文化資産報告書ー宝塚歌劇団ー人が伝説になる場所ー

鈴木 みゆき

はじめに
 宝塚大劇場で始まった歌劇団は、100年以上の歴史がある。その歌劇団で、どのように伝説になるような役者を生み出すのかを考察する。

1、基本データ
宝塚大劇場  : 兵庫県宝塚市栄町1-1-57 (座席数 2550)
東京宝塚劇場 : 東京都千代田区有楽町1丁目1-3 (座席数 2065)

 宝塚大劇場の最寄り駅は、阪急宝塚駅である。阪急宝塚駅前には、宝塚歌劇団の男役と娘役のモニュメントがあり(写真①)、花の道と呼ばれる通り(写真②)を歩いて数分で宝塚大劇場(写真③)に到着する。劇場の中には、「劇場」以外に「宝塚歌劇の殿堂」「キャトルレーヴ」などがある。「宝塚歌劇の殿堂」は、劇団の歴史や歴代のスターの写真や衣装などの展示などがあり、観劇以外でも、宝塚の文化を知ることができる。

2、歴史的背景
 宝塚歌劇団は、阪急電鉄創業者の小林一三氏により「宝塚新温泉」の余興として1913年「宝塚少女歌唱隊」を経て1914年「宝塚少女歌劇団」を設立、プロデュースされ、2014年に100周年を迎えた。鉄道会社が日々定刻通りに電車を走らせるが如く、地道に手間暇かけることで飽きない舞台をつくりあげた。歌劇団では、宝塚大劇場、東京宝塚劇場などで、週1日の休演日と上演入替の合間の数日を除いて公演され、年間30作品を上演する。
 日本では、1880年代に鉄道など会社の設立が始まり、1890年代に機械製作を中心とする産業革命へと向かった。さらに、日清戦争(1894~1895)の勝利による賠償金を得て、それを基に、金融、貿易、軍事などを整えた。このように日本が移り変わる中、小林一三氏は三井銀行を退職し、1907年に箕面有馬電気軌道(現、阪急電鉄)の設立に参加した。箕面有馬電気軌道は、後に1918年阪神急行電鉄と改称された。第一次世界大戦(1914~1918)後、都市化、工業化が進み、都市の風景や市民生活が大きく変化した。都市の変化には、電灯、地下鉄、百貨店、ターミナルデパートの設立などがあった。
 箕面有馬電気軌道は、小林一三氏のアイデアにより、乗客の増加を目指し沿線に住宅地開発、遊園地、温泉、宝塚少女歌劇団など娯楽施設の経営を始めた。新聞、雑誌、ラジオ、映画などが急速に発展し大衆文化が多く誕生した中で、観光の一環としての宝塚少女歌劇団の設立だった。

3、100年以上の歴史を持ち、歴史に残るスターを作り続けることが評価の対象
 少女歌劇団として始まり、普通の女子中学生が舞台を見て将来の夢となり、100年以上にわたり人気を保ち、スターを作り上げている宝塚歌劇団とはどんなところなのか。
 まず、宝塚歌劇団の役者になるためには、隣接する宝塚音楽学校に入らなければならない。宝塚音楽学校は、1913年に創立され、定員40名、15〜18歳の女子に受験資格がある。音楽学校を受験するためには、歌とダンスを必須としている。音楽学校では、2年間舞台の基礎と教養、実践的な技術を学び、役者になるための教育を受ける。希望すれば高卒の資格取得も可能である。歌劇団所属の役者は、「タカラジェンヌ」と呼ばれ、「清く、正しく、美しく」を目指し、宝塚の役者である限り宝塚音楽学校の生徒という立場で学び続ける。
 歌劇団は、女子だけで構成されるために男役と娘役に分けられる。男役、娘役は、基本的には本人の希望によるが、身長が165〜167センチが選別の目安になっている。
 一人前の男役になるためには、10年かかる。その「芸」は、先輩から後輩へ引継がれる。仲間と切磋琢磨し、「芸」を見て身に付けるなどして100年の歴史の中で育まれた。宝塚の男役は、「型」が決まっていて、歌舞伎の「女形」と同様な意味である。決まりごとは多く、伝統的な基本動作、黒燕尾群舞ポーズなどがある。また、衣装にもこだわりがあり、劇団独自の衣装が基本的に決まっている。娘役は、「理想の女性像」があり、気高く美しい。男役に比べると、娘役の役者年数は短い。娘役は、衣装が決まると、ヘアスタイル、ヘアアレンジを自分で行う。娘役のモットーは、「男役さんを素敵にみせられるようにありたい」である。娘役にも代表的な衣装があり、気高く美しく着こなす。これらは娘役がつくった伝統である。男役と娘役には明確な役割が存在するということだ。(図1、2、3)
 演目は月替わりで行い、新作と定番の演目を行う。レビューはお祭りであり、起承転結がある。レビューの終盤におけるトップコンビのデュエットダンスには、二人の技の定型がある。デュエットダンスのあとには、エトワールのソロに始まり、舞台上にある大階段から順番に役者が降りて来る。最後にトップスターが降りて来る。「商業演目として安定を目指す劇団の運営」(注1)の手法である。良質な演目の作品は、専属の演出家20名ほどの集団により創られ、スターシステムに結びついている。
 主役は男役トップスターと決まっている。興味深いのは、男役トップスターと男役二番手(男役トップスターの次のスター)の関係性である。役柄における関係性は、「親友」、「敵対関係」「見守る」の3つがある。また、男役トップスターと娘役トップスターの関係性も決まっていて、ストーリーが悲劇であろうと障害があろうと最後は恋に落ちる。そのトップコンビの形は、1980年代に確率された。男役トップスターと娘役トップスターはそれぞれ自立し、その関係性は信頼関係のもと成立している。現代の理想のカップル像を反映したものと推測される。
 観客席から見て正面にある大階段は、大劇場の舞台における最大の特徴である。演技中は壁面に収納され、最後に舞台上をスライドして設置される(図4)。舞台中央には、廻り舞台(盆)があり、舞台上のセットを素早く変更する。廻り舞台には、大小4つのせりがある。舞台左右の花道にもそれぞれ1つずつせりがある。舞台づくりの工夫がされていて、安全性を保ちながら、速さと驚きを見せて観客を飽きさせない(図5)。また、舞台の前に、オーケストラボックスがあり、宝塚専属の楽団により演奏される。その前には、観客席により近い「銀橋」という幅120センチの宝塚ならではの独特な舞台がある。銀橋は、主にトップスターが観客席のより近くで演じるための特別な場所である。
 観劇には、スマホの電源を切る、声を出さないなど、いろいろな決め事がある。すべての観客が楽しく観劇できるようにファンが中心となってお行儀良くすることになっている。それも宝塚の伝統を守るための美しさのひとつである。

4、他の事例と比較し特筆すべきこと
 なぜ宝塚歌劇団だけが存続できたか。
 少女歌劇団は、明治末に白木屋呉服店でつくられた客寄せのためのものが最初であった。次に宝塚唱歌隊(1913年)、大阪松竹楽劇部(1921年)、東京松竹楽劇部(1928年)があった。
 東京松竹楽劇部は、1945年に松竹歌劇団と名称変更され、レビュー団として活躍するも、その後ミュージカル中心に活動し、赤字が続き1996年に解散した。また、大阪松竹楽劇部は、東京の松竹歌劇団より早く零落し、1957年に松竹から離れて活動することになった。2003年に親会社の業績悪化により解散したが、2004年に新OSKとして復活した。発足当初の少女歌劇団としては、宝塚歌劇団だけが残っている。
 宝塚歌劇団は、鉄道会社から始まった街づくり、娯楽づくりを基に、音楽学校を始まりとして、決め事を多く作り、徹底的に芸術として作り上げたという違いがあるのではないかと推測する。
 
5、今後の展開
 宝塚歌劇団は、劇場での観劇だけでなく、インスタグラムやツイッターなどで情報の配信を行ない、加えて有料ではあるが独自のチャンネルを持ち、日常でもファンに楽しんでもらえるように努力している。また、2019年からライブ配信を始め、新しい取組を開始し、常にお客様の期待に応えようと努力し続ける。

まとめ
 宝塚歌劇団は、鉄道会社の事業計画の一環として始まった。舞台は、劇団専属の専門家によって作られ、歴史と伝統によってさまざまな「定型」をつくり、継続されている。役者は、少女のころの夢を実現に向けて努力する女性の集まりである。宝塚歌劇団の音楽学校に入学し、役者作りに特化した丁寧な教育を受ける。宝塚歌劇団は、真摯に芸術づくりに向き合い、人を大切にし、育てることで、伝説になるような役者を生む。その結果として100年以上の伝統と歴史をつくる文化資産であると考察する。

  • 1 写真①
    阪急宝塚駅改札を出ると「宝塚ゆめ広場」が広がり、モニュメントがある。(2020年01月02日筆者撮影)
  • 2 写真②
    阪急宝塚駅前の道路に描かれた「花の道」への案内図(2020年08月07日筆者撮影)
  • 3 写真③
    宝塚大劇場入口(2020年08月07日筆者撮影)
  • 4 図1
    男役の定型ポーズの一部(牧彩子『寝ても醒めてもタカラヅカ!!』平凡社 22ページ参照)
  • 5 図2
    娘役の定型ポーズの一部(牧彩子『寝ても醒めてもタカラヅカ!!』平凡社 52ページ参照)
  • 6 図3
    黒燕尾群舞のひとつの型(文/中本千晶・イラスト/牧彩子『タカラヅカの解剖図鑑』エクスナレッジ 105ページ参照)
  • 7 図4
    大階段図(牧彩子『寝ても醒めてもタカラヅカ!!』平凡社 91ページ参照)
  • 8 図5
    宝塚大劇場図(牧彩子『寝ても醒めてもタカラヅカ!!』平凡社 90ページ参照)

参考文献

参考文献
中本千晶『タカラヅカの解剖図鑑』、イラスト/牧彩子 株式会社エクスナレッジ、2019年
牧彩子『寝ても醒めてもタカラヅカ!!』、株式会社平凡社、2019年
森明美他『宝塚を劇的に楽しめる100+αのお得な知恵』改訂版、株式会社三才ブックス、2019年
竹内誠他『教養の日本史 第2版』、東京大学出版会、2013年
津金澤聰廣『宝塚戦略』、吉川弘文館、2018年
早霧せいな『夢のつかみ方、挑戦し続ける力』、株式会社河出書房新社、2019年
中本千晶『鉄道会社がつくった「タカラヅカ」という奇跡』、株式会社ポプラ社、2017年

インターネット参考(アクセス日9月8日)
「小林一三」
https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E4%B8%80%E4%B8%89-65799

「宝塚歌劇団」
https://kotobank.jp/word/%E5%AE%9D%E5%A1%9A%E6%AD%8C%E5%8A%87%E5%9B%A3-92817

「松竹歌劇団」
https://kotobank.jp/word/%E6%9D%BE%E7%AB%B9%E6%AD%8C%E5%8A%87%E5%9B%A3-79517

「少女歌劇団」
https://kotobank.jp/word/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E6%AD%8C%E5%8A%87-79368

「日本産業革命」
https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%94%A3%E6%A5%AD%E9%9D%A9%E5%91%BD-1386039

「日清戦争」
https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89-109866

「下関条約」
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8B%E9%96%A2%E6%9D%A1%E7%B4%84-75403

「箕面有馬電気軌道」
https://kotobank.jp/word/%E7%AE%95%E9%9D%A2%E6%9C%89%E9%A6%AC%E9%9B%BB%E6%B0%97%E8%BB%8C%E9%81%93-1423220

「日本鉄道会社」
https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%89%84%E9%81%93%E4%BC%9A%E7%A4%BE-350699

「第一次世界大戦」
https://kotobank.jp/word/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6-556343


「宝塚大劇場」
https://kageki.hankyu.co.jp/

「東京宝塚劇場」
https://kageki.hankyu.co.jp/theater/tokyo/index.html

(注1)中本千晶『タカラヅカの解剖図鑑』、株式会社エクスナレッジ、2019年、21ページ

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