自然へ還りつつある島『猿島』(神奈川県横須賀市猿島 文化資産評価報告書)
はじめに
「猿島」とは神奈川県横須賀市に所在する東京湾最大の自然島である。
かつて旧陸・海軍の要塞と使用され、一般人の立ち入りが制限されていた。そのため豊富な自然や歴史遺産が多く残されている。
現在では夏場はバーベキューや釣り、海水浴などのレジャーが出来るリゾート地となっている。(写真1)
猿島航路発着所の三笠桟橋まで京急線横須賀中央駅から徒歩約15分、そこから猿島行きの船に乗船し約10分で到着する。都心から約1時間という事でも非常にアクセスしやすい場所でもある。
レジャーや観光も魅力的だが、今回報告する「文化資産評価報告書」では、猿島の歴史遺産にスポットをあて砲台跡やレンガ造りのトンネル、時間の経過と共に自然と交わった建造物の魅力について考察する。
1、基本データ
猿島・猿島公園
所在地 神奈川県横須賀市猿島
面積 約0.055km2(東京ドームの約1.2倍)
周囲 約1.6km
標高 最高39.3m
分類 都市公園(歴史公園)
運営者 横須賀市(島の大半を猿島公園として、横須賀市が整備している。)
構造 歴史遺産、自然を身近に感じられレジャーも楽しめる無人島
規模 2017年の入島者は約18万人
2、歴史的背景
自然豊かな猿島は縄文、弥生の遺跡や江戸、明治、昭和の要塞島としての歴史的な建造物が残っている。
猿島は幕末から第二次世界大戦前にかけて、東京湾の首都防衛拠点となっていた。
幕末の1847年に江戸幕府により国内初の台場(砲台)として築造され、明治時代中期に入ると、東京湾の防御のための猿島が要塞として整備された。
その後第二次世界大戦により再び防衛施設となった猿島に鉄筋コンクリート制の円形の砲座が5座造られ高射砲は終戦とともに進駐軍に解体撤去されたが砲台跡はこの時代のまま残っている。
明治14年から昭和20年までの64年間、民間人の立ち入りが許されなかった旧日本軍の要塞島となっていた。第二次世界大戦後は昭和36年までは、横須賀軍港を使用していたアメリカ合衆国に接収されていたが、昭和22年に渡船の運航が開始され、昭和32年から平成5年までは海水浴場が開かれていた。その後、海水浴場は閉鎖となり航路も廃止されて、平成7年までは再び立ち入り禁止となっていた。
平成7年に横須賀市が大蔵省から管理を受託し、その後散策路等を整備し航路を復活させた。平成8年からは海水浴場も再開された。更に平成15年には横須賀市が国から猿島の無償譲与を受け、「猿島公園」として整備され現在に至っている。
3、歴史的建造物
猿島で積極的に評価したい点は歴史的建造物である。猿島には切通し(要塞跡)と呼ばれるエリアがある。(写真2)そこには当時実際に使用されていた兵舎や弾薬庫がそのまま残り身近に現在も確認できるのである。
かつて旧陸、海軍の要塞として使用され一般人の立ち入りが制限されていたこともあり豊富な自然や貴重な歴史遺産の砲台跡やレンガ造りの旧要塞施設は平成27年に近代軍事施設として初めて「国史跡」に指定された。
猿島の要塞、東京湾口の守りを固める事を目的として明治時代中期に明治政府が建造した。岸壁を掘込んで造られているため施設が島の外からは見えない構造になっている。
切通しの東側には兵舎と弾薬庫が交互に並んでおり、弾薬庫の入口はアーチ状のフランス積みのレンガで構造物が造られている。弾薬庫の構造では小窓が無く、火を持ち込めないため隣に細い通路があり窓越しに蝋燭で明かりを内部へ照らす様になっていた。また弾薬庫から少し歩く先に大きなトンネルがある。(写真3)トンネルは幅4メートル、全長約90メートルのフランス積みのレンガ構造物になっておりトンネル内の西壁には地下施設をもち、二階構造のトンネルになっている。地下施設の主な用途としては、猿島砲台全体の弾薬を貯蔵する弾薬庫としての利用されていた。トンネルを抜けると、現在では自然と人工構造物が交じり合い美しい景色が出迎える。その先をさらに抜けると砲台跡も確認することが出来る。
猿島の歴史的建造物をより詳しく知りたい方には猿島公園専門のガイドツアーがあり、このツアーでは歴史遺産の散策は勿論の事、入口にある旧発電所から島の端にある砲台跡まで約90分間島内を詳しく案内していただける。このツアーの見どころは普段は立ち入る事の出来ない兵舎や弾薬庫内部の見学が出来、弾薬庫内部にも歴史を感じられる光景が広がっているのを確認できる。
4、歴史的建造物の特筆すべき点
4.1 フランス積みのレンガ構造物
日本でのレンガによる建築は幕末の長崎に始まり、文明開化と共に全国に広がった。しかし現在では地震や老朽化によりほとんどが失われてしまっている。明治20年以前のレンガ造りの建築物は、日本建築学会の調査によると全国で22件のみと確認されている。猿島の要塞跡もその一つで、愛知県産の品質の高い赤レンガを用いて明治時代中期に建造された。レンガの積みかたは大くはフランス積みと明治20年ごろから主流となったイギリス積みに分けられる。フランス積とは、水平方向のひとつ段に小口と長手を交互にならべる積み方。イギリス積は長手だけの段と小口だけの段を交互に積み上げる積み方(オランダ積とよくにている)になっている。(写真4-5)
猿島要塞はほとんどがフランス積によるものだが、フランス積とはフランドル地方(ベルギー西部~フランス北端にかけての北海沿岸)で発達した積み方で正式にはフランドル積という。(資料1)フランス積のレンガの建造物はもともと数が少なかったこともあり、全国で幕末の時代に長崎造船所 小菅ドック。明治初期に富岡製糸場。時期は不詳であるが現在の米国海軍 横須賀基地内倉庫と明治中期に建築された猿島要塞の4件が全国で確認されているのみであり国内建築史上とても貴重な建築物となっている。猿島要塞は、土木学会の近代土木遺産や、国土交通省関東地方整備局による東京湾100選にも選ばれており、この他古都保存財団による美しい日本の歴史的風土準100選としても選定されている。
4.2 時間も経過と共に自然と人工物が交わる建造物
もう一つ私が猿島について特筆されると思うのが、自然と人工物が交わる建造物である。猿島の建造物は軍事的防御施設として構築されており、その目的から岸壁を掘込んで造られ島外からは全く見えない構造となっている。当時は戦争のための設備だったが、現在では草や木の根に侵食されている光景が1986年公開のスタジオジブリ制作の長編アニメーション映画作品「天空の城ラピュタ」を連想させるとSNS上で話題になった。この映画でも時間の経過で人工物の城が自然に侵食されている場面が表れるのだが、猿島要塞にも似ている箇所が度々見られる。戦後一般人が立ち入る事の出来なかった時期から現在まで長い時間がそれ程経過しているわけではないが、草木の成長がこの短期間の内に人工物に対する自然の侵食が、非常に速いという事が確認できる。また猿島の建造物と共に珍しい植物や生物も探してみると、より時間の経過の素晴らしさと自然の豊かさがわかる。(写真6ー7)
5、今後の展望について
かつては旧陸・海軍の要塞と使用され一般人の立ち入りが制限されていた「猿島」だが、現在は釣り・バーベキュー・海水浴といったレジャーも楽しめる無人島となっている。但し、食料品の持ち込み、ごみの分別等について随所で自然破壊へ気を使っている事が目に付いた。猿島は、戦後一度渡航禁止となり平成8年から渡航が復活したが、その理由として建築物の老朽化による安全対策もあるが、弾薬庫内部の落書きも目にしたことから気軽に行ける観光スポットであるがための荒廃も渡航禁止の原因にあったのではないかと考える。現在は夜間渡航及び宿泊が禁止であったり、食料品の持ち込みやごみの分別等を見て自然及び歴史遺産としての価値を次の世代へ引き継ごうとしていることが実感でき且つ理解できた。
この考えと活動には私自身共感するものがあることから、自分自身のライフワークとして動向を注視し同時に観察を続けて行くつもりである。
- 「写真1」 猿島全体図 (2018年9月24日撮影 撮影者:筆者本人)
- 「写真2」 切通し (2018年9月24日撮影 撮影者:筆者本人)
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「写真3」 フランス積トンネル (2018年9月24日撮影 撮影者:筆者本人)
- 「写真4」 フランス積弾薬庫跡 (2018年9月24日撮影 撮影者:筆者本人)
- 「写真5」 イギリス積トイレ跡 (2018年9月24日撮影 撮影者:筆者本人)
- 「資料1」 レンガ積方・猿島配置図 (2018年9月24日撮影 撮影者:筆者本人)
- 「写真6」トンネル出口周辺1 (2018年9月24日撮影 撮影者:筆者本人)
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「写真7」トンネル出口周辺2 (2018年9月24日撮影 撮影者:筆者本人)
参考文献
猿島公園|横須賀市
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/4130/sisetu/fc00000431.html
猿島公園専門ガイド協会公式ホームページ - 猿島公園専門ガイド協会
https://sarushima-guide.jimdo.com/
無人島・猿島 | 【TRYANGLE WEB】YOKOSUKA軍港めぐり / 無人島・猿島 / ヨコスカBBQ のトライアングル
https://www.tryangle-web.com/sarushima.html
猿島公園|観光スポット|横須賀市観光情報サイト「ここはヨコスカ」
http://www.cocoyoko.net/spot/sarushima.html
参考資料
無人島猿島 横須賀パンフレット 株式会社トライアングル