「シモキタのはら広場」——都市に出現した野原の価値を考える——

立花 雅子

はじめに
東京都世田谷区を走る、小田急電鉄小田原線(以下、小田急線)の下北沢駅南西口から徒歩3分の場所に、都市の駅前とは思えないような開放的な空間が広がっている。地下化された小田急線の線路跡地に整備された公共緑地、「シモキタのはら広場」(以下、「のはら」)[資料1]である。本稿では「のはら」を下北沢地区の文化資産と捉え、その価値と今後の展望について考察する。

1. 基本データ
名称:シモキタのはら広場
所在地:東京都世田谷区北沢2丁目
敷地面積:約700平方メートル
開設:2022年7月
事業主:小田急電鉄株式会社/世田谷区
管理・運営:一般社団法人シモキタ園藝部

2. 歴史的背景
「のはら」自体の歴史はまだ浅く、開設から1年半程しか経過していない。よってここでは背景となる下北沢地区の歴史と、「のはら」が整備されるまでの経緯について述べる。

2-1. 下北沢地区の歴史
「シモキタ」という呼称をもつこの地区は、個性的な飲食店や古着屋・小劇場・ライブハウスなどが密集した、多様なカルチャーの入り交じる街として知られている。新宿と渋谷の双方から電車で10分ほどの場所にありながら、この街が独自の発展を遂げた所以は戦後に遡る。下北沢駅周辺は奇跡的に太平洋戦争の戦禍を免れたため、この地区には今も当時からの路地が数多く残っている[資料2-1]。こうした細い道の両側に個人商店が立ち並び、地理的に車が進入しにくいことが幸いして、回遊性の高い街が形成されたのだ。シモキタにはさまざまなジャンルの「ここにしかない店」が多く、「年齢や職業、価値観や生活習慣さえ異なる人々が自然と混在」(1)する、受容性・寛容性の高い街として栄えてきた[資料2-2]。

2-2.「のはら」が整備されるまでの経緯
2019年に完了した小田急線の地下化に伴い、下北沢駅と両隣(東北沢駅・世田谷代田駅)の3駅間の地上に、全長1.7キロメートルに及ぶ線路跡地が創出された(2)。現在「のはら」がある下北沢駅の南西口には、当初大規模な駐輪場とその上部に駅と直結する約20メートルのデッキ通路の整備が計画されていた(3)。だが、工事の説明会に参加した地域の人々は
この計画案に対し、「小広場を作る」という代案を提示した。シモキタには、もともと広場や緑地がほとんど存在していなかったからだ。その後、地域の人々・小田急電鉄株式会社・世田谷区の三者によって、最良の案を模索する協議が重ねられた。そして、最終的にデッキ通路と駐輪場の規模は大幅に縮小され、駅前には公共緑地として「のはら」がつくられたのである[資料3-1]。

3. 事例の評価
場所を現象学的に考察したエドワード・レルフ(Edward Relph, 1944-)は著書(4)の中で、多様性や深い意義のある景観と、それとは対照的に際立った個性をもたない規格化された景観との相互関係について論じている。彼は前者の現象を「場所性」がある、後者の現象を「場所性」の喪失、すなわち「没場所性」を呈していると定義している。レルフの言葉を借りれば、シモキタはまさに「場所性」を有した街だといえる。この街の「場所性」、つまりシモキタらしさを表わす言葉に「ヒューマンスケール・多様性・受容性・寛容性・自分ごと化度が高い・個が主役」がある。これは線路跡地の開発に際し、この街の住民・店の経営者・来街者を対象に実施された調査結果によるものだ(5)。以下、これらのキーワードが、そのまま「のはら」にも当てはまることについて述べる。

3-1. ヒューマンスケール
「のはら」は、下北沢駅南西口から続くデッキ上や並行する遊歩道から、その全体像がわかるスケールである[資料3-2]。ここには、大人の背丈を大きく越えるものは存在していない。もっとも小さな子どもたちにとっては、彼らの背丈を越えるススキの大株などが存在するが、それがかえってこの空間の魅力となっている。また、高層建築が立ち並ぶ都市部では鳥瞰的な景色を眺める機会が多いが、ここでは大地に立って目の前の植物に触れながら、虫瞰的な景色を楽しむことができる[資料3-3写真①②]。

3-2. 多様性・受容性・寛容性
「のはら」はシンプルな空間であるがゆえに、老若男女、多様な人々がさまざまな過ごし方のできる場として存在している。このことは、「のはら」はあまねく人々を受け入れる受容性と、各自が思い思いの目的で利用することを受け入れる寛容性を備えている、と換言できる。加えて「のはら」はこの地区のグリーンインフラとして、防災や資源循環・景観向上・コミュニテイ維持といった多様な機能も持ち合わせている[資料3-3写真③④]。

3-3.自分ごと化度が高い・個が主役
自分ごと化度が高いとは、目の前にある課題に対して主体的に取り組もうとする意識が高いことをいう。先に述べたとおり「のはら」の開設は、自分ごと化度が高い人々が単に開発計画に反対するのでなく、協働を提案したことによって実現したものだ。「のはら」の管理運営を担う一般社団法人シモキタ園藝部(以下、「園藝部」)[資料4]は、かつて事業者・行政との協議に参加してきた地域内外の有志の団体から発展した組織である。発足時(2020年)に20名ほど(6)であった「園藝部」の部員は現在約200名(7)となり、多様なメンバーたちは各々が個として楽しみながら「のはら」と関わっている。

「のはら」は、都市の駅前にありながらも決して唐突な空間でなく、周囲の環境と馴染んでいる。それは上記3項目で述べたように、「のはら」がシモキタの概念を可視化した空間、すなわちシモキタの「場所性」が十二分に反映された空間となっているからであり、事例のこの点について評価したい。

4. 他の事例との比較
ここでは「のはら」と同様に、都市部に整備された公共空間である、豊島区立目白庭園(以下、目白庭園)を比較対象として取り上げる。
目白庭園は、JR目白駅から徒歩5分ほどの住宅地に、公園として造られた池泉廻遊式の日本庭園園である(8)[資料5]。この庭園の作者である伊藤邦衛(1924-2016)は著書の中で、「公園では景が大きな用である」(9)と主張している。つまり、美しさ(景)こそが公園の機能(用)だというのだ。こうした伊藤の庭園論が反映された目白庭園には、周囲の環境から完全に切り離された、美しい憩いの空間が広がっている。この施設では指定管理者制度(10)が導入されており、豊島区から指定を受けた民間企業が、5年を期限として庭園の管理運営を受託している。伊藤が求めた芸術性の高い空間は、開園から30年以上たつ今も、専門性を備えた業者の手によって維持され続けている。
一方「のはら」で実践されているのは、植物を地域の共有資源(コモンズ)として活用管理する取り組みである。前述の「園藝部」は、「目の前の野原で起きる具体的な事象を観察し続けることで、園藝部の知見と考え方を皆で築いていく」(11)というスタンスで活動している。つまり「のはら」では、現状維持でなく、その時々の状況に応じた自律的な管理が実施されているのだ。
目白庭園では5年ごとに管理者が替わるにせよ、日本庭園としての普遍的な美しさは将来的にも保たれ続けることだろう。それに対し「のはら」はシモキタのコミュニティに密着した存在であり、人々のニーズや価値観等によって、その景観は今後柔軟に変化していくことが考えられる。

5. まとめ・今後の展望
作家の坂口安吾は、自らが代用教員として働いていた1925年当時の下北沢地区の様子について、「学校の近所には農家すらなく、まったくただひろびろとした武蔵野」(12)であった、と語っている。それからわずか百年の間に社会は大きく変化し、我々は今、自然との関係を根本的に見直すべき時を迎えている。とはいえ、単に公園や緑地を増やせば良いわけではない。なぜなら、とかく公共事業としての公園造りでは、安全性や経済性・効率性などが優先され、「没場所性」を帯びた空間がつくられがちだからである。前出の伊藤は、公園を含め造園はいわば一品生産であり、思考・試作・模索を繰返しながら、ユーザーである住民にもっとも多くの利益をもたらすように造るべきだ、と述べている(13)。「のはら」はこうしたデザイン思考(14)が実践され、かつ「場所性」を備えた公共緑地であり、その存在は際立っている。「シモキタのはら広場」は多様な人々との関わりを通してこの街の記臆を刻み、今後さらにその「場所性」を高めていくに違いない。

  • 81191_011_32083024_1_1_資料1_page-0001 [資料1]「シモキタのはら広場」(撮影ポイント[資料3-1]参照)
  • 81191_011_32083024_1_2_資料2-1_page-0001 [資料2-1]「シモキタ」という呼称をもつ街
  • 81191_011_32083024_1_3_資料2-2_page-0001 [資料2-2]下北沢駅周辺の商業エリア
  • 81191_011_32083024_1_4_資料3-1 _page-0001 [資料3-1]空から見た「のはら」
  • 81191_011_32083024_1_5_資料3-2_page-0001 [資料3-2]「のはら」の風景 (1/2)(撮影ポイント[資料3-1]参照
  • 81191_011_32083024_1_6_資料3-3_page-0001 [資料3-3]「のはら」の風景 (2/2)(撮影ポイント[資料3-1]参照)
  • 81191_011_32083024_1_7_資料4_page-0001 [資料4]「園藝部」の概要 (写真① 撮影ポイント[資料3-1]参照)
  • 81191_011_32083024_1_8_資料5_page-0001 [資料5]豊島区立目白庭園の概要 

