トニー・ゴールドマンと米国フロリダ州マイアミ市ウィンウッド地区の芸術産業集積

吉田 真太

<基本データ>
フロリダ州は、米国本土の東南部から南に伸びるフロリダ半島を主体とし、同半島は東岸と西岸でそれぞれ大西洋とメキシコ湾に接している。同州は米国本土の最南端を擁し、最南端の都市キー・ウェストとキューバの首都バハマとの距離はフロリダ海峡を隔ててわずか170kmほどであり、フロリダ州は米国におけるカリブ海諸国および南米諸国との結節点となっている。マイアミ市は同州南部に位置し、その都市圏人口は米国統計局によると約560万人であり、同市は米国の大都市圏として最南端である。ウィンウッドは、このマイアミ市内にある2.4平方kmほどの街区で、内陸のマイアミ国際空港と海辺のリゾート地であるサウス・ビーチ地区とのほぼ中間点に位置し、その両者から自動車で約20分の立地にある。(図表1)

<評価の対象>
米国の美術誌『ギャルリー』は、2018年、ウィンウッドを「ストリート・アートのための世界的な旅行先」と評し(ギャルリー、2018)、筆者自身も2018年から2019年にかけて3回同地区を訪問した(図表2)。一方、『ザ・ニュー・ヨーク・タイムズ』紙は、同地区がグラフィティの名所となったのは最近で、「つい最近まで、労働階級のプエルト・リコ人の街区であるウィンウッドを歩くのは都会の肝試しだった。麻薬、犯罪、漠然とした不吉な予感が、がらんとした街路や倉庫に染みついていた。」(ザ・ニュー・ヨーク・タイムズ、2017)と述べ、美術目当ての国際的な観光地とは程遠い同地区の姿が描かれている。本稿では、ウィンウッドがこのような劇的な変化を遂げた経緯について、不動産開発業者の故トニー・ゴールドマンが果たした役割を参照し、文化的および経済的な観点から分析する。

<歴史的背景>
ウィンウッドの現在の姿は、マイアミの開発史、アート・フェア「アート・バーゼル」の商業的発展、そして、ある実業家の個人史、という三種の歴史が相互に影響した結果である。
まず、マイアミは1896年まで人口数百人の集落に過ぎなかったが、自動車産業で財を成した実業家カール・フィッシャーが同地を開発し、1920年には米国で最も洒落たリゾート地に変貌させた。サウス・ビーチには多くのホテルや住宅が当時流行のアール・デコ様式で建築されたが、流行が去り、1950年代には同地区は荒廃した(CBSニュース、2013)。この荒れ果てたアール・デコ建築に着目したのが不動産開発業者のトニー・ゴールドマンである。
ゴールドマンは、1943年に生まれ、誕生とともにニュー・ヨークの実業家ゴールドマン家(投資銀行のゴールドマン・サックス社とは無関係)に養子として引き取られた。彼は大学で演劇学を専攻したのち、ゴールドマン家の家業を手伝い、その後自らの不動産開発事業を開始した。ゴールドマンはニュー・ヨークのハウストン通りの南側で、荒廃した物件を購入し、レストランやジャズ・クラブに改装、「夜に歩くのが恐れられた」同地区を、現在では最も高価で洒落た住宅地へと再活性化させた。現在「ソーホー」と愛称される同地区の再開発によってゴールドマンは有名になった。彼は1985年にサウス・ビーチを訪れた際、前述の通り荒廃したアール・デコ建築にソーホー同様の勝機を見出し、物件の購入とリノベーションに着手した(マイアミ・ヘラルド、2012)。マイアミ・デザイン保存協会会長は、ゴールドマンについて「他の不動産開発業者と異なり、彼は貴重なアール・デコ建築の概観と内装を守った」と述懐している(ザ・ニュー・ヨーク・タイムズ、2012)。こうして再開発されたマイアミに注目したのがアート・バーゼルであった。
アート・バーゼルは1970年にスイスのバーゼルで複数のギャラリーが共同で開始したアート・フェアである。アート・バーゼル・マイアミ・ビーチの仕掛人サム・ケラーによると、「アート市況が1990年代初頭の不況から回復した際、米国が最大の市場になっていた」(デパーチャーズ、2014)。また、コレクターのメラ・ルーベルは「バーゼルが欧州における中立地であると同様、マイアミは南北アメリカにおける中立地である」と述べ、アーティストのミシェル・オカ・ドナーは、コレクターにとってアート・フェアに参加するコレクターにとって開催地が楽しめる場所であることの重要性を指摘している(前掲書)。これらの理由から、アート・バーゼル初の海外展開はマイアミとなり、2002年から毎年同地で開催されるようになった。
ゴールドマンは、このアート・バーゼルのマイアミ進出直後、廃れた倉庫街であったウィンウッド地区に、2004年以降38億円もの不動産投資を行った。彼は、お洒落な人々を集めるためにレストランを開業し、アート・バーゼルの開催に合わせて有名ストリート・アーティストたちに壁画を描かせた(ニュー・ヨーク・タイムズ、2010)。この壁画群は「ウィンウッド・ウォールズ」として観光名所となり(図表2)、現在では、敷地内には本格的なギャラリー(図表3)、ミュージアム・ショップ(図表4)、洋服店(図表5)、屋台(図表6)が併設されている。ウィンウッド・ウォールズはゴールドマン・プロパティーズ社とゴールドマン・グローバル・アーツ社によって運営されている。ウィンウッド・ウォールズの敷地外には、大胆な壁画を描いた飲食店・洋服店・家具店が建ち並び、観光客で賑わっており(図表7)、ゴールドマンの功績を讃えて彼の名を冠した通りもある(図表8)。彼は2010年に全米歴史保存団体より最高賞を受賞し(マイアミ・ヘラルド、2012)、2012年に没した。

