西貢タウン ~ コミュニティが交錯する町

増井 洋子

1. はじめに
 香港というと密集した高層ビル群のイメージを思い浮かべることが多いが、香港全土の約40%はカントリーパーク①として指定されており、実際には自然に囲まれた町並みも多く存在する。本稿で取り上げる香港の西貢②タウン(以下「西貢」)も海と山に囲まれた小さな町だが、個性のある活気に溢れた町である。この町が人々を惹きつける魅力は何であるのか空間の観点から考察する。

2. 基本データ
新界③東部の西貢半島の西南に位置する。
人口④ 9,623 、周辺 ⑤ 28,733
周辺の集落の総数⑥ 約114
土地面積 約24ヘクタール ⑦

3. 歴史的背景

(1) 町と周辺集落
 19世紀末には市場の存在があり、20世紀初頭には50あまりの店⑧が並ぶ漁村であった。世界第一大戦中には香港島の港への入港規制の厳格化により、多くの船が西貢に寄港し、町は栄えた。当時、西貢までの交通手段は船のみであったが、第二次大戦中の日本軍による香港占領下 ⑨、軍事目的により西貢―九龍間の道路が整備され、以降、九龍地区へのアクセスが容易になった。
 町周辺に存在する集落は17世紀後半以降中国大陸から移動してきた広東人を皮切りに大半は客家人⑩が定住し始めてできた集落である。
 1950年代には多数の村民が英国へと移民、人口減少。
 1972年に”Small House Policy”⑪が政府によって導入され、以降、老朽化した集落家屋の建て直しや新築により原居村民⑫以外の住民も増加。
 ここ20年ほどの間にインターナショナルスクールやオフィスが西貢からアクセスしやすい九龍に増えたため、かつ広い住居空間と自然豊かな環境を求めて、外国人の周辺集落への居住が増加している。

(2)  ハイアイランド貯水池(萬宜水庫)に埋もれた集落
 第二次大戦後、香港の人口が益々増加し、1960年代には水不足問題が深刻化したため、二集落が存在していた西貢より約10キロ東に位置する萬宜湾に貯水池が建設(1971~1979)された。そのために、この二集落の村民は西貢の埋立地に建設された五階建ての十棟の住居ビルに移住することになった。現在の町の大部分は1960年代以降の埋立地である〔添付1〕。

4.評価
 西貢は第一に信仰を尊重した町の履歴が創出した空間であり、第二に「中心性」⑬のある空間である(詳細は下記)。その両者の要素が相互作用して観光、香港の食文化や伝統文化、周辺の住民の庶民的な生活文化が発展し、町とその周辺に住む住民のコミュニティ、地元ラグビーチーム⑭や学校のコミュニティなど様々なコミュニティの存在を可能にした、個性豊かで活気ある町空間を形成していることを評価する。

(1) 履歴の空間
 1960年代の埋立以降、元来海辺に位置していた天后を祀る天后古廟⑮は内陸に位置する。埋立地の住居ビル建設にあたり、風水⑯が考慮され、海の女神である天后の海への通り道が確保された。そのために、天后古廟と埠頭を結んだ直線上には天后古廟前の広場、バスケットコート、西貢スクエア、沙咀プレーグランド、ミニバスターミナルがあり、建物の障害物は一切ない〔添付2〕。つまり、風水と天后を尊重する香港人の信仰がインプットされた履歴のデザイン空間であり、その空間が解放感をもたらしている。

(2) 「 中心性」のある空間

(2) - a 西貢半島の中心
 西貢は標高500メートル以下の山々を背景に海に面し、大部分を西貢東及び西貢西カントリーパーク⑰で占める西貢半島の玄関口として存在する港町だ。町内には海鮮料理街⑱、埋立前から存在するオールドタウン⑲や天后古廟などの観光名所、公共スポーツ施設⑳、そして多数のレストランやカフェがあり、春節㉑、端午節㉒や天后フェスティバル㉓関連の伝統行事が開催される。また、町近郊には数々のハイキングコース、香港地質公園㉔、塩田梓島㉕や滘西洲島ゴルフ場㉖などがある。主な交通手段は車かバスであり、町にはバスターミナルと埠頭があり、休祭日を中心に陸路や水路を利用して多数の人々が訪れ、西貢は彼らの出発点・到着点となる場所だ。また、町と町周辺の住民が日常的に利用する町である。つまり、西貢は西貢半島全体における引力のある中心的な空間である。

