移り変わる天王寺、阿倍野周辺の景色と、歴史の中での位置づけ
1.はじめに
毎日通勤時に通る、天王寺、阿倍野周辺は近代的なビルも並んでいて、下町の雰囲気も合わせ持った不思議なエリアである。このエリアは、大阪の繁華街の中でも特にその傾向が強い。商業エリアと住居エリア、寺院や公園などが密接し、色々な建物が混在していて、梅田や難波とは少し違った街並みが作られている。最近では、あべのハルカスや、てんしば、あべのキューズモールなど、再開発が進められ、そのエリアに新しい視点をもたらしている。
この色々なものの共存に、魅力を感じ調査対象に至る。
2.基本データ
所在地:大阪府大阪市天王寺区四天王寺、
大阪府大阪市天王寺区茶臼山町、
大阪市阿倍野区阿倍野筋で囲まれるエリア
構造:JR天王寺駅、近鉄大阪阿倍野橋駅を中心に、主に商業ビルと公園から成り立つ
(あべのハルカス:鉄骨鉄筋コンクリート造 鉄骨造、延床面積 約306,000㎡)
規模:国道25号線「近鉄前」交差点を起点に、
北へ約800m、西へ約250m、南へ約350m、東へ約450mで囲まれた
エリア
3.事例の何について積極的に評価しようとしているのか
天王寺、阿倍野エリアは、約1km四方の徒歩圏内で、歴史ある四天王寺や、緑の多い天王寺公園、ショッピングモール、学校などの教育機関などの沢山の建物が密集している。更に大阪のダークな部分でもある、あいりん地区なども近くにある。
様々な歴史や特色を持った、色々な意味を目的とする建物、景色が広がり、建てられた年月も様々で、昔ながらの承継物も残された、多種多様な価値観を持つ地域でもある。
このようなバラエティに富んだ価値観も街並みに反映され、成り立ち、人々から必要とされている地域であることに、歴史的にも、意匠的にも価値のある街と考え、評価する。
最近では、景観においても、美しさを取り入れる動きがあり、あべのハルカスなどの高層ビルができたり、近鉄前交差点を繋ぐ歩道橋もデザイン化されたりと、洗練されたデザインが増えているエリアにもなっている。
大きなターミナル駅を中心とした限られた範囲で、現代に至るまでの、変化の流れ、古いものと、新しいもののミックス感の面白さについても評価したい。
4.歴史的背景は何か
天王寺と言う地名は、近くの四天王寺があった事により、昔から、この辺りは天王寺と言われていたと伝えられている(註1)。阿倍野は、色々な説があるが、古代に周辺の土地を所有していた、豪族「阿部氏」の名前に由来する説(註2)が有力である。
四天王寺は、593年に聖徳太子が建立した官寺である。聖徳太子は「四箇院の制」を取り入れ、敬田院、施薬院、療病院、悲田院を造った(註3)。敬田院は寺院の事であり、施薬院と療病院は薬局や病院であり、悲田院は病者や身寄りのない人のための社会福祉施設にあたるものとされていた。現在もそれらがあった名残りとして、四天王寺病院であったり、四天王寺学園であったりと、近辺には四天王寺から発祥した建物が多く残り、今もなおその意味を引き継ぎ、事業が継続されている。また、天王寺駅前には悲田院町と言う地名があり、当時の悲田院があった場所とされている。四天王寺近くの谷町筋沿いには、四天王寺を建立した世界最古の企業と言われる金剛組の本社もあり、何かしら四天王寺と繋がりのある建物が多い。
天王寺公園エリアは、1903年の第5回内国勧業博覧会の会場として、開発された場所である。閉幕後は、東半分は天王寺公園、西半分は新世界となった。天王寺公園には動物園以外に、茶臼山古墳や元住友家の敷地があり、公園内でも違う雰囲気のエリア(註4)が共存する。茶臼山町の地名も、現在もその場所に残っている。
西側の新世界は、近くに歓楽街の飛田新地があり、以前は賑わっていた。現在は、時代の流れと共に歓楽街の勢いが弱まり、そこに集う人も少なくなった。あいりん地区も近く治安が悪い場所として有名で、今でもなお大阪の暗い部分を感じるエリアでもある。風景的に綺麗とは言えないが、人間味を感じられる場所でもある。
最近では大阪市は、天王寺、阿倍野エリアの再開発にも乗り出し、2011年にはあべのキューズモール、2014年には近鉄百貨店の建替えも含め、あべのハルカスも建築された。あべのキューズモールが建築された土地には、昔はあべの銀座商店街などがあり居酒屋や洋食店などが並んでいたが、そのお店があべのキューズモールに併設されたViaあべのウォークに出店し、形を変え継続している。
また、阿倍野エリアは、大阪阿倍野橋駅があり、近鉄南大阪線の発着駅でもある。近鉄グループにおいては、要となる場所である。このエリアを梅田、難波と並ぶ中心地として行くために、2006年頃から近鉄グループの4つのコア事業(鉄道、流通、不動産、ホテル・レジャー)を終結した大規模プロジェクト(註5)として、天王寺、阿倍野のランドマークになる日本一の超高層ビル建築の動きが始まった。あべのハルカスの中で、百貨店、ホテル、オフィス、芸術など多彩な分野の施設が共存する「立体都市」を作り、都会の中での心地良い空間を作り出している。
また計画当初は、大阪国際空港の航空規制で280mより高い建物は建てれなかったが、2007年に規制緩和され、偶然にもそれより高い建物、300mが建築可能になる。
ハルカスの由来は、古語の「晴るかす」で、「晴らす、晴れ晴れさせる」と言う意味から来ている。高層ビルからの景色や爽快感をイメージ出来るネーミングでもある。またあべのハルカスでは建築技術として、耐震やCO2の削減、屋上の緑化などが取り入れられていて、日本の中で最新の建築技術が見られる場にもなっている。デザイン的にも、存在意義としても、天王寺、阿倍野エリアを引っ張っていく存在である。
