シリコンバレー発「AECハッカソン」〜生産性のある協働の場づくり〜

野村 佐世

はじめに
シリコンバレーはIT企業が密集している。多くのスタートアップやベンチャー企業がイノベーションを興して、新しいビジネスを始める。地域のイベントに「ハッカソン(hackathon)」がある。「ハッカソン」とは、ハック (hack)とマラソン (marathon) を組み合わせた造語で、プログラマーや設計者などソフトウェア開発の関係者が、短期間で集中的に開発作業を行うイベントである[1] (資料2)。
「AECハッカソン」[2](以下AEC)は、建築・建設業界のイノベーションをチームで競うイベントだ。ハッカソンではアイデアを生み出すことが重要な要素の一つである。
安斎勇樹は、地域コミュニティでのアイデア創造にはワークショップが有効で、その理由の一つとしてコラボレーションを挙げる[3]。ならば、異業種間交流による協働の場を提供するAECは、開発促進に寄与するものではないか。本レポートではインタビューから得た情報(資料7)をもとに、イベントデザインの観点からAECの優れている点を評価し、生産性のあるイベントにするためには何が有効かを考察する。

1. 基本データ
AECは2013年にデーモン・ヘルナンデス[4] が、米国カリフォルニア州サンフランシスコで非営利団体として立ち上げた。開催は不定期だが、1年で10回以上主催した年もある。有志の専門家を招いて、Architecture・Engineering・Construction(建築・エンジニアリング・建設)の技術的アイデアの共有により、システムなど新しいプロダクトを開発するイベントである。4〜5人のチームを組み、週末3日間集中し、プロダクト開発を目指す。最終日に各チームの発表があり、優勝チームは賞金を獲得する。企業の目に留まれば、コラボレーションやスポンサーが付くなど、製品化や起業も可能だ。約10年を経て、AECは世界のおよそ20都市で開催するまでに成長した。

2. 歴史的背景
当初、ハッカソンはテック系分野には広まっていたが、建築・建設分野には存在していなかった[5]。AEC開催以前の業界でのコミュニケーションやコーディネートのツールは、依然として2D図面に基づいており、IT導入に関しては未発達な部分があった。そのことを知ったヘルナンデスは、ソフトウェアエンジニアたちを紹介すれば、問題を解決できるのではと閃いた。ベンチャー企業の多いシリコンバレーでは、テクノロジーを駆使し、新しいことを始めるための環境が整っている。ヘルナンデスは建設業界進展のために、最先端のテクノロジーをもつ開発者らを建設業者につなげる場を提供すべく、ハッカソンを開催した。

3. 評価
ここではヘルナンデスへのインタビューから確認した、評価する点を述べる。

3−1. 異業種間交流の場における協働でのプロダクト創出
AECから創出されたプロダクトが製品化され、会社設立に発展した例もある。2014年にメンローパーク市で開催された際の「ビルダーボックス」[6]である。これは建設管理プラットフォーム(動作環境)で、オフィスと現場をつなぎ、連携をしやすくするためのシステムである。ビルダー(建設業者)がビルダーのために制作したもので、モバイルアプリケーションとウェブベースのツールを提供する。建設の世界にITを導入し、情報の一元化を図ったことは業界の発展につながった。異業種の人たちが集まるからこそ可能な、建設の問題解決をするイノベーションを興した。

3−2. 人脈づくり
AECのこれまでの活動は、ヘルナンデスが開拓してきたネットワークで成り立っている。立ち上げ間もない頃は、10人中8人がヘルナンデスの友達だった。イベントの規則は「お互いに優しく」ということのみだ。ガイドラインもなく、緩い構造で受け入れ体制を整え、ハッカソン初心者でも溶け込みやすい空間や場づくりをした。
開催中の雰囲気づくりにも、温かく前向きなエネルギーが見受けられる[7]。イベントに魅了された遠方からの参加者は「次回のイベントは自分の地元で」と、自発的に主催者側になり、ボランティアとして動く。人脈は広がり、デンマークにおいては政府機関もAECを応援している[8]。

上記のとおり、AECは人脈を開拓しながら、開発のための「人と人の協働の場」をつくっていることが評価できる。

4. 比較
AEC同様、シリコンバレーに「ハッカー道場」(以下HD)[9] という非営利団体がある。HDはテクノロジー愛好家の集合場所として、イノベーションを学ぶ人たちの為にワークスペースを開放し、ハッカソンなどのイベントも行う 。ここでは二つのコミュニティの在り方をAECのクリス・ペリ[10]と、HDのエド・チョードリー[11] へのインタビューから比較する。

4−1. ハッカソンの思考パターンを伝授
HDはマウンテンビュー市に拠点を構える。メンバー制で24時間・年中無休である。道場では3Dプリンターやサーキットボードなどの道具を使用することが可能で、メンバー同士でアイデアを出し合い学習する「ピア・ラーニングの場」となっている。
一方、AECは拠点を構えず、イベント時にヘルナンデス自身が開催地に出向く。現地主催者に運営を丸投げするのではなく、自ら進行を務める。そうすることにより「シリコンバレー流」の自由に発言ができる「ボトムアップの構造」[12] を伝える。
AECは、ハッカソンだけでなく、現地の人たちに「フレキシブルな思考」も伝授している。

4−2. “Failure is an option”(失敗はオプションの一つ )
HDは、テクノロジーを学ぶ学生やスタートアップの人たちが、上からの指示で動くのではなく、自発的に学ぶ。自分より知識が豊富な人からのアドバイスを受けるトレーニングの場で「失敗を恐れない、オープンで自由な集まりの場」であるとチョードリーは語る。
一方、ペリはNASA[13] のモットーである「失敗は許されない」という表現を引き合いに、シリコンバレーでの開発における一般的な考え方である「物事を試す、物事を壊す、失敗は早めに」[14] を説く。失敗したら、そこから学んで改善へつなげることが大切であり、AECもその考え方を推奨している。
AECは、成功のための前向きな失敗に寛容で、この概念は「心理的安全性のある場」をつくりだす要因の一つと言えるのではないか。

両者へのインタビューから、運営方法に違いはあるものの、どちらもテクノロジー開発を目指す人々をつなぎ、サポートしている事が窺える。そして、エイミー C.エドモンドソン[15]が提唱する「心理的安全性のあるチームは、高いパフォーマンスを発揮し、生産性が上がる」[16]ということに追随するかのように、心理的安全性のある場を確保していると言えよう。
AECは、シリコンバレー流の「ボトムアップ方式」を取り入れ、「失敗は結果ではなく、成功するための過程」というチーム概念のもと、心理的安全性をつくり出している。これはAECの特筆すべき点であると考える。

5. 今後の展望
心理的安全性の概念は、グーグルをはじめ、シリコンバレーの多くのテック企業に根付いている[17]。AECの場づくりも、シリコンバレーに共通する思考によるものだと言える。しかし、AECの心理的安全性に問題はないだろうか。参加者の心理的安全性を引き出すには、イベント中のAECによるサポートが必要だと考える。居心地の良い環境に依存するだけではなく、各参加者が開発に向けて自立したスタンスをとる事が大切だ。
ルールのないAECに、敢えて「他チームの人ともコミュニケーションをとる時間や場」を設けることを提案する。心理的安全性のある場での他チームの人との会話は、開発という同じ目標に向かう者同士の「健全な衝突」を生み出し、会場全体の士気を高めることになるのではないだろうか。質の良い心理的安全性のある場をつくることは、生産性向上につながると期待できる。

まとめ
AECは建設業界に初めてハッカソンの概念をもたらした。異業種間交流における協働の場では、異なる視点での話し合いができ、予期せぬイノベーションが生まれやすい。AECは異業種の人と人をつなげる。そして失敗を結果として捉えるのではなく、改善可能な環境での心理的安全性のある場づくりがなされている。このように「心理的安全性のある場」をつくり出すことが、生産性のあるイベントにするために有効であると考察する。

  • 81191_011_32086039_1_1_front-page-logo-2 2013年11月に開催された「第一回 (1.0) AECハッカソン」のイベント告知の画像から筆者が加工 (オリジナルの画像:AECハッカソン提供)
  • 81191_011_32086039_1_2_aec-diagrams-12 (資料1)ハッカソンのイベントのイメージ図 (筆者作成、芸術教養演習2レポート「AECハッカソン」〜異業種間交流によるイベントから改良)
  • 81191_011_32086039_1_3_aec-diagrams-13 (資料2)AECハッカソンの場に見られる特性 (筆者作成)
  • 81191_011_32086039_1_4_aec-diagrams-11 (資料3)AECハッカソンの過去開催地図 (筆者作成)
  • 81191_011_32086039_1_5_image-layout-8 (資料4)AECハッカソンのイベントの場づくり(筆者作成、写真:AECハッカソン提供)
  • 81191_011_32086039_1_6_image-layout-5 (資料5)AECハッカソンとハッカー道場の比較(筆者作成、写真:左側はAECハッカソン、右側はハッカー道場提供)
  • 81191_011_32086039_1_7_image-layout-4 (資料6)AECハッカソンの開発中のようす(筆者作成、写真:AECハッカソン提供)
  • %e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%93%e3%83%a5%e3%83%bc-aec_hd-1_page-0001
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  • %e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%93%e3%83%a5%e3%83%bc-aec_hd-1_page-0003 (資料7)AECハッカソンとハッカー道場へのインタビュー内容

