滋賀県東近江市今町「天満神社」の春祭り~伝統行事の現状と継承~

汲田 章司

1.はじめに
「天満神社」は、滋賀県東近江市今町にある田園地帯の神社であり、年間を通して大小様々な伝統行事が執り行われている。この中で最も規模が大きい「春祭り」を取り上げ概観し、伝統行事の現状と継承について検討する。

2.基本データ
天満神社がある滋賀県東近江市今町(以降“今村”と呼ぶ)は、琵琶湖東岸の湖東平野にあり(添付資料図1)、かつては旧能登川町(以降“能登川地区”と呼ぶ)に属した(2006年に東近江市と合併)。今村は、約162世帯、419人(2023年6月現在)[註1]の田園地帯の村落であり、筆者の出身地である。
今村に隣接して徳川将軍や皇族、朝鮮通信使などが使用した“朝鮮人街道”が通り、周辺には縄文時代、弥生時代の遺跡や古墳が分布し、奈良時代の条里制地名が残る[註2][註3、30頁]。村落内には浄土真宗“安楽寺”(大谷派)、“光台寺”(本願寺派)、臨済宗妙心寺派“興福寺”、“興福寺地蔵堂”などの寺が存在する。(添付資料図1)

3.歴史的背景
天満神社は、能登川地区にある29神社[註3、100頁]の一つであり、日本武尊・菅原道真公・素盞鳴命を御祭神とし、景行天皇時代(4世紀頃)に創建された[註4]。天満神社は本殿社殿、拝殿、稲荷社、社務所、蔵(倉庫)からなり、村落内に神輿が渡御する御旅所があり(添付資料写真1~6)、1811年(文化8年)建造の2社の神輿[註5]と1台の山車(曳山)を所有する(添付資料写真7、8)。

4.事例の評価
4-1 歴史性
春祭りは、遅くとも江戸時代から実施されてきたと考えられる[註5]。天満神社に隣接する興福寺は、かつて天満神社の「神宮寺」であったが明治期の「廃仏毀釈」[註3、100頁]以降、興福寺による管理は行われず、現在は安楽寺と光台寺の本堂が氏子の会合場所として使用されるようになった(佐々木勇二氏)。
4-2 組織・運営
以下、特に断りがない限り[註6]を参照し記述する。また春祭りの状況を添付資料写真9~24に示す。
今村の氏子は100人程度の男性で、敬神会(13歳~35歳)、尊神会(35歳~50歳)、崇神会(50歳~63歳)に属し、崇神会退会者が「総代」となり統括する。敬神会と尊神会は、神輿出し、飾りつけ、宵宮渡御、本祭渡御、神楽演奏、祭儀補助などを行う。崇神会は、宮司、巫女の接待、渡御行列の警護、社務所の留守居など補助的な役割を担う。会食や材料準備、掃除、観衆として氏子以外の村人も参加する。
1日目(宵宮)午後、敬神会と尊神会員が集まり準備を始める。夕方、「連中」と呼ばれる学年毎の酒肴を伴う集まり(宴会)を行った後、氏子が社務所に集合し全体酒肴を行う。崇神会は今村自治会役員とともに宮司の接待を行う。午後8時頃より祭儀が始まり、松明渡御、宮司、自治会役員、崇神会、子供と鐘太鼓を伴う山車の行列渡御を行う。
2日目(本祭)は、午後1時から始まり宵宮と同様の行列渡御と神輿の渡御が行われる。御旅所では、神楽舞を伴う祭儀が行われ、五穀豊穣が祈念される。祭儀が終わった後再び天満神社に環渡し祭儀を行い春祭りは終了する。
4-3 環境的価値(持続可能性)
春祭りは人力で行われ、電機や動力はほとんど使用されない。春祭りに出る酒肴は村の田畑で栽培された大豆が使われ、松明に使われる竹も村の藪から採取される。正月飾りや鳥居しめ縄等、春祭り以外の準備にも村から採れた素材を使用しており(添付資料写真25~34)、環境負荷が少ない。
敬神会の会則・名簿[註7](添付資料写真35~36)は明治期に整備され、祭りの諸経費は記録され領収書等は保管される(上林昭氏)。
4-4 課題
コロナ禍により春祭りの神輿渡御は2020年から中止されている(市居薫氏)。
最大の課題は、人口減による祭の担い手不足である。この10年で今村の人口は117人減少し[註1]、祭りの参加者が減少し、敬神会の入会者も近年ゼロの年もある[註7]。昭和時代はほぼ敬神会のみで春祭りの準備実行を行っていたが、会員数が少なくなってきたため2003年に尊神会、崇神会が作られた(以上佐々木勇二氏)。

