文身造形は野蛮か-ハジチが辿った道から見る社会-
1.はじめに
つい30年ほど前までは、沖縄のお年寄の女性の両手指甲から腕にかけてハジチ[1][写真1]が見られた。ハジチとは、古くより沖縄諸島で継承された女性の習俗的文身造形[2]で、今ではもう見ることができない。
日本の文明国家化を目指した明治政府は民族性を否定し、国民に法律と刑罰を与え[3]民族性を放棄させた。沖縄では一君万民の名の下に皇民化が図られ、その影響は広く波及[4]したが、ハジチもその一つである。第二次大戦後の教育により、愛国心[5]の保持を許されないことでアイデンティティーを毀損され、帰属意識や当事者意識を失った[6]現代日本人は、明治の頃に理想とした文明人の姿なのだろうか。ハジチが辿った道と現代日本社会の中の文身造形の姿とを比較し、人間社会における文化が持つ意義を考察したい。
2.史上のハジチ目撃者と諸先行研究
ハジチ目撃者による記録[資料1]は、文献や絵画、写真が大半である中、北村皆雄監督『南島残照 女たちの針突』[7]は特筆に値する貴重な映像資料である。ハジチ習俗を継承した最後の世代である女性たちが、文化であったハジチが野蛮とされる価値観の変容に翻弄されながらもハジチと共に生き、語り微笑む姿は、誇り高く文化的である。「ハジチは守る力です。オナリ神としての女が、男を守り家族を守る力の付与です。そんなハジチの心が現代にも継承されることを願っております。」北村監督からいただいたこの言葉[8]は、ハジチを持ったかつての沖縄の女性は「女性としてあるべき姿」という確固たるアイデンティティーを持っていたことを証明するものである。
3.野蛮という価値観とハジチの消滅
明治政府が目指した文明開化とはつまり日本の西欧化である。当時の西欧の思想観の一例として、異文化に生きる者の価値観を引き合いに出しながら貶め、装飾は犯罪であるとまで言い、モダニズムの先駆けとなった1913年の建築家アドルフ・ロースの言葉を以下に記す。「文化の進化とは日常の生活道具から装飾を取り除くことと同義である。パプア人は自分の顔、体から弓矢や船に至るまで身の回りの物すべてのものを装飾でもって飾りたてる。だがしかし今日においては、刺青は頽廃の徴候であり、犯罪者か堕落した貴族主義者がするものである。」[9]
日本社会に定着している文身造形を野蛮とする認識[10]は、1720年江戸幕府が制定した「御定書百箇条」において刑罰として黥刑が採用されたことに由来する[11]。1899年、ハジチを野蛮な風習と見做した明治政府は、沖縄に入墨禁止令を施行し、背いた者を違警罪[12]として処分した。ハジチは昭和初期まで密かに続けられたものの、禁止令はハジチに対する偏見と差別を生んだ[13]ため、ハジチ消滅の直接的原因として考えられている[14]。文身造形に対し西欧・日本が共有する野蛮という認識は、人為的に作られたものであることが理解できる[15]。
4.琉球風俗絵画とハジチ
入墨禁止令が出される以前に活躍した画家や描かれた絵画には、画中の婦人の手にハジチが見られる[資料2-1][16]。しかし、禁止令以降に活躍した画家の絵画には、ハジチが施されているであろうその婦人の手が、生活用具や画中の前面に描かれる人物の身体の一部によって隠れている[資料2-2]。服の柄とハジチの有無のみの差異と言えるほど酷似した構図の絵画もある[資料2-3]。
絵画が時代の為政者や権力者にとって都合の良い社会状況をつくるためのプロパガンダの役割を果たしてきた歴史的事実や、社会背景とそれに左右され利用されてきた芸術との相互関係を考えると、琉球風俗絵画のハジチの描かれ方の変化には、ハジチを野蛮とした為政者や社会への配慮の包含が十分に考えられ、芸術のあり方を問う事例であることを指摘したい。
5.現代文身造形の姿
一生消えないデザインを肌に刻む時、人は自身と対峙せざるを得ない。文身造形施術師である筆者[17]は、人々が願いや祈りを込めて文身造形を施す姿をすぐ傍らで見てきた。現代文身造形は自己表現文化の一つであるが、自己を確立しながら愛好家同士で共同体を持ち、連帯感や帰属感を得る姿[18]は大変興味深い。なぜなら文化を持つことで個を確立し、初めて他者・社会とのつながりを得るという一連の過程は、ハジチと類似しているからである。