(2) - b 西貢の中心
 Man Yee Playground (萬宜遊楽場)、Wan King Path(湾景街) とSha Tsui Path(沙咀街)の三つの空間から成る通称 「西貢スクエア」(以下「スクエア」)がそれである。天后の通り道にあるスクエアは三方を五階建ての住居ビルが囲み、一階にはレストランやパン屋などの店が並ぶ。子供達が遊び場で遊び、ベンチで老人達が佇み、人々がレストランやカフェで食事やお茶を楽しんだり買い物で通過するといった、スクエアの日常風景は生活感と開放感がある。スクエアを中心軸にすると、その周辺は山、天后古廟、オールドタウン、海鮮料理街、海、公共スポーツ施設などが囲み、様々な商店が点在する。また、天后古廟前の広場では天后フェスティバルの際に仮設されたバンブーシアター ㉗で広東オペラ㉘が行われ、春節にはスクエアの近くでフラワーマーケットが仮設されるなど、スクエア周辺では伝統行事に関わる催しが見られる。「西貢スクエア」は通称であり、広場としての公式な名称がないことから、町を利用する人々が意図せずとも必然的に作り出した「中心性」のある空間だ。つまり、コミュニティが創出した広場であり、言い換えれば、中心であるスクエアの主役はコミュニティである。

5. 西貢と坑口㉙
 西貢より約15キロ南に位置する同じ行政区に属する坑口は高層住居ビルが立ち並んだ人口密度の高い町である。地下鉄坑口駅の周辺にはいくつかのショッピングモールがあり、モールの上にも高層ビルがそびえたつ。駅から約7キロ東には清水湾カントリーパークや海水浴場もあり多くの人がレジャーで訪れる。西貢と同様、坑口の一帯のほとんどは20世紀後半の埋め立てでできた町であるが、19世紀より存在する集落もある。中でも坑口村は坑口駅の近くにあり、三階建ての住居家屋そして食事処や商店が数軒立ち並ぶ。村では西貢と同様、毎年、天后フェスティバル中には仮設のバンブーシアターで広東オペラが行われるが、閉鎖的で村外部との交流は感じられない。 坑口の中心として考えられるのは、坑口駅とその上にあるショッピングモールであり、それは駅周辺という物理的・便宜的にデザインされた中心空間だ。人々が多く行き交うという点では坑口も活気に満ちているが、町としての一体感は感じられない。
 坑口と比較して西貢が特筆されるのは、一体感と解放感を伴った「中心性」のある空間が様々なコミュニティを創出し、個性的な空間を創り上げていることだ。

6.今後の展望
 最近では周辺にマンションも建設され、町の開発も益々進む。観光化は町の活性に一役買っているが、その一方で一般駐車場が少ないため、私有車で訪れる人々の車が路上に溢れかえる光景が目立つ。また、後継者不足や家賃高騰によりオールドタウンを中心に老舗が姿を消し始めており、町の景観が変化している。このように、開発が進むにつれ㉚、スクエアの周囲が変化し、今後スクエアの中心性が薄れていく可能性も無視できない。
 また、本稿の取材で感じたのは、西貢の歴史を知る者がほとんどいないということだ。町の歴史を知ることは、町に対する親近感を増し、コミュニティの形成と連帯感に繋がると信じる。廃村になった客家村の文化遺産を展示する上窰民俗文物館㉛や塩田梓島が西貢近郊にはあるが、西貢の歴史を紹介する施設は存在しない。今後も西貢が風情のある町として発展していくためにも、町の歴史を編集した施設が開設されることを期待したい。

7.まとめ
 香港には以前、九龍塞城㉜という2.7ヘクタールの土地に隙間なく500余りの14階建て前後のビルが密集した積木の塊のような町があった。九龍塞城取り壊し直前には五万人にも及ぶ住人が劣悪な環境のなか生活を強いられていたにも拘わらず、元住民のほとんどは、町に住んでいた時のことをいい思い出として語っている㉝。なぜならば、その密集した住居で家族親戚や近所の人々が助け合いながら生活するコミュニティがあったからである。人間が生活していくにはこうした連帯感が必要と信じる。現在の情報社会では、デジタル上でのコミュニティの形成は容易であるものの、人間関係は希薄化していることは否めない。故に、西貢のような人々の対面の交流の場を容易にした開放的な空間のある町が、地方であろうと都市部であろうと必要な時代ではないであろうか。

  • (非掲載)
    添付1
  • 2_%e6%b7%bb%e4%bb%98%ef%bc%92_page-0001 添付2
  • 3_oldtown_page-0001 オールドタウンの風景
  • 4_1_sktown_page-0001 西貢の風景
  • 4_2_sktown_page-0002 西貢の風景
  • 4_3_sktown_page-0003 西貢の風景
  • 4_4_sktown_page-0004 西貢の風景
  • 4_5_sktown_page-0005 西貢の風景

参考文献

【註】

① 自然保護、住民の野外活動とその教育を目的に香港政府が指定した公園。24のカントリーパークがある。https://www.afcd.gov.hk/english/country/cou_lea/cou_cpsa.html(2021年1月24日最終閲覧)
② 英語では”Sai Kung”「サイクン」と読む。
③ 香港は地理的に九龍・新界と島々・香港島から成る。
④ 2016年度中期人口統計より取得 https://www.bycensus2016.gov.hk/en/bc-dp.html(2021年1月21日最終閲覧)
⑤ 「周辺」は西貢タウンを中心におよそ半径6キロの範囲とする。
⑥香港政府Lands Department記述の “List of recognized villages under NT small house policy”(新界の原居村のリスト)より適用。https://www.landsd.gov.hk/en/images/doc/rv0909_text.pdf(2021年1月24日最終閲覧)
⑦筆者による地図上での概算
⑧店には、食べ物、油などを売る店、茶屋、肉屋、大工、生地屋や薬局があった。
⑨1941年-45年
⑩漢民族の一グループで客家語を話す。香港には元朝時代(1271-1368)に戦争から逃れるために移民。17世紀(清の時代)に広東省北東、福建省及び浙江省から多くの客家人が香港に移民した。
⑪Small House Policy とは1898年以前、つまりイギリス植民地化以前より新界に住んでいた集落の住民(原居村民)の子孫の男性にはその集落の土地に最大三階建ての建築面積700スクエアフィート、つまり延床面積2100スクエアフィートの住居を建てることができる権利がある法律。原居村民の生活向上のための法律として始まったものの、現在では村民の営利目的が主体と言っても過言ではない。
https://www.legco.gov.hk/research-publications/english/essentials-1516ise10-small-house-policy.htm(2021年1月24日最終閲覧)
⑫ 歴史的に早くは明の時代から江西、福建、広東省から移住した広東語を話すPunti(本地)と清の時代に広東省から移住した客家語を話すHakka(客家人)の二種類のいわゆる原住民の子孫。先に移住してきた前者の「本地」の原居村は生活のしやすい平地に多く、後から移住してきた「客家」は先住の村民であった「本地」を避けて山奥に定住した原居村が多い。現在でも新界には600以上の原居村がある。
⑬テキスト、川添善行著、『空間に込められた意思をたどる』早川克美編、2014年、第四章p.51-61より引用。
⑭チーム名は“Sai Kung Stingray” 2006年に設立されたクラブチームで4歳から18歳までの若者が所属しており、特に小学生の部では家族ぐるみの参加活動が目立つ。数家族で立ち上げられた設立当初のメンバー数は二十数名であったが、現在では700を超える。
https://www.skstingrays.com (2021年1月24日最終閲覧)
⑮海の守護神である天后(Tin Hau,ティンハウ)を祀った寺院。香港には70余りある。伝説では中国福建省出身の女性天后が将来を予言したり、人々を救い、海で溺れている人々を救ったことから海の守護神として信仰されるようになり、香港のみならず東南アジア各地で民間信仰として伝承されている。http://www.ctc.org.hk/en/directcontrol/temple20.asp(2020年12月8日最終閲覧)
⑯「風水とは東アジアにおける一種の自然観・環境観をさし、その独特な環境判断や測定術を風水説という。」https://kotobank.jp/word/日本大百科全書の解説の一部。
香港では風水の思想が香港人の日常生活に浸透しており、建築デザインには必ずと言っていいほど風水が考慮される。
⑰西貢東カントリーパーク 4,494ヘクタール、https://www.afcd.gov.hk/english/country/cou_vis/cou_vis_cou/cou_vis_cou_ske/cou_vis_cou_ske.html    (2021年1月24日最終閲覧)
西貢西カントリーパーク 3,000ヘクタール
https://www.afcd.gov.hk/english/country/cou_vis/cou_vis_cou/cou_vis_cou_skw/cou_vis_cou_skw.html (2021年1月24日最終閲覧)
⑱レストランにある生け簀から海鮮を選んで調理される料理で、香港の外食文化のひとつ。
⑲埋立前より存在する地域で、現在では三階建ての建物が密集して立ち並ぶ迷路のような一角。
⑳運動競技場、ラグビ―、サッカー、バスケット、テニスなどのコート、屋外プールなどがある。
㉑旧暦の正月。三大節句のひとつ。香港人にとっては、西暦の新年よりも春節の方が重要。
㉒旧暦五月五日の祭事。三大節句のひとつ。各地でドラゴンボートレースが開催され、西貢も開催地のひとつ。
㉓天后の誕生日を祝う祭事。毎年旧暦三月23日。
㉔約一憶4千年前の火山噴火によって形成された西貢半島などの地質保護や地域の活性化のために2009年に地質公園として設立され、2015年にユネスコ認定世界ジオパーク 香港地質公園となった。
http://www.geopark.gov.hk/en_index.htm
㉕18世紀半ば~1990年代までにあった客家村でキリスト教を信仰し、製塩業を営んでいた島。現在では当時の文化遺産が展示された観光地。西貢から高速船で15分。
㉖1995年に設立された香港唯一の公立のゴルフ場。西貢より滘西洲(Kau Sai Chau)島行き専用のフェリーで15分。https://www.kscgolf.org.hk/
㉗英語ではBamboo Theatre。竹の骨組みだけ建設される仮設の劇場。十日間かけて組み立て、五日間でとりこわされる。釘は一切使用せず専用の紐を使用。
㉘広東語の台詞と歌、そして武道が含まれる伝統的な演劇。衣装もメークアップも色鮮やかである。https://www.lcsd.gov.hk/CE/Museum/ICHO/en_US/web/icho/representative_list_cantoneseopera.html
㉙Hang Hau,ハンハウ。 人口 104,122(2016年度中期人口統計)
㉚現在、公共スポーツ施設の再開発が計画されている。
“Massive leisure complex to be built in centre of Sai Kung” Hong Kong Buzz, Sep. 17, 2020付けの記事 
https://hongkongbuzz.hk/2020/09/massive-leisure-complex-to-be-built-in-centre-of-sai-kung
㉛西貢東カントリーパーク内のハイキングコースの途上に位置する博物館。
19世紀に存在していた客家村であるSheung Yiu Village(上窰村)の家屋を保存、展示公開している。
https://www.heritagemuseum.gov.hk/en_US/web/hm/museums/sheungyiufolk.html(2021年1月21日最終閲覧)
㉜歴史的には、宋朝時代(960-1279)に要塞として建てられた。清朝時代(1644-1912)、イギリス植民地時代、日本軍占領時に無法地帯化し、1980年代には3万人、90年代には五万人にも及ぶ人々が低賃貸で住めるこの街に住んでいたが、窓もなく、水道設備も整備されていない劣悪な生活環境であった。薬物売買などの違法業務の巣窟でもあったが、1993年に政府によって取り壊された。現在、跡地には九龍塞城公園がある。
https://www.youtube.com/watch?v=0fd56CGnVRU “Inside Kowloon Walled City”(2020年12月視聴)
㉝https://www.youtube.com/watch?v=JchVQMuxRVA ”Kowloon Walled City BBC Documentary 1980” より情報取集。(2020年12月視聴)

【参考文献】

“The Structure of Chinese Rural Society – Lineage and Village in the Eastern New Territories, Hong Kong” by David Faure, Oxford University Press, 1980

“The Ethnic Groups and Social Change in Chinese Market Town” by C. Fred Blake, The University Press of Hawaii

“The Hong Kong Geographer” by Hong Kong Geographical Association, 1990


タウン誌 “explore magazine” Volume 5 Issue 5 June 2009 – “From Island to Playground”の記事p.3-4

(下記ウェブサイトは全て2020年12月28日最終閲覧)


ハイアイランド貯水池に関する情報
https://www.wsd.gov.hk/en/customer-services/other-customer-services/fishing-in-reservoirs/brief-introduction-of-reservoirs/high-island-reservoir/index.h 


“What happened to Hong Kong’s underwater villages?” by Chirstopher Dewolf, July 11, 2018
https://zolimacitymag.com/what-happened-to-hong-kongs-underwater-villages/


香港政府観光局のホームぺージ https://www.discoverhongkong.com/uk/index.html

西貢行政区のレジャーに関するホームページ http://www.travelinsaikung.org.hk/EN/

萬宜湾レクリエーションセンターhttps://www.facebook.com/mysaikung/ 

香港政府Architectural Services Dept.の西貢に関する歴史の資料
(”Understanding the early history of Hong Kong”)
https://www.archsd.gov.hk/archsd/html/teachingkits/tk3/ps/pdf/en/PS_2_e.pdf

タウン誌“Sai Kung Magazine” 2020年11月発行“Tin Hau Temple turns 105”の記事
https://issuu.com/saikung/docs/sai_20kung_20november_202020/s/11250264

西貢の町をデザインした建築家Raymond Fungの記事
https://hongkongbuzz.hk/2015/07/man-who-built-much-of-our-town-says-bus-stations-are-in-wrong-place

古物諮詢委員會作成の歴史的建造物である西貢天后古廟の情報https://www.aab.gov.hk/historicbuilding/en/398_Appraisal_En.pdf

公務員事務局による西貢の紹介
https://www.csb.gov.hk/hkgcsb/csn/53eng/26-28.pdf

【取材協力】
西貢周辺に住む50代の香港人女性、40代香港人男性、50代のフィリピン人女性、50代日本人女性

年月と地域
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