参考文献

<註>
[1] 一般社団法人 日本ネットワークインフォーメーションセンター、ハッカソン (hackathon) とは、https://www.nic.ad.jp/ja/basics/terms/hackathon.html (2022年7月21日最終最終閲覧)
ハッカソンは、1990年代後半から、テクノロジー業界に定着したイベント。 ハッカソンは、ソフトウェア開発者、グラフィックデザイナー、ユーザーインターフェイスの専門家などのコンピュータープログラマーと、業界のプロセスの専門家や専門家が一堂に会し、通常は週末に問題を特定してソフトウェアソリューションを作成する激しいイベント。(AEC Hackathon、F.A.Q. – FREQUENTLY ASKED QUESTIONS、1. WHAT IS A HACKATHON?、https://hackaec.com/、2022年7月27日最終閲覧)

[2] AEC Hackathon、https://hackaec.com/ (2022年7月28日最終最終最終閲覧)

[3] 早川克美編、安斎勇樹著『私たちのデザイン5 協創の場のデザイン ―ワークショップで企業と地域が変わる』(芸術教養シリーズ21)、藝術学舎、2014年、第一章「ワークショップとは何か」、第2節 「非日常性とコラボレーション」、第1段落

[4] デーモン・ヘルナンデス
AECハッカソンのファウンダー/エグゼクティブディレクター。
Interactive Web 3D, Immersive Tech, & the Built Environment。

[5] 2022年1月14日、ヘルナンデスへのインタビューより。

[6] Builderbox、https://builderbox.io/product/ (2022年7月28日最終最終閲覧)

[7] YouTube、AEC Hackathon 1.1: Team Presentations & Awards、https://www.youtube.com/watch?v=3YcGTrQiggk (2022年7月28日最終最終閲覧) 

[8] AEC Hackathon 6.0、https://hackaec.com/v_6.html(2022年7月28日最終最終閲覧) 
AECハッカソンのコミュニティーサポーター、https://hackaec.com/supporters.html (2022年7月15日最終最終閲覧) 

[9] ハッカー道場は2009年設立。シリコンバレーのマウンテンビュー市に拠点を構える。リモートメンバーとして外国からのメンバーもいる。
Hacker Dojo、https://hackerdojo.org/?public&

[10] クリス・ペリ
AECハッカソンのFounding Member / Board of Directors。

[11] エド・チョードリー
ハッカー道場のExecutive Director。

[12] ボトムアップ型とは、全体のうち下位に位置する側から上位に向かって手続きや伝達を進める方式のことである。(IT用語辞典バイナリ、https://www.sophia-it.com/content/ボトムアップ型)

[13] アメリカ航空宇宙局 (National Aeronautics and Space Administration)。

[14] 映画『アポロ13』で使われた「失敗は許されない。」(A failure is not an option)というという表現がある。人命に関わるため、ミッションコントロールなどの事業において、失敗は許されないというNASA全体の考え方。NASAでのモノづくりはゆっくり、慎重に進める。全てが完璧でリスクのないものでなければならなかった。(NASA、Apollo 13、Failure Is Not An Option、https://www.nasa.gov/multimedia/imagegallery/image_feature_2073.html、2022年7月28日最終閲覧)

[15] エイミー・C・エドモンドソン
ハーバード・ビジネススクールの教授。エドモンドソンは組織行動を研究。(Harvard Business School、Amy C. Edmondson、https://www.hbs.edu/faculty/Pages/profile.aspx?facId=6451、2022年7月28日最終閲覧)

[16] 心理的安全性のある場とは、チーム内でメンバーの発言により、恥じたり、拒絶されたり、罰せられることのない安全な場である。この信念が共有される職場環境においては、個人が能力を発揮しやすく、チームのパフォーマンスが上がると提唱する。(YouTube、Building a psychologically safe workplace | Amy Edmondson | TEDxHGSE、https://www.youtube.com/watch?v=LhoLuui9gX8 、2022年7月28日最終最終閲覧)

[17] グーグルの「プロジェクト・アリストテレス」により、チームにとっての心理的安全性は重要であると認知された。(Google, re: Work、Guide: Understand teameffectiveness、https://rework.withgoogle.com/print/guides/5721312655835136/、2022年7月28日最終最終閲覧)


<参考文献>
早川克美編、安斎勇樹著『私たちのデザイン5 協創の場のデザイン ―ワークショップで企業と地域が変わる』(芸術教養シリーズ21)、藝術学舎、2014年

中西紹一・早川克美編『私たちのデザイン2 時間のデザイン ―経験に埋め込まれた構造を読み解く』藝術学舎、2014年

経済産業省、Society 5.0時代の オープンイノベーション、スタートアップ政策の方向性、https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/sangyo_gijutsu/kenkyu_innovation/pdf/010_02_00.pdf

Amy Edmondson、“Psychological Safety and Learning Behavior in WorkTeams”、 https://web.mit.edu/curhan/www/docs/Articles/15341_Readings/Group_Performance/Edmondson%20Psychological%20safety.pdf

Amy Edmondson、“The Fearless Organization”、Gildan Media, LLC、2019年

田原直美・小川邦治「職場における心理的安全と チーム・コミュニケーションとの関連」、http://repository.seinan-gu.ac.jp/bitstream/handle/123456789/2022/ew-v16n2-p27-42-tab.pdf?sequence=1&isAllowed=y

山根 淳平(2014)「ハッカソンを一過性のイベントで終わらせないために」赤門マネジメント・レビュー13、
https://www.jstage.jst.go.jp/article/amr/13/12/13_131202/_pdf/-char/ja

石井 遼介、『心理的安全性のつくりかた』、MediaDo、2022年

デボラ・ペリー・ピシオーニ 著、伊佐山 元 序文、桃井 緑美子 (翻訳)、『シリコンバレー 最強の仕組み』、日経BP社、2014年

芸術教養演習1レポート「AECハッカソン」の活動、2021年度冬期履修

芸術教養演習2レポート「AECハッカソン」〜異業種間交流によるイベント、2022年度春期履修


<参考動画>
YouTube、AEC Hackathon @ BLOXHUB、
https://www.youtube.com/watch?v=jL6ZZ1USakc&t=37s (2022年7月28日最終閲覧)

YouTube、Super Happy Dojo Doc、
https://www.youtube.com/watch?time_continue=3&v=YprmMvHaWUM&feature=emb_logo (2022年7月28日最終閲覧)

YouTube、Building a psychologically safe workplace | Amy Edmondson | TEDxHGSE、https://www.youtube.com/watch?v=LhoLuui9gX8 (2022年7月28日最終最終閲覧)

YouTube、Google Cloud、How Psychological Safety has been the bedrock of key innovation programs at Google、
https://www.youtube.com/watch?v=-zrLI-Osg88 (2022年7月28日最終閲覧)


<参考ウェブサイト>
AEC Hackathon、https://hackaec.com/index.html (2022年7月28日最終閲覧)

Hacker Dojo、https://hackerdojo.org/?public& (2022年7月28最終閲覧)

立教大学 経営学部 中原淳研究室、「心理的安全バブル」にご注意を!! : 心理的安全とは「チームで仲良くぬるま湯につかること」ではない!、 
http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/10487 (2022年7月28日最終閲覧)

WORK SIGHT、「健全な衝突」を促し、強いチームへと導く「心理的安全性」、
https://www.worksight.jp/issues/1879.html (2022年7月28日最終閲覧)

BIM Designs, Inc.、Damon Hernandez: The Benefit of Hackathons and Using 3D Visualization in Construction at AEC Hackathon、
https://www.bimdesigns.net/bim-bites/future-construct-podcast-episode-5-damon-hernandez-aec-hackathon (2022年7月28日最終閲覧)

東大IPC、スタートアップとは?ベンチャーとの違いを解説、
https://www.utokyo-ipc.co.jp/column/startup/ (2022年7月28日最終閲覧)

グーグル、re:Work、「効果的なチームとは何か」を知る、https://rework.withgoogle.com/jp/guides/understanding-team-effectiveness/steps/introduction/ (2022年7月28日最終閲覧)


<インタビュー>(資料6)
2022年1月14日
AEC ハッカソン(AEC Hackathon)
デーモン・ヘルナンデス Founder / Executive Director
クリス・ペリ Founding Member / Board of Directors

2022年2月16日
AEC ハッカソン(AEC Hackathon)
クリス・ペリ Founding Member / Board of Director

2022年6月29日
AEC ハッカソン(AEC Hackathon)
デーモン・ヘルナンデス Founder / Executive Director
クリス・ペリ Founding Member / Board of Directors

2022年7月11日
ハッカー道場(Hacker Dojo)
エド・チョードリー / Executive Director

年月と地域
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