日本が誇る伝統文化をつげ櫛で支える「櫛留商店」

小林 厚子

Ⅰ.はじめに
近年、樹脂製品で成形の簡単な櫛が多く製造されているにもかかわらず手間のかかるつげの櫛をなぜつくるのか、そして珍重されるのかを考察する。つげ櫛専門店である「櫛留商店」のつげ櫛は大相撲界で「今では櫛留の櫛でないと大銀杏は結えない」(図1)と相撲界の床山をたらしめたのが、櫛留商店3代目森信吾氏である。(図2)

名古屋市北区の櫛留商店は、明治36年に三重県でくし作りの修業を積んだ初代が名古屋で開業して以来、国技大相撲、伝統芸能歌舞伎、芝居で用いられる櫛を作り続けてきた。特に大相撲で使用されるつげ櫛は、日本で櫛留商店が一手に引き受け日本相撲協会へ納品しているのである。

つげ櫛の歴史は『万葉集』や『源氏物語』にも記述があり、つげの木を原料とする伝統ある櫛である。また櫛の最上級品として古くからその地位を築いている。女性の髪型が多様化する江戸時代には、多くの櫛職人がいたと推測される。当時、尾張名古屋の城下町には何人もの櫛職人がいたが、現在は「櫛留商店」のみである。

激減の理由は①環境の変化②消毒法③デメリット④後継者不足の4つの理由が考えられる。 ①環境の変化であるが、つげ櫛をはじめとする木櫛の環境は大きく変わりパーマなどのヘアスタイルが流行すると、需要は激減した。
②消毒法が、昭和32年に美容業で櫛を扱う際、美容師法(美容師法施行規則第 25条) で定められた。そのため、水に弱いつげ櫛は適応できなくなり、消毒に強いプラスチック製品のシェアが拡大した。
③つげ櫛のデメリットであるが1.水に弱い2.価格が高め3.燻製の臭いがする。
④後継者不足では、すべての工程を手作業で行い手間がかかることに魅力を感じる若者が少なくなったことが原因である。

ではなぜ、「櫛店商店」はつげ櫛を現存させることができたのか。本稿では「櫛留商店」のつげ櫛が日本の伝統文化として定着した過程を調査し、つげ櫛が持つ日本の伝統文化としての価値について考察を試みた。

Ⅱ.基本データー
名称:櫛留商店のつげ櫛
地域:愛知県名古屋市北区駒止町1丁目60(図3)

特徴
・木目が細かく、美しく、堅くて粘り気がある。
・木賊で、丁寧に仕上げると、静電気が起きにくく、髪も傷めずに毛根に心地よい刺激を与える。
・つげの成分、アルカロイドには、抗菌、抗炎症作用がある。
・本つげ材を使用し、板造りの過程で長い年月をかけて燻乾燥をくりかえす。
・黒色や茶色の跡がついている。燻乾燥を長い年月をかけて板造りをしているからである。燻 の香りは使用されるごとに薄れていく。
・使えば使うほど味がでてくる。

概要:明治36年創業。森信吾氏の祖父留松氏が名古屋市西区で立ち上げ、昭和21年、店舗を名古屋市北区へ移転 。信吾氏の父健三氏が二代目を引き継いだ。戦後、つげ櫛をはじめとする木櫛をとりまく環境は大きく変わり、パーマなどのヘアスタイルが流行すると、需要は激減。戦前この地方に約30軒あった櫛屋は櫛留商店1件となり、多くの店が暖簾を下ろした。

Ⅲ.歴史的背景
Ⅲ‐①つげ櫛の発生と伝播

安城市埋蔵文化財センターでは、彼岸田遺跡(桜井町)発掘調査において日本最古級の横櫛が出土したことを確認した。その横櫛は平成11年度に実地した彼岸田遺跡の調査で出土した、国内最古の横櫛の2例目であることが確認されている。日本において櫛は、縄文時代から縦に長い竪櫛が使われ ていたが、横櫛は渡来系の技術の系譜上にあるもので、年代は4世紀末から5世紀前半のものと考えられる。彼岸田遺跡で出土したこの横櫛は、小型のノコギリを使用して製作されたと考えられ、ノコギリの目立て幅が広いため歯と歯の間の隙間が幅広になっている。歯と歯の隙間が広いことと歯の数が少ないということは、横櫛の製作技術がまだ初期段階にあることを示しているのであった。これこそ日本に伝播した本つげ櫛の形である。(註1)安城市HP )(図4)

Ⅲ-② 本つげ櫛の歴史
本つげ櫛の歴史は、縄文時代にさかのぼる。歯数が九本と少なく縦長で、まとめ髪に挿すような飾り櫛として使用されていた。現在のような横長の形へと変化していったのは奈良時代であった。この頃は、髪を梳かすための実用櫛としても使用されていた。

「君なくは なぞ身装はむ 匣なる 黄楊の小櫛も 取らむとも思はず」 (註2)(桜井.1994.p187)

こちらの和歌は、『万葉集』で「あなたがいらっしゃらなければ、なんで身を飾ったりしましょうか。櫛箱にあるつげの小櫛も手に取ろうとも思いません。」(註3)の一句で恋情を詠んでいる。この中の「黄楊の小櫛」は、本つげの木でつくられた小さな櫛のことである。さらに『源氏物語』(註4)にも記述があり『源氏物語絵巻』50巻東屋(-)に、侍女に洗い髪を梳かせる白装束の中君が描かれており、その侍女の手には櫛が描かれている。このように、櫛の最上級品として古くからその地位を築いているのである。

Ⅳ.他の事例との比較と展望
筆者は、本つげ櫛が文化的価値を保有するためには、つげ櫛を必要とする業界の存在と生き残りをかけた職人魂が不可欠 であると考える。本稿ではこの視点を評価軸とし、「櫛留商店」の本つげ櫛と他の本つげ櫛のこだわりや商品を比較する。

①.「櫛留の櫛でないと大銀杏は結えない」という確証をとるために、各相撲部屋の床山に協力を呼び掛けた。すると相撲部屋(峰崎部屋)の床山(床明氏)が調査に協力してくれたのである。床山(床明氏)への聞き取り調査で「櫛留商店の櫛がないと大銀杏が結えない」という結果がとれた。(図5)櫛留商店のつげ櫛以外では相撲界の髷は結えないという話を聞くことができた。相撲界にとって櫛留商店はなくてはならない存在である。

②. 髪を梳かした際の、静電気と髪の引っかかりの原因を考察し櫛留商店の櫛とお土産用の櫛を写真撮影し、比較した。すると土産用の櫛には角があることがわかる。しかし櫛留商店の櫛には一切角が見当 たらない。(図6)結果、櫛留商店のつげの櫛は静電気と髪の引っかかりが少ないことが確認できた。

③.櫛留商店が他のつげ櫛店より優れている点を調査してみた。櫛留商店は、彼岸田遺跡から発掘された日本最古の横櫛の復元品を2点納めている。これを安城市埋蔵文化財センターから数ある櫛店の中から依頼されたためである。櫛留商店が安城市埋蔵文化財センターから依頼された日本最古の横櫛と復元品を安城市歴史博物館にて確認できた。(図4 右)結果櫛留商店の丁寧な仕事が評価されていることが、確かめられた。

④.静電気を比較した結果について「櫛留の本つげ櫛は10V静電気防止ブラシ660V、普通のブラシ3660V」という結果がでている。(註5)

Ⅴ.今後の展望
10年ほど前から伝統文化を見直す気運が高まり、日本のつげの櫛が世界にクローズアップされるようになった。日本だけでなく海外有名ファッション誌に、つげ櫛が海外で紹介されるようになったのだ。さらに、グローバル化によって日本人の黒髪の美しさが再認識されるようになり、外国人が憧れる日本の着物姿の小物として、つげ櫛が日本人の黒髪をかざる道具として外国人にも認識されるようになったのである。今後、SNSの拡大により、時間と手間をかけてつくりあげた、櫛留商店のつげ櫛(図7)が日本だけでなく世界で愛用者が増えていくと期待できる。

Ⅵ.結び
本稿では、激減したつげ櫛を、櫛留商店のつげ櫛が相撲界という日本の伝統文化によって現存させてきた経緯について述べた。結果、激減の主の原因が時代による髪型文化の変化や手間のかかる工程によるものと考えた。しかし世界的には、手間ひまかけることのよさが見直されている。今後、櫛留商店の誇りと責任が伝承され、日本を代表する文化遺産として「つげ櫛の美しさ」(図8)を世界に発信し、末永く櫛留商店のつげ櫛が伝承されることを期待する。  

