じゃんがら念仏踊り ~伝え·継ぐ「命」の音~
はじめに
『じゃんがら念仏踊り(以後·じゃんがら)とは』
福島県いわき市に伝わる郷土芸能であり、いわきの夏の風物詩である。
市の無形民俗文化財にも指定され、市民からは「じゃんがら」と呼ばれている。
「じゃんがら」という言葉を全国の人々が耳にし、記憶に新しいのではないか、と思われるのは2020年10月30日いわき湯本温泉で行われた第34期竜王戦。
第1日目に藤井聡太棋士(当時三冠)がおやつに食べた銘菓じゃんがら〔資1〕のニュースではないだろうか。
しかし、2016年「じゃんがら念仏踊り」は世界へ(註1)、映画へと(註2)アピールする場を与えらたにも関わらず福島県内でも知る人は多くない。
いわき市民には当たり前のことを続けていく難しさを考察する。
1.基本データ
「じゃんがら」は毎年8月13、14、15日の3日間、新盆を迎えた家々を太鼓と鉦を打ち鳴らしながら回り供養する踊り念仏の一種である。
市内には現在、青年会、保存会、愛好者団体、子供会、学校のクラブ活動などを含め120団体が活動している。主に男性中心となっているが、女性のみの団体も1つ存在する。
毎年7月頃になると各地域から練習している音が聞こえる。
最近では近所迷惑にならないよう、午後9時までにするなど気遣いも怠らない。
じゃんがらの構成は以下の通りである。
提灯 1名
太鼓 3名から5名
鉦 8名から13名
人数は団体により異なるが、最低でも10名は必要である〔資2〕。
太鼓や鉦のリズムや歌詞も各地域ごとに違いが見られる。歌詞にはその土地にあった内容が入っている。また共通の歌詞があり、太鼓の振り付けは各地域ほぼ同じである。
内郷地区では
“いわき内郷で見せたいものは 回転櫓(註3)とじゃんがらおどり”
共通する歌詞として
“盆でば米のめし おつけでばなす汁 十六ささげのよごしはどうだい”がある。
この他に内郷地区には6曲ほど書面に残されているが、譜面は存在しない。太鼓の強弱や鉦のリズム、踊りの振り付けは耳と体で覚えなければならない。
2.歴史的背景
じゃんがらの起源は諸説あり(註4)江戸時代まで遡る。
しかし、明治6年(1874年)1月、新政府は西洋文化の移入で国家を建設していこうとしており、『じゃんがら念仏踊り』は好ましくないしきたりという理由から禁止令が出された。その後、明治28年(1896年)再び踊り始めるようになった。
3.評価
いわき市民にとって「じゃんがら」とは新盆を迎える年には必ず来るもの、と認識している。
子供の頃から見慣れた光景であるため、盆棚(精霊棚)を作り、じゃんがら団体へ予約を入れる等、ほとんど迷うことなく準備を進め、お盆を迎えることが出来てしまう、当たり前の事である。
4.同様の事例として
静岡県浜松市の無形民俗文化財『遠州大念仏(註5)』も「じゃんがら」と同じ様に新盆を迎えた家の庭先において、供養として大念仏を演じる。
必ずその家の手前で隊列を組み、頭先(かしらさき)の提灯を先頭に進む様はじゃんがらと同じである。しかし、人数は倍近く多い。また、毎年7月15日犀ヶ崖において、三方ヶ原合戦による戦死者の供養も行われている。
5-1.問題解決にむけて今後の展望
「じゃんがら」は後継者不足に直面している。少子高齢化や地域活動への不参加なども一因であるが、職業内容による就業体制(3交代勤務、週休二日制だが土日休みではないなど)による背景もある。
市内じゃんがら団体の一つ、下綴(しもつづら)青年会も後継者問題を抱えている。
現在、下綴地区居住の青年会会員は3名のみである。「じゃんがら」を続けるため、青年会OBや友人、知人などに協力を呼びかけて活動して来た。
青年会OB、荒井丈は相談役として、出田(いでた)一は太鼓の担い手を現役続行、また後継者育成をしている。
荒井は会社員のため週末が休み、出田は畳職人のため時間調整が出来ることを強みとし、下綴地区のみならず、内郷全体で積極的に活動している。
次に活動資金の問題もある。
青年会先輩OBからの要望により金額は明記できないが、町内会からの助成金だけでは、じゃんがらを行うた
めの道具〔資3〕のメンテナンス料には足りなかった。
平成27年、当時「じゃんがら」の研究をしていた内郷公民館館長、夏井芳徳(現·医療創生大学客員教授)から生涯学習事業の一つ、内郷ジュニア体験教室「じゃんがら体験教室」の講師依頼を受ける。
教室となる場所、子供達への保険等も全て揃っており、講師料が支給されるとのこと、断る理由はなかった。もちろん講師料は活動資金へ当てることができた。
手探りで始めた「じゃんがら体験教室」だったが、他地区で先に子供達に教えていた代表者に教えを乞い、情報交換や交流のなかった他団体との連絡も取りやすくなった。また、興味を持つ子供達も増え、「じゃんがら体験教室」は今年で7年目を迎えようとしている。
子供の頃から日常的に「じゃんがら」に親しんでもらうこと、これが何よりの近道であり、「種まき」になると二人は考えている。また、若手の担い手も講師として参加することで、次期講師として同時に育成して行く〔資4-1〕。
教室は小学1年生から中学3年生まで、男女問わず15名としている。
全8回、第3土曜日に開催(6·7·9·10·11·12·1·2月)している。また、2月には「おさらい会」として1年間の成果を保護者の前で披露する。
太鼓や鉦は青年会のものを使用する。本物に触れることで道具を大切にする心を養う。また、指導方法も大人同様で、歌詞は表示するが、歌の抑揚、太鼓や鉦のリズム、踊りは耳と体で覚える〔資4-2〕。低学年の子供は集中力が続かない、道具を持ち続ける体力がない、自力で公民館まで通えないなど問題点もある。しかし、楽しみながら体験している姿がある。生徒の中には中学生になっても続け、下綴青年会の「じゃんがら」に入り一緒に新盆の家々を回るまでに成長した子供もいる。
次に、いわき市立御厩(みまや)小学校では「みまや土曜日たいけん隊」として、土曜日学習に「じゃんがら」を体験させている。
また、いわき市立宮小学校では「じゃんがらの勉強部屋」として5年生の授業に取り込み、学習発表会で披露している。この取り組みは校長先生が転任し代わっても続いている。
どちらの取り組みにも荒井と出田の二人は指導にあたっている。
5-2.「じゃんがら体験教室」の生徒である佐々木愛菜(当時、小学5年生)は2019年、亡き祖母の新盆に自ら「じゃんがら」の太鼓を叩きたい、と申し出た。まだ習い始めてから1年にも満たないため、難しい状況である。しかし、彼女には「じゃんがら」の意味を理解し、練習して来た成果を祖母にどうしても見て欲しい、という強い決意があった。下綴青年会は彼女の思いを汲み、少し短めにアレンジ。夜間特訓も行い、彼女の友人2人と青年会のサポートを受けながら、8月13日、家族やご近所の方々が見守る中、祖母へ供養の太鼓を叩き踊った〔資5〕。
現在、中学2年生になり部活動などで必ずしも毎回教室へ通うことはできないが、「じゃんがら」は続けていきたいという。
「じゃんがら体験教室」に通い習うことは「伝統を繋いでいる感じがする」、祖母の新盆で太鼓を叩いた事には「少し恥ずかしかったけど、頑張ってよかった」と話す。
荒井は教室の終わりに子供達へ毎回伝えている言葉がある。
「じゃんがらは、この土地に伝わる伝統芸能です。友達や家族、みんなに伝えて下さい。そして大人になったら、じゃんがらをやって下さい」と。
少しずつではあるが、その活動の成果が現れてきた。
6.まとめ
『じゃんがら念仏踊り』は礼に始まり礼に終わる。
亡き家族への感謝と供養の気持ちを表したものである。
今、ここに自分が存在するのは先祖から繋いできた「命」があるからである。
いわきの子供達に「じゃんがら」の意味を伝える事、伝統を守ることは、「命」を大切にするという教えであると考える。
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〔資料1〕
いわき市のお菓子メーカー「みよし」の『じゃんがら』
箱は「じゃんがら」で使用する太鼓をイメージしたものである。
(筆者撮影 2021·8) -
〔資料2〕
下綴青年会のじゃんがら念仏踊りの正装。
本来は輪になり踊る。
(写真提供·下綴青年会) -
〔資料3〕
じゃんがら念仏踊りに使用する道具一式。
(写真提供·下綴青年会) -
〔資料4-1〕
若手担い手(左)、ベテラン出田(右)
次期講師として育成中。
(筆者撮影·2021·11·13) -
〔資料4-2〕
大人と同じ方法で子供達に指導する荒井。
(筆者撮影·2021·11·13) -
〔資料5〕
下綴青年会、友人のサポートを受け、祖母の供養にじゃんがら念仏踊りを披露した。
(写真提供·下綴青年会)
参考文献
【註釈一覧】
[1]2016年8月、リオデジャネイロオリンピック開催。
東京都と東京都歴史文化財団が、東日本大震災からの復興のアピールと各国からの支援に感謝の意を伝えるために企画。
同年2月、いわき市文化財保護審議会委員の田仲桂に依頼が来る。
8団体から19人の連合チームを結成し、“彩り”と“志”の意味を込め「彩志会」としてリオデジャネイロ市の特設ブース「ジャパンハウス」にて『じゃんがら念仏踊り』を披露した。
[2]2016年9月10日公開、松竹、主演 佐々木蔵之介、『超高速!参勤交代リターンズ』のラストシーンにおいて『じゃんがら念仏踊り』を披露した。
[3]「いわき回転櫓」
日本で唯一の回転する櫓である。
1952年から続く、内郷地区の伝統行事である。
炭礦事故で亡くなった人々を慰霊するために始まり、当時は人力で櫓を回していたが、1959年からは電動になった。毎年8月13日から15日まで内郷駅前広場にて開催。
[4]じゃんがら念仏踊りの歴史
①江戸時代前期、浄土宗の高僧であった祐天上人(いわき市四倉町出身)が村人達の慰安と念仏の普及を兼ね、南無阿弥陀仏を歌に合わせて踊り唱えさせた。
②茨城県の僧侶、泡斎が寺院修復のために花笠を被り、太鼓を肩にかけ鉦を手に念仏を唱えながら踊った「泡斎念仏」に、いわきの民謡が合わさった。
③市内各地にあった月念仏講の一種などがある。
[5]『遠州大念仏』
静岡県浜松市の無形文化財。
統率責任者の頭先の提灯、笛、太鼓、鉦、歌い手、その他の役を含めると30名を超す団体となる。
現在は約70組が遠州大念仏保存会に所属し活動している。
【参考文献】
いわき市史 第7巻 民俗 (p438)1972年
福島県史 第23巻 民俗1 (p870)1964年
いわきのじゃんがら念仏調査報告書、1989年
磐城誌料 歳時民俗話、2003年
いわき市教育委員会編『市の文化財』、2003年
夏井芳徳著『ぢゃんがらの国』、歴史春秋出版株式会社、2012年
犀ヶ崖資料館、浜松市ホームページ、(2022·1·20最終閲覧)
city.hamamatsu.shizuoka.jp
【取材協力·取材日】
<直接取材>
荒井丈 下綴青年会 相談役
出田一 下綴青年会 OB
田仲桂 いわき市文化保護審議会委員
(2021·7·12)
内郷まちづくり協議会(2021·11·10)
「じゃんがら体験教室」 内郷公民館レク室(2021·11·13)
<メールによる取材>
荒井丈 (2021·7/17·24·27·8/4·8·9/1·10/26
2022·1/10)
佐々木愛菜
‹いわき市立内郷第一中学校2年›
(2022·1/22)
【写真提供協力】
下綴青年会