福生の「米軍ハウス」が伝える70年代文化の遺産

吉村 誠一

はじめに
 数年前からレトロな雰囲気を持つフラットハウス(平屋)の人気が再燃している。なかでも「米軍ハウス」と呼ばれる古家は、最もフラットハウスらしい平屋として人気を高めている。ここでは最後の米軍ハウス集落が残されている米軍横田基地(在日米軍司令部)周辺の東京都福生(ふっさ)市に存在するそれを取り上げて、その文化資産価値について考察を試みる。

Ⅰ 米軍ハウスとは
 在日米軍の軍人・軍属の家族が居住する住宅。基地の内側に建設されるものと、基地の外に民間人によって建てられたもののふたつがある。米軍側からは「オフベースハウス」(基地外の家)とか「ディペンデントハウス」(扶養家族住宅)などと呼ばれた。
 現在の定義では、基地外に建てられ民間に解放されたそれを通称「米軍ハウス」(以下ハウスとも略称する)と呼び、ほかに「外人ハウス」「アメリカンハウス」などとも呼ばれている。

Ⅱ 福生米軍ハウスの歴史
①1950~1960年代前半
 横田基地周辺の福生・瑞穂地域に「米軍ハウス」が建てられたのは、朝鮮戦争末期の1953(昭和28)年のことである。戦争により急増した米兵家族のために住宅が不足し、米軍から要請されて建設が始まったハウスは、1957~58年にピークを迎える。当時の管理団体「横田ハウス協会」への登録戸数だけでも、1957年時点で1532戸あったという。(註1)
 このころのハウスは完全に米軍のもので、その近代的な設備を日本人はただあこがれの眼で見るばかりであった。ちなみに、このころ日本全国には1万6千戸、韓国には4千戸のハウスが建てられたといわれる。
②1960年代後半~1980年代前半
 1960年代に入ると基地関係者の減少などの影響からハウスに空きが出始める。日本人大家たちはその対策としてこれを民間解放し、日本人にも賃貸するようになった。これに乗じてアメリカ文化やライフスタイルに憧れる若者たちが入れ替わって居住し始める。開放的でモダン、加えて家賃が安いハウスは、自由を気取る若者たちにぴったりの空間であった。ここにミュージシャンや芸術家を中心としたヒッピー的なコミュニティーが生まれ、70年代の若者文化が開花した。ここから1980年代前半までの時代、福生・瑞穂地域の米軍ハウス文化は、ある意味、日本のニューカルチャーをリードしたのである。その代表的存在として大滝詠一と村上龍を挙げておく。
③1980年代後半~現在(2021年)
 しかし、1980年代後半に入ると、ここにもバブル景気の影響が及び、古くなった米軍ハウスは次々と取り壊され、日本型の建売住宅へと建て替えられていく。日本型ニューファミリーを形成していたハウス住人たちも、子どもの成長につれてハウスを引き払い、外へと移っていった。こうして最盛期2千戸を数えた福生のハウスは荒廃し、現在では100~150戸ほどに落ち込んでしまった。
 風前の灯となったハウスに復活の兆しが見え始めたのは、21世紀に入って生まれたフラットハウスのブームからのこと。古き良きイメージを持つフラットハウスが新しい価値観の台頭で見直されるようになり、米軍ハウスはその代表的存在として再び脚光を浴びるようになったのだ。

