『神長官守矢資料館』 自然と建築の一体化が生む空間 藤森ワールドの原点
はじめに、
白大理石の床と漆喰の壁、トップライトからの自然光が織りなす白い空間、加えて世界的にも珍しい靴を脱いで作品を楽しむ秋野不矩美術館。どんぐり帽子の芝棟屋根が特徴の、ねむの木こども美術館。大屋根に赤松が生えた採土場をイメージした外観と、吹き抜けから入り込む太陽とタイルの反射が、独特の空間を魅せるタイルミュージアム。緑の丘のような草屋根と低い軒、竪穴式住居を思わせる栗の柱や、開放感あふれる吹き抜が際立つ、ラ・コリーナ近江八幡。他にも、高過庵、低過庵、一夜亭、望矩楼などの茶室等々。どの建物も、外観と周囲とのマッチングは勿論のこと、肌で感じる独特な空気と心地良さは、その場を訪れた者しか味わえない空間である。
これらは、全て〈建築史家〉そして〈建築家〉藤森照信氏の手によるものである。
藤森氏は、日本近代建築を研究する一方、自然と建築を一体化させようという試みを模索してきた建築家である。この多くの藤森建築が生み出した独特な空間は、他の建築家が設計した建物とは一線を画する。如何なるイデオロギーをもってすれば、このような建築物を設計できるのか。建築史家、そして建築家 藤森照信としての処女作、神長官守矢資料館を取り上げ考察する。
Ⅰ.基本データ。
「茅野市神長官守矢資料館」 長野県茅野市宮川389番地の1
建物竣工・開館年 平成3(1991)年3月
敷地面積 822㎡ 、建築面積134,12㎡、延床184.43㎡、
鉄筋コンクリート造2階一部木造 (1)
神長官守矢資料館は、鎌倉時代より守矢家で伝えてきた文書を保管、公開している施設である。守矢家は、古代から明治維新によって世襲制が終了するまで、諏訪上社の神長官という役職を勤めてきた家であり、その守矢家が伝えてきた中世以来の資料を保存、展示するために茅野市が計画したのが神長官守矢資料館である。守矢家に所蔵している古文書は約1600点、守矢文書には、諏訪上社の神事に関わるものが多く、中世以来の神事の形態を探る上で貴重な資料が保存されている。また中世の長野県内の豪族・武将の動向を記した記録や手紙など多数遺されている。
外観は、二階建ての収蔵庫棟と下屋の方流れ屋根となる。高層屋根は天然スレート、下屋は、諏訪が産地である鉄平石が敷き込まれている。その正面入り口上部に、四本のうち二本の木(イチイ)が付きだし、外壁はサワラの手割り板。室内壁は、数々の試行錯誤の結果、藁入りのモルタル造り。(3 P100-104)展示室は、諏訪神社上社において六年に一度の御柱祭と並んで重要な祭礼である「御頭祭」の復元展示がされている。これら展示物も、藤森氏自身の手によるものである。常設展示室では、武田信玄と守矢家の古文書などの考古資料が展示される。入口から見渡す館内は、竪穴式住居のイメージ、壁と床の見切りを丸くした空間の広がり。裏山が見渡せる窓は、ステンドグラス用の透明の手吹きガラス。手摺や蝶番なども工業製品を使用しないなど、可能な限り自然素材と手造りに拘っている。補足として、隣接する山側の藤森氏の土地には、2011年移築された茶室の「空飛ぶ泥船」が目に飛び込んでくる。さらに奥へと進むと、アメリカTime詩に「世界で最も危険な建物トップ10」に選ばれた「高過庵」、その左下には、建物の半分が地中に埋まる「低過庵」がある。
Ⅱ.神長官守矢資料館設計の経緯
建築史家 藤森照信氏は1946年長野県諏訪郡宮川村(現茅野市)出身で、東京大学生産技術研究所で日本近代建築史を研究。1974年堀勇良と建築探偵団結成、一万数千の建築物を調べ上げた。1986年赤瀬川源平、南伸坊等と路上観察学会を結成。この世のすべては観察の対象になるという考えである。(2 P146)近代の建築家で屋上庭園について理論的に主張したのはフランスのル・コルビュジェで、建物を高い位置に支えるピロティーを設け、逆に失われた地上の緑の部分を屋上に求め庭園化した。(3 P13)建築史家としての藤森氏はその思いを自宅に求め、タンポポハウス(自宅)の構想に着手。
と同時期に守矢家、78代当主守矢早苗氏と藤森氏が幼馴染みという縁で、市役所が藤森氏に設計依頼を持ちかけた。
Ⅲ. 事例の何について積極的に評価しようとしているか。
国内には、5700弱の博物館や美術館が存在するが(4)、藤森流の自然と建築が一体化というコンセプトにおいて、神長官守矢資料館のように外観だけでなく、基本構造にまで自然素材を採りいれた例は稀である。そして、藤森氏は、そのコンセプトを可能な限り追求し、自然素材を建物とその周囲の空間に取り入れ一体化を目指していった。加えて神長官守矢資料館の館長や係員の話術や知識が豊富であることも、評価できるポイントである。
この処女作の設計以後、秋野不矩美術館、熊本県立農業大学校、養老昆虫館、ねむの木こども美術館、ラムネ温泉館など、一見すればすぐ藤森建築とわかる個性的な建築物を設計してきた。
Ⅳ. 国内外の同様の事例に比べ何が特筆されるのか。
比較対象として諏訪湖の対岸、下諏訪町出身で藤森氏と旧知の、伊藤豊男氏設計、下諏訪町立「諏訪湖博物館・赤彦記念館」を取り上げる。これは、諏訪湖をテーマにした博物館である。
「寒くなり始めた十二月のよく晴れた朝、湖面に水平の虹が出るのですが、それは私が諏訪湖に抱いている最も美しい神秘的な思い出です。」(5)というように、自然と建築の一体化を念頭に置いた建築物である。伊藤氏の幼少の体験が設計においていろいろな空間に影響を及ぼしその観念から、無意識のうちにカーブした空間が出てきたようである。
信州という風土と、そこで育った建築家が地元に立てた建物であるが、その表現方法は各々である。このように、伊藤氏を始めほとんどの建築家は、自然と建築の一体化というコンセプトにおいては、自由なデザインで建てられた構造物と、その土地の風土や自然環境とのマッチングを考慮する。しかし、このようなコンセプトにおいて他の建築物とは一線を画すのが藤森建築である。
Ⅴ. 歴史的背景は何か。
如何にしてこのような設計思想が生まれたのか。藤森氏は、「人は、大人になってから成す表現というものは、必ず生まれ育った幼き頃の環境を映すに違いない。」という一方で、「風土性なんて当てにならんナァ。」とも述べている。(3 P130)
神長官守矢資料館と他の建築物とを比較すると、その建築家の育った風土性だけでは説明できない部分が多々ある。つまり、藤森氏の場合、前述のように幼少体験は勿論であるが、住居の原点を追求した建築氏家としての経歴(Ⅱの部分)が非常に大きなウェイトを占め、彼の建築の特異性に影響していると考えられる。そして、この処女作が以後の彼の作品に、紆余曲折を経ながら多大な影響を及ぼしている。また来館者の特徴としては、建築家が多数であるということを鑑みると、資料館も含めた建物そのものが唯一無二であり、文化資産的価値を持ち得ることは、明白である。
Ⅵ.今後の展望について。
神長官守矢資料館設計以後、紆余曲折を経ながら、その豊富な知識と経験、更に実験による試行錯誤を繰り返してきた。その後、高過庵、低過庵などの茶室、地域産業の保存を建築に託したモザイクタイルミュージアム、縄文住居を想起させるラ・コリーナ近江八幡など全国の公共施設や民間住宅を依頼されるに至った。それは原点であるこの神長官守矢資料館が、多くの人の共感を呼び魅了した結果である。
自然素材に拘った結果として生み出された建築物は、周囲の自然の熟成と共に風化し、自然に馴染み、新たなる空間を生みだす力となり、更に新しい空間を造形していった。このような意味で、多くの建築家は、自然と建築を同調させようと思考するが、藤森建築は自然と建築を同化させてきたと考えられる。その部分が、他の建築物と異なる空間、藤森ワールドを誕生させた根幹でもあり、今後更なる藤森建築が登場すると考える。しかし、住宅としては万人受けするとは到底考えられない部分も多々ある。一部の熱狂的支持者から受け入れられる建築である。住み手が、藤森建築に傾倒していればこそ快適な住居であるが、住み手が、建築に合わせるようでは本末転倒であり、居心地は最悪である。風化と共に歴史的資産と成るか否か。個人的には、他に類を見ないものが文化資産として評価される建築物と考えるが、その答えは後世の人に譲るとする。
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神長官守矢資料館 高台から見る全景。下屋は上諏訪産の鉄平石で葺かれ、入口上部から突き出た二本のイチイの木が特徴的である。その先には、第78代当主 守矢早苗氏と元茅野市長が打ち込んだ「薙鎌」が見える。外壁の手割のサワラ板の風化と、周囲のオカメ笹の取り合わせが絶妙である。
(筆者撮影 2018/9/28) -
天明四年(1784年)の桑江真澄のスケッチを元に復元された「御頭祭」の<禽獣の高盛>。鹿や猪の頭、猪の焼き皮や兎の串刺しが異様である。展示作業も藤森氏自らが行った。
(筆者撮影 2018/9/28) -
ステンドグラス用の鉛枠と、手吹きガラスを使用した窓。気泡が混じり、幻想的な外観が望める。
(筆者撮影 2018/9/28) -
アメリカ タイム誌に「世界でも最も危険な建物トップ10」に選ばれた高過庵と低過庵
(筆者撮影2017/7/13 初回訪問時) -
超越的な空間が特徴的な秋野不矩美術館。靴を脱いで作品を楽しむことができるのは、世界的にも珍しい。
(筆者撮影 2018/8/28) -
どんぐり頭のドームと芝棟が特徴の、ねむの木子供美術館。
(筆者撮影2018/11/17) -
ラ・コリーナ近江八幡。低い軒と芝屋根、竪穴式住居を想起させるような空間である。
(筆者撮影 2018/10/30) -
藤森氏と同郷の、伊藤豊男氏設計の下諏訪町立「諏訪湖博物館・赤彦記念館」。真冬の諏訪湖に出現する虹をモチーフとして設計された。訪問日は平日で、展示室の照明も消され閑散としていた。
(筆者撮影 2018/9/28)
参考文献
参考文献
(1)神長官守矢資料館パンフレット
(2) 赤瀬川源平他編『路上観察学入門』筑摩書房 1993年
(3) 藤森照 信『タンポポ・ハウスのできるまで』朝日新聞社 2001年
(4)文部科学省 博物館の振興2 2019/01/22 アクセス
http://www.mext.go.jp/a_menu/01_l/08052911/1313126.htm
(5)東西アスファルト事業協同組合講演会 近作を語る伊藤豊雄 2019/01/22 アクセス
https://www.tozai-as.or.jp/mytech/98/98_ito03.html
藤森照信『建築探偵の冒険』・東京編 筑摩書房 1989年
藤森照信『建築とは何か 藤森照信の言葉』㈱エックスナレッジ 2011年
HOME NO7 『ザ・藤森照信』㈱エクスナレッジ 2006年
モダンリビング別冊『藤森照信の住居の原点』㈱ハースト婦人画報社 2017年
赤瀬川源平『個人美術館の愉しみ』㈱光文社 2011年
越後島研一『現代建築の冒険』中央新書 2003年