杏花楼月餅と伝統文化伝承のありかた

沈 錚君

中国において「伝統的な祭り」と言えば、「春節」を除き以外にも、「中秋節」がある。「中秋節」とは、旧暦(農業暦)の8月15日を指し、中秋節の歴史はとても長く、 紀元前から、漢、唐、宋、元、明、清代を経て、今まで4000年ぐらいにわたる歴史を持つ。中秋節では、月餅を食べたり、月を眺めたり、友達に月餅を送りたりすることは欠かせない風俗習慣である。上海では、月餅をと言えば、真っ先に「杏花楼月餅」を思い出す、いわば「杏花楼月餅」は中秋節の代表的なお菓子である。
この評価報告書では、中秋節継承の主力文化資産である「杏花楼月饼」について,伝承を評価報告し、今後の展望についても考える。

1、基本データ
名   称:上海杏花楼(集団)有限責任公司
創   業: 1851年(清)
所 在 地:上海市黄浦区福州路343号(上海本铺)
設   立:1992年9月(国営企業)
2006年に中国著名な商標(中国驰名商标)、中国著名な製品(中国名牌产品),2007年に国家級非物質文化遺産(無形文化財)(注1)

2、歴史と現在
「中秋節」とは、旧暦(農業暦)の8月15日を指し、月祭節とも呼ばれる。古代による天体に起こる現象の崇拝に由来する。 祭祀を通じて、月神に家族の健康と再会の喜びを祈り、祭祀を行うことである。昔から「中秋節」では祭祀以外、月を眺め、月餅を食べ、モクセイの花をの花見など、風俗が受け継がれている。
中秋節の歴史はとても長く、 紀元前からである。漢王朝(公元202年~公元220年)は多民族国家であり、各民族によって生活様式が異なる。この時代に、各民族の文化が交流交差しながら、中秋節も徐々に各民族に受け入れられて普及してきた。
唐王朝(公元618年-公元907年)は、暦法を定めることになり、毎年8月15日を「中秋節」と呼び、この日に祭祀を行うようになる。この時期に中秋節の物語が登場し、詳しい文化活動や伝統習慣などが明確に定義されて、中秋節の文化・伝統・慣習は時代や民族の違いを超えて、引き継がれている。
月餅は月神の奉納品として「宮餅」や「団餅」などとも呼ばれる。昔の人は月神を参拝してから、月餅を食べたら、家族の健康と家族全員が再会できるお祝いと信じていたから、月餅は再会のシンボルになった。その後、大衆は月餅を月神から賜る祝福として、親戚や友人に互いに贈り合った。(注2)
「杏花楼」と「月餅」
「杏花楼」を創業したのは1851年(清王朝)である。創業者は広東人胜仔氏である。胜仔氏は上海の福州路で「杏花楼広東料理店」を作った。人気の「杏花楼月饼」は1928年に発売され、二世代の職人は、「杏花楼月饼」に多様な材料を取り入れながら、独特特の製造方法を発展させて,上海の銘菓として大ベストセラー商品となっている。1997年7月9日,「杏花楼月饼」の製法とレシピは上海浦東開発銀行の金庫に保管され、国家級非物質文化遺産(無形文化財)になった。(注3)

3、事例のどんな点について積極的に評価しているのか
中国では伝統的な文化や技術などの多くが,各時代にそぐわなければ、伝承されず消滅する。伝承がきびしい理由は後継者がいない、伝統的な文化と市場に合わない,外の視点が少ない、伝統的な習慣を根本から変えようとはしない保守的な空気など、いくつがある。
「杏花楼月餅」は伝統的な月餅をアップグレードされて、何世代にもわたって発展させて、看板商品になった。 月餅の種類も、小豆、蓮根、ナッツ、お茶など各時代に合った種類を生み出していた。 各時代のお客様に受け入れられた。さらに、「杏花楼月餅」は中秋節を通して、月餅を通して人と人のつながり、伝統的な文化や理念が伝えられ、中秋節の代表的なお菓子であるとともに次第に文化的なシンボルへと移り変わった。
一方,中国では後継者がいないため、多くの伝統的な技術が徐々に消えつつある。「杏花楼」は国営企業として,十分な資金や現代化工場や安定した人材の確保などである、このような点について積極的に評価している。

4、他の同様の事例と比較して何が特筆されるのか
日本で製菓を勉強した際、「月餅」という和菓子があることを知った。「和菓子の月餅」と「杏花楼月餅」を比較すると、味わいや見た目も違うが、文化発展を比較したら、相似点ももあると考える。
相似点:
日本の文化も凝縮されている和菓子と同じように、「杏花楼月餅」は中秋節の代表的なお菓子として、長い歴史を通して蓄積した、文化や価値観の集合体である。お菓子の発展と言えば,和菓子と「杏花楼月餅」は何世代にもわたる職人の努力により,多様な材料を取り入れながら、製造方法を発展させて、最後、お客様に受け取られたと思う。
相違点:
和菓子は伝統的なお菓子として、季節性感があるけど、季節を問わず贈答される。「杏花楼月餅」は中秋節の前2か月ぐらい販売が始まり、中秋節が終わると販売もやめて、 中秋節以外の時、手に入れにくい。
和菓子は新鮮な材料で作ったお菓子だから、健康で素材の味が好まれる。一方、「杏花楼月餅」には砂糖や油脂が多すぎと考えて、あまり健康ではなく、若者には嫌遠され、ほとんど食べられない。近年、「杏花楼月餅」は食品の意義が消えていく、プレゼントだけである。
日本で和菓子店はほとんど個人経営である。個人経営であるため規模は小さく,就職となれば実際の伝統工芸の職場の受け入れは限られており、人材育成も難しいと思う。
「杏花楼」は国営企業であり、人材育成や专门学校との協力も積極的に行われており、何より国営企業は、伝統工芸を目指す若者にとっても魅力だろう。しかし、国営企業の欠点もあり、やはり国営だけに国の方針によって作品が左右されることだ。近年、新製品の開発は非常に遅く、若者には人気がなくてなる。一方、日本の和菓子職人は伝統的な和菓子も時代の変化に対応するため、いつも和菓子を革新してる。このようなことを比べたら、「杏花楼月餅」には革新が足りないと思う。

5、今後の展望について
中国経済の急速な発展に伴い、月餅は伝統的なお菓子として、今の若者に満足させることができていないと思う。若者たちは、個性的で健康的でさまざまなお菓子にもっと興味を持って、伝統的な月餅も時代の変化に対応する必要がある。
一方,近年、中国では国学の影響もあり、伝統文化のことに興味を持っている若者が増えて、中秋節も注目されてる。 そのため、若者向けに、チーズやクリームなど洋風材料と技術を合わせるような新しい月餅が作り出しされ、好評を博されている。
国家級非物質文化遺産の「杏花楼月餅」は、お菓子だけでなく、伝統文化の伝承者をとして認められた。近年、「杏花楼月餅」で発売された新製品は時代に合わず、若者に受け入れられていない。「伝統」と「時代」のことはどのように融合させるかということも「杏花楼月餅」の使命が課せられていると思う。

6、まとめ
上海出身の私は子供時代から中秋節で「杏花楼月餅」を食べるのが習慣になった。しかし、その時、伝統や文化などとは何かも考えなかった。数年前に、日本で伝統的な和菓子を学んだ際に、月餅も伝統文化の一部であることが理解できた。「伝統文化」にいるとき、無視されがちである、外部の視点を通じで、「伝統文化」を見つけことができ、伝承の意義も分かると思う。
「伝統文化」は社会の規範や民族の風俗などに対して大きな影響を及ぼし、一方、「伝統文化」腐りきった思想や文化へと変わり、社会の進歩を妨げるかもしれない。それで、伝統文化を大事に守りながらも時代に合うように改善することが重要である。改善することは時代に合う伝統的なことをアップグレードすることであり、若者たちに受け入れられることでもある。伝統文化後継者に最も大切なものは若者への伝承であることを忘れてはならない。

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    百度百科(https://baike.baidu.com/pic/杏花楼/)提供、2022年6月18日
  • 81191_011_31986018_1_2_%e6%9c%88%e9%a4%85 写真2:杏花楼月餅の種類
    杏花楼ネット(http://www.xinghualou.net/index.html)提供 2022年6月18日
  • 81191_011_31986018_1_3_%e5%8c%85%e8%a3%85 写真3:杏花楼月餅の包装
    百度图片(https://image.baidu.com/杏花楼)提供 2022年6月18日

参考文献

注1、ネット:https://baike.baidu.com/item/杏花楼/ (2022年6月10日閲覧)
注2、ネット:https://baike.baidu.com/item/中秋节/ (2022年6月15日閲覧)
注3、雑誌:生活周刊(CN31-0013) 、2014年9月(2022年6月12日閲覧)

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