Ⅲ 米軍ハウスに対する評価①
 米軍ハウスの特徴は、第一にきわめてシンプルでモダンなデザイン性にある。ランブラースタイルと呼ばれるアメリカの伝統的な形を継承し、かつ完全にアメリカ人仕様となったハウスは、日本人にとってまことに魅力的な外人住宅と映るのである。
 Ⅲ-1 エクステリア(添付資料①参照)
 福生・瑞穂地域の米軍ハウスは、広い庭と駐車場付きで、床面積80㎡ほどの平屋建てを特徴としたものが多い。白い柵や網状フェンスに囲まれた芝生の庭はバーベキューパーティーをやるにも充分な広さで、駐車スペースは2台以上の収容が可能である。隣接するハウスとの間も充分な距離がとられ、ハウスの家並みが広がっている。この開放的な空間に、まず魅きつけられるのである。
 Ⅲ-2 インテリア(添付資料②参照)
 フェンスから続く10メートルほどのアプローチを通ってポーチに上がり、玄関ドアを開けると、いきなり広いリビングルームになる。靴を脱ぐことを前提としていないハウスには玄関はないし、ドアは「ウエルカムドア」といって内側に開かれるのが常識なのである。
 全室フローリングの床はエイジング(経年変化)でよい質感を増し、白いペンキ塗りのベニヤ壁や格子状の天井と相まってアメリカらしい雰囲気を醸し出している。添付資料に示した間取図は「3ベッドルーム」と呼ばれるタイプで、このほかに寝室が2つの「2ベッドルーム」型のハウスも見られる。トイレ、シャワー、バスタブがいっしょになったバスルームや機能的なダイニングキッチンなど室内は合理的な設計に満ちており、その空間造形の素晴らしさに驚かされる。
 横田基地周辺の米軍ハウスは、一般に「兵隊向けハウス」とされ、隣りにあった立川基地周辺には将校向けのハウスも点在している。これも民間に貸し出されており、その造りのよさは兵隊ハウスとは比較にならないほど重厚で上等なものだ。(添付資料③参照)
 しかし、両方に住んだ経験のある私からすれば、使い勝手のよさで福生のハウスに高評価を与えるものである。シンプルで自由に暮らせる空気感のよさというのが、モルタル造りの兵隊用ハウス最大の利点なのである。

Ⅳ 評価② ハウスが生み出したもの
 米軍ハウスが生み出したものは数多いが、我々が記憶にとどめておくべきは、それが独特の文化を生み出したということであろう。
 卑近な例を示せば、米軍ハウスは今日の日本の住宅文化に大きな影響を与えている。住宅公団が進めた団地に「LDK+ベッドルーム」の形式が取り入れられた例を始めとして、今日の日本の住宅の間取りやキッチン、家具、家電のあり方にも米軍ハウスのデザインが大いに生かされている。数十年前、すでにこんな近代住宅があったことに驚くばかりなのである。
 そして、日本の若者文化にもたらした影響についてこそ、米軍ハウスが生み出した最大の功績といわなければならないだろう。それが「70年代文化」であり「米軍ハウス文化」の真骨頂なのである。
 1960年代の終わりごろから70年代初めにかけ、「何か新しいものが生まれるのではないか」とする期待感をもって、日本の若いミュージシャンやアーティストたちが民間解放されたばかりの米軍ハウスに移り住むようになった。彼らがめざしていたのは、当時流行していたアメリカのヒッピー的なコミューンづくりであり、ニューファミリーへの幻想であったのかもしれない。ジーンズやエスニック、また米軍払い下げのミリタリーウエアのファッションも、福生や瑞穂の米軍ハウスを中心に全国に広がり、ミニコミ紙の発行などのニューカルチャーも生まれた。フリーマーケットやガレージセールなどの出現も横田基地周辺の米軍ハウスがその比較的早い現象とされる。
 こうして生まれたハウスの「70年代文化」は、その残り香を今も福生ベイサイドストリートと呼ばれる国道16号線沿いに色濃く残しているのである。

Ⅴ 現状と今後の課題
 そうした福生・瑞穂のハウスも次々と取り壊され、現在は100棟ほどしか残されていない。このままでは無くなってしまうこと必定の状態にある。これを文化的資産として残していくにはどうすればよいだろう。
 福生では、1958年建築の米軍ハウス1棟を「福生アメリカンハウス」(添付資料④参照)として再生し、2014年からこれを地元の福生武蔵野商店街振興組合が、自由に内覧できるコミュニティースペースとして運営している。また「ふっさハウスを守る会」が「131HOUSE」と名づけたハウスを貸しスタジオに開放したり、ほかにレストランやカフェなどに用いたりするケースも見られる。
 しかし、いかんせん福生におけるハウスの保存活動は点的な存在にとどまっている。ここで最も顕著な比較事例として、埼玉県入間市に広がる「ジョンソンタウン」を取り上げたい。
 ここは米空軍ジョンソン基地(1978年返還。現在・航空自衛隊入間基地)に隣接する米軍ハウス村があったところで、もともとは1954(昭和29)年、地元の業者「磯野商会」が米軍の依頼を請けて、「磯野住宅」内に24棟の米軍ハウスを建設したところから始まった。その後荒廃しスラム化が進んだところで復興策が開始され、2004年に現代風米軍ハウスの「平成ハウス」を完成させる。2009年には「磯野住宅」から「ジョンソンタウン」へ改名し、現在では多数の米軍ハウスや平成ハウスが、住宅・店舗として提供され、7500坪の敷地に完全な米軍ハウス村として復活している。ここにはまさしく60~70年代のアメリカン・カルチャーが再現され、独特の魅力にあふれるアミューズメントエリア化に成功しているのである。私は、今後の米軍ハウスの理想的な形がここにあるのではないかと考える。(添付資料⑥、⑦参照)

Ⅵ おわりに
 福生に隣接する瑞穂町では現在(2021年1月時点)、何度目かの「米軍ハウス展」(添付資料⑧参照)が開催されている。こうした催事を見ていて、これからの人と住まいのあり方を考えるとき、米軍ハウスを単なるノスタルジーとしてではなく、歴史的・文化的な視点から再考する必要があるのではないか、と強く考えさせられるのである。

  • 1 ①筆者が住んでいた(1978~1994)福生の米軍ハウス サンハイツH23。現在は取り壊されて駐車場と化している(1978年7月ごろ筆者撮影)
  • 2 ②サンハイツH23(3ベッドルームタイプ)の間取り図 ハウスの周りは広大な庭に囲まれていた
  • 3 ③国分寺市にある将校用の米軍ハウス 部分的に石造りで暖炉も付く100㎡ほどの豪華な造りとなっている。ここに2007年から2013年まで居住していた。(2010年5月筆者撮影)
  • 4 ④「福生アメリカンハウス」12景。筆者のハウスH23のすぐ近くにある。(掲載許諾済み)
  • 5 ⑤福生のハウスと横田基地の位置関係。国道16号線(福生ベイサイドストリート)を挟んで、東西に広がっている。
  • 6 ⑥入間市「ジョンソンタウン」の米軍ハウス。店舗として活用されている。(掲載許諾済み)
  • 7 ⑦「ジョンソンタウン」の風景。住宅と店舗が100棟ほど混在し、独特のアメリカ風景観を展開している。(掲載許諾済み)
  • 8 ⑧瑞穂町の「米軍ハウス展」の新聞記事。瑞穂のハウス「ジャパマハイツ」にはミュージシャンの大滝詠一が、ハウスを改造したスタジオ「福生45スタジオ(ナイアガラスタジオ)」を拠点としていた。(読売新聞多摩版2021年1月20日付け記事より引用)

参考文献

註1 フォレスト建築研究所・小椋祥司ブログ(60年前。日本に建てられたアメリカの家「米軍ハウス」とは)より https://www.houzz.jp/ideabooks./116541644/list (2021・1・4閲覧)
参考文献
① アラタ・クールハンド『FLATHOUSE LIFE 1+2』㈱トゥーバージンズ、2017年
② 小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録(上)(下)』住まいの図書館出版局、1999年
③ 坂野正人写真集『Talking About Fussa』真通信社、1980年
④ レトロハウス愛好会編集『米軍ハウス日和 暮らしを楽しむチープシックスタイル』ミリオン出版、2012年
⑤ 邑游筰『とまどい・セブンティーズ ―ジャンキーシティーブルース』男子専科、2020年

Web情報
①福生アメリカンハウス www.fussabasesidestreet.com> (2021・1・6閲覧)
②ふっさハウスを守る会 housemamoru.com (2021・1・7閲覧)
③夏の日、米軍ハウスの街 Thinking for the House yoshikawaoumei.wordpress.com>
 (2021・1・8閲覧)
④福生―米軍ハウス物語 www.mxtv.co.jp/tokyoproject/database/oa/20020129/20020129.html (2021・1・9閲覧)
⑤131 HOUSE https://131house.com/new-living.html(2021・1・9)
⑥Town scape「ジョンソンタウン Johnson Town」 https://www.youtube.com/watch?V₌2H8ks3MagoM (2021・1・10閲覧)
⑦ジョンソンタウン-ホーム https://www.facebook.com/johnsontown1954/shoplist (2021・1・19閲覧) 

備考: 今回、新型コロナウイルス感染症拡大による「緊急事態宣言」の発令をうけて、福生・瑞穂および入間ジョンソンタウン等への現地取材がかなわなかったことが、非常に残念であった。

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