台湾原住民アミ族花蓮ナタオラン部落の豊年祭について

本多 真一郎

はじめに

台湾には大陸渡来の漢民族の他に、古来より台湾に住んでいた原住民族が存在している。現在16種族、約54万人が生活している。今回調査したのは、台湾花蓮県吉安郷南宜昌村(娜荳蘭【読み:ナタオラン】部落)に住むアミ族という原住民族の豊年祭という伝統行事(儀式)についてである。この活動を詳らかにしていくことで、原住民文化とその意義を理解し、同行事を評価する。また、行事に対しての個人的見解を加え、文化資産報告とする。

行事基本情報

■名称:花蓮県吉安郷南宜昌村(娜荳蘭部落)豊年祭
■日時:2020年8月23日
■場所:台湾花蓮県吉安郷南昌停車場
■主催:娜荳蘭部落
■企画/運営:娜荳蘭部落
■集客規模:約1000名
■行事の主な内容:
男子が「迎霊」し、祖先を祭る。後、Malikodaと呼ばれる男性のみの踊りが行われる。
男性の踊りが終わった後で、女性の踊りが始まる。
後、Malalikidと呼ばれる男性の踊りの後で女性と子供が参加する。
それぞれ1つの踊りに約1時間をかける。
これらは「宴霊」にあたり、最後に「送霊」をして終わる。
基本的に、集団が手を取り輪になって、音楽にあわせて、延々と踊りをつづける。[写真参照1及び2]

原住民族先行研究

台湾原住民族に関する総合的な調査は台湾の日本統治時代から始まる。当時日本人研究者によってその調査が開始され、現在ではそれら先行研究群[1]が引用されながら、台湾の大学を中心に多くの研究論文が蓄積されている。例えば民族学の修士論文などではにおいて、アミ族のある地域の女性の役割に関して調査研究[2]などが行われ、中国語において研究されている。
原住民の言語は、オーストロネシア語族に属す。その言語系統は、西はマダガスカル島、東はポリネシア、南はインドネシアまで幅広く浸透し、これらは台湾から南下したとPeter Bellwoodは調査をまとめている[3]。この行事会場の近くに花蓮県吉安郷アミ族文物館[写真参照3]があり、先祖を記念した石碑[写真参照4及び5]がある。アミ族の言葉でこの地に先祖が移り住んだ流れが記載されている。当時はその部落の集会所の中央に、この石碑が立っていたとある。台湾原住民族の祭禮に関する中国語書籍[4]を確認しながら、豊年祭というものがアミ族にとって年間で最重要な儀式であることを理解した。

歴史的背景

漢民族の最も重要な区切りが春節であるとすれば、アミ族にとって最重要な区切りは、この豊年祭になる。豊作や収穫を、部落総出で祖先と神に感謝するのが豊年祭の本質である。現地部落での口頭調査では、この地域において約200年豊年祭が営まれているという。アミ族は主に台東から花蓮にかけて広範囲に生活しており、その部落毎、豊年祭の慣習も違う。現地ナタオラン部落では、豊年祭のことを「Malalikid」と呼称し、日本統治時代は総じて「月見祭」と呼称されていた。毎年夏に各部落で開催される。男性は年齢によって組織されており、頭につける飾りやスカートのような衣服も年齢によって違う。かつては1週間以上かけた行事も今では各部落簡略化され、日数も1日など短くなり、また一般人の参加も歓迎されるようになった。もともと近隣の友好関係にある部落同志などでは、お互いが訪問をしあい、客人を迎い入れる文化が存在したことも、のちに一般人が参加できることになった下地になっている。この催事にあわせて帰郷する者が多く、地域として重要な役割を担っている。

事例のどんな点について積極的に評価しているのか

今回、この部落を選好した理由は、花蓮の中でも規模の大きなものであったためである。何百人もの人が、民族衣装を着て、真夏の暑い中を延々と踊る様は、迫力を有す。古来より人は、一定のリズムに合わせて踊りをつづけるとトランス状態に入り、疲れを忘れると姫野は記している[5]。豊年祭がそのような性質を有し、踊っているときや踊り終わった後の原住民の表情が非常に明るいものであることも印象的であった。その点、行事への参加者の満足度のようなものに、積極的評価をしたい。マーケティングの世界では、このように参加者の参加度合いが満足度評価につながると言われているが[6]、これは儀式であって商業イベントではない。人間が帰属する最も原始的な集いへの参加が大きな充足感につながり、満面の笑みを湛えているように思えた。豊年祭は儀式であるから、出口満足度調査があるわけではないが、人間がもつ非常に豊かな笑顔を、豊年祭を通じて見ることができた。

