片田舎の小さなイタリアンカフェ『Cafe J-Road』が守り抜いたコト

高地 伸明

1.はじめに
Cafe J-Road[1]は1994年3月24日に石川県七尾市の七尾城跡へ通じる県道177号城山線沿いにオープンした。オーナーである森山仁氏は「もっと、七尾城を世間に知ってもらいたい。城には茶屋があるように七尾城にも茶屋があると人が集まるからと思って」という思いから選んだ場所だ。地元食材をふんだんに使ったパスタやピッツァ、コーヒー、ハーブティーを楽しめ、窓からは七尾市街地、七尾湾、能登島、能登半島の眺望も同時に楽しめる隠れ家カフェとして人気を博している。しかしながら、2023年3月に29周年を迎えるのを機に閉店する。
このレポートでは森山氏が作り上げたカフェの特徴は食事が美味しいだけでなく、店舗デザインが優れているところにある。それは建物だけでは成り立たず、特筆すべきはカフェへの道のりから想像もできないような場所にたどり着くという意外性を仕組んでいるところにある。そしてその手法によって人が来店し眺望が守られていることを指摘し評価する。比較対象として石川県白山市にあるスカイ獅子吼「高原のカフェ」をあげる。

2.基本データ[2]と歴史的背景
名称:Pasta,Cafe&Drinks J-Road
住所:石川県七尾市矢田町21号 鉄砲山3番地6
開業日:1994年3月24日
店舗は標高115m[3]に位置する。七尾城跡に向けてのロープウェイ乗り場となる予定だった場所である。七尾城跡とは日本百名城の一つに数えられる史跡であり能登国の守護・畠山氏(1408-1577)が16世紀前半に築いた城の跡地である[4]。

3.Cafe J-Roadの特筆性
J-Roadの特筆すべきデザインは、カフェへの道のりから想像できないような場所に着くという意外性を仕組んでいるところにある。創業時にはこんな辺鄙なところに人なんかくるハズがないと親戚一同の大反対にあったくらいの場所である[5]。どのように道のりなのか図1を参照に説明する。
金沢方面からは「のと里山海道」徳田大津JCTを右に曲がり「能越自動車道田鶴浜道路」に乗る。その後、最初の信号である「小島西部」を右折、そのまま真っ直ぐ進むと城山交差点である。富山方面からは「能越自動車道七尾氷見道路」七尾城山ICを左折すると城山交差点である。ここから七尾城跡に向かうように県道177号線を進むのだが、写真1のように、交差点からは目的地が見えない。道に沿って能越自動車道の下をくぐり、大きく左右へ急カーブしながらの登り坂、次は左カーブ、右カーブと標高を上げながらの車の運転である。右カーブをし終えると目の前に建物が見えてくるが、これは「料理旅館 七尾城」であるので、少し肩透かしに合うこととなる。
写真2のような鬱蒼とした林道がまだ続く。左に薄く曲がり、そして右に大きくカーブした右手にようやく写真3のような看板が見えてくる。ここを右折で入ったところがJ-Roadとなる。このような「こんな山奥に本当にお店があるの?」と思わせるようなアプローチを客は体験することとなる。城山交差点からお店までは2分半なのだがとても長く感じる。
車を駐車場に止め入口の階段を2mほど上りエントランスのドアを開ける(写真4)。入って左手にある大きな北向きの窓ガラスからは道のりの締めくくりとして七尾湾を見渡せる眺望が目に入ってくる(写真5)。
この店への道のりのゴールがそこにあることに気づき驚くのである。その驚きの本質とは、鬱蒼とした林の中からの突然の開けた風景が目の前に現れるダイナミックな視点移動である。その驚きを作り出すことに成功しているのが、J-Roadの建築デザインの特筆性である。
この眺望は歴史的にも残っている。1577年七尾城を畠山氏から落城した上杉謙信が残した七尾城本丸から望む七尾湾からの眺望の感想を紹介する。

「聞きしに及び候より名地、(加)賀・越(中)・能(登)の金目の地形と云い、要害山海に相応し、海頬嶋々の躰までも、絵像に写しがたき景勝までに候」(上杉謙信書状「歴代古案」第一より)[6]

