国史跡として蘇った中世山城 飯盛城跡のこれから ―まちのトポスになるためのヒントを探るー

平松 宏正

1. はじめに
大阪の東に位置する大阪府四條畷市と大東市にまたがる飯盛山に現存する「飯盛城跡」が、2021年10月11日、両市にとって初の国史跡に指定された。
本稿では、国史跡指定となった飯盛城跡および連帯するまちが、現代の「トポス〈意味ある場所〉〔1〕」となるためのヒントを、地域デザイン的視点〔2〕も絡めて考察する。

2. 基本データ
飯盛城は、標高314mの飯盛山に16世紀中頃に築かれ、その城域は東西400m、南北700mに及ぶ山城として「続日本100名城」にも選ばれている。現在の行政区画では、城の北側は四條畷市、南側は大東市に属し、戦国時代末期としては西日本最大級の規模〔3〕を誇る。

3. 歴史的背景
天下布武を掲げた織田信長による安土築城が1576年であるが、その信長に先立つ天下人・三好長慶(1522〜1564)が1560年から居城とした山城が飯盛城である。それは、当時の日本の政治的な〈首都〉とも言える場所であった〔4〕。資料-1に、飯盛城跡の石垣遺構(写真-1)、および三好長慶公の銅像(写真-2)を示す。
国史跡指定に向けて行われた総合調査では、三好長慶により飯盛城域全体が花崗岩の自然石または粗割石の石垣で築かれたことが明らかにされたが、これは、城域全体が石垣によって築かれた中世山城としては、近江の観音寺城、織田信長の安土城のみ〔5〕という点で、城郭史的意義も大きいと言える。

4. 市民活動に見られるトポスの兆し
大東のまちは「何もないまち」と、市民からネガティブなイメージを持って語られて久しい〔6〕。この冷めたとも取れるまちへのイメージからの脱却、活性化に向け、2014年、大東市は飯盛山に眠る古城跡、飯盛城跡の国史跡指定を目指すことを表明する。
これには、2010年からNPO法人 摂河泉地域文化研究所が始めた飯盛城関連シンポジウムの貢献度も大きく、その対象テーマの奥行き、開催者の広がりは、高く評価できる〔7〕(表-1)。そして、この市民活動とともに国史跡が誕生した展開は、飯盛城跡がまちの「トポス〈意味ある場所〉」になる兆しとも捉えることができる。
そこで、地域デザイン、ロールモデルの比較研究から、飯盛城跡がトポスになる可能性を以下で探る。

5. 飯盛城跡の特徴をトポスデザインの視点で評価
まず、原田氏らが提唱している地域デザインモデルを参考に、飯盛城跡をトポスを起点とする地域デザインの視点から評価する。
原田氏らは、トポスを起点とした地域デザインモデルとして5つの環境層(経済、文化、自然、気候、地球)〔8〕に焦点を当て、その環境層のコンテクスト転換〔9〕が地域の価値創造にとって重要であると述べている。
飯盛城跡が立地する飯盛山は、標高314mの山頂からの眺望が素晴らしく、眼下の河内平野から六甲山系を見据え、北は京都、比叡山、南は淡路島、泉州北部まで見渡せるその景観は〈視界270°〉と評されている。それゆえ、飯盛城は京都、畿内を支配した三好長慶政権の拠点であったが、現代でも飯盛山を巡る8つのハイキングコースは、市民、来訪者を惹きつける魅力となっている。
そこに改めて加わる飯盛城跡が有する空間性の現代価値は、その素晴らしい景観に重層された山城ゆえの高さと広がりを備えた三次元性にある。それは、「飯盛城跡の構造図と想像復元鳥瞰図」(図-1)に示すとおり、敵の侵入を防御する堀切〔10〕や土橋〔11〕、東西からの攻撃を防御する石垣群を、ハイキングしながら体験・鑑賞できる空間性にあると言ってもよい。さらに、四條畷市側登山口の四條畷神社、大東市側登山口の野崎観音(慈眼寺)のパワースポットの存在は、今後の飯盛城跡を巡る回遊性地域デザインの展開も期待させる(図-2)。
これらの点において、国史跡・飯盛城跡の誕生は、この地域の新たなコンテクスト転換(自然的環境層から文化的環境層への転換)として捉えられ、トポスデザインを体現していると評価できる。

