墨田区初の景観形成重点地区 〜亀沢地区・時代に即したまちづくり〜
1. はじめに
東京都墨田区では2017年の6月に亀沢地区を墨田区初の景観形成重点地区として指定した。墨田区で唯一の景観形成重点地区であり、葛飾北斎など江戸時代・明治時代の文化人を育んだ地として、まちづくりを行っている。成立までの過程を調査すると、観光客を招き入れる景観まちづくりではなく、住民が亀沢地区の課題を「自分ごと」として捉え、亀沢地区の在り方を考えてまちづくりを行っている点を評価、報告する。
2. 亀沢景観形成重点地区の概要
2-1. 基本データ
「亀沢景観形成重点地区」は、墨田区による計画で2017年の6月に指定した。墨田区の南側に位置しており、JR総武線の錦糸町駅と両国駅の線路沿いの範囲である(1)。亀沢地区のまちの成り立ちと景観特性として、「江戸時代のまちの骨格を現在に受け継いでいる地区」として割下水を中心にまちの骨格がつくられていること、「歴史的・文化的な人物を育んだ地区」として葛飾北斎や三遊亭円朝など著名な文化人が住んでいたまちであること、「ものづくりのまちとして成長してきた地区」として明治以降にメリヤスや鉄鋼のものづくりのまちとして成長してきたことを上げている(2)。さらに亀沢地区の特性を活かして、3つの目標を掲げて基本理念としており(3)、「北斎通り」を起点に5つのエリアに分け、各エリアの特徴を活かした景観計画を推進している。それぞれのエリアごとに現実的に取り組み可能な計画を定めている。
2-2. 歴史的背景
2016年11月22日に「すみだ北斎美術館」(4)が開館したことにより、周辺にある「江戸東京博物館」、「国技館」、「旧安田庭園」などと併せて亀沢地区一帯が、日本文化や江戸文化の情報を、発信する地域として注目を集めているため、亀沢景観形成重点地区が指定された。景観計画にはそのように書かれているが、2005年から「北斎通りまちづくりの会」が発足されており、指定される以前から地域の自主的なまちづくり活動を行ってきた(5)。まちづくりの転換期となった2015年の「亀沢2丁目の簡易宿所の計画」では、反対運動で300名もの住民の意見書が集まり(6)、簡易宿所の事業者と墨田区長、保健所に提出したという。その結果、事業者は計画を取り下げ、倉庫に用途を変更した。この問題により亀沢の地区計画では簡易宿所を計画することができないように変更した。そして、住民のまちづくりへの関心の高さが墨田区に認められ、景観形成重点地区の指定を受けたのである。簡易宿所ができることによる影響を住民が考え、亀沢地区の在るべき姿を提言し、それが認められたことが景観形成重点地区に繋がる大きな機会であったのである。
3. 時代に即したまちづくりとして
3−1. 評価対象
亀沢景観形成重点地区は2017年の6月に指定された新しい景観計画である。他地域の景観形成重点地区にあるような歴史的建造物は亀沢地区に存在しない。葛飾北斎などの文化人が生まれ育ったまちという部分も大きいが、住民のまちづくりへの関心の高さから景観形成重点地区に指定されたというのは珍しい事例である。再開発やシンボルを作るまちづくりではなく、地域の「生活景」を拠り所に、住民が自分のまちに関心を持てるようにすることを重視している点が、他地域の景観形成重点地区には見られない、先進的な事例として上げることができる(7)。現代の高齢化社会、さらには将来の人口減少社会を見据え、自分たちのまちがどう在るべきなのかを考え、景観まちづくりから地域コミュニティを熟成させることを目標としている。古くからある建物はそのままに、新しい建物はまち全体として考えた場合に、相応しいものなのかと住民が考えていくのである。
3−2. 建物や新規住民への取り組み
北斎通りまちづくりの会では「亀沢地区建替え調整協議会」として亀沢地区の一定規模の建築工事に協議を行い、地域住民とマンションなどの建築事業者が話し合いを重ねている。2012年から現在まで、亀沢地区で45件の建築計画について協議を行っている(8)。ほとんどがマンションの新築計画であるのは、町工場の地方移転、海外進出で駐車場や空地が増加(9)しているためである。マンションの建築事業者と地域住民が話し合いを重ねることで、双方が寄り添って建物の在るべき姿を考え、まちづくりをすることに繋がる。細かな点であるが、駐車場を植え込みに計画変更したり、植え込みの中にベンチを設置するという生活景を重視する変更が見られた(10)。さらに亀沢地区では、こうしたマンションを含む住民への説明を丁寧に行ってきたことで、町会への参加が80%を超えている(11)。2015年に発表された「東京の自治のあり方研究会」が33区市長村を対象に調査した報告書(12)のように、年々自治会への参加が下落傾向にある中で、新規住民が亀沢地区のまちづくりに理解を示すことは、これまでの取り組みの成果であり、特筆できる点である。
3-3. 地域の価値を知るための取り組み
2006年から毎年秋に、町会と企業が中心となった「北斎祭り」を行っており、すみだ北斎美術館は江戸時代に存在した弘前藩津軽家の大名屋敷の跡地に建っている(13)ことから、ゆかりある地として弘前ねぷたを北斎通りで運行している。北斎祭りでは子ども向けにねぷた作りの体験や葛飾北斎の作品を切り絵で表現する体験など、亀沢と弘前の歴史的繋がりや葛飾北斎のねぷたへの影響など、住民が主体となり歴史や美術の繋がりを考え、子どもから大人までまちづくりに関心と興味を持ってもらうことが狙いである。このように区外の地域と連携したまちづくりも行っているのである。
3-4. 企業や店舗のまちづくりへの関心
亀沢地区に社屋を構えるYKK APや渡辺パイプなどの大企業、江戸遊などの店舗は建物の外観への理解(14)や、北斎祭りへの参加など積極的に協力をしている。さらに2014年に竣工したヨシダ印刷の社屋(15)、その2年後に竣工したすみだ北斎美術館は日本を代表する世界的な建築家である妹島和世が手掛けている。すみだ北斎美術館は外壁に淡い鏡面のアルミパネルを使用していることで、一見すると奇抜にも見えるが、周辺の下町の風景がやわらかく映り込むことで地域に溶け込むよう生活景を重視していることが分かる。布草履を売るMERIKOTIではすみだ北斎美術館の場所をよく聞かれることから、店舗入り口の引き戸に周辺のマップを貼りつけた(16)。これらの企業や店舗は特に理解のある例であるが、亀沢地区に社屋や店舗を構えていても、亀沢景観形成重点地区について知らなかった例も少なくなかった。興味深かった点として、インタビューで知らなかったと答えた企業や店舗などは、ビルの増改築が発生する段階で検討したいと前向きであったこと(17)や、自らが持つ地域の課題を示してくれた例もあった(18)。実際に亀沢のまちが変化していることが、知らなかった人たちへの意識にも変化を与えている可能性もあり、亀沢景観形成重点地区を広く知ってもらうことの大切さを知る機会であった。
4. これからの亀沢地区
住民は自分たちのまちに誇りを持ち、現代社会に沿ったまちづくりを行っている事例として、進化を遂げていくと考えることができる。これまでの取り組みを地区内外から正しく認知してもらうことは課題として上げられる。「葛飾北斎ゆかりの地」を切り口として、多くの人に亀沢景観形成重点地区の設立までの過程や、まちづくりの活動を知ってもらうことが、これからの亀沢地区に必要なことである。さらに東京オリンピックを控え、行政は亀沢地区を観光地として期待することが考えられるが、住民はそのような事態は望んでいないことが、これまでの調査から判断できる。周囲と住民の考え方のギャップは、主な課題として続くであろう。そして、人口減少社会を迎えたときに、これまでの活動が正しく評価されるのではないかと考えている。
参考文献
註釈
(1) 亀沢景観形成重点地区 別冊 墨田区景観計画(平成29年6月改定) 墨田区公式ウェブサイト https://www.city.sumida.lg.jp/kuseijoho/sumida_kihon/ku_kakusyukeikaku/keikan_plan.files/bessatu.pdf 2020年1月25日閲覧、3頁参照。
(2) 亀沢景観形成重点地区 別冊 墨田区景観計画(平成29年6月改定) 墨田区公式ウェブサイト https://www.city.sumida.lg.jp/kuseijoho/sumida_kihon/ku_kakusyukeikaku/keikan_plan.files/bessatu.pdf 2020年1月25日閲覧、1頁参照。
