ニューホープが育んだジョージ・ナカシマのデザイン家具
ニューホープが育んだジョージ・ナカシマのデザイン家具
●はじめに
2006年9月、サザビーズ・オークションで、アメリカ杉を輪切りにした異形の木製テーブルが$822,400(日本円で約1億)で落札された。(図1)
同オークションで人気デザイナー、マーク・ニューソンの椅子が家具史上最高の$850,000で落札されたことと比較すれば、テーブルの価値が如何に高いか想像できよう。
このテーブルを生み出したのがペンシルバニア州ニューホープを拠点に活躍した日系2世の家具デザイナー、ジョージ・ナカシマ(1905-1990年)である。
ナカシマの家具は自然の木を使った独特の意匠(通称:ナカシマ・スタイル)を持ち、没後20年経った現在も家具作りが継承されている。#1
本稿では、ジョージ・ナカシマがなぜ今なお、人々の心を捉えるのか考察していく。
●ジョージ・ナカシマについて
当初は建築家を志してアメリカの大学・大学院で建築学を修めた後、建築家アントニン・レーモンドの東京事務所でキャリアを積んでいた。
しかしアメリカに帰国した1941年にフランク・ロイド・ライトの建築現場を見て幻滅し、家具作りに専念することを決意する。
直後に太平洋戦争のためアイダホ州の日系人強制収容所に収監されるが、日本の木工技術を知り尽くした日系2世の大工と共に収容所内の家具を作りながら、木工技術を習得する貴重な経験を得た。程なくしてニューホープに移住していたレーモンドに引き取られる形で釈放されると、1943年に3エーカーばかりの土地を取得して工房を開設、家具の職人として一歩を踏み出した。(図2、図3)
● 家具デザインの成り立ち
ナカシマの家具は概ね次の変遷がある。(図4)
1 1945年頃から始まる人為的な装飾を廃した実用的なデザイン
2 1955年頃から始まる構造の面白さと木が持つ文様の美しさを全面的に打ち出したデザイン
3 1965年頃から始まる高松市の伝統工芸にインスピレーションを得たデザイン
フォルムは年々変化しているが、基本デザインは次の様に終生一貫している。(図5)
・節やひび割れ等はそのまま、木の素材を生かしたデザイン
・釘や接着剤は一切用いず、日本の木組み技術(接手・組手)でハンドメイドされている
・<蝶型契り>#2をデザインアイコンとして用いている
・彫刻や派手な造形に頼らず、神秘的な杢目と直線主体のユニークな構造で魅せるデザイン
この基本は家具作り開始後僅か2年で備わっている。その要因を調べてみると、シェーカー家具#3を参考にしたことがわかった。工房のあるペンシルバニア州東部は古くからシェーカー教徒が存在した地で、希少なシェーカー家具に触れる機会に恵まれたことが一因と考えられる。また、東京滞在中に形成された美的な感性、例えば日本建築や柳宗悦の民芸の素朴さに共感し、レーモンドから近代日本建築の5原理(単純さ、正直さ、率直さ、経済性、自然さ)#4を叩き込まれたことは、<用の美>を家具に与えることになった。
加えて、インド赴任中に形成された輪廻・再生の思想#5は「樹木再生の運命はいつも木工家の腕前にかかっている」*1という哲学となり、ペンシルバニアの絶えた木工文化を蘇らせるという使命感から節やひび割れ等はそのままに樹木の姿を生かすという自然と共生するデザインに結びついたと考える。
●ナカシマ・スタイルの特質
ナカシマは、家具デザインの伝統継承および手仕事によるクラフトマンシップを高く評価され、アメリカ建築家協会からクラフツマンシップのゴールドメダルをはじめ数多くの賞を授与されている。#6
それまで西洋と日本の伝統を融合させた例がなかった訳では無い。例えば19世紀から20世紀にかけて欧米で大流行した、フランク・ロイド・ライトやチャールズ・マッキントッシュに代表される<アングロ=ジャパニーズ・スタイル>という日本的な意匠を自作品に取り込むスタイルがあった。
これと比較すれば、ナカシマは木自身の持つ自然の色や形を生かすために日本の<伝統技術>を使うという技術面で一線を画している。
例えば<コノイドチェア>では、建築用継手<相欠け>を用いて強度を確保して?を用いずに<2本脚で支える椅子>を実現させている。<ブックマッチテーブル>では、重量のある天板を支える脚部に指物で使われる<板脚>を採用して強度を稼ぎ、板脚を十文字に組み合わせる等のオリジナリティを発揮して独特なプロポーションを生み出している。
家具作りの理念にも特質がみられる。氷見眞一#7は「木の形をもとにテーブルをつくるというのは、それまでなかったですから。寸法とデザインを基準に注文を受け、それに見合った木を探すのが普通でしたからね」*2と語り、木を<材料>としてではなく、一種の<生き物>として扱っていることがわかる。
この違いは同時期に活躍したサム・マルーフ(1916-2009年)や剣持勇(1912-1971年)と比較するとかなり明白になる。
マルーフの<DiningTable>や剣持の<Anraku Isu>は、どちらも木目の美しさで魅せる。しかしそこに木の生命感はない。なぜなら、木を切断・変形させて自然にない形を与え、樹木本来の姿は木目以外に見当たらないからだ。しかし、ナカシマのテーブルや椅子には明らかに樹木の痕跡がある。それは節穴で証明されることもあれば、樹皮を剥いだだけのフリーエッジの手触りで感じ取ることもあり、あたかも家具が地面から生えている様である。ここに自然との共生、樹木再生と一体になった物作りの価値観が深く込められていると考えられる。(図6、図7)
●ナカシマ・スタイルの継承
こうしたナカシマの技法や理念はどのように受け継がれているのだろうか。
ニューホープ工房は常時十数名程の職人が家具作りを担っており、独特な習慣・作法が見受けられる。
第一に、自然と共生する理念を体得させるため、工房を9エーカーの森林に置いたことである。ナカシマはこの環境を「木工家にとって精神的基盤」*3であるとし、重要視していた。
第二に、1.デザイン、2.製材、3.製作、4.販売 の一連の業務を自社で行っている。通常は複数企業で形成するところ、独特な杢目を得るための製材ノウハウやオーダーメードであるため顧客と直接取引する必要性から一社一貫体制を組んだと考えられる。
第三に、当初の職人はドイツ人やイタリア人などの欧州の国々からの亡命者で固めたことである。手仕事という文化習慣が当時のアメリカには存在せず、結果として<腕に覚えがある>欧州の職人が黎明期を支えることになった。やがて米国では珍しい徒弟制度を導入して1990年には全職人はアメリカ人に切り替えることに成功している。
第四に、職人が心を込めて商品作りができるよう1つの家具を1人で作らせる方式としたことである。他社では若い職人はパーツのみを製作、ベテラン職人は仕上げに特化していることが多いが、この工房では若手・ベテランに関わらず1人の職人が最初から最後まで作り上げている。こうすることによって家具に対する愛着、物作りに対する深い理解を狙っている。
1990年にナカシマが没した後はミラが事業を継承し、前述の手法はそのままでナカシマ・スタイルを引き継いでいる。
ミラの功績はナカシマの家具をラグジュアリー化させたこと#8、<KEISHO>という新たなプロダクトラインをスタートさせたことである。
これはナカシマ没直後に新規受注が数年間途絶えるという危機的な経験をしたため、マーケティングに重点を置いた結果であった。
2013年には後継デザイナー#9が新作を披露し、ナカシマ・スタイルの新たな姿を提案し始めたばかりで今後の動向が注目されている。
●おわりに
現在、自然木を使った家具は一般に見かけるようになった。
しかし、木がジャクソン・ポロックに成り代わって抽象絵画を描いたかのような神秘的な文様と、日本の木工技術を生かした類を見ないフォルムとプロポーションの家具は、ナカシマの工房の独壇場である。
また、自著『木のこころ』は木工作家を目指す者達のバイブルとして読み継がれ、日本に於いては二宮靖夫や安森弘昌ら著名な木工作家が多いに影響を受けたと述べる程、後進に計り知れないインスピレーションを与えている。
没後20年を経てもジョージ・ナカシマが人々の心を捉え続けるのは、職人が1点1点心を込めて手作りで家具を作ることが、<量>を追い求める大量生産・大量消費社会に疑問を投げかけて<質・センス>を大事にしたい人々の想いに応えているからではないだろうか。
<注釈>
#1:アメリカはGeorge Nakashima Woodworker,
S.A.(通称:ニューホープ工房)が、日本でのライセンス生産は高松市の株式会社桜製作所が担当している。
#2:契り(ちぎり)は、二つの木材を一つに結合するときに使うジョイントのことで、蝶の羽根をイメージしたものは蝶型契りと呼ぶ。
#3:シェーカー家具は20世紀初頭に絶えた北米東部に宗教コミュニティを持っていたシェーカー教徒が作っていた家具のこと。「美は有用性に宿る」「規則正しいことは美しい」「調和には大きな美がある」「言葉と仕事は簡素であること」という宗教観を体現し、装飾が一切ない機能美を追求したデザインになっている。
#4:アントニン・レーモンドは日本の古建築から「近代建築の五原則」を導きだし定義した。東京事務所の所員もこれらを理解する様に徹底し、理解を示せない者は雇用しないという徹底ぶりだった。
#5:1937年から2年間、アシュラムの宗教施設を施工管理する傍ら、オーロビンド・ゴーシュの修行者となってヒンズー教の教えと習慣を数多く身につけた。
#6:1952年にアメリカ建築家協会からゴールドメダルを授与されたことが最初の評価である。1958年はニューヨーク建築家連盟よりシルバーメダル、1973年にはペンシルバニア州政府からハズレット賞を受けるなど、伝統技術の継承と手仕事によるクラフトマンシップに対して高い評価を受けている。
#7:株式会社桜製作所会長。
#8:ArtDirector兼コレクター、Robert
Aibelの知己を得て高所得者層やアート関係者に焦点を絞った広報を展開した。さらに全米の近現代美術館を定期的巡回することで高い工芸価値を持つ実用品であるという評価を得ることに成功した。
#9:ナカシマ・スタイルを進化させる狙いで、2007年からロードアイランド造形大学の卒業生をアシスタントデザイナーとして雇い入れた。
<引用>
*1:ジョージ・ナカシマからミナペルホネンへ、98頁
*2:Pen No.154 、40頁
*3:木のこころ、88頁
参考文献
・阪急コミュニケーションズ(2005)「ジョージ・ナカシマを知っているか」『月刊Pen』No.154
・ジョージ・ナカシマ(1983)『木のこころ―木匠回想記』 鹿島出版会
・氷見眞一(2013) 「ジョージ・ナカシマからミナペルホネン」『リトルモア』
・マガジンハウス(2011) 「職人の美学」『Casa BRUTUS』No.139
・大工道具研究会編(2011)『木組み・継手と組手の技法』 誠文堂新光社
・三沢浩(2007)『アントニン・レーモンドの建築』鹿島出版会
・Mira Nakashima(2003),Nature Form and Spirit, H. N. Abrams
・Winkontent Ltd.(2013),Monocle issue67,p245-250
・www.nakashimawoodworker.com,2015-1-12 閲覧