現在、入墨禁止令は存在しない[19]が、文身造形施術師に対し医師法第17条を適用し刑罰を与えることができる[資料3]。2017年9月には、裁判で医師免許を持たない文身造形施術師に有罪判決が出された[20]。筆者は2008年米国マサチューセッツ州滞在時に、血液媒介病原体、応急処置、心肺蘇生法についての試験をオンラインで受験合格し、保健所より施術師のライセンスを取得した上での勤務経験を持つが、時代と共に変化する価値観に対し、為政者が積極的に現実社会に必要とされる法の改正に取り組む姿勢に感銘を受けた。一方、医師ではない者に医師法を適用し罰する現代日本の為政者の対応は一方的で、入墨禁止令と同等と言えるのではないだろうか。現在、文身造形業界は裁判での判決を受け、衛生面・安全性の見える化に努めるべく、協会の設立に向けて歩んでいる[21]。
6.ハジチと現代文身造形との比較
「針突と入墨は施術方法は似ていても、習俗としての機能から、あるいは歴史的観点から区別する必要がある。」と波平氏は述べている[22]が、ハジチを他の文身造形から剪定し考えることは困難だと考える。なぜならすべての文身造形は、アイデンティティーを誇示[23]するために利用される共通点を持ち、習俗、個人的嗜好等の理由を問わず、野蛮な行為であると為政者から同一視され禁じられてきた歴史があるからである。
双方の相違点は、ハジチ習俗は消滅し、個人的嗜好の文身造形はその姿を多様に変化させながらも現代に生き続けていることである。この違いが生まれた原因として、習俗が存在した時代には、習俗であったが故に特に意識をせず資料を遺さなかったこと[24]、禁止令施行時においては情報を共有・拡散するための文明技術が少なかったこと、さらには時代と共に習俗と深く関わりを持っていた信仰による性的役割が変化したことなどが考えられる。一方、現代文身造形が生き続ける理由は、アイデンティティーの回復と共同体への帰属意識の回復が、自発的に行われる愛好者の姿にあると考える。文身造形のあり方は、人間社会の中で個を持つ必要性と共に、文化に基づき成り立つ共同体への帰属意識が不可欠なものであることを示している。以上のことから文身造形は野蛮ではなく、社会にとって意義・価値のある造形芸術だと考える。
7.おわりに
文明技術の発展は、地域の民族性や個性的な文化を知る手段となり、現代では多くの地域特性が各地で見直され地域再興の原動力となっているが、筆者は安易にハジチ習俗の復興を訴えているのではない。ハジチが辿った道は、古くより栄えた文化が時代の政治的背景により、マイノリティー側へ追いやられ排除され消滅に至った事実を教えてくれる。文身造形は、美術や工芸のように尊重され保存されるものではないが、文身造形と社会の関わりに関心を持つことは、文化を論じる際の新たな視点と発見を見出すきっかけとなる可能性を含むことを評価したい。過去から現代の変遷より学び、現代もまた未来への通過点であることを忘れず、文明と文化の狭間に生きる我々一人一人が当事者意識を持ち、理想とする文明人の姿を考え続ける必要があるのではないだろうか。また文身造形研究は、異学問分野の架け橋ともなり得る[25]テーマであり「人と人を繋ぐ」ことこそが、人間社会における文化が持つ意義であると帰結する。
参考文献
[1]針突と表記され、パジチ、ファジチ、ハズキ、など呼称も地域で異なるが、本レポートではハジチと表記する。酒等を入れて濃くすった墨を、束ねた針につけて皮膚に突く、いわゆる入墨のこと。[資料1]の諸文献に記される。
[2]起源は明らかになっていない。研究によりハジチには永世の観念や結婚と不可分の関係にあったこと、沖縄で独立発生したものではなく、南方より伝播してきたらしいこと、航海神と深い関係にあるらしいことが分かっている。(小原一夫『南嶋入墨考』筑摩書房、1962年 p.16)
詳しくは、読谷村立歴史民俗資料館編「沖縄の成女儀礼 沖縄本島針突調査報告書」読谷村教育委員会、1982年
[3]1872年(明治5年)「違式詿違条例」のこと。春画や混浴、裸体露出の禁止等第105条まである。文身造形については第十五条を参照「近代書誌・近代画像データベース」国文学研究資料館 http://school.nijl.ac.jp/kindai/NIJL/NIJL-00031.html#7
違式詿違条例「身体二刺繍ヲ為セシ者」を禁じる。彫り師をすること、客になることの両方を禁止。宮下規久郎『刺青とヌードの美術史』日本放送出版協会、2008年 p.178
[4]風俗改良運動。ハジチの他にもユタ、墓、沖縄芝居、モゥアシビー(毛遊び)、姓名、豚便所などが禁止された。「いずれも、沖縄文化に歴史的に深くかかわるものであり、それらの否定抑圧は、沖縄人アイデンティティに「劣等意識」「被差別意識」をもたらした。」浅野誠氏 http://makoto.ti-da.net/e3362751.html
[5]ここでは、自分の生まれた土地や国が持つ文化に対して抱く純粋な愛着や感謝などの意。
[6]一例として、淀川労務協会「(blog)日本人の忘れ物」(2013年)より http://www.yodogawaroukyou.gr.jp/archives/3717
[7]北村皆雄監督『南島残照 女たちの針突 沖縄・宮古諸島のイレズミ』ヴィジュアルフォークロア製作、2014年 (1984年のハジチ調査当時の映像資料が見ることができる。)
[8]2018年6月26日に北村皆雄監督から頂いたメールより。
[9]アドルフ・ロース著/伊藤哲夫訳『装飾と犯罪ー建築文化論集ー』中央公論美術出版、2005年 p.120
[10]関東弁護士連合会のアンケートが2014年に実施された。「イレズミを入れることを法律で規制すべきだと思いますか?強く規制すべきである11.1% 規制はあってもよい22.8% どちらとも言えない38.0% 規制すべきではない20.2% 規制は不当である7.9% 」の次の質問「イレズミを入れた人から実際に被害(暴行・脅迫・強要などをいい、不快感などの感情的なものは除きます)を受けたことがありますか?ある4.5% ない95.5% 」この結果からほとんどの人がイメージに基づいて判断しているとしか思えない状態であることを示す、と山本氏は述べている。山本芳美『イレズミと日本人』平凡社新書、2016年 p.19-20
[11]黥刑は軽罪の刑罰だが、一目で前科者と判断できることから入墨=野蛮という認識を後世まで遺した。詳しくは山本芳美『イレズミの世界』河出書房新社、2005年 p.97-100
[12]刑法第428条第9項<自体に刺文も為し及び之を業とする者は同条に依り▢▢の拘留に処し又は10銭以上1円以下の科料に処せられる>(船越義彰)『沖縄大百科事典 上巻』沖縄タイムス社、1983年 p.257
山本芳美『「文身禁止令」の成立と終焉ーイレズミからみた日本近代史ー』政治学研究論集第5号1997.2 https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/14989/1/seijigakuronshu_5_87.pdf
[13]禁止令以降の学校教育の場でのハジチ施術者に対する蔑視や、海外へ移民する際にハジチを理由に夫より離縁された人、また日本人全体のイメージを損なうとされ帰沖させられた人もおり、差別の対象となっていた。詳しくは山本芳美『イレズミの世界』河出書房新社、2005年 p.202-216
[14]読谷村立歴史民俗資料館編「沖縄の成女儀礼 沖縄本島針突調査報告書」読谷村教育委員会、1982年 p.1
[15]「日本の明治時代(1868-1912)に相当する時期に、王室及び上流階級の間で刺青が流行したのである。」小山騰『日本の刺青と英国王室ー明治期から第一次世界大戦まで』藤原書店、2010年 p.11 といった日本の文身造形に肯定的な反応を見せた海外の人々の情報は、社会にあまり知られていない。