(3) 亀沢景観形成重点地区 別冊 墨田区景観計画(平成29年6月改定) 墨田区公式ウェブサイト https://www.city.sumida.lg.jp/kuseijoho/sumida_kihon/ku_kakusyukeikaku/keikan_plan.files/bessatu.pdf 2020年1月25日閲覧、2頁参照。
(4) 資料3-図1参照。
(5) 資料1、資料2参照。
(6) 住民は「住環境の悪化、治安衛生の悪化、近くに保育園がある、隣に児童公園があるなど」の反対意見を出した。北斎通りまちづくりの会 亀沢地区建替え調整協議会 岸成行氏へインタビュー、2020年1月25日メールにて
(7) 国土交通省発行「景観まちづくりの制度について」に記載されている事例と比較。http://www.mlit.go.jp/crd/townscape/gakushu/data1/demaekouza_all.pdf 2020年1月25日閲覧。
(8) 資料1-北斎通りまちづくりの会発行 亀沢地区建替え調整協議会の活動報告 ◆建替え調整協議済 建設計画 2019/03/31参照。
(9) 資料2-北斎通りまちづくりの会発行 まちづくり活動の内容と成果 ◆亀沢のまちとは参照。
(10) 資料1-北斎通りまちづくりの会発行 亀沢地区建替え調整協議会の活動報告 ◆建替え調整協議会の成果参照。
(11) 資料1-北斎通りまちづくりの会発行 亀沢地区建替え調整協議会の活動報告 ◆建替え調整協議会の成果参照。
(12) 東京の自治のあり方研究会 最終報告 https://www.metro.tokyo.lg.jp/INET/CHOUSA/2015/04/DATA/60p4u100.pdf 2020年1月25日閲覧、22頁参照。
(13) すみだ北斎美術館 - 建築 https://hokusai-museum.jp/modules/Page/pages/view/605 2020年1月25日閲覧。
(14) 資料3-図3、図4、図5参照。亀沢地区建替え調整協議会にて住民との協議を行う。
(15) 資料3-図2参照。亀沢地区建替え調整協議会にて住民との協議を行う。
(16) 資料3-図6参照。
(17) 株式会社タダノへインタビュー、2019年8月5日メールにて。
(18) オレンジトーキョー株式会社へインタビュー、2019年8月9日メールにて。
参考文献
北斎通りまちづくりの会 亀沢地区建替え調整協議会 岸成行氏へインタビュー 2019年8月6日、2019年8月19日、2020年1月16日、2020年1月24日、2020年1月25日メールにて。
亀沢景観形成重点地区 別冊 墨田区景観計画(平成29年6月改定) 墨田区公式ウェブサイト https://www.city.sumida.lg.jp/kuseijoho/sumida_kihon/ku_kakusyukeikaku/keikan_plan.files/bessatu.pdf 2020年1月25日閲覧。
景観まちづくりの制度について - 国土交通省 http://www.mlit.go.jp/crd/townscape/gakushu/data1/demaekouza_all.pdf 2020年1月25日閲覧
北斎祭り 2019 ー 亀沢・北斎ネット - 北斎通りまちづくりの会公式サイト https://www.hokusai-dori.com/1190/ 2020年1月25日閲覧。
北斎祭り 2018 ー 亀沢・北斎ネット - 北斎通りまちづくりの会公式サイト https://www.hokusai-dori.com/967/ 2020年1月25日閲覧。
すみだ北斎美術館 https://hokusai-museum.jp/ 2020年1月25日閲覧
東京の自治のあり方研究会 最終報告 https://www.metro.tokyo.lg.jp/INET/CHOUSA/2015/04/DATA/60p4u100.pdf 2020年1月25日閲覧。