  • 1 (図1)大銀杏は十枚目以上の関取が結える髪型である。(左)大銀杏を結うため必要なつげ櫛は4本である。下から髪のもつれをほぐす「荒櫛」、髪をまんべんなく梳き揃える「揃櫛」、仕上げに用いる「前かき櫛」、土俵の砂の汚れやホコリなどをとる「すき櫛」がある。(右)相撲部屋峰崎部屋の床山(床明氏)が使いこんだつげ櫛、美しい飴色になっている。(現在も使用中)(左)撮影者 小林厚子2018年4月24日(右) 撮影者小林厚子 2018年7月2日
  • 2 (図2 中央)櫛留商店3代目森信吾氏と八枝子夫人。平成18年、卓越した技能者を厚生労働大臣が表彰する「現代の名工」に選出。「人のやらない仕事をし、人以上の仕事をする。そうしないと伝統を支えていく櫛屋にはなれない。人が憧れる櫛はつくれない」と述べている。伝統文化を支える技を伝えたいと、体験教室開講や催事での実演にも積極的である。(図3左)櫛留商店のトレードマークの看板。(右)作業風景 撮影者小林厚子2018年4月24日
  • 3 (図4 左)安城市埋蔵文化財センターでは、平成11年度彼岸田遺跡(桜井町)発掘調査において出土した日本最古級の横櫛が所蔵されている。この横櫛は、この遺跡から発掘された唯一の横ぐし縦5.5cm、横7.7cmを測り、歯の数は19本である。鑑定の結果、最古とされる大阪府八尾市小阪合遺跡出土のものと形態・材質・製作技法などの点で類似し、国内最古の横櫛の2例目であることが確認された。(註1) 安城市歴史博物館 安城市埋蔵文化財センター 所蔵 撮影者小林厚子2018年6月12日
    (右)「櫛留商店」森信吾氏は安城市埋蔵文化センターから依頼され最古櫛の復元品を2点製作し納めている。安城市歴史博物館 安城市埋蔵文化財センター 所蔵 撮影者小林厚子2018年6月12日
  • 4 (図5)床山(床明氏)は「今では櫛留の櫛でないと大銀杏は結えない」と話す。相撲界の床山に使われているつげ櫛は、櫛留商店が一手に引き受け、日本相撲協会へ納品している。櫛留商店のつげ櫛を使用している相撲部屋(峰崎部屋)の床山(床明氏)は、「使い込むほど飴色になり手に馴染んでくる」と述べている。 峰崎部屋にて 撮影者 小林厚子 2018 年7月2日
  • 5 (図6)櫛の拡大写真 土産用の櫛(右)には角がある。しかし床山(床明氏)の使用する櫛留商店(左)の櫛には一切角が見当 たらないことが分かる。「櫛留商店」の櫛は拡大でみると見事な職人技である。 撮影者小林厚子 2018年7月2日 
  • 6 (図7)櫛留商店のつげ櫛は時間と手間をかけて作り上げたもので、大量生産とは一線を画す秀逸品である。おもに国技大相撲、伝統芸能歌舞伎、芝居で用いられる櫛を作り続けてきた。一般向けに販売されている売れ筋は、国産材の2万円前後のものである。撮影者小林厚子2018年4月24日
  • 7 (図8)(左)床山(床明氏)の作業箱とびんつけ油。 年1度日本相撲協会から支給される櫛留商店のつげの櫛。これは、使い込まれることで、つげの櫛が手に馴染み黄褐色から飴色になり新品よりもより美しい芸術作品である。撮影者 小林厚子 峰崎部屋にて 2018年7月2日

参考文献

参考文献・引用   
引用 (註1) 安城市https://www.city.anjo.aichi.jp/shisei/shisetsu/kyoikushisetsu/maibun-yokogushi.html(参照日 2018年 4月20日 )
引用(註2)訳注者 桜井満『全訳古典撰集 万葉集(中)』旺文社 p187 1994年 7月20日
引用(註3)訳注者 桜井満『全訳古典撰集 万葉集(中)』旺文社 p187 1994年 7月20日
引用(註4)編集 徳川美術館 徳川美術館蔵品抄2『源氏物語絵巻』大塚巧塾社 1988年 10月12日 p139  
引用(註5)(平成9年東海テレビ放映、愛知工業大学実験結果。)櫛留商店HP 内 http://kusitome.com(参照日 2018年4月20日)

参考文献
訳注者 桜井満『全訳古典撰集 万葉集(中)』旺文社 p187 1994年 7月20日
矢内賢二編 『歌,舞,物語の豊かな世界 日本の芸術史 文学上演篇1 京都造形大学東北芸術工科大学出版局 藝術学舎 幻冬舎 2014年1月8日 p11
編集 徳川美術館 徳川美術館蔵品抄2 『源氏物語絵巻』大塚巧塾社 1988年10月12日 p139  
監修・執筆 田口榮一 『すぐわかる源氏物語の絵画』株式会社 東京美術 大日本印刷株式会社 2009年2月28日p139
株式会社おかしん (2017年1月31日)『経済月報』2 No.567 p38
公益社団法人 名古屋中法人会・広報誌[なか]VOL.166  (2018年 春号 《シリーズ職人の技》 .NAKA 2018年春号p6-9

参考web
安城市https://www.city.anjo.aichi.jp/shisei/shisetsu/kyoikushisetsu/maibun-yokogushi.html(参照日 2018年 4月20日 )
つげ櫛の櫛留商店HP http://kusitome.com/ (参照日 2018年 4月20日 )
厚生労働省(消毒法)https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/seikatsu-eisei04/06.html (参照日 2018年5月10日)
峰崎部屋部屋 http://minezaki.com/member/ (参照日 2018年5月10日)