[16][資料2]の絵画①②④⑥⑧⑨『国立博物館巡回展 東京国立博物館所蔵 琉球資料展 「琉球・沖縄へのまなざし」』浦添市美術館編集・発行、2003年
③⑤⑦⑩『沖縄県立博物館・美術館企画展「琉球絵画」展』沖縄文化の杜、2009年
⑪『南への風~沖縄・台湾~近代沖縄の美術・工芸』浦添市美術館、2014年
友寄喜恒(1845-1885)以後活躍した比嘉盛清(崋山)(1868-1939)は共に琉球国滅亡という19世紀末の社会変動の中(喜恒30代、盛清10代前半)新権力への対抗、あるいは順応という生き方を選択した旨が上記既出『琉球絵画展』(2009) p.10に記されている。
[17]2003年より文身造形の道に入り、Mayとして海外国内にて活動。現在沖縄県在住。http://chunkymaymay.wixsite.com/uncategorizedtattoo
[18]一例として「刺青愛好会」Facebookページ参照
[19]1880年「旧刑法」、1908年「警察犯処罰法」は、戦後の1948年に「軽犯罪法」が制定されたことで失効となった。「軽犯罪法」に刺青を禁止する規定はない。
[20]【タトゥー裁判】Business journal (2017,9,4) http://biz-journal.jp/2017/09/post_20430.html
[SAVE TATTOOING IN JAPAN] http://savetattoo.jp/news/
裁判の結果に対し筆者の元に、2017年9月28日にオーストラリアのジャーナリストRonan O'Connell氏からメールにて取材があり記事になったのでご参照いただきたい。日本のジャーナリストからの連絡はなかった。「Little-known law in Japan tourists really need to know about」
https://www.news.com.au/travel/world-travel/asia/littleknown-law-in-japan-tourists-really-need-to-know-about/news-story/de923ef871c60927212c920f20ceee03
[21]現在日本タトゥーイスト協会という名称で規約草案がまとめられている段階である。協会理念に「タトゥー施術者が遵守すべき事項を定めることで、被施術者の身体の安全性やその他の権利を保護し、被施術者のニーズに応じたタトゥーの提供を可能にし、またタトゥー施術に対する社会的信頼を確保することを目的とする」とある。協会設立の呼びかけをし、業界をまとめようと中心になり活動されているのが、現在日本の文身造形業界になくてはならないサプライヤー「有限会社Wizard T.S.」代表、比嘉エルネスト氏である。2018年6月20日、筆者宅にて取材をさせていただいた。エル氏の御祖母様は大正9年生まれ、沖縄のご出身で、海外移民としてのご経験とハジチをお持ちであることもうかがうことができ、とても感慨深い取材となった。
[22]山城博明写真・波平勇夫解説『琉球の記憶ー針はじち突』新星出版、2012年 p.100
[23]アイデンティティーを「自己」に対して誇示するものでもあり、しかし文身造形の「周囲からも視認される」特徴のため、社会への誇示として捉えられることが多い。
[24]あるいは存在していたが、琉球の歴史書などと共に、1609年の琉球侵攻や第二次大戦の戦火に巻かれ焼失してしまったことも考えられる。外間守善「『沖縄文化の遺宝』と鎌倉ノート」(鎌倉芳太郎『沖縄文化の遺宝(二分冊)』岩波書店、1982年 p.281)
[25]文化人類学や民俗学、皮膚科学の面から研究されているが、各国との交流関係、各国の書物に記された文身造形についての記載、土器や絵画に残る文身造形の痕跡、法令との関わりや政治思想からの影響を考慮すると、文学や芸術、人類学、宗教学、歴史・地理学、考古学や、政治学、教育学、社会学などの社会科学。またハジチと同時期に見られたカヤ(神経痛などを緩和するために施された入墨)に見られるように、医学や薬学以外の健康科学などとの連携も考えられる。