日本庭園の概念が集約された空間、大阪万博記念公園日本庭園
1.はじめに
日本庭園には、飛鳥時代以降の園池に始まり、寝殿造り、枯山水、坪庭、回遊式など、時代とともに様々な様式が存在する。
これら様式は、どれも日本庭園であり、『日本庭園ー空間の美の歴史』の著者小野健吉氏は、この概念を日本風土で起こった各時代の社会や文化のなかで産み出され、育まれた各種様式を含むものとして、「理解を深めるにはその歴史を知ることが不可欠だ」と述べている。(註1)
大阪府吹田市にある万博記念公園は、1970年にアジアで初めて開催された日本万国博覧会の会場跡地である。
この日本万国博覧会は、《太陽の塔》を中央に据えて「人類の進歩と調和」をテーマに開催された。この会場の北側には政府出展施設として、日本の伝統によって培われた「美」と日本人の心を国内外へ紹介することと、会期中に自然による憩いの場を提供することを目的とした、当時の最新造園技術を用いた日本庭園が造園された。(註2)
この庭園は、日本万国博覧会のテーマに、日本庭園の歴史を代表する各様式が、2つの水の流れとともにアスファルト舗装された園路でつながる、一庭の日本庭園として表現され、日本庭園の博物館的な機能も果たす「昭和を代表する名園」とも言われる。(註3)
このレポートでは、古来から大きく変化してきた日本庭園の様式を一庭に表現した万博記念公園日本庭園と、同様に様々な様式を用いて構成された庭園で、ドイツ人建築家ブルーノ・タウト(1880-1938)によって評価されて以来、今でも海外から美的評価が高い《桂離宮》を比較しながら、改めて文化資産として評価する。
2.万博記念公園日本庭園の基本データ
名称:万博記念公園日本庭園
(以下一般的な日本庭園と区別するため《日本庭園》と記載する)
所在地:大阪府吹田市千里万博公園1番1号
運営:大阪府日本万国博覧会記念公園事務所
面積:260,000平方メートル
作庭時期:1970年
3.概要と造園の歴史的背景
《日本庭園》は、東西に1,300メートルある横長い地形で、基本の構成は西端から東に向かって流れる水とともに、平安時代の「上代」、鎌倉・室町時代の「中世」、江戸時代の「近世」につづき、明治時代以降を「現代」として区分けされ、各地区にその時代の代表様式が作庭される。
この作庭意図については、1980年に発行された『万博日本庭園造庭誌』に次のように記される。(註4)
設計の根底をなす思想は、自然と人間との調和ある世界の創造であり、この思想を基に、
自然の地形を利用して西端の源泉から東に向かって渓谷を流れ平野に至る感じの水流を
構成し、この水の流れを庭園の基調として、この流れに人類の進歩と時の流れを象徴さ
せ、全体として調和のとれた一つの作品を創ることを意図した。
また、同書の基本事項の中には、
水の形態は、時と所によって千変万化するが、自然の法則から逸脱することは許されず、
ここに安定の姿があり調和の世界がある。長い時の流れを歩んで来た人類の生活の歴史
も、この世界の中で自然の恵沢を享けて営まれて来た。(中略)
二つの流れを重ねて一つの作品とすることは極めて有意義であるのみでなく、日本万国
博覧会のテーマにふさわしいものと考えられる。
このように、「昭和」という時代の象徴のひとつとも言える日本万国博覧会のテーマを内包し、日本庭園という伝統を、当時の最新技術を用いた空間造形物として《日本庭園》は造園された。
4.評価する点
《日本庭園》を特に評価する点は、主に3点あげられる。(資料1)
まず、全体の構成が、各時代の庭園様式を独立させ景観の中に適切に配置されたことで、その特徴を際立たせながらも一つの回遊式庭園として調和させた点である。
そして、現在では「万博日本庭園八景」と名付けられ、新たな視点で回遊することもできる。
次に、この園内の幹線と支線がアスファルト舗装されている点である。このことで広大な園内は往来しやすくなっている。このアスファルト舗装について設計者である田治六郎氏は機能性を考慮し、「止むなくアスファルト舗装となった。(中略)真なるものは美で、結果的には、かれこれ細工しなかったことが良かったかも知れない。」と、評している。(註5)
また、この園路は現在、所どころに苔が育ち、より庭園と一体感を持った状態となっており、美的効果が増したといえる。
3点目は、この空間が博物館的要素として、園内に設置されたプレートによって、各様式の基礎知識やその様式を用いた日本各地の庭園も紹介している点である。ここから日本庭園へも興味を広げる助けとなっている。
これらの効果によって、散策しやすい園内は、木々の葉音や小川のせせらぎを聴きながら、目の前に広がる各様式美や景観に思わず足を止め、手元のカメラを向けたくなる心情とさせる空間として成立している。
5.《桂離宮》との比較
日本庭園では、その「美」がドイツ人建築家ブルーノ・タウト(1880-1938)によって評価されて以来、現在も海外からも高く評価される、《桂離宮》との散策形式を比較し、特筆できる点を考察した。
5−1)桂離宮の基本データと概要
所在地:京都市西京区桂御園8
運営:宮内庁
面積:69,000平方メートル
作庭時期:1615年から1662年頃(江戸時代初期)
概要:宮家の別荘として創建された。財政面から一時荒廃期もはさみ、少し
ずつ増築を重ね、1662年頃に今日に近い姿となる。
園内の構成は、視点に着目されており、進み方で見える景観が多様に
変化するよう設計されている。
また、山荘の「素朴さ」に、江戸時代初期の京都で起こった古典文芸
復興によって宮廷文化の「雅さ」が細部に配されており、この組み合
わせに美的評価が高い。(資料2)
5−2)散策形式の比較
《桂離宮》は、参観時間が決まっており、時間ごとの完全入れ替え制である。参観にはインターネット予約か当日現地にて申し込み、時間ごとにグループ分けされ、ガイドによる解説とともにツアー形式で散策する。ツアーは、作庭背景や各所の見どころを丁寧な解説とともに、庭園の美点とされる視点の変化に伴う高低差のある園路の足元に注意を促しつつ、約1時間かけて行われる。
一方《日本庭園》は、万博記念公園入り口で入園料を支払うと、公園と《日本庭園》までが自由に入園することができる。庭園内の解説は、各所に設置されたプレートによってなされる。《日本庭園》は、ゆっくり歩いて約1時間半から2時間ほどで回ることができる。
《桂離宮》は、私設であったこと、視点に着目された構成を特徴として、園路は高低差や道幅が微細に計算されている。対して《日本庭園》は、計画段階で博覧会場から訪れる多数の入園者を想定し、混雑しないよう道幅や幹線にアスファルト舗装を採用するなど、機能面を重視した。これにより現在、入園者は個々に距離を保つことができるゆったりとした空間となるほか、広い園内であっても往来しやすい点は特筆することができる。
6.今後の展望
日本庭園は自然素材を用いることから維持管理が不可欠される。これにより、伝統と技術を受け継ぎながら、時代とも調和させることを可能とする。(註6)
《桂離宮》の美的景観は、増築・改修を重ね約50年かけて完成された。
《日本庭園》造園から10年後に作成された造園誌には、資料として当時の設計主任であった田治氏の基本設計を振り返った文章が掲載されており(註7)、アスファルト補装のように結果的に功を奏したものもあれば、洲浜や鯉池など後年に期待する。といった記述もあり、これを未来へ託したと捉えると、今だからこそ「昭和」という時代認識の整理により、《日本庭園》の本質的価値をさらに引き出すことも可能とするのが、日本庭園とも言えるだろう。
7.まとめ
万博記念公園《日本庭園》は、ここを目指して訪れる人もあれば、公園に入園したついでに訪れる人もいるだろう。それは、作庭時の目的に、4.と5.で述べた「散策しやすさ」に関連した「気軽さ」という心情が、現代の文化要素として新たに加わったからと考えると、この現代の文化も含むことができたこの庭園は、概念を表現したその名にふさわしい空間造形物である。
参考文献
註1:小野健吉著、『日本庭園−空間の美の歴史』、株式会社岩波書店、2009年2月、1頁
註2:万博日本庭園造庭誌編輯委員会 編輯・発行、『日本庭園ー万博日本庭園造庭誌』、1980年9月、「発刊に当たって」
註3:万博記念公園ウェブサイト(日本庭園の見どころ頁、アドレス:https://www.expo70-park.jp/cause/nature/japanese-garden-poi/、2024年1月28日閲覧)
註4:註2同書、10頁
註5:註2同書、173頁
註6:註1同書、221頁
註7:註2同書、175頁、176頁
参考資料:
1)万博記念公園 ウェブサイト(日本庭園頁、アドレス:https://www.expo70-park.jp/facility/japanese-garden/、2024年1月28日閲覧)
2)宮内庁ウェブサイト(アドレス:https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/katsura.html、2024年1月28日閲覧)
3)京都市歴史資料館ウェブサイト(文化史11頁、アドレス:https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/bunka11.html、2024年1月28日閲覧)
4)尼崎博正監、『すぐわかる日本庭園の見かた』、株式会社東京美術、2009年9月)
5)白幡洋三郎編、『シリーズ・実学の森 庭園のこころと形 世界名園シンポジウムから』、東京農業大学出版会、2001年10月)