文化としての「横浜の歌」について〜横浜市中区を中心として
1.事例の評価〜なぜ横浜の歌なのか
横浜に関する楽曲の音源収集を約40年行なっている。現在、レコード、CD、ビデオ、レーザーディスク、いずれかの媒体で保有している楽曲は、983曲に及ぶ。存在を把握しているが、保有していない音源が約60曲あるので、横浜には千曲を超える横浜を舞台とした楽曲が存在すると言える。
なぜ横浜にはこれほど多くの楽曲が存在するのか。保有する楽曲の歌詞の分析、作成された背景の調査、歌い手の生い立ちや歌うに至る経緯、レコードジャケットなどに使われている横浜の風景などを整理していくと、そこには明確に「横浜の歌文化」の存在が認められる。世の中にご当地ソングは数多くあれど、東京は勿論、日本におけるどの地方都市についても、横浜ほど多くの楽曲を認めることは出来ない。
文化としての横浜の歌について、横浜の土地の歴史を紐解き、歌を歴史に紐付けることで、何故これほど多くの楽曲が存在するのか、特に楽曲が集中している横浜市中区[註1]を中心として、理由を明らかにしてみたい。
2.歴史的背景〜横浜の歌の歴史
横浜における最初の楽曲は、『ノーエ節』(『野毛山節』ともいう)であることが定説である。文久年間に庶民の間で自然発生し、横浜を起点に全国に広がり、その土地でのノーエ節になっていったとされている。
明治42年(1909)には横浜開港50周年にあたり、『横浜市歌』(作詞:森鴎外、作曲:南熊衛)が作られた。市歌は、横浜市内の小学校を卒業していれば誰もが歌えると言われており、100年以上に渡り歌い継がれてきている。また、2003年には横浜出身のミュージシャンである中村裕介(1951〜)により、ブルースヴァージョンも作曲された。
大正時代には、童謡『青い眼の人形』と『赤い靴』が、作詞:野口雨情、作曲:本居長世により生み出された。[資料1]
大正12年(1923)9月1日には関東大震災に見舞われたが、横浜は焼け野原から見事に復興を遂げていく。
昭和に入ると、諸説ある中で昭和61年(1999)に廃業した山下町のバンドホテルが舞台とも言われている『別れのブルース』(作詞:藤浦洸、作曲:服部良一)が、ブルースの女王と称された淡谷のり子(1907-1999)により大ヒットした。
第二次大戦中は、横浜高等女学校の教員であった渡辺はま子(1910-1999)が歌手ビューし、『支那の夜』(1938)や『モンテンルパの夜は更けて』(1952)をヒットさせた。渡辺はま子は、淡谷のり子に対して、チャイナメロディーの女王と称された。昭和37年「港が見える丘公園」の開園時には、昭和22年に平野愛子(1919-1981)が歌った『港が見える丘』(作詞・曲:東辰三)を、渡辺はま子がオーケストラをバックに披露した。[資料2]
そして昭和の横浜を代表する歌手である美空ひばり(1937-1989)は、昭和12年(1937)に磯子区滝頭で生まれ、9歳の時に横浜国際劇場でデビューした。昭和32年(1958)横浜開港100周年の大祝賀会では、『浜っ子マドロス』(作詞:量野哲郎、作曲:船村徹)が歌われた。生涯販売枚数8000万枚を超えると言われる、誰もが認める大スターであった。
横浜には昭和歌謡の横浜三部作と呼ばれる楽曲がある。昭和43年(1968)青江三奈(1941-2000)による『伊勢佐木町ブルース』(作詞:川内康範、作曲:鈴木庸一)[資料3]、いしだあゆみ(1948〜)による『ブルーライト・ヨコハマ』(作詞:橋本淳、作曲:筒美京平)、そして昭和46年(1976)五木ひろし(1948〜)による『よこはま・たそがれ』(作詞:山口洋子、作曲:平尾昌晃)がそれである。この三部作は、横浜のエキゾチックで素敵なイメージ向上に、おおいに役立った。また専業の歌手だけではなく、中村雅俊、勝新太郎、柴田恭兵、藤竜也などの俳優も横浜を歌った効果も大きい。
⒊横浜市中区本牧地区の特異性について〜本牧ロックの誕生
昭和20年(1945)、第二次大戦後、横浜の土地の大半が米軍に接収された。翌年には、本牧地区に米軍住宅地区(ハウス)が建設され、軍人とその家族の住居となった。基地の中にPX(巨大ショッピングセンター)やインターナショナルスクールが作られ、横浜に住む人々は、家族の誰かが基地の中のアメリカ人と知り合いというような環境となり、日本では入手できないレコードも、基地の知人を介して入手できた。特に本牧地区は「ひとつのアメリカの街」として、I.G.、リキシャルーム、ベニスといった店が立ち並び、アメリカ文化との交流が自然と育まれていった。
昭和39年(1964)ベトナム戦争開戦の年に、市電通りに「本牧ゴールデンカップ」がオープンした。日本はベトナム戦争の補給基地として帰休兵が2週間止まる間、山下町のゼブラクラブ、将校クラブなどが24時で終わると、そこから本牧のゴールデンカップはスタートした。
昭和41年(1966)12月にゴールデンカップを拠点とし、平尾時宗とグループ&アイ(のちのザ・ゴールデン・カップス)がデビューする。ザ・ゴールデン・カップスは、エディ藩(1947〜)、ルイズルイス加部(1949〜2020)、柳ジョージ(1948〜2011)、ミッキー吉野(1951〜)など、日本のロック音楽の礎を築き、現在の横浜を代表するバンドであるクレイジーケンバンドなど、横浜の本牧発の音楽が、日本のロック音楽の歴史に多大な影響を及ぼしていったことは、特筆すべき事実である。[資料4]
⒋他地域と比較して〜横浜にしかない歌の文化
横浜には、他のどの街とも異なる文化が、開港の歴史の中で発展していった。その中で、数多くの横浜の歌が生まれ、歌い継がれ、街のイメージ形成の役割を担ってきた。歌が、横浜の街の「時代や世相を映し出す鏡」となってきた。常に横浜には、東京との比較が存在する。よく表現されるそれは、東京に対する対抗意識とともに、開港の地である横浜に根付く「東京よりも横浜が最初。開国の歴史は横浜から。」という、横浜で生きる人々に刻まれた歴史のDNAである。
また、湘南文化との比較は重要である。サザンオールスターズのデビュー以降、茅ヶ崎市を中心に「湘南サウンド」という言葉が使われ出したが、元々は加山雄三(1937〜)らが、湘南の音楽を作り出してきた歴史がある。1970年代には、今や伝説と呼ばれる茅ヶ崎の岩倉家のガレージを改装した「カフェ・ブレッド&バター」には数多くのミュージシャンが集い、そこで生活をし、人々は湘南の自由を謳歌した。ここもまた、横浜に対する湘南という意地を感じるが、それは横浜の東京に対するものとは違い、「同志としてのライバル意識」とも呼べるプライドだと言える。
作家の平岡正明(1941-2009)が著書『横浜的芸能都市創成論』[註2]の中で横浜の独自性をこのように表現している。「横浜は、諸要素の混在が実体としてある。超近代と江戸の混在、港町らしい多民族の混在などだ。異質のものの衝突から、喜怒哀楽を創出するよりない。」と。横浜の街が、歌を生み出す舞台そのものなのである。[資料5]
⒌今後の展望とまとめ
横浜の原風景とも言うべき港の風景は、時代や市政の方向性ととともに変化しているが、1982年に本牧海浜住宅地区等返還式以降の横浜の楽曲の傾向は、懐古的になっている様が見られる。
横浜の都市計画は、令和2年(2020)に市役所が関内から桜木町へ移転し、みなとみらい地区では、大型商業施設や大学の誘致など、街は進化し続けている。かつて横浜の歌は、横浜に異国ムードという幻想を抱かせる大きな役割を果たしたと言っても過言ではなく、横浜に住む外国人との文化の融合の中で、異国情緒を醸し出すことが横浜の歌のコンセプトとして多用されてきた。しかし、最先端の都市としての開発がますます進展し、従来の街としての横浜らしさが失われていく中で、歌の横浜らしさも失われてきていることは明らかである。
私たちは、横浜の歌の歴史を紐解き、時に市歌を口ずさみ、時にライブハウスに足を運び、また開港祭などの記念行事に参加する中で横浜を舞台とする楽曲に触れる時、横浜の歌こそ歴史、文化そのものであることを改めて知る。
横浜の街は、古き良き横浜と、みなとみらいに代表される新しい横浜の開発との融合を図る中で、歌もまた街の発展とともに活かされ、歌い継がれて行くことで文化としての継承がなされていくのである。
参考文献
<註>
[註1]文中に登場する地名・施設名の属する住所(町名)は以下のとおり。
・野毛山:横浜市中区野毛町
・山下町:横浜市中区山下町
・本牧:横浜市中区本牧町
・伊勢佐木町:横浜市中区伊勢佐木町
・関内:横浜市中区海岸通、他15町
・桜木町:横浜市中区桜木町
・港が見える丘公園:横浜市中区山手町
[註2]『横浜的 芸能都市創成論』平岡正明著/青土社/1993年 P364
<参考文献>
⒈市民グラフヨコハマNo.77『歌のヨコハマ70年』/横浜市/1991年
⒉季刊誌横濱12号『伝説の町本牧』/神奈川新聞社/2006年
⒊季刊誌横濱32号『歌、映画、ドラマに見る横浜』/神奈川新聞社/2011年
⒋YOKOHAMA COLLECTION1998年4−5月号/土日社/1998年
⒌『オン・エア/耳の快楽』平岡正明著/毎日新聞社/1992年
⒍『ジャズ的』平岡正明著/毎日新聞社/1997年
⒎『大道芸および場末の自由』平岡正明著/解放出版社/1995年
⒏『横浜中華街謎解き』平岡正明著/朝日新聞社/1995年
⒐『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』San Ma Meng著/小学館/2004年
10.『ザ・ゴールデン・カップスのすべて』和久井光司著/河出書房新社/2005年
11.『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム写真集&映画ブックレット』アルタミラミュージック発行/2004年
12.『天使はブルースを歌う』山崎洋子著/毎日新聞社/1999年
13.『かもめが翔んだ』日本随筆紀行8横浜/作品社/1986年
14.『クレイジーケンの夜のエアポケット』横山剣著/ぴあ/2002年
15.『横浜文学散歩』鈴木俊裕著/門土社総合出版/1993年
16.『横浜の歴史』横浜市教育委員会/2005年
17.『うた人ヨコハマ』読売新聞横浜支局著/230クラブ新聞社/1996年
18.『都市ヨコハマをつくる 実践的まちづくり手法』田村明著/中公新書/1997年