民俗芸能の伝承に関わる一考察 ―奈良市上深川・八柱神社の神事芸能「題目立」を通して―
昨今の日本社会において頻繁に聞かれる言葉に「絆」「繋がる」などがある。これらの言葉は、人と人のつながりを意味する場面に使われることが多い。これは、翻ってわが国の現状を見るに、人間関係の希薄化の社会問題でもあるといえよう。この問題の根底には、社会構造の変化や少子化、高齢化社会といった状況がある。今この問題が、ますます加速し文化だけでなく人々の実生活の中までも大きく影響している。
「日本の伝承文化の支援事業とそれを支える人々の応援活動」この活動を通して、伝統文化における伝承(継承)のさまざまな問題について考えることが多くあった。その課題について、私が関わってきた支援事業の中から、奈良市上深川(かみふかわ)・八柱(やはしら)神社の祭礼における神事芸能「題目(だいもく)立(だて)」を通して考察していく。
1. 奈良市上深川と八柱神社の概況
奈良市上深川町は奈良市内から車で名阪国道を経由し針インターの次の小倉インターを出て、約10分の所にある。主産業は農業と茶の生産であり、戸数53件、人口100人余りの地域である。
この地に鎮座する八柱神社は、奈良市上深川町(旧都祁(つげ)村大字上深川)の集落の中央にある。祭神は高御産日神(たかみむすぶのかみ)・神産日神(かみむすびのかみ)・玉積日神・(たまつむすびのかみ)足産日神(たるむすびのかみ)・事代主神(ことしろぬしのかみ)・生産日神(いくむすびのかみ)・大宮売神(おおみやのめのかみ)・御食津神(みけつのかみ)の八柱である。また、厳島神社・八坂神社を末社とする。古くは八王子社と称していた。境内には社務所および参篭所があり、奉納芸能はここで行われる。
2. 八柱神社の神事芸能「題目(だいもく)立(だて)」
現在十月十三日に行われている八柱神社の祭礼は、同社の秋祭りにあたる。例祭では十二日の宵宮行事に奉納芸能として「題目立」が行われる。
この芸能は、十七歳の男子によって奉納されてきた。上深川では数え年十七歳になると祭礼組織である宮座に座入りして、村の成員として認められる慣習が近年まであった。その青年たちによって「題目立」は氏神に奉納されてきたことから、成人儀礼の性格を持つと考えられている。
この「題目立」のはじまりは定かではないが、残存する幾つかの記録から約450年という長い間1年も欠かすことなくこの地で行われていたと推定されている。上深川に伝わる「題目立」の演目は「厳島」「大仏供養」「石橋山」の三曲で源平の武将を題材としている。現在演じることができるのは、前の2曲であり「厳島」は、崇敬する安芸の厳島神社を訪れた平清盛が、弁財天から節刀という天下を治める長刀を授けられるというものであり、その登場人物は八人である。「大仏供養」は、源頼朝が東大寺の大仏供養に下向際、平家の残党悪七兵衛景清が三度その命を狙ってついに果たせずに終わるという筋であり、九人で演じられる。〝語り物〟と言われるように、登場人物ごとにその台詞を語っていく形式で演じられる。上演頻度の多いのは「厳島」である。
しかし、近年の少子化により同年の青年は少なく、前述した「厳島」の演者八人を集めるのは皆無に近いというのが現状である。従って、この奉納行事を執り行うために、十七歳に近い年上の者がその役割を担って奉納は行われている。
「題目立」は昭和二十九年(1954)奈良県指定無形文化財に指定され、昭和五十一年(1976)国の重要無形民俗文化財の指定を受けている。また、平成二十一年(2009)ユネスコ無形文化遺産にも登録された。
この民俗文化財「題目立」は、この地の保護団体「題目立保存会」によって保存活動が行われている。また、この奉納芸能を維持するための母体として、祭祀組織があるのを忘れてはならない。祭礼への参加者は八柱神社の氏子である。祭礼行事の世話役としてトウヤ(当屋)が組織され、大トウヤが中心になって祭りは進められる。そのほか「題目立」の練習時には、世話役としてドウゲ(堂下)と呼ばれる役割分担もあり、地域一丸となって秋祭りが行われているのである。
私は長年にわたってこの地に赴き、奉納直前の本番を控えた「題目立」の「ナラシ」といわれる練習や本番を見てきた。それを踏まえて拙論「伝統文化における伝承(継承)の問題」について考察するにあたり、現地調査を以下のように実施した。
3.「題目立」の現状と問題 ―採訪調査(インタビューから)