5.他事例との比較
他の同様の事例として、能登川地区伊庭町(以降“伊庭村”と呼ぶ)にある「大濱神社」の春祭り(別名“伊庭の坂下し祭り”)を取り上げる。以下、[註8~14]を参照し記述する。伊庭村の位置を添付資料図1、伊庭の坂下し祭りの状況を添付資料写真37~写真48に示す。
伊庭村の春祭りは例年5月上旬の5日間行われ、3日目に伊庭村近くの繖山(きぬがさやま)山腹から麓まで3社の神輿が下ろされる神事が行われる。本祭は滋賀県の無形民俗文化財に指定され[註13、735頁]、テレビでも取り上げられることもあり[註9、200頁]、村人以外の観衆も多い。坂下し祭りの起源は1790年といわれ[註10]、大津市坂本の日吉大社の祭典を写したと考えられている[註11、107頁]。
伊庭村の氏子は約500人程度であり、前髪(13歳~16歳)、若連中(16歳~29歳)、中老(29歳~35歳)、与力(35歳~45歳)、宮世話(45歳~65歳)、氏子総代(65歳~70歳)に区分される。前髪、若連中、中老が太鼓・鉦鳴らし、神輿担ぎなど祭りの主力であり、与力は神輿の世話と上げ下ろしなど祭りの管理監督を行い、氏子総代が祭り全体の統括を行い宮世話は氏子総代を補佐する。諸般準備や観衆として村人総出の行事でもある。氏子・観衆の数ははるかに多いが、構成と役割は今村の春祭りとほぼ同じと考えられる。伊庭村も今村の「連中」と同様な学年毎の会(昇龍会、朱雀会、虎勇会など)が組織され、宴会や祭り内での行動を行っている。坂下し祭りは危険を伴うため、人手とコミュニケーション、団結力が欠かせない(浮気美智男氏)。
伊庭村の春祭り1日目はお祓いなどの儀式が行われ、2日目に神輿が山に人力で上げられる。3日目に最大のイベントである坂下しが行われ、4日目は宵宮となる。5日目は伊庭村内での神輿の渡御が行われ春祭りは終了となる。春祭りの規模は今村より大きく、多彩な行事が行われている。今村と同様に人力主体で祭りが行われ、村の田んぼや自然から採れた食べ物や藁などを宴会、草鞋、縄、飾りなどに使用している。(浮気美智男氏)。諸記録も社務所で保管されている(浮気美智男氏)他、註9~14などで行事がしっかりまとめられている。
坂下しはコロナ禍において2020年より中止されていたが、2022年は無観客で神輿1社のみで再開され、PRは自粛しながらも今年は観客も観ることができるようになった。坂下しは技術と経験が必要であること、祭り継承の使命感により、比較的早期に坂下しの再開が決断された。(以上浮気美智男氏)
今村と同様、伊庭村も人口が減る傾向であり(2013年1997人⇒2023年1837人)[註1]、祭りの担い手不足が大きな課題となっている。担ぎ手が少なくなったためコロナ禍前に坂下しの神輿の数を3社から2社に減らした。祭りの形態を少しずつ変えながらでも春祭りを継承していきたいとのこと。(以上浮気美智男氏)

6.今後の展望
今年はコロナ対策が「第5類感染症移行」されなかったため[註15]、コロナ状況を見極め、安全対策他準備を万全にし、来年の今村の春祭り神輿渡御の実施が行われる(上林均氏)。
滋賀県を含む日本全体で人口減少しこれからも継続すると予想されており[註16、17]、春祭りの担い手不足が大きな課題になり続ける。伊庭のように渡御する神輿数を減らしたり、伊庭の坂下しほど危険が伴わないので今村の神輿担ぎには女性や村人以外の観衆も参加させたりして担ぎ手を確保することが考えられる。
行事の記録を続け(過去記録のデジタル化が好ましい)、伝統性や、環境にやさしい材料を使用し人力主体で行事が実施されていることをアピールし、伝統と環境価値を高めていくことが重要と考える。

7.まとめ
滋賀県東近江市今町の天満神社には、江戸時代から続く環境価値が高い伝統行事(文化資産)が存在する。
女性や村人以外の行事参加や、PRを強化し、行事を継承していくことが重要である。

  • 添付資料その1 図1(非公開)
  • 添付資料その2 写真1~写真12(非公開)
  • 添付資料その3 写真13~写真24(非公開)
  • 添付資料その4 写真25~写真36(非公開)
  • 添付資料その5 写真37~写真48(非公開)

参考文献

取材・聞き取り・資料提供:
汲田豊氏(天満神社氏子、今村在住)取材・聞き取り期間:2022年12月28日~2023年7月29日*対面、電話、メールにて対応
佐々木勇二氏(元天満神社氏子総代、今村在住)取材・聞き取り期間:2022年12月29日~30日*対面にて対応
上林昭氏(天満神社氏子、今村在住)取材・聞き取り期間:2022年12月29日~2023年4月9日*対面、電話、メールにて対応
市居薫氏(前天満神社氏子総代)取材・聞き取り期間:2022年12月29日~31日*対面にて対応
上林均氏(天満神社氏子総代)取材・聞き取り期間:2023年4月8日~9日*対面にて対応
浮気美智男氏(大濱神社宮世話、伊庭村在住)取材・聞き取り期間:2023年5月4日~2023年7月28日*対面、電話、メールにて対応

引用文献:
[註1]東近江市Webサイト 『市の人口動態』https://www.city.higashiomi.shiga.jp/0000006430.html 最終アクセス日2023年7月22日
[註2]東近江市能登川博物館Webサイト 『ふるさと百科 能登川てんこもり 【風土と歴史】』https://e-omi-muse.com/notohaku/tenkomori/page3.html 最終アクセス日2023年7月22日
[註3]東近江市史能登川の歴史編集委員会編『東近江市史能登川の歴史ダイジェスト版』、滋賀県東近江市、2015年
[註4]滋賀県神社庁Webサイト 「天満神社」 http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=819 最終アクセス日2023年7月23日
[註5]東近江市教育委員会市史編纂室編『能登川地区古文書調査報告書13 小川町・今町・躰光寺町・神郷町・種町・長勝寺町 共有文書目録』、東近江市教育委員会市史編纂室、2009年、13頁
[註6]天満神社氏子総代編『天満神社の運営に関わる文書綴り』、天満神社氏子総代(佐々木勇二氏)、2003年
[註7]敬神会会則・名簿、今村敬神会、1891年(明治24年)
[註8]東近江市観光協会Webサイト 「伊庭の坂下し祭り」 https://www.higashiomi.net/media/annual_events/ibanosakakudashi 最終アクセス日2023年7月22日
[註9]能登川町高校町史研究会委員会編『能登川町史』、能登川町、1976年、200頁~215頁
[註10]能登川町教育委員会『能登川のむかし話』、能登川町教育委員会、1980年、90頁
[註11]伊庭祭保存会編『伊庭祭』、伊庭祭保存会、1985年3月
[註12]東近江市百科編集委員会編『~鈴鹿から琵琶湖まで~まるごと東近江市百科』、東近江市、2008年3月、181頁~182頁
[註13]東近江市史能登川の歴史編集委員会編『東近江市史能登川の歴史第4巻資料・民俗編』、滋賀県東近江市、2012年、710頁~746頁
[註14]東近江市史能登川の歴史編集委員会編『東近江市史能登川の歴史ダイジェスト版』、滋賀県東近江市、2015年3月、52頁~55頁、100頁~102頁
[註15]厚生労働省Webサイト「新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行後の対応について」https://www.mhlw.go.jp/stf/corona5rui.html 最終アクセス日2023年7月29日
[註16]総務省統計局Webサイト 「人口推計(2022年(令和4年)10月1日現在)結果の要約」 https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2022np/index.html 最終アクセス日2023年7月29日
[註17]国立社会保障・人口問題研究所Webサイト 「日本の将来推計人口(令和5年推計)」https://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2023/pp_zenkoku2023.asp 最終アクセス日2023年7月29日

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