6. 飯盛城跡の特筆点と今後の展望について
次に、天下人 三好長慶・飯盛城と、天下布武を掲げた織田信長・安土城を対比する。安土城跡は特別史跡として現代に蘇り、安土のまちの市民・来訪者に愛されているその姿は、戦国時代末期の天下人が関わった現代のトポスとみて学ぶに価する。史跡価値、まちづくりの観点から、安土城跡と比較した飯盛城跡の特徴、および安土城跡からの学びを表-2に示す。
安土城跡は、年間7万人前後の人が訪れる特別史跡であり、復元された大手道と呼ばれる参道の石段(幅6-7m、直線距離180m)の姿は圧巻である。また、登城路を登り詰めた天主跡の高石垣は、目測高さ5-6mの野面積み〔12〕(資料-2/写真-1)で構築され、石の城たる近世城郭の嚆矢と言われる風格を感じさせる。そして、現存しない天主については、観光案内施設「安土城天主 信長の館」で、スペインセビリア万博に出展された最上部5,6階の金箔貼りの姿が復元展示され、また、スマートフォンのVR(バーチャル・リアリティ)アプリ〔13〕を使うと、現代の城跡の礎石(資料-2/写真-2)の上にそびえ立つ当時の絢爛豪華な天主閣の様相が浮かび上がる(資料-2/写真-3)。こうした観光を支援する施設、ツールも史跡価値の理解にとっては欠かせないものであり、石垣を主な遺構とする飯盛城跡にとっても大いに参考にできる。
一方、対比する飯盛城跡の特筆すべき点はどこにあるか。まず、標高199mの安土山に対し、標高314mの飯盛山から見下ろす〈視界270°〉の光景は、その高さと広がりにおいて、安土城跡からの眺めに勝るとも劣らない。次に、その特徴とも言える中世山城初期の城域全体にわたる石垣は、安土城跡ほどの高さや壮大さはないが、自然と同化した「廃墟の美〔14〕」を感じさせるノスタルジックな雰囲気を纏っている。この断片的に現れる石垣群は、ハイキング本道から少し逸れた帯曲輪〔15〕の間道で発見され、迷路性と冒険性を兼ね備えたゲーム感は特筆すべき特徴と言える。ただ、急傾斜地の石垣は見学できない所もあり、2021年7月、見学可能なマップとして『飯盛城跡 -石垣ガイド-』〔16〕(資料-3/図-1)が行政から発行されている。これは石垣ファンとしては待ち望んだ有益なガイドであるが、実用面ではさらに来訪者に優しいガイドの刷新が望まれる。即ち、迷わない見学ルート、間道・動線の追記、石垣経路への分岐点情報の掲載であり、今後の参考として筆者の追記案を資料-3/図-2に示す。これらは、ハイキング初心者でも見逃さないことを目的としたものであり、実体験した一つの意見として行政側には伝えている〔17〕。
また、今後、飯盛城跡がまちのトポスとなるためには、いわゆるシビックプライドを育むことも不可欠となるが、そのヒントを安土駅近くの地下道壁画(資料-4)に見出したので紹介する。これは安土中学校の生徒による作品であり、この制作由来が、現在の安土のまちのトポスとして宿る信長・安土城跡の存在を物語っている。それは、駅周辺の改修等で利用が減った地下道の活用について行政、住民が意見を交わす中、安土を紹介する絵を描きたいという中学生の案を、まちとして採用したことだ〔18〕。結果、その想像力あふれるユニークな作品群は、観光客、市民に対し、まちのシンボルと愛着を現代に伝えるメッセージを表現するものになっている。これは、これから5年、10年とかかる飯盛城跡の史跡価値の継承にとって、若年層への啓蒙、浸透が欠かせないものであることを示唆しており、今後、このような小・中学生への心に残る活動が現れることを期待する。

7. まとめ
飯盛城跡が国史跡となり、これが〈意味ある場所〉トポスとなるためのヒントを、トポスデザインモデルや、信長・安土城跡と比較することで探ってきた。
そこからわかる一つは、飯盛城跡の自然と石垣の特徴を活かした史跡価値を向上させる不断の努力と、歴史を現代と繋げる情報発信の必要性である。
そして二つ目は、飯盛城跡をこれからトポスとして誇れる場所とするために、それを担うまちの一人一人がまちづくりに向けた活動へ参画することが大切なのではないだろうか。私が安土城跡を訪問した際、一緒に記念写真を撮影してもらった甲冑姿のボランティア市民の方々、安土駅前に立つ信長の銅像の前に落ちていたペットボトルを、まるで家の前に落ちているかのように拾って廃棄された市民の姿が忘れられない。

  • 1 資料-1 飯盛城跡と三好長慶公の銅像
  • 2 資料-2 安土城のVR天主閣と安土城跡の合体イメージ図
  • 3 資料-3 飯盛城跡 ー石垣ガイドーへの追記案
  • 4 資料-4 安土中学校生徒の壁画作品
  • 5 図-1 飯盛城の構造図・想像復元鳥瞰図
  • 6 図-2 飯盛城跡を巡る回遊性地域デザイン展開
  • 7 表-1 飯盛城関連シンポジウム開催の軌跡
  • 8 表-2 安土城跡と飯盛城跡の比較表

参考文献


〔1〕中西紹一・早川克美編『私たちのデザイン2 時間のデザイン―経験に埋め込まれた構造を
  読み解く』(芸術教養シリーズ18)、藝術学舎、2014年、128-129頁において、菅山明美
  は、「トポス」とは、ギリシア語で「場所」を指す言葉(古代ギリシアの哲学家・アリスト
  テレスが重視した概念)であると述べ、哲学の領域で使われるトポスの概念=意味ある場所
  と捉えている。そして、トポスとしての地域の再生に「時間のデザイン」を取り込んだ論を
  展開している。
   本稿では、このトポス再生論とも言える概念をもとに、国史跡となるに至った飯盛城跡お
  よび地域の取り組みを評価することで、それらがまちのトポス=意味ある場所に育っていく
  ためのヒントを考察するものである。
〔2〕先行研究として、小川雅司は地域デザインモデルであるZTCAデザインモデルをベースに、
  飯盛城址をZ(zone)やT(topos)と見立てて分析し、大東市の観光振興やまちづくりに対する地
  域価値発現装置として活かす見解を下記で論じている。
  原田 保 石川和男 小川雅司 編著『地域マーケティングのコンテクスト転換』学文社、
  2019年、146-159頁(第7章 「民族②=戦国武将を活用した大東市のコンテクスト転換
  」)。ここで、「ZTCA」とは、Z(zone) ・T(topos)・ C(constellation) ・A(actors network)
  の頭文字を取ったものであり、地域デザインの理論枠組みには、この4つの観点を踏まえた
  デザインがなされる必要がある(原田,2014)という考え方である。
   本稿は、ZTCAデザインモデルを参考にした視点でも考察しているが、トポスを起点とし
  たトポスデザイン論(原田 保 山田啓一 石川和男 編著『地域イノベーションのための
  トポスデザイン』学文社、2018年)をベースに、独自の見解を述べたものである。また、
  あくまで大東市・四條畷市のまちづくりにとって、飯盛城跡が「トポス〈意味ある場所〉」
  として機能するためのヒントを探る考察を目論んだものであり、地域デザインモデルの適用
  を目的としたものではない。
〔3〕『クローズアップ飯盛城2021』資料集 大東市産業・文化部生涯学習課(編集) 四條畷
  市教育委員会教育部生涯学習推進課 、2021年。
〔4〕中西裕樹「三好氏の城」『大阪春秋』No.165 特集「いまよみがえる三好長慶の世界」、
  2017年において、中西裕樹は「飯盛城は、「首都」とも表現されるようになった。当時の
  「天下」とは、京都とその周辺のことであり、この首都圏をコントロールする三好長慶が
  「天下人」であった。」と述べている。
〔5〕『飯盛城跡総合調査報告書』大東市教育委員会 四條畷市教育委員会、2020年、209頁、
  211頁。
〔6〕「凡景の街を越える」『大阪春秋 通巻160号』新風書房、2015年、 22頁で、浅野詠子は、
  「何もないまち」大東が変わりはじめたと、官民の双方が三好長慶・飯盛城跡を国史跡指定
  に向けて動き出した手応えを語っている一方、「今をさかのぼる16年前、(大東)市役所が
  行った市民意識調査によると、「取り立てて意味のないまち」と回答した人が4分の1近くに
  のぼっていた。」という市民アンケート結果を紹介している。
〔7〕「飯盛城関連シンポジウム開催の軌跡(表-1)」では、NPO法人 摂河泉地域文化研究所等に
  よる2010年から2021年(飯盛城跡の国史跡指定)までの活動の略歴を筆者がまとめてい
  る。
   そこからは、飯盛城から河内キリシタン、経済的首都・堺までの活動テーマの広がりとと
  もに、開催者、後援者に行政、研究者、市民団体を巻き込む展開が垣間見られ、この地域の
  10年間にわたる一体感の醸成の軌跡が読み取れる。
   さらに、NPO法人 摂河泉地域文化研究所へのインタビュー(2021年11月15
  日)では、この10年間の活動と共に、今後も飯盛を中世の城の研究のメッカにしたいという
  構想をお聞きしたが、そこには、これからも地域の歴史資源、歴史的事実を市民と共有して
  いきたいという思いが込められていた。
〔8〕 原田 保 山田啓一 石川和男 編著『地域イノベーションのためのトポスデザイン』学
  文社、2018年、7-14頁で、原田・石川は、トポスデザインとして焦点を当てる環境層とし
  て、第1層=地球的環境層、第2層=気候的環境層、第3層=自然的環境層、第4層=文化的環境
  層、第5層=経済的環境層の5層構造でトポスは語ることできる、と述べている。
〔9〕 原田 保編著『地域デザイン戦略総論』芙蓉書房出版、2013年、124-125頁で、関谷は、
  「もの」としてのコンテンツ(contents:提供内容)に対し、それらを取り巻く様々な前後
  関係としての文脈をコンテクスト(context:提供方法)として捉え、コンテンツ自体の創
  造、変革以上に、コンテクストを状況に応じて転換する「コンテクスト転換」こそが地域デ
  ザインにとって重要な意味を持つと説く。
〔10〕 堀切:山城の尾根を分断するように設けた堀
  監修者 中井 均 編者 城郭談話会『図解 近畿の城郭 Ⅰ』戎光祥出版、2014年、城郭用語解
  説頁
〔11〕 土橋:地面を掘り残すか、土を盛り上げて築かれた橋
  監修者 中井 均 編者 城郭談話会『図解 近畿の城郭 Ⅰ』戎光祥出版、2014年、城郭用語解
  説頁
〔12〕 野面積み:未加工の自然石を積む石垣の積み方
  『石垣の城を極める! 廃城をゆく6』イカロス出版、2018年、98頁。
〔13〕 近江八幡市のホームページで紹介している「体験型VR観光アプリ ストリートミュージア
  ム」をスマートフォンにダウンロードすると、現地で想像上の安土城の石垣や天主などの映
  像が、現在の史跡に投影された姿として観賞できる。
   これは、菅山明美が手がけたプロジェクション・マッピング(中西紹一、早川克美編『私
  たちのデザイン2 時間のデザイン ―経験に埋め込まれた構造を読み解く』(芸術教養シ
  リーズ18)、藝術学舎、2014年、74頁、127-154頁)に対し、VRの最先端技術を用いて、
  過去と現代という異なる時間を融合させることで誕生したトポスの姿と捉えることができ
  る。
〔14〕 廃墟の美
2021年5月2日、朝日新聞、21頁には、「廃墟 朽ちゆく美しさ」と題する記事が掲載され
  ている(西田理人)。そこでは、「廃墟の女王」と呼ばれる神戸市の「旧摩耶観光ホテル」
  の国登録有形文化財の決定を紹介するとともに、廃墟の魅力として、経年とともに自然にの
  み込まれた独特の美しさと、どこか感じる懐かしさへの魅力が述べられている。
   また、廃墟を見て美しいと感じる理由については、廃墟の美しさと自然とは切り離せない
  関係にあり、「過去や未来へと向かう直線的な時間と、四季をめぐる循環的な時間。さまざ
  まな時間意識が錯綜して、廃墟美が成り立つ」(山崎聡)と、寄稿されている。
   これは、昨今の廃墟ブームの根底にある時間の概念と人間心理の関係を表していると言え
  るが、中世城郭の遺構である飯盛城跡においても、自然の木々が生え出る中の苔むした石垣
  の姿に、同様の魅力を感じたとしても不思議ではないと想像する。
〔15〕 帯曲輪:細長く伸びた曲輪。(曲輪:城郭を構成する平坦面。「郭」とも書く。)
  監修者 中井 均 編者 城郭談話会『図解 近畿の城郭 Ⅰ』戎光祥出版、2014年、城郭用語解
  説頁。
〔16〕『飯盛城跡 ―石垣ガイドー』大東市産業・文化部生涯学習課(編集)四條畷市教育委員
  会教育部生涯学習推進課 、2021年。
〔17〕 2021年11月3日、『飯盛城跡 ―石垣ガイドー』を見ながら掲載されたハイキング道を頼
  りに歩いてみたところ、けっこう正確なルートの記載がされていることがわかり、有益であ
  った。ただ、見学ルートの色のハイライト化、動線の矢印、着地点や分岐点の目印、注釈コ
  メントの記載等の提案を感想とともに四条畷市のホームページから報告すると、翌日、地域
  教育課からメールにて返答があった。それによると、この石垣ガイドの図面は、最新の測量
  方法で図化したものをわかりやすく色づけしたものとの説明があり、コメントした意見への
  感謝と、今後、再版する機会があれば、大東市とも相談のうえ参考にしたいとの見解をいた
  だいている。これから国史跡として数多くの来訪者を迎える上で、より来訪者に優しい石垣
  ガイドマップになることを期待したい。
〔18〕 地下道壁画については、近江八幡市 生涯学習課に安土中学校へのコンタクトを相談し
  たところ、安土中学校へ壁画作成を依頼された安土まちづくり協議会、および安土中学校教
  頭先生をご紹介いただき、お二人への電話インタビュー(2021年11月13日、15日)が実現
  したことで、その由来をお聞きすることができた。
   この地下道壁画制作は、安土の変容するまちの問題を、行政と住民が協力して取り組まれ
  た活動成果であり、中学生も意欲的に関わっている姿からは、まちへの深い愛着が感じとら
  れる。そして、地元の中学生が自主的に選んだ卒業制作の壁画テーマが、課外授業でも慣れ
  親しんだまちのシンボル、信長・安土城跡であったというところに、それがまちのトポス
  〈意味ある場所〉として根付いている様子が見て取れる。

参考文献
中村雄二郎『場所 トポス』弘文堂、1989年。
中村雄二郎『共通感覚論』岩波書店、2000年。
中西紹一・早川克美編『私たちのデザイン2 時間のデザイン―経験に埋め込まれた構造を読み
解く』(芸術教養シリーズ18)、藝術学舎、2014年。
原田 保 石川和男 小川雅司 編著『地域マーケティングのコンテクスト転換』学文社、2019年。
原田 保 山田啓一 石川和男 編著『地域イノベーションのためのトポスデザイン』学文社、2018年。
原田 保編著『地域デザイン戦略総論』芙蓉書房出版、2013年。
『飯盛城跡総合調査報告書』大東市教育委員会 四條畷市教育委員会、2020年。
仁木宏 中井均 中西裕樹 NPO法人摂河泉地域文化研究所編著『飯盛山城と三好長慶』戎光祥出版、2015年。
滋賀県教育委員会編著『安土 信長の城と城下町』サンライズ出版、2014年。
千田嘉博 下坂守 河内将芳 土平博『城から見た信長』ナカニシヤ出版、2015年。
『石垣の城を極める! 廃城をゆく6』イカロス出版、2018年。
谷川渥『形象と時間』講談社、1998年。
谷川渥監修『廃墟大全』トレヴイル、1997年。

四條畷市ホームページ掲載 「飯盛城跡パンフレット2018(PDF)(4頁、7頁)」 図-1で引用
https://www.city.shijonawate.lg.jp/uploaded/attachment/9585.pdf
(2021年12月27日閲覧)
大東市ホームページ掲載 「河内飯盛山登山コースガイドマップ(裏)PDF」 図-2で引用
https://www.city.daito.lg.jp/uploaded/attachment/17448.pdf 
(2021年12月27日閲覧)
四條畷市ホームページ掲載より、表-2 註〔1〕で引用
https://www.city.shijonawate.lg.jp/site/bunkazai-shiseki/30551.html 
(2021年12月27日閲覧)
近江八幡市ホームページ掲載 VR観光アプリによる安土城天主閣の復元 資料-2で引用
https://www.city.omihachiman.lg.jp/soshiki/kanko/3/1/1778.html
(2021年12月27日閲覧)

年月と地域
タグ: