蕨岡延年の舞

土門 宏樹

1.はじめに
今回取り上げるのは、山形県遊佐町の鳥海山の麓に位置する上蕨岡地区(通称:上寺)(写真1)で受け継がれている芸能・「蕨岡延年の舞」(以下、「本舞」という)である。同地区は、59戸、161名で成っている[註1]が、年々少子高齢化が進んでいる。
以下に、本舞の由来と特徴並びに舞手の変遷について調査した内容を報告し、また、他の芸能と比較した上で、本舞を評価し、今日の課題とその対応策について考察する。

2.本舞の概要
(1)由来
当地は、江戸時代まで鳥海山修験の中心地であり、真言宗・龍頭寺を学頭坊とした三十三坊を中心として修験集落を形成していた。本舞は、かつては3月18日に、33歳に達した修行者が大先達の資格を得るために胎内修行に峰入する直前の儀式で舞われたものである。当時の舞手は、この坊の長男のみで、また、年齢によって各演目を担当する決まりがあり、通過儀礼の側面があった[註2]。つまり、彼らは、大先達になるための修行の一環として、稚児舞を7歳で舞いはじめ、32歳まで各年齢に応じた役を段階的にこなさなければならなかった。
明治初期の神仏分離令により、明治3年に龍頭寺のみが寺院として存続し、他の三十二坊はじめ全ての門前衆は神道に改宗し、当地は大物忌神社蕨岡口ノ宮(写真2)として存在することとなり、本舞は5月3日の例大祭の際に神社境内にある神楽殿で奉納されるようになった。
地元では、この舞を「ドウヤリの舞」と呼んでいたが、昭和60年に当時の山形県文化保存審議会委員の丹野正により「上寺延年の舞」と命名された[註3]。しかし、その後「蕨岡延年の舞」と改名された。その理由は、同保存会によると「上寺に限定せず、蕨岡地区全体の芸能として育てることを願った」[註4]ことによる。

(2)特徴
本舞は、大人の舞として「振鉾(えんぶ)」、「陵王」(写真3)、「倶舎」、「太平楽」(写真4)の四つ、稚児の舞として「童哉礼(どうやり)」、「童法(どうほう)」、「壇内入(たないり)」の三つの演目がある。
最初に演じられるのが振鉾で、お祓いの舞とも言われる。次に陵王が舞われるが、これは一人の舞手が、共に切り顎の付いた陵王(爺様)の面、納蘇利(婆様)の面を取り替えて舞う。片足でヨロヨロしながら、また、面の顎をカタカタ鳴らして舞う。唱え言は若干異なるが、舞は同じである。
次に、稚児舞が3演目続くが、各演目共に舞が終わると舞台正面で一列に並び正座して、揃えた人差し指と中指で床に鬼面を画き、目をつぶす所作をするのが特徴である。これは、修験者が身に付けた験力を示すとされている[註5]。
次が倶者で、烏帽子に白上衣、白袴の上に狩衣を付け、日の丸の扇を持って舞う。最後が太平楽で、衣装は倶者と同じであるが、刀を手に左右の足を交互に前方に上げながら舞う。
本舞は、太鼓と唱え言に合わせて舞われるが、その独特の所作は簡素で静かなものである。また、それぞれの演目で異なる唱え言があるが、子どもの頃から各舞を演じ、長い間唱え言を担当していた鳥海尚寛[註6]によると、「自分も、唱え言の意味は分からない」とのことである。

(3)舞手の変遷
本舞の舞手は、明治以前は前述のごとく三十三坊の長男のみであったが、明治初期から昭和18年までは旧坊の男性のみとなり、戦中戦後の2年間の中断を挟み、同21年からは同地区に住む男性であれば誰でもが舞うことができるようになった[註7]。また、平成15年頃からは稚児舞に同地区の女児も参加するようになり、さらに、平成20年からは近隣の鹿野沢と大蕨岡の二地区の児童にも応援を仰ぎ、今日に至っている。

3.林家舞楽との比較
山形県河北町にある谷地八幡宮(写真5)に伝わる舞楽として、「林家舞楽」(写真6)がある。林家は、貞観2年(860年)に、大阪市四天王寺の楽人林越前守政照が円仁に従って山寺(立石寺)に下り、四天王寺の舞楽を伝えたとされている[註8]。その後、寒河江・慈恩寺を経て江戸時代初期に谷地に移り住み、真言宗・円福寺の舞楽を司っていたが、明治初期に神道に復飾し、現在に至る。この1160年の間、「代々門外不出、一子相伝の家憲が固く守られ」[註9]伝承されている。現在は、同宮の例祭の他、山寺、慈恩寺で奉納される。
林家舞楽と本舞の関係性については、今回の調査で明らかにすることはできなかったが、以下の点が理解される。
明治以前の神仏混淆の時代は、共に真言宗修験の芸能であったが、明治以降は神社に伝わる芸能として伝承されてきた点で共通する。一方、林家舞楽は神職である林家のみが伝承してきたのに対し、本舞は氏子である地域住民が伝承している点で異なる。また、林家舞楽は「平安初期に地方に移ったため、平安中期以降の度重なる楽制改革の影響をほとんど受けず、より古い所作を守っている」[註10]が、本舞は陵王や太平楽など共通する演目があるものの、舞の所作は前述の如く独特で、遠藤が指摘するように「著しく土着化し、(中略)独自の内容もつに至っている」[註11]点で異なる。

4.考察
(1)本舞の評価
修験者による「延年」を、和歌森は「息災と寿命を延ばそうとする舞いで、そのために舞うことも一つの修行であり、作法である」[註12]としている。本舞の場合は、前述のごとく意味が不明な唱え言に合わせて独特な所作で演じられること、さらに、神田が指摘するように「観客と共に楽しむための芸能とはなっていない」[註13]ことを考え合わせると、江戸期に胎内修行の成就を願って、舞うこと自体に意義を見いだし舞われた修験修行の舞の本質が色濃く今日まで受け継がれていることが理解され、この点が高く評価できる。
また、三隅は「民俗芸能は、一定区画の地域に居住する人々の集団的意志と行動によって維持伝承されてきたもの」[註14]と定義しているが、本舞の場合も同様に、地区住民が自らの意志で、旧しきたりに囚われず、時代に即応して舞手の枠を拡大しながら伝承しており、この点についても高く評価できる。

(2)課題とその対応策
本舞が、江戸期の修験修行と深い関わりがあることと、限られた地域の住民により伝承されてきたことを確認した。今後さらに少子化が進むと予想されるなかで、現状のままでは稚児舞の担い手の確保が難しくなることが危惧され、その対応が課題である。以下に参考になる事例を挙げ、その対応策について考察する。
遊佐町には、「鳥海太鼓」という芸能がある。これは、昭和59年に町制30周年を記念して創作されたものである。同保存会の会員は、約20名であり、70歳代から20歳代までの幅広い世代で構成されている。その活動は、毎週の練習の他、町内で行われる夏の盆踊り大会はじめ各種イベントで演奏を披露している。本保存会の活動で注目されることは、平成12年より遊佐町立吹浦小学校(高橋共之校長)で、総合学習の時間に6年生を対象にして、同保存会の会員が「地域の先生」として演奏を教えていることである。そして、児童たちは、その成果を学習発表会(写真7)や地域の行事で披露しており、「学校の伝統として鳥海太鼓の活動が引き継がれている」[註15]。また、成人した卒業生が、数年にひとりではあるが、同保存会のメンバーに加わっている。
今後本舞に求められることは、稚児舞の舞手を近隣の二地区の児童のみの応援に限定せず、もっと広く参加者を募ることであろう。これは、前述の本舞の改名の趣旨にも沿うものと考える。これを具現化する方策として、上蕨岡地区を含む地域の小学校である蕨岡小学校で、上記の「鳥海太鼓」の事例のように総合学習に本舞を取り入れてもらうよう要請することを提案する。近年の小学校教育の現場では、授業時間の短縮等の問題があり、実現は困難かも知れないが、地域の伝統文化を学ぶ重要性を訴えたい。
具体的には、児童が実際に舞って見せたり、衣装を見せること、さらには、例大祭で舞っている姿をビデオカメラで撮り、その映像に本舞の由来についての解説を加えたビデオを制作し、同小学校で上映することを提言する。このことにより、児童並びにその親たちの本舞への理解が進み、稚児舞舞手の確保に繋がることを期待する。

