「佃住吉神社例祭」における文化的価値と今後の展望について

星野 未沙

1、始めに
佃住吉神社は、東京都中央区佃1丁目1番14号に位置する神社である。例祭は毎年8月6日、7日に行われ、3年に1度の本祭では期間も8月6日前後の金曜から月曜の4日間となり、獅子舞や八角神輿の宮出しなどが行われる。
落語の演目(註1)や歌川広重の絵(資料1-A)でも知られる佃祭は、2018年の本祭から東京五輪やコロナの影響で2年の延期となる2023年に斎行が決定した。そこで、「佃住吉神社例祭」における文化資産としての価値と今後の展望についての考察を行う。

2、文化的背景
1)佃住吉神社について(註2、3、4)(資料2)
主祭神は住吉三神(註5)、相殿神は息長足姫命(註6)、東照御親命(註7)であり、その由来は神功皇后が三韓征伐達成を感謝し、田蓑島(註8)にて住吉三神を遥拝し住吉社を創建したことに始まる。天正年間から大阪田蓑島の人々と徳川家康公は深い関わりをもっており、家康の関東下降に際して漁夫33人と住吉の社の神職平岡権大夫好次が分神霊を奉載、幕府より鐵砲洲向かいの干潟を賜り築島し、その地に社寺を定め御神霊を奉遷祭祀した(資料1-B)ことが佃住吉神社の起源とされる。
海上安全や渡航安全の守護神とされ、明治には月島や勝どき、新佃島、昭和には晴海、豊海が埋め立てられ、石川島が監獄移転に伴い工業・居住の場となったことで、これら地域の産土神(氏神)として信仰されるようになった。

2)佃住吉神社例大祭について(註9)(資料3)
1649年6月29日に鎮座した佃住吉神社では、創建以来この日を例祭日と定めていたが、太陽暦採用後に蔭祭りは8月6日、7日の2日間、本祭りは8月6日に近い土曜・日曜・月曜の3日間に行われるようになり、2008年からは氏子数の増加、祭りの規模の拡張に伴い、金曜を含めた4日間という現在の形となった。

2、評価点
1)祭のシンボル
都市祭礼の文化経済学的アプローチについて山田(2016)は、文化資本を「文化的価値を具体化し、蓄積し、供給する資産」と定義した概念を用いて、祭礼における資本としての有形資産と無形資産の存在を挙げている(註10)。
その概念を佃住吉神社例祭に当てはめると、佃住吉神社例祭における有形資産は、八角神輿(資料4)、獅子頭(資料5)、大幟(資料6)だといえるだろう。大幟は本祭の初日に一斉に掲げられ、八角神輿、獅子頭は共に見せ場を作ることで、祭の歴史を表出し、新製や修繕、保存方法などの技術と共に継承され、瞠目性を生むシンボルとなっているのだと考えられる。

2)海中御渡・船御渡(資料7)
祭りのシンボルとしての有形資産が上記の三つであるとすれば、隅田川沿いという地域の特徴や海に縁の深い特性、復活した行事である点から、無形資産として海中渡御・船渡御を挙げる。
海中渡御・船渡御とは、神輿を担ぎながら隅田川へ入水し、伝馬船に乗せ氏子地域を神輿が巡幸する行事であったが、佃島の周囲が防潮堤に囲まれたことや、隅田川の汚染を原因として1962年に廃絶された(註11)。しかし、隅田川の河川敷が整備され、船の発着が可能となり、さらには地元の人間の尽力によって、海中渡御は難しいながらも1990年に船渡御の復活を果たした(註12)。廃絶を経ても求められ伝承された、地域の人々が祭を大切に想う象徴的な行事だといえるだろう。

3)地域の繋がり
「知の伝承という役割を果たす祭礼組織は、経済学的には文化資本であると同時に、ソーシャル・キャピタルとしても機能している(註13)」点から、ソーシャル・キャピタル(註14)に注目すると、佃住吉神社例祭における組織には、佃と月島の祭祀組織の違いから、佃住吉講という結束型、佃地区と月島地区という橋渡し型(註15)の両面での特徴を見ることができる。佃地区では「佃住吉講」という祭礼を取り仕切る組織があり、月島地区では町内会を土台とした「住吉神社連合睦会」が取り仕切っている(註16)。そこで、佃地区はより伝統性の強い結束型の特徴を持ち、月島地区ではより開かれた橋渡し型の特徴を持つのである。
その上で、都市の祭礼の特徴(註17)とも共通する①自発的なつながり=自主的に参加できる、②ほどよい閉鎖性=決められた氏子地域や限られた地域、③定時制=祭の期間という三つの要素を持つことで、地域に心地よい連帯感や、旧住人と新住人の絆を生んでいると考察する。

3、他の事例との比較
比較事例として、東京都江東区富岡に位置する富岡八幡宮における「深川八幡祭り」を挙げる。
富岡八幡宮は、1627年に永代島と呼ばれていた現在の富岡に創建された(註18)。3年に1度、8月15日前後に行われる本祭(註19)では、例大祭の祭典、神幸祭、そして54基に及ぶ各町神輿連合渡御が特徴(註20)とされる。
佃住吉神社の最寄りである月島駅と富岡八幡宮の最寄りである門前仲町駅は隣駅であり、氏子の居住地に埋立地が多い点や徳川家に縁が深い点(註21)など多くの相似点を持つ。その中でも本祭に焦点を当てると、江戸の祭礼における「町神輿」、「水かけ」、「掛け声」という三つの特徴がある。

1)町神輿
1909年の夏に行われた富岡八幡宮の深川八幡祭は、永代橋崩落(註22)から100年目という特別な大祭であった。その際に華やかさを演出したのが氏子町による町神輿である。この深川八幡祭前後から東京の各神社の氏子町により、町神輿が多数製作されたことで、現在の東京各所でみられる神輿担ぎに象徴される都市祭礼の原型がつくられた(註23)。
佃住吉神社例祭と深川八幡祭の町神輿に注目すると、1917年月島の月島四之部町会と、大正末期の富岡八幡宮の門前仲町二丁目会の町神輿が同じ後藤直光作ということからも、互いに影響を受けていることが分かる。

2)水かけ
両祭礼ともに「水かけ祭り」と呼ばれ、神輿渡御の際に水をかける風習がある。その由来を、佃住吉神社は神輿洗いの名残(註24)、富岡八幡宮は担ぎ手へのお浄め(註25)としている。夏の気温が40度近くなる現代において、「水かけ」は熱中症対策としても欠かせないものとなっている。

3)掛け声
佃と深川の祭礼では、神輿の「揉み上げ」、「差し上げ」を行う際の「揉め」、「差せ」という掛け声は同じだが、神輿を平担ぎする際の掛け声は異なる。深川では「和を一緒」の考えから「ワッショイ」が起用され、その中でも木場担ぎでは伝馬船と岸の間の渡し板を往復するリズムから「チョイサ」という合いの手が入る(註26)。佃では高度経済成長期に江戸の祭りで流行したとされる(註26、27)「オリャ」が起用され、「我を張る」という語源から「俺や」の掛け声が使われている(註28)。

4、まとめと今後の展望
佃住吉神社の位置する佃地区は、中央区の地域分類では月島地域に分類される。現在の月島地域における総人口は78,445人(註29)で、10年前と比較する(註30)と約2万人も増えていることがわかる。さらに 5年後には人口が10万人を超え(註31)、町の発展に伴い氏子の増加および祭の規模拡大が予測される。そこで、今後の祭りにおける展望を述べる。

1)神事と祭礼、観光のバランス
祭りは歴史と文化を尊重し、まちづくりに重要な役割を果たし、地域ブランドとして観光資源としての役割も果たす。文化の継承に関しては、記録を公開し、絶えず行われることで担い手から担い手へ知識やノウハウの引継ぎが行われると考えられる。観光に関する取り組みとしては、深川八幡祭りのように特設サイトの用意や神輿の順路など、早期の適切な情報発信が望ましい(註32)。一方で、観光に比重が傾きすぎると参加者の不満につながることも考えられる (註33)。神事と祭礼、観光の各々に取り組んでいくことが必要だ。

2)参加者への取り組み
現在、参加する人への案内は掲示板が主になっている。新しく参加する意思のある人には各部ではなく、統一した窓口を設置し、何に参加できるのか、必要なものなど一目で理解できる取り組みが必要である。
また、以前までは、住吉講や町内会を基とした睦会に入った住人のみの祭りであったものが、現在は開かれた祭として、誰もが参加できるようになった。よって、町内会という組織の見直しも必要になると考えられる。

これらの課題に取り組むことで、「佃住吉神社例祭」は今後も、その文化的価値によって、持続と継承および発展に向かうと考察する。

  • 81191_011_32186053_1_1_kif_0830 八角神輿(2005年8月7日筆者撮影)
  • 81191_011_32186053_1_2_%e8%b3%87%e6%96%991 【資料1】佃祭にまつわる作品
  • 81191_011_32186053_1_3_%e8%b3%87%e6%96%992 【資料2】佃住吉神社について
  • 【資料3】佃住吉神社例大祭について(非掲載)
  • 81191_011_32186053_1_5_%e8%b3%87%e6%96%994 【資料4】八角宮神輿
  • 81191_011_32186053_1_6_%e8%b3%87%e6%96%995 【資料5】獅子頭
  • 81191_011_32186053_1_7_%e8%b3%87%e6%96%996 【資料6】大幟
  • 【資料7】海中渡御・船渡御(非掲載)

参考文献

【註】
(註1) 落語あらすじ事典 Web千字寄席>佃祭、https://senjiyose.com/archives/5134(2023年6月26日閲覧)
住吉神社の夏の例祭で賑わう佃島を舞台に「情けは人の為ならず」ということわざをテーマにした江戸の古典落語のひとつ。天保年間ではすでに神輿の海中渡御は有名であった。話中に出てくる渡し船の転覆は、昭和6年(1769)3月4日に起きた渡船転覆事件を基にしているといわれる。
(註2)平岡好朋『住吉神社写真集』、住吉神社、2008年、6-7頁。
(註3)岡田睦子『佃祭――佃島住吉神社大祭――』、株式会社アクロス、1991年、36-45頁。
(註4)住吉神社オフィシャルサイト>住吉神社について>由緒、https://www.sumiyoshijinja.or.jp/about.html、(2023年6月18日閲覧)
(註5)住吉三神とは底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命の三神のことであり、伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小戸の檍原で禊をした際に、海の中から現れた神だとされる。
(註6) 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)とは、仲哀天皇の皇后である神功皇后のことであり、三韓征伐を指揮し、その際住吉三神が大いに皇后を助けたとされる。
(註7) 東照御親命(あずまてるみおやのみおこと)とは、戦国の世を平定し江戸幕府の初代将軍である徳川家康のことである。
(註8)田蓑島とは現在の大阪市西淀川区佃の地であり、そこに創建された住吉社が現在の田蓑神社である。漁業と共に田も作れとの命を受け、村名を田蓑から佃へと改めたことで、田實神社は村の名を残すために住吉社から田實神社へ名を変えた。
(註9) 平岡好朋『住吉神社写真集』、住吉神社、2008年、49頁。
(註10)山田浩之『都市祭礼文化の継承と変容を考える――ソーシャル・キャピタルと文化資本――』、ミネルヴァ書房、2016年、15-16頁。
(註11) 平岡好朋『住吉神社写真集』、住吉神社、2008年、9頁。
(註12)中央区観光協会オフィシャルブログ>中央区観光協会特派員ブログ>船渡御~2015住吉神社例祭(本祭り)~(2015年8月3日記事)、https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/archive/2015/08/-2015-2.html、(2023年7月19日閲覧)
(註13) 山田浩之『都市祭礼文化の継承と変容を考える――ソーシャル・キャピタルと文化資本――』、ミネルヴァ書房、2016年、16頁。
(註14) 山田浩之『都市祭礼文化の継承と変容を考える――ソーシャル・キャピタルと文化資本――』、ミネルヴァ書房、2016年、20頁。
山田は、ソーシャル・キャピタルとは「協調性行動を容易にすることにより社会の効率を改善しうる信頼、規範、ネットワークなどの社会的仕組みの特徴」と定義づけたハーバード大学の政治学者ロバート・パットナム(1993)の概念を基に、ロバート・パットナムの述べるネットワークとは、人や組織の間を結ぶネットワークとそれらの間に醸成される信頼と規範であるが、それを社会全体に対する信頼や規範も含めてソーシャル・キャピタルとしていると述べている。
(註15) 山田浩之『都市祭礼文化の継承と変容を考える――ソーシャル・キャピタルと文化資本――』、ミネルヴァ書房、2016年、24-25頁。
ソーシャル・キャピタルにはボンディング(結束型)とブリッジング(橋渡し型)のふたつがあるとされ、結束型とは地域の知り合い同士など同じバックグラウンドを持つもののソーシャル・キャピタルのことであり、橋渡し型とは特定の目的を達成するために異なるバックグラウンドを持つもののソーシャル・キャピタルのことである。
(註16) 有末賢「都市祭礼の重層的構造 佃・月島の祭祀組織の事例研究」、『社会学評論』33巻4号、1983年、40-51頁。
(註17) 山田浩之『都市祭礼文化の継承と変容を考える――ソーシャル・キャピタルと文化資本――』、ミネルヴァ書房、2016年、28-30頁。
(註18)富岡八幡宮>御由緒、 http://www.tomiokahachimangu.or.jp/htmls/goyuisho.html、(2023年7月26日閲覧)
(註19) 宮本卯之助『神輿大全』、誠文堂新光社、2011年、146頁。
(註20)櫻井雅夫『江戸・深川と八幡祭』、江戸深川研究会、2001年、168頁。
(註21) 宮本卯之助『神輿大全』、誠文堂新光社、2011年、146頁。
両者の徳川家との繋がりに注目すると、まず1590年に徳川家康が江戸入城し、1603年に江戸幕府を開くまでの間、埋め立て工事などを行うことで江戸城下の市街地造成を進めた。その際、摂津西成郡佃村の漁師が漁船で家康の一行を渡した縁で、森孫右衛門の一族と漁民30余名を江戸に呼び寄せた。それが佃住吉神社の起源となる。一方、富岡八幡宮は、徳川家3代将軍である徳川家光に1642年、世継ぎである長男家綱が誕生した際に行われた祝儀が、例祭の起源であるといわれている。
(註22) 岸川雅範『江戸の祭典』、角川選書、2020年、43-44頁。
1807年に久方ぶりに行われた深川八幡祭りの祭礼行列を見ようと、人々が永代橋に群集し、橋が崩落したことで、溺死者が150人以上出た事件。これ以降、深川八幡祭は100年後の祭りまで、境内で催事を行うのみとなっていた。
(註23) 岸川雅範『江戸の祭典』、角川選書、2020年、44-46頁。
他にも神田神社の多町2丁目町会(秋山三四郎作)など、この時期に様々な神輿が造られたことは記録されており、これら町神輿の増加に伴って、神輿師という職もつくられた。
(註24) 岡田睦子『佃祭――佃島住吉神社大祭――』、株式会社アクロス、1991年、36頁。
1964年に佃大橋ができたことで、神輿が川に降りられなくなり、1968年の大祭を最後に神輿洗いは行われなくなった。
(註25)江東区ホーム>S-KOTO>伝統・文化・江戸情緒>江戸三大祭の一つ「富岡八幡宮 例大祭」の魅力、https://www.city.koto.lg.jp/skoto/tradition/reitaisai.html、(2023年7月27日閲覧)
(註26)西山哲太郎『祭りを旅する①関東甲信越編』、日之出出版、2002年、38-39頁。
(註27)TBS NEWS DIG>国内>お祭りの神輿、かけ声は「ワッショイ」と「ソイヤ」どっちが主流?調べてみると【Nスタ解説】(2023年5月16日記事)、https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/487037?page=2、(2023年7月27日閲覧)
(註28) 岡田睦子『佃祭――佃島住吉神社大祭――』、株式会社アクロス、1991年、37頁。
(註29) 中央区トップページ>区政情報>区の概要>統計データ>中央区の人口データ(毎月更新)>中央区の人口・世帯数(令和5年7月1日現在)、https://www.city.chuo.lg.jp/a0012/kusei/gaiyou/toukeidate/jinkou/tyuuoukunozinkousetaisuu.html、(2023年7月28日閲覧)
(註30)中央区トップページ>区政情報>区の概要>統計データ>中央区の人口データ(毎月更新)>町丁目別世帯数男女別人口>平成25年、https://www.city.chuo.lg.jp/a0012/kusei/gaiyou/toukeidate/jinkou/choubetsu/25tyoutyoubetuzinnkou.html、(2023年7月28日閲覧)
令和5年(2023年)7月1日における月島地域の総人口は78,445人、平成25年(2013年)7月1日における月島地域の総人口は58,274人で、10年の間に20,171人増加したことがわかる。人口増加の原因は、再開発やタワーマンションの増加にある。(志村秀明『再開発ビッグプロジェクトとサステイナブル・コミュニティ~東京都中央区佃・月島地区を事例として~』、「都市住宅学」57号、2007年、29頁。)
(註31)中央区トップページ>区政情報>構想・計画・施策>その他の主な施策・要望等>中央区将来人口の見通し>中央区将来人口の見通しについて(人口推計)>令和5(2023)年1月推計、https://www.city.chuo.lg.jp/documents/828/jinkousuikei202301.pdf、(2023年7月28日閲覧)
中央区は京橋地区、日本橋地区、月島地区に分類され、いずれも人口増加が予測されている。地区の中で人口が多いのは月島地区である。
(註32)富岡八幡宮例大祭 深川八幡祭り>神輿追跡マップ、https://www.baynet.ne.jp/fukagawamatsuri/、(2023年7月29日閲覧)
(註33) 山田浩之『都市祭礼文化の継承と変容を考える――ソーシャル・キャピタルと文化資本――』、ミネルヴァ書房、2016年、17、30頁。
都市祭礼は観光とは結びついているものだが、観光(エンターテインメントとしてのイベント)に比重が寄ると、共同体主義から個人主義へと意識が移り、結束意識も低下する。
例として、2023年8月8日に大津市の琵琶湖で行われる予定の「びわ湖大花火大会」では、地元の中央学区自治連合会から開催反対の決議文が提出された。その原因のひとつが高く長い有料観覧席の設置であった。観光客が増加すると有料の観覧席が設置されることは山田(2016)も言及している。

【参考文献】
・岡田睦子『佃祭――佃島住吉神社大祭――』、株式会社アクロス、1991年。
・平岡好朋『住吉神社写真集』、住吉神社、2008年。
・岸川雅範『江戸の祭典』、角川選書、2020年。
・山田浩之『都市祭礼文化の継承と変容を考える――ソーシャル・キャピタルと文化資本――』、ミネルヴァ書房、2016年。
・山田浩之『京都から考える都市文化政策とまちづくり――伝統と革新の共存――』、ミネルヴァ書房、2019年。
・有末賢「都市祭礼の重層的構造 佃・月島の祭祀組織の事例研究」、『社会学評論』33巻4号、1983年。
・中央区立郷土天文館『特別展 月島百景 佃・月島・勝どき・晴海・豊海 水のまちの120年』、中央区立郷土天文館、2012年。
・宮本卯之助『神輿大全』、誠文堂新光社、2011年。
・櫻井雅夫『江戸・深川と八幡祭』、江戸深川研究会、2001年。
・西山哲太郎『祭りを旅する①関東甲信越編』、日之出出版、2002年。
・田村一軌他「都市振興における祭りの役割 : 北九州の取り組みと課題」、海峡圏研究14号、2014年。
・志村秀明『再開発ビッグプロジェクトとサステイナブル・コミュニティ~東京都中央区佃・月島地区を事例として~』、「都市住宅学」57号、2007年。
・中央区まちかど展示館>まちかど展示館エリア特集>月島エリア夏の大祭特集、https://www.chuoku-machikadotenjikan.jp/feature/special01_tsukishima.html、(2023年7月16日閲覧)
・落語あらすじ事典 Web千字寄席>佃祭、https://senjiyose.com/archives/5134(2023年6月26日閲覧)
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・富岡八幡宮>御由緒、 http://www.tomiokahachimangu.or.jp/htmls/goyuisho.html、(2023年7月26日閲覧)
・江戸東京博物館デジタルアーカイブス>名所江戸百景 佃しま住吉の祭、https://www.edohakuarchives.jp/detail-1720.html(2023年7月6日閲覧)
・江戸東京博物館デジタルアーカイブス>江戸佃嶌住吉御宮再建造営奉燈略図、(https://www.edohakuarchives.jp/detail-8346.html、(2023年7月6日閲覧)
・中央区を、知る about Chuo City>中央区内の文化財>区民有形文化財>歴史資料>白魚献上箱(しらうおけんじょうばこ)、https://www.city.chuo.lg.jp/a0052/bunkakankou/rekishi/bunkazai/kuminbunkazai/shirauokenjyobako.html、(2023年7月7日閲覧)
・中央区を、知る about Chuo City>中央区内の文化財、https://www.city.chuo.lg.jp/bunkakankou/rekishi/bunkazai/index.html、(2023年7月7日閲覧)
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中央区トップページ>区政情報>区の概要>統計データ>中央区の人口データ(毎月更新)>中央区の人口・世帯数(令和5年7月1日現在)、https://www.city.chuo.lg.jp/a0012/kusei/gaiyou/toukeidate/jinkou/tyuuoukunozinkousetaisuu.html、(2023年7月28日閲覧)
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・中央区トップページ>区政情報>構想・計画・施策>その他の主な施策・要望等>中央区将来人口の見通し>中央区将来人口の見通しについて(人口推計)>令和5(2023)年1月推計、https://www.city.chuo.lg.jp/documents/828/jinkousuikei202301.pdf、(2023年7月28日閲覧)
・富岡八幡宮例大祭 深川八幡祭り>神輿追跡マップ、https://www.baynet.ne.jp/fukagawamatsuri/、(2023年7月29日閲覧)

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