5.国内外の他の同様の事例について何が特筆されるのか
大阪の同じターミナル駅である、梅田(通称キタ)と比較することにする。
キタは、JR、阪急、阪神、地下鉄と乗り入れ、大阪でも一番の乗降の多いターミナルである。中心のJR大阪駅で降りて、周りを見渡すと、見えるのはほとんどが商業ビルとオフィスビルである。ビジネス街と言っても良い。10分ほど歩いても、まだビルが続く街並みである。最近では、タワーマンションや、ビル中に大学が入居していて、住居や学校も見られるようになったが、それも一部である。人が住む感覚はほとんど感じられないエリアであり、仕事やショッピングをするエリアとしての認識が高い。昼間は人が増えるが、夜になると人口が減る地域であると言っても良い。
梅田は、1874年にJR(昔の国鉄)の大阪ー神戸間が開通し、また阪急電車、阪神電車の発着駅でもあり、今もその流れは続いている。
近くの堂島には、1893年に大阪米穀取引所が設立され、米相場の街として栄えた。1876年には、現在の大阪毎日新聞社のビルも堂島に建築された。この当時から梅田は、取引やビジネス関係の建物が多く建てられていた事がわかる。
生活をする街ではなく、取引をする街として、動いて来たのであった。
逆に言うと、天王寺、阿倍野エリアは生活する事に必要な事を全て兼ね備えている。
6.今後の展望について
最近では、全国どのエリアについても、近代的でモダンなビルが建てられ、綺麗に区画整理され、整った街並みづくりが推奨されている。そこには、天王寺、阿倍野エリアのあべのハルカスやキタのグランフロントのように、一番最新の技術や、デザインが取り入れられ凝縮されたビルが並ぶ。もちろん、未来を感じさせ、希望を与えてくれる景色を作ってくれる。
そのビル群を造るのは人であり、また、その景色を見るのも人であり、それをどう感じ取るかも人である。
人の感情や感覚を冷静に見ると、色々な事が混じりあう時もあり、未来や希望を感じたくない時もあるだろう。そういった時には、寺院があったり、公園があったり、または高層ビルがあったりする天王寺、阿倍野エリアはすごく居心地が良く、人が人として居れる場所ではないだろうか?人々の色々な価値観を受け入れてくれるエリアとして、統一感のないバラバラの建物のあるエリアが存続し続けても良いのではないか?
変わらないでいる事は難しく、街のレベルや建築技術は発展していくであろう。
あらゆる人にとって、居心地が良いと思う、人の感覚を大事にする場所が天王寺、阿倍野エリアには残っていて欲しいと願う。
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谷町筋から見たあべのハルカス、北側からの景色
谷町筋を往来する人の目印になっている
(2018年7月26日筆者撮影) -
国道25号線から、近鉄前交差点に向かってのあべのハルカス
すぐ下には車が沢山通り、ハルカスとの高低差が楽しい
(2018年7月26日筆者撮影) -
阿倍野筋側から見たあべのハルカス、南側からの景色
左側にはあべのキューズモールが見える
(2018年7月26日筆者撮影) -
すぐそばには、高層のマンションも建っている
人の生活も、天王寺、阿倍野エリアでは、すぐ近くで成り立っている
(2018年7月26日筆者撮影) -
新世界からのあべのハルカス、もちろんハルカスから徒歩圏内である
もっと以前に、あべのハルカスが建てられていたら、
夢を持てる人が、沢山いたかもしれない・・・
(2018年7月26日筆者撮影) -
ハルカス展望台からの谷町筋を撮影した風景
左上に小さく通天閣が見え、左半分の緑の辺りには、天王寺公園が見える
(2018年7月26日筆者撮影) -
ハルカス展望台から谷町筋を撮影した風景
右上の緑の辺りは、四天王寺が見える、近くには住宅や学校も見える
(2018年7月26日筆者撮影) -
天王寺駅、大阪阿倍野橋駅、あべのキューズモールをつなぐ、
近鉄前交差点上に架かった歩道橋、屋根がランダムなデザイン
上から見ると、阿倍野の「a」のデザインになっている
(2018年7月26日筆者撮影)
参考文献
井口悦男、生田誠著 『大阪今昔歩く地図帖』、学研パブリッシング、2011年
山本博文著 『あなたの知らない大阪府の歴史』、洋泉社、2014年
本渡章著 『大阪名所むかし案内 絵とき摂津名所図会』、創元社、2006年
倉方俊輔、柴崎友香著 『大阪建築 みる・あるく・かたる』、京阪神エルマガジン社、2014年
註1:天王寺区ホームページ
http://www.city.osaka.lg.jp/tennoji/index.html(2018年7月15日アクセス)
註2:阿倍野区ホームページ
http://www.city.osaka.lg.jp/abeno/index.html(2018年7月15日アクセス)
註3:和宗総本山四天王寺ホームページ
http://www.shitennoji.or.jp/(2018年7月15日アクセス)
註4:天王寺動物園
http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu170/tennojizoo/(2018年7月15日アクセス)
註5:KINTETSU NEWS RELEASE
http://www.kintetsu.jp/news/files/abeno20070808.pdf#search=%27%E8%BF%91%E9%89%84+%E3%81%82%E3%81%B9%E3%81%AE+%E5%86%8D%E9%96%8B%E7%99%BA%27
(2018年7月16日アクセス)