参考文献

(註1)橋本崇・向井隆昭/編著『コミュニティシップ 下北線路街プロジェクト。挑戦する地域、応援する鉄道会社』学芸出版社、2022年、p.38。
(註2)正確には世田谷代田駅〜梅ヶ丘駅間の約0.3キロメートルが含まれる(註1前掲書、p.13)。
(註3)世田谷区生活拠点整備担当部拠点整備第一課「小田急線上部利用通信 No.10」2015年。https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/sumai/003/002/002/d00018986_d/fil/18986_10.pdf
(最終閲覧日2024年1月10日)
(註4) E. Relph, Place and placelessness, London: Pion Limited, 1976.
(註5)線路跡地の再開発事業において、コミュニケーション戦略等を担った株式会社パークが実施したインタビュー調査を指す(註1前掲書、p.53)。
(註6)三島由樹「ネイバー・エコロジカル・コモンズ——シモキタ園藝部がはぐくむ近隣生態系の総有的共治」、『都市計画』、358号、日本都市計画学会、2022年、p.73。
(註7)(一社)シモキタ園藝部・コンポストチームリーダー斉藤吉司氏からの聞き取り調査による(2023年11月19日)。
(註8)伝統的な日本庭園は建築に付随した空間であり、自然の地形を巧に利用し個人所有を前提として造られたものであるが、目白庭園は人工的に地形を整備し、多数の来場者の利用を想定して造られた「日本庭園手法の公共施設」である。
(註9)伊藤邦衛『公園の用と美』同朋舎出版、1988年、p.4。
(註10)指定管理者制度は2003年の地方自治法の改正により導入されたもので、これにより公の施設(図書館・公園・公民館等)の管理・運営を、ノウハウのある民間事業者(株式会社、NPO法人等)に委託できるようになった。
(註11)三島由樹「野原を都市につくる理由」、『ランドスケープ研究』86巻4号、日本造園学会、2023年、p.312。
(註12)坂口安吾『風と光と二十の私と・いずこへ他一六篇』岩波書店、2008年、p.63。
(註13)註9前掲書、pp.198-199。
(註14)デザイン思考には、今をより良くするための「ユーザー中心主義」と、今までにない価値観を創造する「デザイン主導主義」がある。このことを説く早川克美は、この2つの手法は相反するものでなく、共存し、時には融合して社会に成立していると述べているが、「のはら」はその一例だといえるだろう(早川克美著『私たちのデザイン1 デザインへのまなざし ―豊かに生きるための思考術』藝術学舎、2014年)。

【参考文献】
川添善行著、早川克美編『私たちのデザイン3 空間にこめられた意思をたどる』藝術学舎、2014年。
野村朋弘編『伝統を読みなおす3 風月、庭園、香りとはなにか』藝術学舎、2014年。
大井智子「線路跡の緑化でシモキタを『つなぐ』 官民の管理区域をシームレスに見せる」、『日経アーキテクチュア』1235巻、日経BP社、2023年、pp.58-61。
小林正美「『下北沢のまちづくり』の今」、『造景』、建築資料研究社、2022年、pp.42-45。
小柴直樹「『下北沢駅周辺地区地区計画』決定後の試み」、『造景』、建築資料研究社、2022年、pp.46-51。
三浦倫平/饗庭伸「街の変化を読み解く 三浦倫平さん(横浜国立大学准教授)とシモキタを歩いてみよう」、『造景』、建築資料研究社、2022年、pp.52-57。
柏雅康/饗庭伸「地域の分断からエリアマネジメントへ 柏雅康さん(しもきた商店街振興組合理事長)に聞く」、『造景』、建築資料研究社、2022年、pp.58-61。
饗庭伸「シモキタリング(北沢PR戦略会議)と駅広部会が目指す 新しい民主主義の姿 谷口岳さん(シモキタリング駅広部会、世話人)に聞く」、『造景』、建築資料研究社、2022年、pp.64-66。
小柴直樹「街づくりの流れは参加-参画-協働の時代へ 区長・行政も市民とともに地域力を掘り起こす」、『現代の理論』、2023春号、同時代社、2023年、pp.4-9
保坂展人/金子健太郎/関橋知己/谷口岳「座談会 道路建設賛成派・反対派がなぜ協働できたのか 代替プランで住民参加型から自治体との協働型へ」、『現代の理論』、2023春号、同時代社、2023年、pp.10-23。
小林正美「下北沢のまちづくりとは何であったのか——その歴史と現状 参加するステイクホルダーの地域自治関与とその可能性」、『現代の理論』、2023春号、同時代社、2023年、pp.24-28。
エドワード・レルフ『場所の現象学 没場所性を越えて』(高野岳彦・阿部隆・石山美也子訳)筑摩書房、1991年。
新建築社編集・撮影『豊島区立 目白庭園』東京都豊島区、1992年。

株式会社フォルク「シモキタのはら広場」、https://www.f-o-l-k.jp/shimokita-nohara(最終閲覧日2024年1月10日)
一般社団法人シモキタ園藝部、https://shimokita-engei.jp(最終閲覧日2024年1月10日)
豊島区立目白庭園、https://mejiro-garden.com(最終閲覧日2024年1月10日)

年月と地域
タグ: