「倉敷ガラス」の継続と可能性

後藤 順子

はじめに
初夏に倉敷ガラスのコップ[写真1]で麦茶を飲むと、筆者は「夏が来た」と実感する。この手仕事で作られたコップは職人の姿や背景までも想像させる。では、なぜそのような感覚を与えるのか。また、どのような価値を持つのか。本稿では倉敷ガラスの今後の継続や可能性も含め、文化資産としての価値を考察する。

1. 基本データ
倉敷ガラスは小谷眞三[1]・栄次[2]親子が制作する吹きガラスの総称だ。コップやワイングラス、皿、鉢、ボトルなど生活雑器[写真2]を中心に、宙吹き・型吹きでつくられる[資料1] 。
小谷眞三(以下眞三)は1952年、クリスマスツリーの飾り玉からガラス制作を始めた。1965年、岡山県倉敷市水島に「水島ガラス」を起業。その後1966年、倉敷民藝館 外村吉之介の提案で「倉敷ガラス」と改名し、1971年、現在の倉敷市粒江に工房を移設した[3]。
また、その技術を継承した長男、小谷栄次(以下栄次)は1986年から制作を始め、1988年に倉敷市羽島へ築炉した。1996年、同市粒江に炉を移築し現在に至る[3]。

2. 歴史的背景
観光地である倉敷は天領としての文化や住人の教養を背景に[4]街並みが形成された。本瓦葺塗屋造りの町屋と土蔵造りの蔵を中心に、倉敷美観地区(以下美観地区)[5][写真3]と呼ばれる。
美観地区の中核にある大原美術館を開設した大原孫三郎[6]と息子の総一郎[7]は倉敷の芸術振興の他、街並み保存や「民芸」[8]にも深い関心を寄せた。酒津焼の復興から[9]、柳宗悦[10]らと知り合い、大原孫三郎による建設費寄贈により1936年、東京に日本民藝館が開設された。
また、息子総一郎も同様に、柳宗悦らを招き「民芸」と街並み保存活動をリンクさせ、民芸品[11]の振興と美観地区の再生に貢献した[12]。戦後、倉敷の織物振興を目指し、指導員として柳宗悦の門下生、外村吉之介[13](以下外村)を呼び寄せた[14]。
1948年、大原総一郎、外村らにより、美観地区に倉敷民藝館[15][16]を、2年後に倉敷考古館を開設し、このころ地域住民と共に民芸思考による古民家再生・保存の流れができた。
外村は地域の民芸運動[17]を牽引し、倉敷民藝館[写真4]を足掛かりに、生活文化の向上・啓蒙に努めた[18]。また一方で、近隣の民芸品のプロデュースを行い、これらの生産を倉敷ガラス同様、軌道に乗せた[資料2]。しかし、街並み保存活動は高度経済成長期以後、倉敷市伝統美観保存条例などが指定され、行政による観光振興も含めた保存へとシフトしていった。[5-④]

3. 評価
3-1 ブランドの独自性
倉敷ガラスの起業は、街並み保存活動が最盛期の1963年、岡山県民藝協会[19]の有志[20]から「倉敷の民芸品」として相応しいコップの制作依頼があった事に始まる。このころ琉球ガラス[21]が既に民芸品として広く認知されていた。眞三は外村らの助言やメキシコのコップ[写真5]などを参考に1964年、独学で炉や窯・道具を自作し、試行錯誤の末コップを完成させた[3]。
結果的に、これまで分業化されていたガラス制作の工程を一人で行う「スタジオ・グラス」[22]というスタイルを日本で初めて確立した[3]。またその魅力から、日本中に同じスタイルのガラス職人が増え、民芸ガラスを牽引する先駆者となった[23]。これらの事から、その独自の制作スタイルと共に誕生に至る経緯も含め高く評価できる。
3-2 プロダクトの独自性
倉敷ガラスの特徴として、①少し厚みのあるぼってりとしたフォルム、②小谷ブルー[写真6]と称される独特の青色、③特有の模様[写真7]が挙げられる。
また「ぬくもりの器」[24]と評されるように、過度に主張せず「作り手の手の温かさ」が感じられる[25]。他に「冷たい質感の材料で、民藝のあたたかみを初めて表現した」[26]とも示され、これら手仕事の独自性も積極的に評価できる。
現在、手頃な価格でスタッキングでき、押型成形[27]で大量生産された無機質な強化ガラスのコップが一般家庭に普及している。これらは安価でデザイン性・機能性に優れている。
一方で、倉敷ガラスのコップには個体差があり微妙に表情が異なる[資料3]。また、安価とは言えず、耐熱性やスタッキング機能はない。そして手荒に扱うと壊れる。これらは単純に評価はできない。
確かに機能美や衝撃に強い事は器として大切だ。しかし、モノを大切にする心やモノへの愛着は壊れるからこそ理解できるのではないか。特に、教育者フレーベル[28]は「手にとって動かす」事が幼児の発達に重要だと強調する。この事から、子供の情操教育として壊れる事、手仕事により作られた職人の姿や背景が想像できる事は重要だと考える。栄次も同様に考え、以前から保育園で使う子供用のコップ[29]を製作し、近年子供食器セット[写真8]の制作を始めた。
また、フレーベルは「さわること」により、そのものが持つある性質が引き出されると示している[30]。これは、倉敷ガラスのコップを持った時の重量感や厚みから安心感が得られる感覚や、唇に接したときの優しさ[31]などと同様で、「触覚」の重要性という視点からも評価できる。

4. 今後の展望
4-1 現状
「倉敷」で誕生した倉敷ガラスだが、観光目的での吹きガラス体験などは提供せず、個展・展示会[写真9]の他、民芸品店、倉敷民藝館、ギャラリーなどで取り扱っている[3]。また、倉敷の旅館やホテル・飲食店の他、一般家庭でも使用され[写真10]、生活雑器としての需要が多い[3]。そして、観光案内や雑誌[32]などで紹介されてはいるが、全国的な知名度は未だ低い[33]。
2020年春以降、コロナ禍により、取り扱いが多い美観地区への観光客が激減した[資料4]。また、個展・展示会の中止が相次いだ[34]。栄次は危機感を抱き、同年4月、Instagram[35]を開始、5月からオンライン個展[36]とネット販売[37]を始めた。他に、備中和紙を包装に使用し[写真11]、イ草製品とのコラボ企画を計画中ではあるが、どれも今後の見通しは不透明だ[38]。
4-2 継続<大原焼との比較から>
大原焼は中世以降、全国に散在していた土器系の窯場の一つで、倉敷近郊里庄町で焼かれていた。特徴は無釉の土師質・瓦質土器で、主に型でつくられた。また、火に強く、軽く丈夫なため発展し、町の主要産業でもあった。その主力製品は土瓶・火鉢・かまどなど「火の器」であった。
1948年から外村や柳宗悦らが「民芸」として指導を行い、振興を期待された。しかし、エネルギー源が薪からLPガスや電気へと変化する中で、倉敷ガラスとは異なり多くの窯元が実益のみを重んじた。そして、高度経済成長期に需要が激減し、1985年に終焉を迎えた[39]。
これらから、今後も継続のため、それぞれの時代や生活スタイルにあった、暮らしに役立つモノを作る事。また、観察~構想~検証~実現というプロセスによるデザイン的思考[40]を元に制作する事。この2点は要だと考える。
4-3 提案
SNSなどを含め情報が飽和した現在、民芸品の捉え方は倉敷ガラス誕生当時とは異なる[41]。また、街並み保存との関係性は薄れ、新生活様式への移行に伴いこれまでの創作・啓蒙活動だけでは物足りないと考える。したがって、現在の方法で生活の中にいかに受け入れられるかを模索する事が重要である。
栄次は手探りでSNSを始めた。しかし、手応えはない[38]。制作活動、普段使いの様子、展示会の案内などの告知、また、個々の情報発信を促し、購買層の獲得などのため、新たなツールが必要だと考える。そこで、筆者は店頭POP(ポップ)を提案したい[写真12]。これを糸口に、InstagramなどSNSでの相互の情報[42]を広範囲に瞬時に共有する事ができるのではないか。
また、普段民芸品に触れる機会の少ない子育て中の「さとり世代」[43]などに「作り手の手の温かさ」を感覚的に伝える事も重要だと考える。具体的には、子供達は保育園などで、大人達はカフェなどで、直接触れられる環境を増やす事が望まれる。これにより倉敷ガラスの独自性が体感でき、今後の継続に繋がると推測できる。

まとめ
栄次は「その時々の暮らしにあったもの、だれにでも使ってもらえるものをつくり続けたい」[38]と話していた。倉敷ガラスは「倉敷」の街並み保存と共に生み出され、ニーズに寄り添い現在まで継続できた事は大いに評価できる。今後は更に独自性を活かし、情報や人と人・考えを繋ぎ、この言葉どおりに継続できる事を期待したい。

参考文献

【註】
[1]
小谷眞三(1930年~)
1952年 光球製造加工を始める
1959年 倉敷市水島弥生町へ移転
1965年 日本民芸館賞入選 水島ガラス創立
1966年 岡山民芸協会入会
     日本民芸館展岡山県民藝協会賞授賞
     倉敷ガラスと改名
1967年 岡山天満屋で個展、バーナード・リーチ氏の批評を受ける
1970年 大原美術館東洋館のステンドグラス制作
1971年 倉敷市粒江に工房設立
1977年 日本ガラス工芸協会入会
1980年 京都国立近代美術館におけるガラスの美術展出品
1981年 日本のガラス展参加、WCC設立の世界的ガラス美術館への出品を要望される
1982年 第1回朝日クラフト展に招待出品
     倉敷文化連盟賞授賞
1985年 岡山市立オリエント美術館の吹きガラスの歴史展出品
     岡山県文化奨励賞授賞
1987年 日本クラフトフェア倉敷大会参加
1989年 日本オリエント学会特別会員
1991年 岡山県オリエント協会員
     倉敷民芸館役員
     倉敷芸術科学大学教授
     倉敷芸術科学大学大学院教授

[2]
小谷栄次(1961年~)
1961年 小谷眞三の長男として倉敷市に生まれる
1983年 大阪芸術大学 芸術学部写真科卒
1986年 吹きガラスの練習を開始
1988年 倉敷市羽島へ築炉
1993年 天満屋岡山店にて「倉敷ガラス 眞三・栄次父子展」開催
1996年 倉敷市粒江に炉を移築
1997年 天満屋岡山店にて初個展開催 以後、各地にて展示会を催す
2001年 「古代ガラスの技と美・ガラス工芸~歴史から未来へ~」出展
2002年 日本民藝館展初入選 
2003年 日本民藝館展奨励賞受賞
2006年 倉敷芸術科学大学 専門学校講師 
2009年 倉敷民藝館賞受賞
2010年 倉敷市文化奨励賞受賞

[3]
小谷栄次氏からお聞きした内容や言葉。
①2020年1月15日、工房での直接取材・現地撮影。
②2020年2月12日、電話取材。
③2020年6月11日、コロナ対策をした上で工房での直接取材。
(内容がかぶるため[3]としてまとめた。)

[4]
○金光章『民藝とくらしき』吉備人出版、2002年、p.142~143筆者要約。
○倉敷都市美協会『倉敷町並物語』手帖社、1990年、p.19.20筆者要約。

[5]
①「白壁の町、文化の町として有名な倉敷は、江戸時代、天領として栄えた商人の町でもありました。その中でも美観地区、本町・東町の町並みは、古き情緒を今も色濃く受け継いでいます。白壁の屋敷、町の建築様式に息づく江戸の風情、倉敷川沿いの柳並木…そんな倉敷の象徴的な風景は、いつの季節もそぞろ歩きがよく似合います。」
○倉敷観光WEB(https://www.kurashiki-tabi.jp/know/kurashiki/)
②塗屋造り-大部分の町屋にみられる構造。隣家に接する両側面及び正面二階部分の外壁全体を土塗り白漆喰仕上げとして木部を覆い耐火的としたもので、倉敷の伝建地区における基本的な形態です。(倉敷市観光情報 https://www.city.kurashiki.okayama.jp/6283.htm)
③倉敷市hp-教育委員会>文化財保護課>町並み保存>美観地区-参照。
(https://www.city.kurashiki.okayama.jp/6219.htm)
④倉敷市hp-教育委員会>文化財保護課>町並み保存>美観地区>沿革・保存の歩み-参照。
(https://www.city.kurashiki.okayama.jp/6103.htm)
(https://www.city.kurashiki.okayama.jp/6223.htm)

[6]
大原孫三郎(1880~1943年)は1906年に倉敷紡績社長就任し、1926年倉敷絹織(現クラレ)を設立。従業員のための労働環境の改善や地域社会への貢献のために様々な取り組みを行った。1923年倉紡中央病院(現倉敷中央病院)を、1930年に大原美術館を開設、数多くの社会貢献活動に力を注いだ。
○クラボウhp(https://www.kurabo.co.jp/sogyo/)

[7]
大原総一郎(1909~1968年)は1932年、現クラレに入社し、1936年から1年間ヨーロッパを巡り、繊維工業の実情や文化活動への見聞を広めた。この時ドイツのローテンブルクの中世建造物群に感銘を受け、帰国後、浦辺鎮太郎(建築家)に街並み保存の思いを語る。この思いが浦辺の支えとなり、倉敷アイビースクエアや倉敷国際ホテルなどの浦辺設計の建築物が倉敷美観地区の骨格となり現在もその姿を残している。
○高梁川流域キッズhp>大原總一郎、筆者要約。(https://kids.takahashiryuiki.com/izinkenzin/%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E3%80%80%E7%B8%BD%E4%B8%80%E9%83%8E/)

[8]
「「暮らしに役立つ」ある美しさを持った工芸品」p.14。
「柳宗悦たちが作った造語」「普通には価値を認められなかった大衆が日常用いる好芸品にある美しさを見出し、「民衆的工藝」、略して「民藝」と名付けた」p.15。 
○金光章『民藝とくらしき』吉備人出版、2002年。

[9]
大原総一郎は、1913年から陶芸家濱田庄司、バーナード・リーチらに酒津焼の指導を依頼。1932年、倉敷で開催された「濱田庄司作品展覧会」で柳宗悦と初めて出会う。
○金光章『民藝とくらしき』吉備人出版、2002年、p.30~32参照。

[10]
柳宗悦(1889年~1961年)1910年文芸雑誌『白樺』の創刊に参加。宗教哲学や西洋近代美術などに深い関心を持っていた。1913年に東京帝国大学哲学科を卒業、朝鮮陶磁器の美しさに魅了され、朝鮮の人々に敬愛の心を寄せる一方、無名の職人が作る民衆の日常品の美に眼を開かれた。そして、日本各地の手仕事を調査・蒐集する中で、1925年に民衆的工芸品の美を称揚するために「民藝」の新語を作り、民藝運動を本格的に始動させていく。1936年、日本民藝館が開設されると初代館長に就任。以後生涯を閉じるまで、ここを拠点に、数々の展覧会や各地への工芸調査や蒐集の旅、旺盛な執筆活動などを展開していった。
○日本民藝館hp(https://mingeikan.or.jp/about/yanagi-soetsu.html)

[11]
①民藝品は「一般の民衆の間で作られ、民衆の間で使われる健康で簡素な美を備えた工芸品」
○倉敷民藝館『民藝とは何ですか 民藝の仕事-第9板』財団法人倉敷民藝館、1998年。p.1
②民芸品は「「暮らしに役立つ」ある美しさを持った工芸品」
○金光章『民藝とくらしき』吉備人出版、2002年、p.14。

[12]
①岡山県民藝協会の初代会長に大原総一郎が就き、代表幹事に、倉敷民藝館・館長に起用される外村吉之介が就任した。会の規約として、1.民藝品を作ること。2.工芸品の販売組織を作ること。3.工芸指導所を開設することが挙げられた。
○金光章『民藝とくらしき』吉備人出版、2002年。p.51~53参照。
②戦後、民家の荒廃に気付いた岡山県民藝協会が「倉敷町並み保存」に立ち上がった。
○倉敷都市美協会『倉敷町並物語』手帖社、1990年、p.138~139参照。

[13]
①外村吉之介(とのむらきちのすけ)1898~1993年。
○久野恵一監修『民藝の教科書5 手仕事のいろいろ』グラフィック社、2015年。p.37
②静岡で牧師をしていた外村吉之介は、終戦後すぐに沖縄に帰れなかった女子挺身隊への織物指導に柳宗悦の推薦のもと、1946年に倉敷に移住した。1948年倉敷民藝館初代館長に就任。「倉敷ガラス」「備中和紙」などの仕事を指揮し、作り手が制作に専念できるように尽力した。また、倉敷民藝館内においては民芸運動の実践者として国内外の来館者に「美しい暮らし」を啓蒙、1953年「倉敷本染手織県急所」を設立した。また、地元の婦人を集め「民藝教室」を開催し、物を作る知恵と喜びと責任ある暮らしを説き教えた。他に彼の業績を記念し、1993年より民藝品の制作や工人の指導育成、民藝運動の推進などに活躍した個人や団体に「倉敷民藝館賞」が贈られている。
○『民芸』10月号 第790号、日本民藝協会、2018年、p.52参照。

[14]
「終戦後、沖縄から倉紡の工場に動員されていた、女子挺身隊の織物指導のために」、大原総一郎が指導員として柳宗悦の門下生であった外村を倉敷へ招いた。
○金光章『民藝とくらしき』吉備人出版、2002年、p.34。

[15]
○倉敷民藝館(http://kurashiki-mingeikan.com/)岡山県倉敷市中央1-4-11

[16]
○倉敷都市美協会『倉敷町並物語』手帖社、1990年、p.41参照。
○『民芸』10月号 第790号、日本民藝協会、2018年、p.51参照。

[17]
「岡山県における民芸運動は、調査・指導を担う「岡山県民藝協会」、制作・販売を担う「岡山県民藝振興株式会社」、蒐集・展観を担う「倉敷民藝館」が三つ巴に形成」している。また、倉敷民藝館の初代館長が外村吉之介である。
○『民藝』10月号 第790号、日本民藝協会、2018年、p.51参照。

[18]
外村は「誰もが自分用の飯茶碗と汁椀を一つずつ」持ち、暮らしを豊かにしようと「碗椀運動」をはじめた。
○久野恵一監修『民藝の教科書6 暮らしの道具カタログ』グラフィック社、2017年、p.106参照。

[5-④] 
④倉敷市hp-教育委員会>文化財保護課>町並み保存>美観地区>沿革-参照。
(https://www.city.kurashiki.okayama.jp/6103.htm)

[19]
1946年柳宗悦の指導のもと岡山県民藝協会を設立。大原総一郎が初代会長となった。
○『民芸』10月号 第790号、日本民藝協会、2018年、p.51参照。

[20]
「小谷さんが34歳の時、2歳の長男が脚をくじいて、近所の坪井接骨院で診察を受けたのです。ここの坪井一志さんが熱心な民芸協会会員で、小谷さんがガラスを吹くと知ると、メキシコ産のガラスコップを見せて、こういう物を作って欲しいと熱心に勧めた」
○金光章『民藝とくらしき』吉備人出版、2002年、p.100。

[21]
沖縄で第二次大戦後の資源難時期に、アメリカ軍基地で捨てられたコーラやビールの空き瓶を再生したことから始まったガラス工芸品。1952年、奥原硝子製作所創業。
○久野恵一監修『民藝の教科書5 手仕事のいろいろ』グラフィック社、2015年、p.43参照。

[22]
1960年代にアメリカで始まり、「スタジオグラス運動」の流れをくむ。この運動は近代化以降、工場生産されるプロダクトになっていたガラス製造を、小規模な手仕事により、自由な創作の手段とした。これにより手づくりのガラス製品は、日用品から個人作家の作品まで大いに増加した。
○久野恵一監修『民藝の教科書5 手仕事のいろいろ』グラフィック社、2015年、p.25 参照。

[23]
○久野恵一監修『民藝の教科書6 暮らしの道具カタログ』グラフィック社、2017年、p.122参照。

[24]
○小谷眞三編著『倉敷ガラス 小谷眞三の仕事』里文出版、1998年、p.6。

[25]<ぬくもりを感じさせる表現>
「作り手の手の温かさ」「素朴であっても入念な手の温かさが伝わってくる」
○倉敷民藝館『民藝とは何ですか 民藝の仕事-第9板』財団法人倉敷民藝館、1998年、p.5。 
<他の表現として>
①「ヒヤッとしない温かさの伝わる感触」
○金光章『民藝とくらしき』吉備人出版、2002年、p.97。
②「小谷さんのコップは涼しいというよりも、暖かいと言いたい。ガラスを意識させないのである。ましてや作意や技を感じさせない」
○小谷眞三編著『倉敷ガラス 小谷眞三の仕事』里文出版、1998年。門脇充玄元「五つのコップ」p.119より。
③「小谷さんのガラスにはやわらかさやあたたかみが持ち味。どちらも魅力的です。」
○久野恵一監修『民藝の教科書5 手仕事のいろいろ』グラフィック社、2015年、p.154。
④倉敷民藝館初代館長の外村吉之介に「機械でつくったグラスで水を飲むと心まで冷たくなる。毎日使いたくなる手仕事のコップを吹いてくれないか」と頼まれた。
○『カーサ ブルータス』2019年7月号、p.187。

[26]
久野恵一監修『民藝の教科書5 手仕事のいろいろ』グラフィック社、2015年、p.19。

[27]
「ガラスの生地を凹型に切り落とし、凸型でプレスする「押型成形」」
○久野恵一監修『民藝の教科書5 手仕事のいろいろ』グラフィック社、2015年、p.8。

[28][30]
①○伊藤亜沙『手の倫理』講談社、2020年。p.66参照。
②フリードリヒ・(ウィルヘルム・アウグスト・)フレーベル(1782~1852)
ドイツの教育家、幼稚園の創始者。 35歳でカイルハウにペスタロッチ主義の学園を開く。 56歳のときブランケンブルクに建てた学園が幼稚園 Kindergarten (1840年以後の名称) のもととなった。
○ブリタニカ・オンライン・ジャパン、2021年1月7日閲覧。

[29]
倉敷市黒崎保育園では倉敷ガラスを使用。「豊な感性を育てるため、またマナーを身に付けるために様々な食器を使用しています。」
○黒崎保育園(https://www.kurosaki-ns.com/syokuji.html) 

[31]
大原焼プロジェクト事務局 徳山容氏に倉敷ガラスについて2020年12月20日メールで聞き取り。
(徳山容氏は倉敷ガラスにも造詣が深い。)


[32]
○倉敷観光WEB倉敷観光WEB-倉敷ならではの特産品 (https://www.kurashiki-tabi.jp/haya_tokusan/)
○雑誌『婦人画報』2020年8月号。 ◆魂の仕事「倉敷ガラス」
○雑誌『カーサ ブルータス』2019年7月号。
この他、多くの書籍、インターネットなどで紹介されている。

[33]
学科専門科目である演習1と2で岡山県以外にお住まいの方に倉敷ガラスの知名度を確かめた結果、どなたもご存知ではなかった。
 
[34]
<延期>
仙台光原社/企画展(来年以降に延期)
ラピス会 5月開催予定が9月末に延期。
愛媛民芸館でのグループ展、7月予定が10月に延期。
<中止>
阪急大民芸展 5月開催予定が中止。
京都やまと民芸店 7月開催予定が中止。
2020年10月24日小谷美喜さんよりメールにて連絡。

[35]
○Instagram倉敷ガラス[kurashiki_glass](https://www.instagram.com/kurashiki_glass/?hl=ja&fbclid=IwAR3asRSqfeANoxlGgoIvGfkzEP6q4cSGYXs6dzV0Lw-voaOa685nnUdsV3Q)

[36]
ギャラリー上方『銀花』小谷栄次「使うこと一番に考えた、素朴で誠実なもの。倉敷ガラス」
(https://kamigata-ginka.jp/artist_post/eiji-kotani/?fbclid=IwAR2-iRoJDFnUcedj6IXTHZuh-39OZ1eRF)

[37]
『はじめてのコップ』(https://kuraglass.base.shop/categories/2420556)

[38]
小谷栄次氏から取材時に直接お聞きした内容や言葉。2020年11月13日、コロナ対策をした上で工房での取材。

[39]
○大原焼プロジェクト(https://www.oharayaki.com/about)参照。
2020年12月14日・20日、2021年1月5日、大原焼プロジェクト事務局 徳山容氏にメールで聞き取り。

[40]
ポール・ランドは「Everything is design. Everything! (すべてのものがデザインだ。すべてのものが!)」と述べている。また、観察~構想~検証~実現という創造的なプロセスによりデザインは成立している。要するに、私たちの身の回りにあるモノやコトはすべてデザインされ、すべてのモノやコトは、デザインのプロセスで語ることができる。
○早川克美『デザインへのまなざし―豊かに生きるための思考』京都造形芸術大学 東北芸術工科大学出版局藝術学舎、2014年、p.16~18、筆者要約。

[41]
柳宗理ブームなどをきっかけに民藝館の存在が知られ、民芸や民芸品が土臭いものではないと周知されるようになった。
○久野恵一監修『民藝の教科書6 暮らしの道具カタログ』グラフィック社、2017年、p.15.16参照。

[42]
Instagramは「インスタ映え」するための撮影行動が話題となっている。「いいね」で拡散せず、ユーザーが積極的にハッシュタグやユーザー名を検索してコミュニケーションしていく行動が特徴だ。特にさとり世代・デジタルネイティブ世代のSNSの利用は活発である。
○野村総合研究所 松下東子/林裕之/日戸浩之『日本の消費者は何を考えているのか?』東洋経済新報社、2019年、p.136。 

[43]
さとり世代:1983~1994年生まれのバブル経済崩壊後の時期に成長した世代。
特徴=超安定志向で競争よりも協調性重を、仕事よりプライベートを重視する傾向がある。また、インターネット利用が1日3時間に及ぶ。消費意識は保守的で失敗を恐れる傾向がある。
○野村総合研究所 松下東子/林裕之/日戸浩之『日本の消費者は何を考えているのか?』東洋経済新報社、2019年、p.65。



【論文】
・下野 克己「高度経済成長期の地域産業構造の変化ー岡山市と倉敷市の場合ー」
岡山大学経済学会雑誌19(2)、1987年。
http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/4/41982/20160528040615446483/oer_019_2_143_171.pdf

・市南文一「観光客数の推移からみた岡山県の主要観光地の動向」
岡山大学環境理工学部研究報告、第7巻、第1号、pp.75-89、2002年3月。
https://core.ac.uk/download/pdf/12549163.pdf
 

【参考文献】
・金光章『民藝とくらしき』吉備人出版、2002年。
・金光章『民藝を楽しむ』吉備人出版、2010年。
・河相全次郎『中国・四国の民藝』山陽新聞社、1969年。
・久野恵一監修『民藝の教科書5 手仕事のいろいろ』グラフィック社、2015年。
・久野恵一監修『民藝の教科書6 暮らしの道具カタログ』グラフィック社、2017年。
・鞍田崇『民藝のインティマシー』明治大学出版会、2019年。
・倉敷都市美協会『倉敷町並物語』手帖社、1990年。
・倉敷民藝館『民藝とは何ですか 民藝の仕事-第9板』財団法人倉敷民藝館、1998年。
・小谷眞三編著『倉敷ガラス 小谷眞三の仕事』里文出版、1998年。
・東京ガラス工芸研修所監修『吹きガラス テキスト』2002年。
・野村総合研究所 松下東子/林裕之/日戸浩之『日本の消費者は何を考えているのか?』東洋経済新報社、2019年。
・バーナード・リーチ『バーナード・リーチ日本絵日記』講談社、2020年。
・美術手帖1075号『100年後の民藝-世界をつくる「もの」の再発見』美術出版社、2019年。
・柳宗悦『民藝とは何か』講談社、2020年。 
・『民藝』10月号 第790号、日本民藝協会、2018年。
・図録『倉敷ガラス 小谷眞三 羽原明徳コレクション』高梁成羽美術館、2019年。


【WEB閲覧】
・伊勢宮藝品店 
http://www.gallery-isemiya.com/artist/kurashiki_glass2020年10月25日最終閲覧。

・岡山県 観光課<観光課からのお知らせ>
https://www.pref.okayama.jp/soshiki/46/ 2021年1月8日最終閲覧。

・倉敷市黒崎保育園 
http://www.kurosaki-ns.com/syokuji.html 2020年10月25日最終閲覧。

・倉敷市公式観光サイト「倉敷観光WEB」
https://www.kurashiki-tabi.jp/buy-cat/jeans/ 2020年11月15日最終閲覧。

・倉敷市/美観地区/町並み保存
https://www.city.kurashiki.okayama.jp/6103.htm 2020年10月25日最終閲覧。

・倉敷民藝館 
http://kurashiki-mingeikan.com 2020年10月25日最終閲覧。

・手仕事フォーラム 
http://teshigoto.ehoh.net/serial_report/kunokuno/rt-kk41.html 2020年10月25日最終閲覧。 

・ふるさとおこしプロジェクトー倉敷ガラス 
https://jr-furusato.jp/magazine/1900/ 2020年10月25日最終閲覧。

・みんげい おくむら 奥原硝子製造所 
http://www.mingei-okumura.com/fs/mingei/c/okuharaglass 2020年10月25日最終閲覧。

・みんげい おくむら「ガラス」 
http://www.mingei-okumura.com/fs/mingei/c/glass 2021年1月7日最終閲覧。

・琉球ガラス村-琉球ガラスの歴史 
https://www.ryukyu-glass.co.jp/about/glass/history/  2021年1月7日最終閲覧。

・facebook「倉敷ガラス」
https://www.facebook.com/glasskodani/2020年11月15日最終閲覧。


【調査協力】
大原焼プロジェクト事務局 徳山容氏
岡山県庁観光課
倉敷民藝館 
倉敷市役所観光課
小谷眞三氏、小谷栄次氏、小谷美喜さん
2019年、2020年の演習参加メンバーの皆さん


【提案用製作物】
《#倉敷ガラス!》POP(ポップ)

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