直近現状インタビューは次のように行った。
日時:令和6年1月16日
場所:上深川歴史民俗資料館
話者:現、上深川町自治会 会長 今谷義一氏 68歳
及び現、題目立保存会 会長 福山義孝氏 73歳
直近の村の状況、問題点、深刻な過疎化の問題、伝承(継承)方法について等と、現在日本全国で問題とされている事象と重なっている部分が多く見られた。一番深刻な問題提起部分を抜粋してみる。インタビューは2時間余りに及んだためほんの一部の会話から。
① 問題点について
(福山)それはね、悩むね、実際のとこ、あの、まあどういうかなあ伝承で、まあ苦労とかするいうのは、登録まではね、まず、演者のちょうど若者、数え17、昔の元服の齢。その齢から題目立を演じてもらう。その人たちは、何とかメンバーが、足りてたような現状やったんですよ。ところが平成29年ぐらいから急にその17歳からの若者だけで演じるそのメンバーが足りなくなるというか、少なくなってきたんですよ。一番大きな違いは、そこなんですよ。だからあのユネスコに登録していただいた、平成二十一年(2009)ですから、その時分は、まだそういうふうな形で若者だけで、なんとかできていたんです。ところがそういうことで登録になってからのほうが実際のところまあ演じてもらうメンバー、演者が少なくなるというか、ほんとにその若者が主になったという数というかメンバーの数が、もう反対になるような具合に少なくなってきたんです。だからいちばんの問題は、メンバーの数かな。
(今谷)そう演者の数かな。あの時分からかな、みな外に出ていくとかなあ。
(福山)そういう年代になってきたんやな。
だからある程度、村というか上深川に住んで、
(今谷)そうここに住んでな。
(今谷)その時分から外へ出て、家を出て外で暮らすというか、そんなふうになってきたしな。人もへってきたしな。
(福山)今で65歳以上の高齢者と上深川町の人口でいうと50%以上の高齢化社会になってきた。
(今谷)子供さんできても外で暮らす。だんだん町で暮らすほうが生活がしやすいというか暮らしやすいと、いう流れになってしもた。
(今谷)大学出たら就職がある。就職するんやったら大手企業に行きたい。そうなってくると都会で暮らす。そうゆうふうになってくる
(福山)地元から通ってる人は、負担がかかってくる ずーっと長いこといて地元を守ろうとしてる人に負担がかかってくる。
(今谷)今度はもう長すぎてしんどいとなってくる。
(福山)17歳から始めるそして大学を卒業する齢までということは、7年間。この間やってもらって7年間過ぎたら一応そいうことで、そこで休んでもらおうかなって。まあそういうようなかたちでね。そうしないとその人ばかりに負担をかけるという形になるのでね。
ユネスコの前までは十分、まあ十分ではないけど何とか若者で演じられてたけど、もうどうするかいよいよ考えなあかん厳しい状態になってしもたからな。
このように村の直近の現状から2023年10月12日の題目立「厳島」が奉納されたが、17歳の演者は、2名、大学生が1名、他大人6名となった。今年は17歳1名になるので、今年は、今までのやり方で奉納するが、来年からは、大きな意味での見直しに直面している。
村だけでの継承が難しくなった今日、さらに多くの人々の協力が必至である。
文化遺産としての重要性もあるが、まずは、カタチとして継承する方法、そこから考えてみては、どうだろうか。
近隣小中学校や、まずは、奈良県での取り組み、授業などに地域文化遺産の時間を設け、歴史、文化、芸能など日本人としての自分たちのルーツや生活の中の問題を考える授業をしてめぐる。特に無形文化遺産を伝えるという方法を例えば、ゲーム化、アニメ化など入りやすいカタチから、子供たちと一緒に学び考える。村、地域に固執せずもっと多くの人々に興味を持ってもらえる窓口を広げ、来年に向けて協力の輪をさらに強く考えたい。
参考文献
参考文献
・『題目立』題目立保存顕彰会 奈良県教育委員会事務局文化財保存課編1966年
・『題目立』題目立保存会 題目立保存会編 1974年
・『民俗芸能の研究』「題目立について」本田安次 明治書院 1983年
・『都祁上深川・八柱神社の祭礼と芸能』(ふるさと文化再興事業
「地域伝統文化伝承事業」報告書)奈良地域伝統文化保存協議会 2006年
・「ユネスコ無形文化遺産 重要無形民俗文化財 題目立」(奈良市教育委員会)2010年
添付写真 本人撮影