半島の突端から伝える「またいちの塩」と塩づくり

田島 奈々

1.はじめに
福岡県糸島市、糸島半島の突端に在る「工房とったん」(図1)では、天然塩「またいちの塩」がつくられている。本稿では、「またいちの塩」の展開について、塩と塩づくりの価値を捉え直し、価値を体感する場を構成した事例として評価する。また、代表平川秀一氏に伺った話を通して、今後の展開について考察する。

2.基本データ
経 歴:2000年 工房とったん  創業
2006年 ごはんやイタル オープン
2007年 Sumi Café    オープン
所在地:福岡県糸島市志摩芥屋3757(工房とったん)
代 表:平川 秀一(新三郎商店株式会社)

3.歴史的背景
日本は海に囲まれ、「縦に長い地形上、気候や風土の違いによって様々な製塩法が生まれていた」 [1]という。藻塩焼きとして生まれた採鹹の技術はやがて砂を使った塩田へと進化[2]し、塩田も揚げ浜式から入浜式、昭和27年には流下式へと技術的進化を遂げた。しかしこの流下式塩田の時代は短く、昭和47(1972)年以降、日本の製塩法は、イオン交換法が主流となった。工場で大量・安定生産が可能となったことで、塩田は姿を消した。[3]
20代前半を海外で過ごした平川氏は、日本では産出できない岩塩をはじめ、海外の塩の多様さに驚いたという。[4]日本料理を学ぶため帰国したころ、日本では塩の専売制が廃止(1997年)され、塩の製造・販売が自由化された。それまで画一的でしょっぱいものばかりだった食塩に対し、ミネラル分の多い天然塩が出回るようになったのである。当時天然塩づくりを行っていた熊本県の天草で料理と塩について学び、塩の重要さを実感、自ら製塩場をつくることにした。
塩の味は工程によっても変化するが、一番重要なのは海水である。平川氏は、山の養分を多く含んだ美味しい海水を求め、さまざまな場所の海水をなめて回ったという。「海も食材の一つ」と考え、最高の食材として辿り着いたのが糸島半島の海であった。
自ら開墾し、工房をかまえた場所は、南向きの海岸であることから、塩田が一日中日照に恵まれた。また、人家がないことから、生活排水によって海水が汚染される心配がなかった。それでいて、福岡市内から車で1時間ほどの立地であることから、燃料である良質な廃材の調達も可能であり、平川氏が考える塩づくりをするにあたって恵まれた環境であった。そうして2000年、「工房とったん」が創業し、出来あがったのが「またいちの塩」である。
しかし、当時の塩の単価は低く、利益を出せずに廃業する製塩場も多かった。そこで平川氏は、持続するための価格設定をするためにも、塩に付加価値が必要であると考えたのである。

4.事例について評価する点
いくら美味しいものを口にしても、味覚は環境や心境の影響を受ける。[5]本来の美味しさを伝えるためには、空間、情報などの付加価値も重要な存在となってくると考えられる。以下、塩と塩づくりの価値を伝えるための場の構成や発信、その効果について評価する。

4-1.塩に付加価値をつける
またいちの塩「炊塩」の価格は500gで約1,500円と、一般的な食塩と比較すると高価である。買い手がこの価格に納得するには、その価値を伝える必要があった。立体式塩田[6]を用い、手間と時間をかけた工程(図2)こそが、またいちの塩の美味しさにつながる。そこで、「手加減で塩は美味しくなる」[7]という角度から、手作業の塩づくりの魅力を見出した。安定的・効率的な生産ではなく、あえて回り道をした「手加減」による工夫やこだわりは、またいちの塩にしかない美味しさを生みだした。このような工程や美味しさが、塩への付加価値となったのである。

4-2.価値を伝える
工房とったんは、塩づくりの工程を見学することができるよう、開放的なつくりとなっている。つくり手は作業をするだけでなく、塩や食に対して熱意をもった人材を採用し、見学者の興味に答えられるよう心がけているという。[4]
また、またいちの塩各種の販売をはじめ、海沿いのロケーションを活かした展望スペースも設けている。展望席では塩を使った品を味わうことができ、中でも「花塩プリン」は、週末1日に千個を売り上げる人気となった。(図3)甘いものにわざわざ塩を「かけて」食べるというアクションや、甘さを引き立てる塩のうまみ・食感が特徴である。半島の端までわざわざ足を運び、自然の中で食べる。これら一連の体験を通して、「工房をテーマパークかのように楽しんでもらう」ことが塩に関心をもつきっかけとなる。この体験は、人に伝えたくなる味・場所となり、SNSなどでその魅力を発信する人も多い。(図4)
2006年から展開した「ごはんやイタル」や「Sumi Café」では、またいちの塩を使った「心と体に優しい」「こだわりの」[7]料理が提供されている。塩が主張することなく、「素材の味を引き出して料理を奥深いものにするのが“本物の塩”」[8]と考え、味を構成しているという。身近な食材が塩によって異なる美味しさになることを実感することで、料理における塩の重要さを知ることとなる。