<同様事例との比較>
ウィンウッドは、荒廃した街区の芸術による再開発という観点では、1990年代にギャラリーの集積によって再活性化したニュー・ヨーク市のチェルシー地区に通じる。しかし、チェルシーとは異なり、ウィンウッドの再開発は、ゴールドマンという個人の寄与が突出している点が特異である。彼は上述の通り、不動産開発業者でありながら、地主と利用者という境界を超え、レストランやストリート・アートを自身がプロデュースする戦略で土地の価値を高めている。さらに、ゴールドマンは、ピーボディ放送作品賞の受賞クリエイターと組み、ウィンウッドを特集するドキュメンタリー番組を、自らプロデュースしている。このような活動は、彼が、大学で演劇を専攻したのちに不動産業に転じるという、芸術と実業の両面に通じたハイブリッドな人物であったことに起因すると思われる。
文化的要素を不動産開発時に織り込んだ国内の事例としては、オフィスビルに美術館・映画館・高級レストランを併設し、「アートナイト」を仕掛けた、森ビルによる六本木ヒルズ開発が最も近い。一方、ウィンウッドを生んだグローバルな文脈は世界的に見ても特筆すべきスケールで、国内事例は遠く及ばない。ウィンウッド誕生の契機となったアート・バーゼルのマイアミ進出は、IT産業の勃興による米国の経済成長とそれに伴うアート市場の米国シフト、そして、中南米諸国の経済的発展の結果である。ウィンウッドは、上述の属人的な特異性に加え、このようなマクロ環境の必然性を伴っている点が、他の事例と比較して特筆すべき特徴である。

<今後の展望>
上述の通り、ゴールドマンという実業家個人の発想と南北アメリカの経済成長というマクロ環境を背景として芸術産業の集積地となったウィンウッドであるが、従前の魅力を今後も維持できるか否かは不透明である。
マイアミの地元ウェブ・メディアは、3年未満の期間でウィンウッドの家賃が3倍に急上昇し、芸術家やギャラリーが同地区で店を開くことは事実上不可能となり、一部のギャラリーがより安価な地区へと転出していることを報じている(ニュー・トピック、2016)。さらに、ウィンウッドには同地区固有の魅力が乏しい。ゴールドマン自身も、「ソーホーやサウス・ビーチでの課題は、既に存在している代替不能な資産の保存であったが、ウィンウッドでは場所をイチから創出する必要があった」と述べている(ザ・ニュー・ヨーク・タイムズ、2010)。地価上昇は不動産開発業者としてゴールドマンが目指した目的そのものであり、ウィンウッドにおける芸術は、地価上昇の手段としては既にその役割を全うしている。さらに、ゴールドマン自身が認める通り、芸術家やギャラリーにとって「ウィンウッドでなければならない」歴史的必然性が乏しいため、地価の比較的安価な近隣地域に彼らが一層流出する可能性は否定できない。
これらは全て、人的資本に依拠した芸術産業の流動性が高いがゆえであり、芸術を求める側のウィンウッドにとっては課題であっても、求められる側の芸術にとっては朗報である。ウィンウッドの経済的成功に触発され、他の企業や自治体等が、各々の目的のために芸術の獲得競争を進めた場合、芸術家は自身を経済的かつ創作的に最も利する相手先になびくであろう。このような広義の市場原理は芸術の発展に資するものであり、ウィンウッドが世界規模および私企業の経済的背景から成立したこと、ならびに、同地区の地位が固定化されるよりもむしろ今後の展望が不透明であることは、それぞれ高く評価できる。

  • %e5%90%89%e7%94%b01 <図表1> ウィンウッドのあるマイアミ市は北米と中南米の結節点である
  • %e5%90%89%e7%94%b02 <図表2> 観光客で賑わうウィンウッド (写真は「ウィンウッド・ウォールズ」)
  • %e5%90%89%e7%94%b03 <図表3> 「ウィンウッド・ウォールズ」内の本格的なギャラリー
  • %e5%90%89%e7%94%b04 <図表4> 「ウィンウッド・ウォールズ」内のミュージアム・ショップ
  • %e5%90%89%e7%94%b05 <図表5> 「ウィンウッド・ウォールズ」内の洋服店
  • %e5%90%89%e7%94%b06 <図表6> 「ウィンウッド・ウォールズ」内の屋台
  • %e5%90%89%e7%94%b07 <図表7> ウィンウッド地区にあるジェラート店
  • %e5%90%89%e7%94%b08 <図表8> トニー・ゴールドマン通り

参考文献

『ギャルリー』、Jill Sieracki「Discover the Global Street Art Taking Center Stage at Miami’s Wynwood Walls」、2018年11月29日、https://www.galeriemagazine.com/installations-wynwood-walls-art-basel-miami-beach/ 、最終閲覧日2019年1月23日
『ローリング・ストーン』、「See Wynwood Walls’ Stunning Street Art in Miami」、2017年8月8日、https://www.rollingstone.com/culture/culture-lists/see-wynwood-walls-stunning-street-art-in-miami-198068/ 、最終閲覧日2019年1月23日
『CBSニュース』、「A history of Miami and Miami Beach」、2013年5月19日、https://www.cbsnews.com/news/a-history-of-miami-and-miami-beach/ 、最終閲覧日2019年1月23日
『マイアミ・ヘラルド』、「South Beach, Wynwood developer Tony Goldman dies at 68」、2012年9月12日、https://www.miamiherald.com/news/local/community/miami-dade/midtown/article1942633.html 、最終閲覧日2019年1月23日
『ザ・ニュー・ヨーク・タイムズ』、Leslie Kaufman「Tony Goldman, SoHo Pioneer, Dies at 68」、2012年9月15日、https://www.nytimes.com/2012/09/16/nyregion/tony-goldman-real-estate-visionary-dies-at-68.html 、最終閲覧日2019年1月23日
『デパーチャーズ』、Mark Ellwood 「Art Basel Miami: An Oral History」、2014年9月19日、https://www.departures.com/art-culture/art-guide/art-basel-miami-oral-history 、最終閲覧日2019年1月23日
『ザ・ニュー・ヨーク・タイムズ』、Terry Pristin「A SoHo Visionary Makes an Artsy Bet in Miami」、2010年3月30日、https://www.nytimes.com/2010/03/31/realestate/commercial/31goldman.html 、 最終閲覧日2019年1月23日
『ザ・ニュー・トピック』、Nicole Martinez「We don’t want another Wynwood」、2016年1月21日、https://thenewtropic.com/we-dont-want-another-wynwood/ 、最終閲覧日2019年1月23日

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