受け継がれる茶室「宝庵」―活用と保存の実践―

佐藤 麻里

はじめに

北鎌倉の禅寺、浄智寺[1]。その谷戸の奥に建つ茶室「宝庵(ほうあん)」は建築から90年近くが経過した現在も大切に維持管理され、レンタル茶室として稽古事やイベントなどで使用されている。
宝庵の成り立ちを追いながら、今後の展望について考察する。

1 基本データ

名 称:北鎌倉 宝庵(常安軒と夢窓庵)[図1,2,3]
住 所:神奈川県鎌倉市山ノ内1415
建築年:1934年
設 計:山口文象[2]
所有者:1934年~ 関口泰[3]
1973年~ 榛澤敏郎[4]
2017年~ 浄智寺 管理運営は鎌倉古民家バンク
2018年より、茶道や着付けなどの教室ほか、和菓子作り体験、外国人観光客の茶道体験、庭師による庭づくり講座、CM撮影、作家の個展など様々な用途で使用されている。

2 歴史的背景

2-1 茶室の誕生
1923年に発生した関東大震災で、浄智寺でもほとんどの建物が倒壊した。このため、谷戸の奥まで続く寺の土地の一部を宅地として開放し、再建の財源とすることとなった[5]。最初の住民として1930年に移り住んだのがジャーナリストの関口泰氏である。続いて義弟の画家、旭谷左右氏[6]も同じ敷地内に居を構えた。京都に生まれ茶人でもあった旭谷氏も加わり茶室や庭づくりが進められた[7]。
設計は親交のあった建築家の山口文象氏が担当。ベルリンで建築家グロピウスの元で働いた経験を持つ山口氏はモダニズム建築の名手として知られるが、大工の棟梁を父に持ち、茶室の研究も行っていた経験から「全く感覚的にできた」[8]という。施主の好みと建築家のアイデアが融合した2棟の茶室が浄智寺谷戸に完成した[図4]。

2-2 復元修復
1956年の関口氏の没後、取り壊し寸前まで荒廃した茶室を、地元の建築家、榛澤敏郎氏が取得し、1972年頃に修復を行った。榛澤氏は周辺の住宅や店舗の設計も多く手掛けている[9,図5]。北鎌倉駅近くの自宅から宝庵まで徒歩で通いながら修復を続け、完成後は仕事場としても使用した。
修復にあたり京都から職人を呼び、解体後に「天井板は洗って張り直し、壁も元通り京壁で仕上げる」[10]など、本格的な作業で忠実に再現し新築当時の姿をよみがえらせた。傷んだ部材は同じものを探して交換し、敷地の分割で移築されていた2棟の場所も元の配置に戻された。
1976年に建築から40年ぶりに訪れた山口文象氏も、「こんなに丁寧な保存を受けることは、いまどき珍しい」[11]と述べている。
榛澤氏の大規模修復のおかげで、現在でも使用可能な状態が維持できている。

2-3 一般への開放
2017年に榛澤氏より土地が浄智寺に返還され、建物も譲渡された。茶室を実際に活用しながら残したいと考えた住職は、古民家の管理経験が豊富な鎌倉古民家バンクに相談を持ち掛けた。代表の島津克代子氏もこれに賛同し、ボランティアによる整備を経て2018年からレンタル茶室としての運用を開始した。金宝山浄智寺から1字を取った「宝庵」という名称は、この時付けられたものである。
今では20日以上利用される月もあり、日々の風景が発信されるFacebookのフォロワー数も2000人[12]を超える注目の施設となっている。

3 評価

3-1 茶室
宝庵の一番のみどころは、モダニズム建築家である山口文象氏の希少な和風建築である2棟の茶室そのものといってよいだろう。
常安軒は八畳と四畳の2つの茶室と待合がひとつになった数寄屋建築である。無駄を省き、直線のつながりを意識させるシンプルで軽やかなモダニズムデザインが茶室に違和感なく取り入れられている。オリジナルデザインであるが、四畳の小間から見る上半分の明かり障子の景色[図3⑦]は、大徳寺孤篷庵の茶室忘筌の写しとされている。屋根瓦のサイズも建物全体のプロポーションから割り出して特注するなど、細かなこだわりがみられる。
夢窓庵は、高台寺遺芳庵の反転写しで、吉野窓と呼ばれる円い障子窓と洞庫[13]のある一畳台目の小間を持つ草庵である。2019年に茅葺屋根の葺き替えが行われ、美しい姿を取り戻した。

3-2 周囲の環境
隠者の草庵を思わせるような、自然豊かで静かな周囲の環境も特筆すべきものである。
谷戸の奥は観光客の姿もまばらで、鳥や虫、カエルの声が響き、手つかずの自然を今でも感じることができる。関口氏が移住を決意したのも、この環境に魅力を感じてのことであった。特に鎌倉の谷戸特有の景観ともいえる切岸については「何人かの高僧が面壁したであらう何百年の歴史を語つてゐる」と書いている[14]。
また、浄智寺の名水「甘露の井」が水屋の蛇口までひかれ、お茶を点てる際にも使用されている。
お客様をもてなす茶室の環境として理想的と言えるのではないだろうか。

3-3 思いを受け継ぐ人々
昭和初期の茶室が、本来の用途をきちんと残しながら現在まで引き継がれ、沢山の人々に活用されている点も注目に値する。大学教授による歴史や建築の講座[15]も満席となる盛況ぶりで、ストーリーも共有されていることが、大切に受け継ごうという意識の土台になっていると思われる。
本来は私的な空間である茶室を大勢で共同使用するという運用形態は、一見矛盾があるように思われる。しかし、ほぼ1日1組の使用でプライベート性を確保しつつ、次項で述べる会員制度による共同管理で個人の負担を軽減し、活用と保存を両立しているのである。

4 比較

鎌倉市の旧村上邸 – 鎌倉みらいラボ –[16]も、宝庵と同時期の木造建築である。2016年に所有者の逝去にともない土地と建物が鎌倉市に遺贈された。保存活用事業者に株式会社エンジョイワークスが選定され、子会社の株式会社グッドネイバーズがSDGsの実践をテーマに運営を行い2019年より企業研修や地域活動に使用されている。宝庵同様、一般に開放し活用しながら保存するという方針である。敷地内にある茶室柏庵は近くの住友家から1960年に移築されたもので、茶道の稽古や茶会に使用されている。
ここをはじめ、レンタル茶室は申込をした時間のみの使用が一般的であるが、宝庵では利用者自らが運営にかかわる点が大きく異なる。教室など年間使用の場合は、規約に同意した上で鎌倉古民家バンクと会員契約を結ぶ。庭の手入れなどにも参加を要請されるが、それが環境維持への意識につながっている[図6]。そこでは会員のコミュニティが形成され、情報交換の場にもなっている。使用時は清掃から鍵の開け閉めまで一任されるため、当事者意識も高まり、イベントのアイデアや改善提案も積極的に出されている。歴史ある本格的な茶室を存分に使用できることがモチベーションになり、環境維持につながる好循環が生まれている[17]。

5 今後の展望

現在の所有者である浄智寺は、宝庵を「浄智寺が巡ってきた歴史の一部」と評価し、寺の本堂や書院などと共に「本質的価値と密接に関わる要素」として分類している[18]。
かつて関口氏が寺の再建に貢献したように、宝庵のイベントに浄智寺とのつながりを盛り込むことで、その評価にさらに応えていくことができるだろう。他にも、茶室に潜むモダニズムデザインや、関口氏や榛澤氏が地域で育んだ文化的な影響に着目した企画を考案すれば、この一帯の昔と今を繋ぐ拠点となる可能性も期待できる。
一方で、管理作業は分担されているものの、代表の島津氏が一人ですべてに目配りしているのが現状のため、将来的にはキーマン不在でも活動ができる形態へ発展できると良いと思われる[19]。
来客数の増加が見込まれることから、近隣への配慮もこれまで以上に求められるだろう。

6 まとめ

関口氏自らも戦時中に放置した茶室の荒廃ぶりを嘆いたように[20]、人の手が入らなければ値打ちのある茶室も短期間で荒れ果て、庭は草木で覆われてしまう。朽ちかけてもその都度手厚く復元されてきた宝庵は非常に恵まれていたといえる。維持に必要な費用も人材も不足する中、現在の運営方法は、資金のある限られた人だけに許されていた、茶室を持つという体験をもシェアすることができる魅力ある維持管理のスタイルといえるだろう。宝庵を深く知る人々の関わりを絶やさずに、その歴史とともに末永く継承してほしい。

  • 81191_011_32183024_1_1_1%e5%85%a8%e4%bd%93%e5%9b%b3 図1 谷戸の奥にひっそりと佇む宝庵(常安軒)[2021年3月2日 筆者撮影]
  • 81191_011_32183024_1_2_%e5%b8%b8%e5%ae%89%e8%bb%92%e3%81%a8%e5%a4%a2%e7%aa%93%e5%ba%b5 図2 左:常安軒 右:夢窓庵
    [2022年11月13日 筆者撮影(室内 左:2023年1月22日 右:2022年10月18日)]
  • 81191_011_32183024_1_3_3%e5%9b%b3%e9%9d%a2%e3%81%a8%e5%86%99%e7%9c%9f 図3 宝庵全体図(宝庵HP掲載の平面図を用いて筆者作成)
    [写真はすべて筆者撮影 2022年11月13日(⑦のみ2023年1月22日)]
  • 81191_011_32183024_1_4_4%e7%a9%ba%e3%81%8b%e3%82%89%e8%a6%8b%e3%81%9f%e5%9b%b3 図4 浄智寺谷戸と宝庵の俯瞰図
    上:「相州北鎌倉金寶山浄智寺山之内全図」(1941年2月 関口泰作成)『史跡浄智寺境内保存活用計画書』p47掲載 に筆者加筆
    下:Google Earth の画像(2023年1月27日)に筆者加筆
  • 81191_011_32183024_1_5_%e6%a6%9b%e6%be%a4%e4%bd%9c%e5%93%81_4%e6%9e%9a 図5 北鎌倉で見られる榛澤敏郎の建築
    左上:ギャラリーえにし 左下:レストラン「タケル クインディチ」
    中:喫茶店「喫茶 吉野」 右上:喫茶店「門」
    [写真はすべて筆者撮影 2023年1月6日]
  • 81191_011_32183024_1_6_6%e3%81%8a%e6%8e%83%e9%99%a4%e4%bc%9a 図6 会員による管理作業の様子 [宝庵Facebookより]

参考文献

《註》

[1] 鎌倉五山第四位 臨済宗円覚寺派金宝山浄智寺。創建は鎌倉時代の1281年頃。執権北条時頼の三男、北条宗政の菩提を弔うために建てられた。宋からの渡来僧も多く、室町時代にかけて塔頭など多くの施設が建ち並び隆盛を極めた。

[2] 山口文象(やまぐちぶんぞう):1902-1978。日本を代表するモダニズムの建築家。1942年まで蚊象の字を使用。逓信省営繕課の製図工として働くかたわら分離派建築会に参加し、創宇社建築会を結成。その後、内務省復興局や日本電力の嘱託技師となり黒部川第二発電所・小屋平ダムなどを設計した。1931年にベルリンでグロピウスのアトリエに在籍し、帰国後の1934年に山口蚊象建築設計事務所を設立、日本歯科医学専門学校附属医院が最先端のモダニズム建築として注目される。戦後は共同設計組織、RIA建築綜合研究所を設立し、住宅のほか、工場、大学、演劇ホールなど多数の建築に携わった。

[3] 関口泰(せきぐちたい):1889-1956。朝日新聞社で論説委員や政治部長を務め、1950年には横浜市立大学の初代学長となる。政治や教育の評論家として多くの著作を残す。短歌や俳句を詠み、多くの文化人と交際する中で、建築運動を推進する山口文象とも交流を持った。

[4] 榛澤敏郎(はんざわとしお):1930-2020。戸田組設計部を経て榛澤敏郎設計事務所を設立。住宅や店舗に加えて能舞台の設計も行う。鎌倉能舞台や東京都品川区の喜多能楽堂、山梨県小淵沢の身曾岐神社の能舞台を手掛けた。

[5] 「北鎌倉の復興に尽力した実業家、中島眞雄の力添えにより、境内の一部を宅地として開放し、中島の友人知己を招いて住まわせ、これにより伽藍再建の計画とした。」 『史跡浄智寺境内保存活用計画書』p36
その結果、庫裡が1931年に、仏殿が1932年に竣工し、現在の浄智寺の基礎が整えられた。

[6] 旭谷左右(あさひたにさう):1893-1938。洋画家で関口氏の妹卯多の夫。1935年頃アサヒグラフの企画「茶室の古典美」で各地の茶室の内部を俯瞰図法で描き好評を得る。現地調査には関口氏も同行した。調査内容は1949年に『茶室』として出版された。戦争で失われた茶室もあり、貴重な資料となっている。