以上、工房をはじめとして、またいちの塩について知り、体感する場が構成されている。またいちの塩づくりとその後の発展は、塩に新たな価値を与え、失われつつある塩づくりを継承する存在であると考える。また、元料理人の平川氏によって生み出される塩は、料理を作る立場から使いやすく考えられており、地域の食材を活かした食文化形成にもつながると考えられる。

5.他の同様の事例に比べて特筆される点
石川県能登半島では、日本で唯一揚げ浜式の製塩法が伝承され、国の重要無形民俗文化財[9]に指定されている。この歴史ある塩の存在を世に発信したいという思いを形にしたのが、Ante[10]である。「しおサイダー」の開発により、塩づくりへの注目度を上げた。また、半島先端の過疎地域で「しお・CAFÉ」をオープンするなど、地域活性化の視点に立脚した事業を広げているという。(図5)
これに対して、またいちの塩の事例は、地域おこしや文化保護といった観点をもっているわけではない。平川氏の「美味しい塩を作りたい」という思いから辿り着いた場所、そこで一番適していると思われる技法でつくられたのである。結果として、またいちの塩は土地の資源を最大限に活かしたものとなった。その塩が多くの人に評価され、地域の食文化と密接に関わるものになったという点は、特筆すべきである。また、平川氏は「味覚という拙いものに総合的アプローチする」という着地点の見えない追求をしているため、慢心することなく、常に成長を続けている。

6.今後の展望
平川氏は、工房を訪れた見学者を通じて、「塩が海水から作られていることを知らない人がいる」という現状を知った。塩について伝えることはもちろん、さらに「味覚に総合的にアプローチする」必要性を感じたという。[4]今後の展開としては、「ごはんやイタル」と地続きの場所で、農園の運営に着手している。一般的な農家が作らないような作物を作り、公園のような形で食を楽しみ、学ぶ場となる予定だという。普段手に取らない素材との出会いや、その素材を活かす塩の使い方に期待したい。
工房とったんを始めとした、食を楽しみ、伝える場は、食育の観点でも重要な存在であると考える。すでに調味された加工食品が流通する現在、塩分を摂取しながらも、塩の存在を意識することは少ないのではないだろうか。塩がどのように作られ、使われているかを知ることは、日頃の食環境について考えることにつながる。また、塩というシンプルな味付けで、素材そのものの味を再確認することは、味覚による食体験をより豊かなものにすると考えられる。そうして美味しいと感じたものは、普段の食事から自然に次世代へと受け継がれていく。「またいちの塩」の誕生によって見出された価値は、塩のみならず、食全体の捉え方・扱い方・構成に影響を与えるものとなったといえる。
天然塩の種類が豊富になり、遠方の商品の取り寄せも容易となった現在、買い手の選択肢は広がっている。その中で、またいちの塩が魅力的であり続けるためにも、農園の展開を含め、五感にアプローチする価値の発信に期待する。

  • 1%e5%9b%b3%ef%bc%91 【図1】上:立体式塩田 左下:工房とったん外観(筆者撮影)
        右下:工房とったん上空(https://s-design.jp/case_study/mataichi/より)
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        写真:https://s-design.jp/case_study/mataichi/より
  • 3%e5%9b%b3%ef%bc%93 【図3】またいちの塩を使った商品やメニューの一例(筆者作成)
        参考:またいちの塩ホームページhttp://mataichi.info
  • 4%e5%9b%b3%ef%bc%94 【図4】またいちの塩に関するSNS投稿の例
    (instagramより、転用了承済み)
  • 5%e5%9b%b3%ef%bc%95 【図5】揚げ浜式製塩に着目したAnteの活動(筆者作成)
        参考:http://kaga-teiju.jp/wpre/work/syusyoku/ante/

参考文献

[1]亀井千穂歩子『塩の民俗学』1919年、東京書籍 p82
[2]http://museum.starfree.jp/205_seien/304salt3.html 塩田の歴史より
[3]植田有美「専売制度廃止後における自然海塩の生産と流通」p12
[4]代表 平川秀一氏へのインタビューより(2019年1月13日)
[5]尾家建生「場所と味覚ーフード・ツーリズムへのアプローチ」大阪観光大学観光学研究所報誌『観光&ツーリズム』第16号 p26
[6]流下式塩田と同様の仕組み。枝条架と呼ばれる柱に竹の小枝を階段状につるしたものの頂上にポンプでくみ上げられ、下に落ちる間に風によってさらに水分が蒸発し、かん水が得られる。
参考:植田有美「専売制度廃止後における自然海塩の生産と流通」p11
[7]またいちの塩ホームページhttp://mataichi.infoより
[8]毎日新聞(掲載2016年9月12日)
 https://mainichi.jp/premier/business/articles/20160909/biz/00m/010/013000c
[9]1992年には石川県の無形民俗文化財に、2008年には文化庁により重要無形民俗文化財に指定
参考:国連大学ウェブマガジンhttps://ourworld.unu.edu/jp/preserving-japans-sea-salt-making-tradition
[10]株式会社 Ante(株式会社アンテ) 設立:平成21(2009)年 5月
事業内容:商品開発事業(地域農産物や伝統的技法による原料を活用した食品等の商品開発・製造販売)・観光、地域活性化事業・プランニング事業・デザイン企画・映像コンテンツ事業
参考:Anteホームページhttp://ante-jp.com

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