5.おわりに
本稿では、鳥海山修験の歴史を受け継ぐ「蕨岡延年の舞」について報告した。本舞は、上蕨岡地区並びに遊佐町にとって大切な伝統文化のひとつである。今後、蕨岡小学校学区の児童であれば誰でもが参加できるようになり、本舞が次の世代に繋がっていくことを強く望む。

  • 1 写真1 鳥海山と上蕨岡地区(矢印で示す)(2020年9年5月3日、筆者撮影)
  • 2 写真2  大物忌神社蕨岡口ノ宮 (2020年5月3日、筆者撮影)
  • 3 写真3  蕨岡延年の舞(陵王)(第60回遊佐町民俗芸能公演会にて)(2019年10月27日、筆者撮影)
  • 4 写真4 蕨岡延年の舞(太平楽)(第60回遊佐町民俗芸能公演会にて)(2019年10月27日、筆者撮影)
  • 5 写真5 谷地八幡宮(2020年11月14日、筆者撮影)
  • 6 写真6 林家舞楽 (谷地八幡宮HP 「歳時記・谷地八幡宮例祭(谷地どんがまつり)」より転写)
    https://www.yachihachimangu.jp/saijiki/%E8%B0%B7%E5%9C%B0%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE%E4%BE%8B%E5%A4%A7%E7%A5%AD%E8%B0%B7%E5%9C%B0%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%8C%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A   (2020年1月15日閲覧)
  • 7 写真7 鳥海太鼓(2018年11月3日、吹浦小学校学習発表会での演奏風景)(吹浦小学校・高橋共之校長提供写真を許可を得て、2020年11月24日、筆者が複製した)

参考文献

[註1] 遊佐町住民課資料(2020年12月31日現在)(2021年1月12日調査・確認)による。

[註2] 神田より子編 『蕨岡延年』 遊佐町教育委員会、1994年3月31日、50頁。

[註3] 同上、56頁。

[註4] 2020年5月27日に蕨岡延年の舞保存会会員、小野峯生氏、鳥海尚寛氏、大田幹人氏の三名への取材時のコメント。

[註5] 神田より子 「鳥海山の修験」 『山岳修験 鳥海山特集』第56号 日本山岳修験学会、2015年9月26日、36頁―37頁。

[註6] 旧三十三坊のひとつである玉泉坊の当主。昭和4年生まれで、現在90歳。2020年5月27日に同氏を含む三名の蕨岡延年保存会関係者に取材した。 

[註7] 神田より子編 『蕨岡延年』 遊佐町教育委員会、1994年3月31日、51頁。

[註8] 林重見 「林家舞楽」 遠藤寿一郎・他編 『山形県大百科事典』 山形放送株式会社、1983年6月1日、785頁。

[註9] 河北町誌編纂委員会編 「谷地の舞楽」 『河北町の歴史 下巻』 河北町、1981年3月31日、376-378。

[註10] 林重見 「林家舞楽」 遠藤寿一郎・他編 『山形県大百科事典』 山形放送株式会社、1983年6月1日、785頁。

[註11] 遠藤徹 『雅楽を知る辞典』 東京堂出版、2013年3月30日、272頁。

[註12] 和歌森太郎 『山伏 入峰・修行・呪法』 中央新書、中央公新論社、1964年8月31日、85頁―86頁。

[註13] 神田より子 「鳥海山の修験」 『山岳修験 鳥海山特集』第56号 日本山岳修験学会、2015年9月26日、65頁。

[註14] 三隅治雄 「民俗芸能の有効な保存伝承方法の確立に関する調査研究(第一部)-継承者の過去と現在」 『芸能の科学 15:芸能論考Ⅷ』 東京国立文化財研究所、1985年3月30日、1頁。 

[註15] 吹浦小学校校長・高橋共之氏への取材時(2020年8月19日)のコメント。

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