岡崎の誇り 八丁味噌とカクキュー

眞野 美奈

私の生まれ育った愛知県には、さまざまな食文化が根付いている。その中でも毎日の料理に欠かせない、愛知県民に最も馴染みがある食材と言えば、「味噌」である。いま、愛知の郷土料理は「なごやめし」という愛称で親しまれているが、そのほとんどに味噌が使われているといっても過言ではない。代表的な料理は、味噌田楽、五平餅、味噌煮込みうどん、味噌カツ、鉄火味噌、味噌おでんなど多数あげられるが、この中のほとんどは、あいち郷土料理検討委員会において「残しておかなければならない伝統料理」として選定されている。
日本の味噌は大きく分けて米味噌、麦味噌、豆味噌、調合味噌の4種類に分類することができ、現在国内で生産されている8割が米味噌だという。愛知県の味噌は豆味噌であり、良い大豆と食塩、水を原料とし、伝統的な技法で長期間熟成させて作られる。さらに八丁味噌、三州味噌、名古屋味噌、赤味噌などさまざまな種類に分けられるので、今回は岡崎市を拠点に古くから作られている八丁味噌を取り上げることにした。
八丁味噌は、岡崎市にあるカクキュー八丁味噌とまるや八丁味噌の2社で製造されている。共に300年以上の伝統を誇り、旧東海道を挟んで向かい合わせるように2社の蔵が並んでいる。八丁味噌の八丁とは、江戸時代に岡崎城から西へ向かって八丁(約870m)、矢作川と東海道が交差する八丁村で作られていたことから、この名前がついたとされている。当時、この川の舟運を利用して原料の塩や大豆を調達し、出来上がった味噌を出荷をしていた。現在この2社は、毎日のように無料で工場見学を行っているので、今回は2社のうちカクキューを見学することにした。
カクキューの創業は1560年、桶狭間の戦いにおいて今川義元が敗れたため、義元の家臣であった早川新六郎勝久は武士をやめて岡崎の寺へと逃れ、名前を久右衛門と改めた。その後、数代後の子孫が現在の場所へ移り、1645年に味噌屋を創業した。矢作川のすぐそばには八丁蔵通りと名付けられた道があり、その道沿いにカクキューとまるやの本社が隣接するように並んでいる。カクキューに辿り着くと、まず真っ先に目に入ってくるのは、カクキューの味噌のラベルにもなっているカクキューマークが描かれている大きな建物だ。カクキューの本社は大正時代末期から建て始め、昭和2年に完成した教会風のバシリカ様式の建物である。黒と白を基調とするモダンなデザインとなっていて、とてもおしゃれである。本社と明治40年に建築された仕込み蔵は、平成8年12月2日付で国の登録文化財に登録されており、創業の1645年から現在まで、場所を変えることなく伝統製法で作る味噌を守り続けている。受付を済ませて中に入ると、実際に味噌を製造するために使っている熟成蔵と、現在は資料館となっている仕込み蔵を見学することができた。蔵や木桶の大きさを見たり、味噌を試食させていただいたり、味噌を五感で感じることができ、とても良い時間を過ごすことができた。
八丁味噌は、矢作大豆と呼ばれる地元の良質な大豆と吉良の塩、花崗岩質の地盤から得られる矢作川の天然水を使って作られた素朴な豆味噌である。この地で味噌作りが始まった理由は、矢作川の水運によって大豆、天然水、塩が入手しやすい立地だったからとされる。また、湿度が高く食品を保存する面では不利な条件を逆手にとり、カクキューの先祖は保存性が高く、味が良好で栄養価の高い味噌造りを確立させることができた。八丁味噌の創業は江戸時代初期だが、カクキューにはそれ以前に優れた豆味噌を造る技術があり、そうしてできた味噌は風味の良さと長期保存ができて携行に便利なため、三河武士の兵糧としても愛された。岡崎城で生まれた徳川家康も味噌を好んで食していたと言われ、戦いに粘り強く勝ち抜く、縁起の良い味噌としても有名になった。
カクキューの製造方法だが、高さ・直径が1.8mもある杉でできた大きな木桶の中に約6tもの味噌を仕込み、その上に約3tの石を積み上げる。木桶の寿命は約100年、一番新しい桶でも80年近く使われている。木桶に積まれた石のほとんどは、江戸時代に矢作川上流から運ばれたもので、150個余りが人の手によって桶の上に円錐形に積まれるという。発酵・熟成は二夏二冬(2年以上)手を加えず自然のまま(天然醸造で)じっくり寝かせる。長い熟成によって濃厚なうま味とコクのある味噌を生み出す。木桶は100年近くも使って傷むことはないのか、という疑問もあったが、長年使うことによって木桶に地域の微生物が定着し、熟成が安定するのだという。また、受け継がれているのは木桶だけでなく、木桶を長く使い続けようとする職人の心も受け継がれていると感じた。
しかし、八丁味噌の歴史を調べていくうちに、愛知県と岡崎市の間で八丁味噌をめぐっての対立があったことが発覚した。発端は「GIマーク」という国の登録制度であった。
GIマークとは、各地の食品メーカーなどが申請し、GIマークを取得すれば、他の地域ではその名前を名乗ることができなくなり、偽造品の流通防止や海外展開の後押しにもつながるというものである。取得しているものの例として夕張メロンや松阪牛、近江牛などといった地方での有名なブランド食品があげられ、2015年以降で58品目が登録されている。八丁味噌も2017年の12月に登録されたばかりであり、愛知県で八丁味噌の保護につながると歓迎されているのかと思いきや、登録されたのは愛知県味噌溜醤油工業協同組合であり、元祖と広く認知されているカクキューとまるやの老舗2社はここに含まれていないという。この2社はGIマークを使うことができず、以前より輸出をしていた海外で八丁味噌を名乗ることができないのである。なぜ、カクキューとまるやは登録をしなかったのか。この2社には八丁味噌を守るうえで登録を認めない理由があった。それは味噌の製法である。
2社は江戸時代から続く製法を重視して、味噌を熟成させる設備は木の桶に限ると主張し、これに対し、登録をした組合側は木の桶だけでなく、金属製のタンクも認めているという。2社が組合側と同じ製法を認めてしまえば、長年守ってきた製法、伝統とは大きく異なり、お客様との信頼関係が崩れ、自分たちも今までどおりの作り方を守れなくなってしまうため、八丁味噌のブランド力の低下につながってしまうと考えた。2社は八丁味噌は八丁の地にあるカクキューとまるやだけだと強く主張したのである。日本食ブームが広がる中、2社にとっては海外への展開の痛手になりかねないのだが、伝統と違う製法を認めれば、本来の八丁味噌が守られなくなってしまう。よって今回の行動は、やむを得なかったとは思うが、伝統の製法を守り抜くためにとった勇気ある行動だといえる。カクキューとまるやが今後GI申請をするかは定かではないが、本物の岡崎の八丁味噌が海外で「八丁味噌」と名乗れないのは、なんとももどかしい気持ちである。しかし、八丁味噌が今までに何十年何百年と培ってきた経験値と信頼度は他のなによりも負けないと思う。2社がぶれない姿勢を見せていけば、より消費者の理解を得る近道になるだろう。
この2社はお互いに良い商いをするために、常に切磋琢磨してきた。お互いが時に協調し、時に品質を高め合ううえで競ってきたからこそ、長い歴史の中で生き残ってこられたのだと思う。八丁味噌の発展はこの2社が揃っていたからこそ成し得たのである。いまの愛知県には味噌はなくてはならない存在である。その中でも長きに渡って代々受け継がれてきた八丁味噌がもっと多くの人に知ってもらえたら幸いである。これからも愛知県の誇りとして、変わらない製法で変わらない味を守り続けてほしい。

  • 1 カクキュー本社 2018年7月7日 筆者撮影
  • カクキュー敷地内 昔使われていた井戸 2018年7月7日 筆者撮影(非公開)
  • カクキュー資料館前にある木桶 2018年7月7日 筆者撮影(非公開)
  • 木桶のある蔵の中 2018年7月7日 筆者撮影(非公開)
  • 資料館内の木桶 2018年7月7日 筆者撮影(非公開)

参考文献

愛知高等学校郷土史研究会 野澤伸平著『愛知県の歴史散歩 下 三河』、山川出版社、2005年
郷土料理と食文化 - 愛知県公式Webサイト http://www.pref.aichi.jp/shokuiku/shokuikunet/what/local.html
カクキューホームページ http://kakukyu.jp/
日本の伝統文化「木桶」とは?http://www.daichi-m.co.jp/foodreport/9224/
名古屋めしの象徴・八丁味噌ブランド問題の「なぜ?」https://news.yahoo.co.jp/byline/otaketoshiyuki/20180213-00081429/

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