J-Roadはこのような眺望をカフェの付加価値とした。眺望は生き物である。周りの木々が伸びてくれば視界が狭くなる。眺望を守るために伐採なども自分たちやお客さんに手伝ってもらいながら作り上げてきた(図2参照)。
逆を言えばカフェがなくなれば、人の手が入らなくなり木々が伸び放題となり、眺望もなくなる。つまりJ-Roadは城山からの眺望を個人で守ってきたと言えるのではないだろうか。眺望を守るというのは、それに関わる人間の営みが必要であると教えてくれていると言えるのだ。

4.比較対象スカイ獅子吼「高原のカフェ」について
スカイ獅子吼とは標高約633m[7]に位置する獅子吼高原の山頂エリア部分である。図3を参照に説明する。山麓部分のパーク獅子吼からゴンドラで結ばれており(写真6)所要時間は5分である。ゴンドラを降りると山頂の高原センター1Fと直結している。その2階にあるのが「高原のカフェ」(写真7)である。
入り口を入ると正面には大きな窓ガラスが設置されている(写真8)。窓ガラスからは白山手取川ジオパーク[8]「海と扇状地のエリア」として登録されている手取川扇状地が見渡せる。手取川扇状地とは白山の西斜面を源流とする手取川が作り上げた広大な扇状地である。(写真9)。
次にスカイ獅子吼の歴史に触れる。スカイ獅子吼高原センターの前身は獅子吼高原にあったスキー場のロッジであった。昭和34年にロープウェイと山頂のゲレンデが整備され第3セクターの鶴来観光開発が経営、ピーク時は13万9千人がロープウェイを利用した。しかし、県内スキー場の増加や施設の老朽化により、徐々に利用者が減少、平成3年に第3セクターの鶴来町地域振興公社が経営を引き継いだ後も3万2千人まで利用者が落ち込んだ。しかし、平成7年に金沢市の民間会社が再開発に着手し平成8年ロープウェイからゴンドラリフトに架け替えを行い、山頂の名称を「スカイ獅子吼」としてリニューアルオープンした[9]。現在、パラグライダーの離陸場、人工芝のそり広場、カートなどの施設が設置されている。

5.J-Roadと高原のカフェとの比較
高所に上って眺望を食事と一緒に楽しむという行為は両者とも同じ体験をしている。では、建物にたどり着くまでのドキドキ感はどうだろうか。J-Roadは3章で述べた通り、どこへ連れていかれるのだろうかという不安感からの予想外に開けた眺望の驚きがある。高原のカフェはゴンドラという非日常の体験からの高揚感があるだろう。たどり着く場所も麓から確認することが出来、上った後は期待した通りの眺望を眺めることが出来る。ここでの意外性はない。しかし、天候の具合によるがパラグライダーの離陸を見ることが出来れば、J-Roadとは違う驚きと感動があるだろう。
現在の眺望を眺めることのできる店舗を守るのに高原のカフェは64年間で3回経営者が変わっていることに対してJ-Roadは29年間1人である。
両者の比較から半公共経営でゴンドラやパラグライダーの離陸など大掛かりな非日常の驚きを提供し手取川扇状地という眺望を守ってきた高原のカフェに対して、個人経営で車という日常の手段を使い、山道と店舗の作りによってもたらされる驚きにより眺望を守ってきたJ-Roadという差が読み取れる。個人経営でも工夫次第で公共と同じように眺望を守ることが出来ているという特筆性が見えてくる。

6.今後の展望について
J-Roadは29年の歴史に幕を閉じる。この29年間で出来なかったことがあるとすれば、この眺望を未来へと守る仕組みを作れなかった事である。森山氏によれば七尾市に対して七尾城跡の積極的観光利用の働きかけもしたが何もしてくれなかったそうだ[10]。森山氏は「七尾市は七尾城跡を終点とした麓からの城山のデザインを描くべきだ。例えばここには上水道が通っていない。井戸水を汲み上げているのだが、上水道を引き込めばこの眺望を利用して移住者やお店を誘致することが出来、活性化に繋がる。このお店からの眺望を求めてのリピーターもいる。それだけの価値はある」と言う。現在はお店の途中にある旅館とここの二軒である。今後は一軒だ。街中から思っているほど遠くはない。

7.まとめ
このレポートではj-Roadの29年間の足跡と今後の展望を述べた。片田舎の小さなカフェの営みが大きな眺望を守ることが出来たこと、これが今後、誰かの活動のヒントになりうるはずだ。

  • 81191_011_31681030_1_1_photogallery_page-0001 資料『Photo Gallery』 素材は筆者撮影の写真とJ-roadのホームページ(能登半島眺望カフェJ,Road https://www.j-road.net/ 最終閲覧日2023/1/22)から森山氏の了解を得て取り込んだ写真を使用。
  • 81191_011_31681030_1_2_%e5%8d%92%e7%a0%94%e5%9b%b3%ef%bc%91_page-0001 「図1」 筆者作成。
  • 81191_011_31681030_1_3_%e5%9b%b3%ef%bc%91%e3%81%ae%e5%86%99%e7%9c%9f_page-0001 「図1の写真」 すべての写真は筆者撮影。写真①②④⑤は2022年10月21日撮影。写真③は2023年1月23日撮影。
  • 81191_011_31681030_1_4_%e5%8d%92%e7%a0%94%e5%9b%b3%ef%bc%92_page-0001 「図2」 筆者作成。左上2004年8月2日森山氏撮影。右上2023年1月18日筆者撮影。真ん中合成写真は筆者作成。左下右下の写真は2022年5月21日筆者撮影。
  • 81191_011_31681030_1_5_%e5%8d%92%e7%a0%94%e5%9b%b3%ef%bc%93_page-0001 「図3」 筆者作成。
  • 81191_011_31681030_1_6_%e5%9b%b3%ef%bc%93%e3%81%ae%e5%86%99%e7%9c%9f_page-0001 「図3の写真」 写真⑥⑦⑧左右⑨左2022年11月23日筆者撮影。⑨右2020年10月11日筆者撮影。

参考文献


[1]資料「Photo Gallery」参照。ホームページ https://www.j-road.net/ 2023/1/22
[2]https://www.j-road.net/about/ を参照。2023/1/22
[3]地理院地図より引用 https://maps.gsi.go.jp/index_m.html#16/37.021940/136.982914/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0 2023/1/22
[4]『七尾市ホームページ』」―史跡七尾城跡―七尾城の概要を参照。
https://www.city.nanao.lg.jp/sportsbunka/nanaojoushi.html 2023/1/22
[5]森山氏のインタビューより
[6]史跡 七尾城跡パンフレット1枚目右中程にある「上杉謙信七尾城本丸初登城の感想」より抜粋
(https://www.city.nanao.lg.jp/sportsbunka/documents/panhu.pdf)2023/1/22
[7]地理院地図より引用
https://maps.gsi.go.jp/index_m.html#16/36.446513/136.648282/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1 2023/1/22
[8]ジオパークとは、大地の遺産の保護とその活用を目的とした自然公園である。白山手取川ジオパークは石川県白山市の全域が日本ジオパークとして認定されている。水の流れが育んだ「大地の公園」として、全域を三つのエリア「山と雪」「川と渓谷」「海と扇状地」に分けている。令和5年5月10日~24日に開催される第216回ユネスコ執行委員会において正式にユネスコ世界ジオパーク登録の可否が決定される見込みである。
https://hakusan-geo.jp/ 2023/1/22
[9] 鶴来町史 完結編 P131〜P134より引用
[10] 七尾市は平成30年3月に「史跡七尾城跡保存活用計画」を策定した。今から本格的な活用が始まるが、これをj-roadは29年前から訴えかけてきた。
https://www.city.nanao.lg.jp/sportsbunka/hozonkatsuyou.html 2023/1/25

参考文献
『Pasta,Cafe&Drinks J-road』https://www.j-road.net 2023/1/28
『史跡七尾城跡』 https://www.city.nanao.lg.jp/sportsbunka/nanaojoushi.html 2023/1/28
『鶴来町史 完結編』、鶴来町史編纂委員会編、白山市、2011年
『私たちのデザイン3 空間にこめられた意思をたどる』、川添善行著、早川克美編、藝術学舎、2014年
『伝統を読みなおす3 風月、庭園、香りとはなにか』、野村朋弘編、藝術学舎、2014年

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