“継承の意思”-1000年を越えて宝物を今日に継承する、正倉院の管理と保存の根源-

上村 由依

はじめに
芸術作品は使い古されるものではなく、鑑賞され、継承されるものである。今日を生きる人々にとって、このような認識は自明に思える。美術館や博物館を訪れると、私たちはいつでも継承されてきた芸術作品の数々を鑑賞できるが、それらは実は絶え間なく惜しみない管理・保存・修理の努力や技術によって支えられている。
なかでも最高峰の管理・保存・修理を誇るのが、正倉院だ。継承に際する正倉院の環境や技術は突出している。しかし、1300年以上も前から受け継がれる約9000点もの宝物が、非常に優れた状態で現存する理由は、環境や技術によるものだけではない。調査を行うにつれ、正倉院の継承の鍵を握るのは、“継承の意思”であるという確信に至った。

正倉院の概要
奈良時代における「正倉院」とは、一般的に倉庫を意味する「正倉」が複数集まった区画を意味した。今日の正倉院が東大寺大仏殿の北西に位置する宝庫のみを指す固有名詞となったのは、この正倉が綿密な管理と繊細な保存技術で守り継がれた結果、日本唯一の正倉院として現存することによる。
聖武天皇(701〜756年)が亡くなった際、天皇愛用の品々を遺品として大仏に捧げようと、光明皇后(701〜760年)が納めたことから宝物の保存が始まった。宝物の種類は文書や調度品や楽器、年中行事や仏教関係の品々、武器、食器や服飾品など多岐に渡り、製作技法は金工・木工・漆工・甲角細工・陶芸・ガラス・染織などほぼすべての美術工芸分野を網羅する。これらは現在、年に1度、秋に開催される正倉院展で公開される。
正倉院は床面積310.2平方メートル(33メートル×9.4メートル)で、内部は北倉・中倉・南倉の3室に分かれている。それぞれ階段を持つ2階層で、さらに3階部分まで上がると3室分が1室として広がる大きな屋根裏部屋がある(1)。
1997年に国宝に指定され、 1998年に「古都・奈良の文化財」としてユネスコ世界文化遺産に登録された。宮内庁が所管する建造物として初めての国宝・重要文化財指定だ。

正倉院の環境
正倉院は中倉が板倉造で、北倉と南倉が校倉造である。校倉造は木材を横向きに積み重ねて壁を作る建築様式で、垂直の柱を持たない。各木材の断面が三角形で、壁が尖っていることが多い。正倉院においては頂点が切り落とされた不等辺六角形で、建物の壁面は尖っていない。これにより木材同士の接点に雨が入らない仕組みが完成した(2)。また、正倉院は奈良時代の校倉として最大だが、すべて一木で造られている。木材を横向きに積み重ねる技法にも関わらず、長さを出すために木を継ぐことなく造られているのだ。これが見た目の美しさに加えて、継ぎ目への雨水の侵入や滞留を防ぐ効果ももたらした。さらに高床式であることが、高度な調湿機能に寄与している。
たしかに、校倉造かつ高床式とは好適な環境だが、そのままの状態で宝物が並べられては湿気や虫によるダメージは防げない。正倉院の宝物はスギ製の唐櫃という容器で保管されており、これが防湿や防虫の役割を担った。昭和24年から34年に実施された大阪管区気象台と奈良地方気象台(当時は橿原測候所)による正倉院の保存環境調査の結果、庫内は外気よりも湿度変動が少なく、唐櫃内の湿度環境はさらに安定していて、宝物保存に非常に有効だと発表された(3)。
しかし、8世紀の太古の品々を、唐櫃に入れておきさえすれば、令和の時代にまで良好な状態で残るということはありえない。絶え間なく惜しみない、綿密な管理と繊細な保存技術あってこそ、正倉院宝物の数々は現存する。

“継承の意思”が受け継がれた理由
特筆したいのは、この正倉院宝物の高い水準での管理と保存が“継承の意思” に起因する事実である。最初の献納時に作成された国家珍宝帳には永世保存への願いが記されている。そこには光明皇后の聖武天皇への想いも綴られており、歴然たる夫婦の絆が感じられる。しかし、どうやらこの“継承の意思”がしっかり受け継がれた理由は、皇后の願いだからこそ、つまり権力あってこそ、ではなさそうだ。もちろん夫婦愛への同情でもないだろう。聖武天皇と光明皇后は、人々にこの意思を尊重したいと思わせる人望を持っていたようだ。
彼らが生きた時代の天平文化は、華々しく語られることが多い。一方で、実際は律令政治が行きづまり、世が混乱していたことも明らかになっている。そんななか居場所を転々としていた聖武天皇は、ある時、民衆が力を合わせて生き生きと寺を造営する光景を目にし、大いに感動したという。それを機に国家安泰の願いを込めて盧舎那仏の建立を発案し、誰もが建立に参加できることを詔で宣言した。これによって工事には約260万人もの人々が関わったという。詔には、優れた人材が世に埋もれて苦しんでいるのではないかという懸念も書かれている。聖武天皇は、人々が安らかに暮らせ、その才能が活きる世の実現に努め、その機会を平等に与えた人物であった。光明皇后はというと、父親の藤原不比等から受け継いだ資金で諸国から薬草を集め、施薬院を設置して人々の救済に尽力した記録が残る。盧舎那仏建立に従事した多くの人々のケガや病も癒したという。
自らの権力誇示でなく、国民や世を想って活動した彼らであったからこそ、人々は“継承の意思”を守り、そのバトンが渡され、正倉院の宝物が今もなお優れた状態で残るよう受け継がれたのかもしれない。

継承への取り組み
具体的な継承策としては、献納の際に献物帳という目録が同時に作成された。献納する宝物の名称・数量・寸法・材質・作成技法に加え、伝来の変遷までもが記されている。
750年代後半、北倉の開扉には、勅封つまり天皇の許可が必要となり天皇代理の者が使者として立ち会うようになった。室町時代からは天皇自身が書いた封が使用され、明治時代に正倉院宝庫と宝物が政府の直接管理となってもこの伝統は続く。北倉の宝物には、定期的に曝涼が施された。宝物の容器を開けて換気をすることで害虫や湿気を防ぎ、同時に保存状態を確認するのだ。
鎌倉時代に向かう1180年には南都焼討が発生し、1254年には落雷により北倉の扉が炎上、1567年には大仏殿が焼失するなど、さまざまな災いに見舞われた正倉院近辺であったが、正倉院そのものは現存している。これもまさに人々が宝物の永世保存を誓い、守られたからに他ならない。

海外事例と海外との関係
献納当初から永世保存を目的にした例としては、エジプト各王朝の宝や中国の法門寺地宮などがある。しかし、海外の事例はいずれも埋納で保存されており、地上において人の手で保存され続けてきた例は、正倉院以外に見当たらない。
国内外どの事例においても、宝物であれば、一流の工芸家が修理を行うのは当然だが、なかでも、日本の技術水準は非常に高く、わが国は装潢技術を始めとする繊細な修理技術について、海外からの研修受け入れや、海外の美術館・博物館への技術者派遣などを行なっている(4)。正倉院についても、無論、国内有数の技術者や熟練した管理者の手によって現在まで倉自体や宝物が守られている。

おわりに
現在、宝物と宝庫は国有財産として宮内庁が管理を担当するが、明治時代とほとんど変わらぬ方法で曝涼が行われ、1年を通して調査や修理や保存環境維持が徹底されている。昭和に入ると鉄骨鉄筋コンクリートの宝庫を建設して火災や地震対策を行い、空調設備も導入したうえで管理されている。伝統的な管理・保存法を活かしつつも、時代に応じて少しずつよりよい管理・保存へと改良されてきた。
すべては「管理し、保存し、後世に受け継ぐのだ」という意思から始まっている。
今日存在する芸術作品が、後世に渡ることで新たな時代に寄与する価値は計り知れない。私たちには、受け継いできたものを適切に管理・保存し続ける使命がある。そして、新たに生まれる芸術作品においても、その真価を見極め、継承の意思とともに受け継いでいくべきであろう。その管理・保存方法を、ときには正倉院を始めとする歴史から学び、ときには時代に応じた方法を模索しながら。

  • 81191_011_32083015_1_1_745953_s 正倉院「photoAC」

参考文献

註(1)『正倉院ってなんだろう?』正倉院展 キッズサイト
https://shoso-in.jp/kids/shosoin.html

註(2)後藤治著『佛教芸術 237号、正倉院正倉の建築構法』毎日新聞社、1998。

註(3)宮内庁正倉院事務所編、成瀬正和著『正倉院紀要 25号、正倉の温湿度環境調査(II)-正倉各倉間での比較および聖語蔵との比較-』宮内庁、2003。

註(4)文化庁文化財第一課著、東京文化財研究所無形文化遺産部編『装潢修理技術』文化庁、2019。

杉本一樹著『正倉院 歴史と宝物』中公新書、2008。

阿部弘『正倉院の三十年-近年の宝物保存関係の事業について 報告-』正倉院 公式ウェブサイト
https://shosoin.kunaicho.go.jp/api/bulletins/2/pdf/0000000241(2023年1月25日閲覧)

宮内庁三の丸尚蔵館、宮内庁正倉院事務所編『正倉院宝物を伝える : 復元模造の製作事業と保存継承』宮内庁、2019。

地域情報ネットワーク『ならら : 大和路, 3巻10号通巻25号 2000.10月号, 2000年10月1日』一般社団法人なら文化交流機構、2000。

宮内庁正倉院事務所編、光谷拓実著『正倉院紀要 25号、年輪年代法による正倉院正倉の建築部材の調査』宮内庁、2003。

『宝庫について』正倉院 公式ウェブサイト
https://shosoin.kunaicho.go.jp/about/repository(2023年1月25日閲覧)

『宝物について』正倉院 公式ウェブサイト
https://shosoin.kunaicho.go.jp/about/repository(2023年1月23日閲覧)

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