[7] 『山湖随筆』より 「旭谷左右畫歴」p144

[8、10、11] 山口文象「北鎌倉の茶室」、『住宅建築』第28号、1977年8月、p16-17

[9] 「榛澤敏郎は、口には語らないが現実に北鎌倉駅前の建物のほとんど全部を順々に手がけて建てた。」
黒沢隆「鎌倉の家・その他」、『住宅建築』第119号、1985年2月、p64

[12] 2023年1月26日現在

[13] 点前の道具を入れておく引き戸式の小さな棚。座ったままここから道具の出し入れができる。
夢窓庵のものは一段目の底がすのこ状で、建水代わりに直接水を流せる「水屋洞庫」である。

[14] 『山湖随筆』より 「吉野窓由來」p137

[15] 宝庵イベントとして以下の講座が開催された。
2021年6月27日「宝庵建築講座」東海大学 小沢朝江教授
2022年11月13日「名茶室を読み解く」東京都市大学 岡山理香教授

[16] 旧村上邸-鎌倉みらいラボ- 神奈川県鎌倉市西御門2-8-22
1939年以前の建築。1999年には鎌倉市景観重要建築物等に指定されている。1902年に土地売買の記録があり、茅葺の建物の写真が残されている。これが建て替えられて主屋となったと考えられている。1941年に村上忠助・梅子夫妻の所有となった後、能舞台が増築された。現在は能の稽古だけでなく、研修発表の会場や演劇ホールとしても活用されている。再生にあたり市民参加の活用企画会議やクラウドファンディングによる資金調達も行われた。

[17] 芸術教養演習2レポートより

[18] 『史跡浄智寺境内保存活用計画書』p89

[19] 芸術教養演習2レポートより

[20] 「戦争中から戦後にかけた年月、すべき手入れをしなかった祟りで茶室は雨漏りのため半壊状態といってよく(中略)なるほど茶室茶庭の保存ということは、一日一日をゆるがせにしていられない、ひと通りのことではないことがよくわかった」 『茶室』より 「茶室」によせて


《参考文献》
関口泰著『山湖随筆』那珂書店、1941年
江守奈比古、旭谷左右著『茶室』朝日新聞社、1949年
『住宅建築』建築資料研究社
 ―第28号(1977年8月)
 ―第119号(1985年2月)
『現代和風建築集〈4〉現代の精華Ⅰ』講談社、1984年
中村昌生著『茶室の見方』主婦の友社、1984年
伊達美徳著『新編 山口文象 人と作品』南風舎、2003年
黒田智子編『近代日本の作家たち 建築をめぐる空間表現』学芸出版社、2006年
川添善行著、早川克美編『私たちのデザイン3 空間にこめられた意思をたどる』藝術学舎、2014年
『史跡浄智寺境内保存活用計画書』浄智寺、2022年
佐藤麻里(著者)作成 芸術教養演習2レポート コミュニティで支える古い茶室―北鎌倉「宝庵」 2022年秋期履修


《参考Webページ》
北鎌倉「宝庵」HP(2023年11月23日閲覧)https://www.houan1934.com/
北鎌倉「宝庵」Facebook(2023年1月23日閲覧)https://ja-jp.facebook.com/kitakamakurahouan/
浄智寺HP(2023年11月18日閲覧)https://jochiji.com/
旧村上邸–鎌倉みらいラボ– HP(2023年1月20日閲覧)https://kamakura-mirai-lab.com/
鎌倉古民家バンクFacebook (2023年1月20日閲覧)https://www.facebook.com/kamakurakominka/
建築家山口文象+初期RIAアーカイブ(2023年11月18日閲覧)
・1934北鎌倉の茶席:宝庵(旧関口邸茶席)https://bunzo-ria.blogspot.com/p/1934houan.html
・宝庵由来記https://bunzo-ria.blogspot.com/p/houan1.html
伊達の眼鏡 No.1326 2018/03/26(2023年11月18日閲覧)
2018年4月に開く茶席「北鎌倉 宝庵」は山口文象作品では「黒部川第2発電所」と並ぶ幸せ建築だ
https://datey.blogspot.com/2018/03/1326.html?m=1

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