国内外の他の伝統行事と比較して何が特筆されるのか

豊年祭の本質的意義は先に述べた。一方で、現地口頭ヒアリングを進めるうち、研究論文には載ってこないような性質の情報に触れることもできた。アミ族は女系社会で、男性が婿入りする社会風土があるが、古来豊年祭では、以下の形で女性が男性に、関心があることを告げることもあったという。
それは、女性が意中の男性のポーチに檳榔(読み:ビンロウ 台湾における嗜好品で、紙たばこのような使われ方をする)を入れるというものである。これが、興味があるという意思表示であったという。なお現代では、通信手段なども発達し、豊年祭を通じてわざわざ檳榔を投じて意思表示するというのは稀だという。
一方で、この豊年祭に合わせて各地から部落出身者が帰省しており、出身地の懇親を深め、再開の場になっていることもこの豊年祭の大きな意義と言える。
純粋な比較対象にはならないかもしれないが、日本の盆踊りと、見た目の構造は似ている。中心に対して、円を組んで、同じリズムで、同じ踊りを繰り返しながら進めるさまは同一である。また、盆が帰省の時機である点も類似はしている。

今後の展望について

先行研究でオーストロネシア語族に関して触れたが、遺伝子学研究で、ニュージーランドのマオリ族の先祖は、台湾から渡来したことが明らかになっており[7]、2019年には、両国間で交流事業なども行われている。アミ族ナタオラン部落の石碑がある文物館に、マオリ族が民族衣装で訪問し、アミ族がそれを民族衣装で歓迎するというものである。[参考動画1]
このような語族間の交流をより深め、世界に発信していくことが、原住民にとって重要なのではないかと考える。豊年祭は、儀式(セレモニー)であるため、商業的意図は基本的にない。一方で、花蓮県政府主導の豊年節と呼ばれる6原住民合同のお祭り(フェスティバル)があり、これは観光PRも兼ねた商業イベントでもある[参考WEBサイト1]。こちらが世界に対して情報発信をしている点も認められる。しかし、個々の部落が、マオリ族との交流のように独自性を持って豊年祭を行っていくことで、原住民文化は継承のみならず発展をとげていくものと個人的には考える。最後に花蓮地区への台北からのアクセスは限られており、航空便数を増やすなどの催事期間中のアクセス・インフラの整備も課題として残ると考える。

まとめ

これまでに豊年祭の本来の意義、そして、あわせもつ部落としての交流の機能を見てきた。そして同じ遺伝子をもつ人間が遠く海を隔てた島にいる事実と現代社会におけるその子孫の再会についても触れた。このような要素を併せ持つ原住民の文化的営為と豊年祭を高く評価したい。冒頭原住民は16部族あると書いた。それぞれに特徴があり、習俗も違う。しかし語派としては祖を同じくしており、それが太平洋上に広がりをみせた。今回はアミ族のナタオラン部落という一点に焦点をしぼって、その一面を切り取った。今後、原住民がそのプレゼンスを更に高めるためには、語族間の交流を図るのがいいのではというのが筆者の提案でもある。日本統治時代、日本人は台湾原住民の文化習俗に触れて、何か日本の原風景を見たようだとも言い伝わっている。古いアジアの風習が、ここ台湾で息づいている。以上で台湾原住民アミ族ナタオラン部落豊年祭の文化資産報告を終える。

  • 1 写真参照1 花蓮ナタオラン部落豊年祭の様子 2020年8月23日筆者撮影
  • 2 写真参照2 花蓮ナタオラン部落豊年祭の様子 歌唱及び演奏ブース(後方)2020年8月23日筆者撮影
  • 3 写真参照3 花蓮県吉安郷アミ族文物館 2020年12月9日筆者撮影
  • 4 写真参照4 アミ族先祖紀念碑 2020年12月9日筆者撮影
  • 5 写真参照5 アミ族の櫓(復元)と石碑 2020年12月9日筆者撮影
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