中には、也良の崎(現在の也良崎)で詠まれた防人の歌十首がある。
島内の2か所に万葉歌碑が立てられ、能古島は万葉の島ともいわれている。 [資料3]
また、江戸時代になると、能古島の船乗りたちは「五か浦廻船」呼ばれる船団を組織し大型の船を50艘以上持ち日本の海を駆け巡ったと記録されている。そのほとんどは幕府や福岡藩をはじめ東北諸藩の米を江戸や大坂に運ぶ仕事が中心だったが、時には北海道や東北街道の材木を運ぶこともあった。大海に乗り出していった歴史は、能古島の人々が最も誇りとしているものである。
福岡県庁広域地域振興課データによると、福岡県には有人島(離島)が8つあるが、その中に能古島は入っていない。
だが、以上の歴史的背景から考えると、能古島は古代より「島」としての、言い換えるならば「島」であるがゆえの歴史に彩られた地域といえるだろう。

次に、地域の特徴であるが、能古島は1941年に福岡市と合併し福岡市西区として現在に至っている。そして、市街化調整区域[註1]という都市化されることを拒んでいる地域という面を持っている。
能古島は昔ながらの変わらぬ田園風景や漁村集落という日本の風景が留め置かれている地域であり、都会では味わうことのできない豊かな自然は、市街化調整区域に指定されていることで保たれているといえるだろう。

3.市民性の評価
万葉歌碑、蒙古塚、神社や寺、鹿垣、まぼろしの陶器「のこ焼き」など、島の至る所に古代からの史跡をみることができるが[資料4]、市民性の評価という観点から、多くの人が訪れる「のこのしまアイランドパーク」(以下アイランドパーク)について述べたい。
1969年に開園したアイランドパークは、能古島渡船場からバスで10分ほどの島の北側にある。緑と四季折々の花々が植えられていることで知られ、多くの人たちの憩いの空間のひとつとなっている。[資料5]
アイランドパークは、50年前に「都会で働き続け疲れた人たちの心を癒すために能古島の景観を生かした公園造り」を始めた久保田耕作氏の思いが、現在も「遊戯施設は置かないで、できるだけ自然な姿で、限りなく人工的なものから遠いものにしよう」というかたちで貫かれている。

4.類似した島との比較
能古島の類似比較例として、同じく博多湾に浮かぶ志賀島を挙げる。
周囲は約12㎞。面積は5.82k㎡。人口は1.639人(平成27年時点)の志賀島は、能古島よりやや広い面積に2倍強の住民が暮らしている島である。
1784年に金印「漢委奴国王」が出土されたことで知られている志賀島には、蒙古塚や万葉歌碑など、能古島と重なる史跡が残されている。ともに祖国防衛の拠点として重要な役割を担ってきた島だからである。[添付写真1]
加えて、2つの島は市街化調整区域であり、昔ながらの豊かな自然が残されていることや住民の減少や少子高齢化という問題を抱えている点でも共通している。
しかし、訪れてみると2つの島の印象はかなり違う。
能古島には「憩いの場としてのまとまり」を感じ、志賀島には玄界灘を取り込んだ「手つかずの自然」を感じるからである。
能古島は、下船してすぐの所にバス停があり、海水浴場、キャンプ場、アイランドパークという一連の流れがスムーズであり、史跡を徒歩で容易に巡ることができる。
自然の中を散策する楽しみが継続している空間といえるだろう。
それと比べて、砂洲(現在の海の中道)で陸地とつながっている志賀島は、船のほか車やバスでも訪れることができる。しかし、島に渡る手前の西戸崎に、海浜公園、マリンワールド、ホテル、乗馬クラブなどの施設が集中しており、島に渡る手前で楽しさが途切れてしまっているように感じる。[資料6]
また、島を1周できるバス路線はなく、志賀島の自然を満喫するためには車か自転車という手段になることも楽しさの分断の要因になっていると思えた。
どのような空間を「憩いの場」と感じるかは個人差があり優劣は付けられないが、同じような2つの島を比較することで、憩いの場として有り方を考察することができたと感じた。

5. 今後の展望
能古島は、『火宅の人』の作家・壇一雄が晩年移り住んだことでも知られている。
[添付写真2]
彼が能古島を選んだ理由について、娘で女優の壇ふみが西日本シテイ銀行頭取四島司との対談のなかで「ざわめきの中の静寂(しじま)、ほどほどの離れ具合が良かったのだろう」と語っている。
たしかに、能古島の静寂な空間は訪れる人たちに安らぎを与えてくれている。
しかし、その一方で住民の減少や少子高齢化などの現実問題を抱えていることも忘れてはならない。
福岡市はその対策として、2018年6月8日に市街化調整区域の土地利用規制緩和の改定を打ち出した。[註2]
その規制緩和で、能古島が今後どのように変わっていくかは予測はつかないが、能古公民館を訪問し、現在どのような取り組みをしているか話を聞くことができた。
そのなかで印象に残ったのは、三世代の交流に焦点を絞ったプログラム作りをおこなっていることである。人口の65歳以上が42%を占めるこの島では、お年寄りの経験による知恵からの学びが今も生きていることを実感した。また、島の小中学校に校区外の生徒の受け入れをおこなっていることを知った。現在120名いる生徒の半数が市営渡船を利用して校区外から通学しているということだった。

能古島が憩いの場であり続けるためには、住民同士の共同体(コミュニティ)としての繋がりのほかに、住民と住民以外の人たちとの共同体(コミュニティ)としての質が重要であると感じた。
その基盤になるのは、土地に縛られた共同体としてではなく能古島の住民が大切にしてきた歴史や文化や生活空間を同じように大切に思う地域を越えた共同体としての取り組みではないだろうかと考える。

[註1] 市街化調整区域とは、都市計画法の規定により市街化を抑制すべき区域のことをいう。1970年 12 月 28 日に、福岡市は積極的に都市化をすすめる「市街化区域」と開発行為を抑制する「市街化調整区域」に分け、効率の良い都市計画を目指した。
市街化調整区域では、自然や農地を保全するため生活者の生活利便施設や生産者が行う店舗等以外は建築できないなどの規制が敷かれている。

[註2]農林水産業や観光業など地域産業の振興に寄与する建築物の立地が可能になる制度改正である。

  • %e9%87%91%e5%ad%901 [資料1] 福岡市内と博多湾(能古島、志賀島)の位置 
         博多湾大図鑑 wwwasocie.jp/hakatawan/date/date1/htm 2018年12月14日閲覧
  • %e9%87%91%e5%ad%902 [資料2]  博多湾に浮かぶ能古島   南北に長いナスビ形の島である。
    島の地形はやや緩やかな丘陵で田畑、果樹園、民家がみられる。
    中央から北部にかけて起伏の少ない大地が続き、頂上部には畑・果樹園があるが、縁辺部は山林である。
    福岡市公式シティガイド「よかなび」(http://www.city.fukuoka.lg.jp)2018年12月14日閲覧
  • %e9%87%91%e5%ad%903 [資料3] 永福寺の上の丘に建てられた能許万葉集歌碑
    (風吹けば 沖つ白波 かしこみと 能許の泊に あまたよそぬる)※「能許」は現在の「能古」を指す。
    これは『万葉集巻十五』に載せられた遺新羅使一行の歌六首の中の一首である。
    福岡市の文化財(bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/tour_courses/detail/6 )2019年1月5日閲覧
  • %e9%87%91%e5%ad%904 [資料4] 能古島マップ 島内には数多くの史跡が残されている。また、島の地質はあらゆる地質の標本体であり地質学者や大学の研究の場となっている。
    福岡市公式シティガイド「よかなび」(http://www.city.fukuoka.lg.jp)2018年12月14日閲覧
  • %e9%87%91%e5%ad%905 [資料5]  のこのしまアイランドパークのコスモス(10月中旬~下旬)
    左上にみえる島は志賀島である。
    のこのしまアイランドパーク季節の花(nokonoshima.com/flower)より抜粋 2019年1月12日閲覧
  • %e9%87%91%e5%ad%906 [資料6] 志賀島マップ 砂州で陸とつながっている志賀島。
    東区に所属する。
    福岡市公式シティガイド「よかなび」(https://yokanavi.com/route/73943/) 2019年1月12日閲覧
  • %e9%87%91%e5%ad%907 [添付写真1] 金印公園から能古島(左上の島)を望む。(2019.1.11 筆者撮影)
  • %e9%87%91%e5%ad%908 [添付写真2] 壇一雄の歌碑 壇一雄が亡き妻律子を悼んで詠んだ歌が刻まれている。
    彼を偲んで毎年5月の第三日曜日に「花逢忌」が開催されている。(2018.12.14 筆者撮影)

参考文献

参考文献
高田茂広『能古島物語』能古歴史研究会 1971.10.15
高田茂廣『能古島から』西日本新聞社 1977.9.15
佐々木哲哉『福岡市立歴史資料館研究報告書第9集』福岡市立歴史資料館 1985.3.31
『能古島 福岡市埋蔵文化財調査報告書第354集』福岡市教育委員会 1993.3.15
杉本雅子『福岡博覧』海鳥社 福岡市博物館監修 第1刷発行 2013.11.15
冊子
久保田耕作「能古島事典」のこのしまアイランドパーク 1991.6月
原寛「のこ博物館だより第82号」亀陽文庫能古博物館 2017.12月

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