隅田川震災復興橋梁5橋の色彩計画

遠藤 智美

はじめに
隅田川は荒川から分岐する支流のひとつで、東京湾に注ぎ込むまでに六区を経由し、多数の橋を有する一級河川である [資料2-1]。本稿では、台東区と墨田区に架かる震災復興5橋 [資料1]を文化遺産として取り上げ、2020年東京オリンピック開催前に向けた耐震補強工事に伴う5橋の再塗装に関わる行政と民間の取り組みについて調査を行い、その評価と報告を試みる。

I. 基本データ
(1) 白鬚橋 [資料2-2]
現橋完成:昭和6年(1931年)
所在地:[資料2-3]
管理:東京都
架橋:東京府
橋名は、東岸の「白髭神社」の名に由来。

(2) 吾妻橋 [資料2-2]
現橋完成:昭和6年(1931年)
所在地:[資料2-3]
管理:東京都
架橋:東京市
浅草寺とスカイツリーを結ぶ観光客の往来が多い橋。橋名は、江戸の東「あずま」、向島の吾嬬神社へ続くため。

(3) 駒形橋 [資料2-2]
現橋完成:昭和2年(1927年)
所在地:[資料2-3]
管理:東京都
架橋:復興局
橋名は、公募により橋詰にある「駒形堂」が由来。橋灯には、当時流行していたアール・デコ様式のモダンデザインを採用。

(4) 厩橋 [資料2-2]
現橋完成:昭和4年(1929年)
所在地:[資料2-3]
管理:東京都
架橋:東京市
橋名は、米蔵に付属する馬屋が多数存在していた事が由来。橋柱や照明灯に馬のレリーフが施されている。

(5) 蔵前橋 [資料2-2]
現橋完成:昭和2年(1927年)
所在地:[資料2-3]
管理:東京都
架橋:復興局
橋名は、架橋される前の江戸時代、国の年貢米を保管する米蔵が多数あった地域に通る大道「蔵前通り」に由来。また、米蔵が多かったため稲穂色に塗装された。

II. 歴史的背景
江戸時代、水運を重視した徳川家康によって水路網が整備され、物流の中心となる川沿いには多くの蔵が建ち並び栄えた。以降も舟運によって街や地域文化が大きく発展するも、1923年の関東大震災によって街はおろか多くの木橋は被災し消失してしまう。

震災後、復興を象徴する帝都復興事業として389橋のうち、274橋は東京市、115橋は国の復興局によって架橋され(白井, 2007, p.7)、復興当初に様々な表情を持つ橋が見られた隅田川は「橋の博覧会」と賞されていた(東京今昔町あるき研究会, 2013, p.2)。中でもモダンなアーチ橋が「 美観上大事な場所を選んで架けられ(中井, 2013, p.7)」、橋が復興した街の象徴となった事が分かる。上記5橋は、平成11年に東京都の都選定歴史的建造物に指定され、歴史的にも価値のある構造物となる。昭和59年、東京都は震災復興橋梁整備のため5橋にテーマカラーが設けられ[資料3]、以来、同系色で20〜30年にわたり再塗装されている。一方で「1960年、70年代には明るい色に塗替えられたが、単にそれぞれの橋の塗替え時期に色選びが行われた(赤木他, 2015, p.1)」懸念点や「色を塗替えるごとにだんだんと色が鮮やかになってきてしまった(第12回墨田区景観審議会議事録, 2015, p.15)」経緯が挙げらている。2014年、東京都建設局に委託された赤木らにより「隅田川中流部著名橋色彩検討委員会」が構成され、耐震補強工事に伴う5橋の再塗装が計画される。基本理念や方針を決定し、史実や現地での環境色彩調査、塗装履歴分析、区の景観審議会によって5橋の色彩計画が再検討された。最終的に「現行の色系統をテーマカラーとして継承しつつ、彩度を抑えていく」と墨田区景観審議会で決定され、現在までに4橋の再塗装が完了している[資料4]。

III. 国内外の同様の事例との比較
(1) 近隣の江東区
墨田区の隣、江東区に同様の質問を投じたところ、区道に架かる橋は他区同様に識者を含む景観審議会によって審議されると言う。しかし、橋が架かる道路によって管轄が決定されるため地域住民に意見を求めず、説明会が行われるか否かも曖昧な回答であった[資料6-1]。

(2) 観光資源としての橋
増田陳紀は、ニューヨーク州のブルックリン橋[資料7-1]とサンフランシスコ州のゴールデンゲートブリッジ[資料7-2]を観光資源として例に挙げている(増田, 2009)。1883年に架橋されたブルックリン橋は、マンハッタンとブルックリンを結ぶ観光名所であり、1937年に架橋されたゴールデンゲートブリッジは、スパンが長い吊り橋として20世紀を代表する構造物として価値を持つ。また、映画等の舞台に使用されているため、集客能力と観光資源として相乗効果が高いと増田は述べている。ゴールデンゲートブリッジ管理局によると、自然との景観コントラストを考慮し、湾を航行する船の視認性を助けるため、架橋以来「インターナショナル・オレンジ」が繰り返し再塗装され続けている。

(3) 歴史遺構としての橋
1924年から1928年にペンシルベニア州ピッツバーグに架橋され、ダウンタウンを囲む橋梁群の中で最も古いThree Sisters橋[資料7-3]。『ピッツバーグ・ポスト・ガゼット』紙によると、橋の再塗装色についてオンライン投票が行われたと報じられている[資料7-4]。投票した85%の市民がAztec Gold色を求め、一部は橋の名に因んだ偉人やその作品に関連した色を、一部は選択できる色に制限がある事に疑問を呈し、橋の色彩決定に市民の意見が反映されている事が評価されている。一方、歴史研究家は、歴史を守る観点から同色で橋の再塗装を勧め、市民に意見を尋ねる事に懸念を表している。地域の歴史遺構でありながら、市民に長く愛されてきた街の一部である橋が、秘密裏に行政主導で再塗装されるのではなく、市民の意見が公に明らかにされ、塗装色が決定された民間主導の例と言える。

IV. 評価
(1) 優れている点
本計画でひとつめに評価したい点は、専門家による色彩検討委員会が構成され、過去の塗装色や歴史背景の調査が行われた点[資料3]。さらに、識者や地域住民の意見を聞くフォーラムが開かれ、本計画が公に開かれた[資料5]。ふたつめに、色彩計画の経緯や検討プロセスを市民に説明・明文化するために、東京都建設局編集「隅田川のアーチ」パンフレットとして後世に記録が残された事も評価できる。

(2) 悔やまれる点
先述のパンフレットがオンラインはおろか、印刷部数が少なかったために地域住民に配布されておらず、遠方の東京都建設事務所まで行かなくては入手できなかった点は省みるべきであろう。増田は、土木遺産は「社会基盤施設の重要性への国民の意識改革を促すためにも、できる限り国民に知られるような形での情報提供が必要」(増田, 2009, p4)と述べており、本計画の情報開示は十分ではなかったと言える。

第12回墨田区景観審議会の中で岸委員が、工事中の看板を使用し、塗替えの経緯や理由等を通行人に分かりやすく、期待させる方法について提案をしている。しかしながら、東京都建設局はパネル展示で立ち止まる人がいると危険である事を鑑み、詳細な調査結果はパンフレットに盛り込むと進言している。
 また、地域住民を集めた第1回・第2回「都市環境デザインフォーラム」では、行政や市民などによる投票結果、ワークショップでの参加者の声が明らかになったものの[資料5-2]、関係者へのインタビューによると、既に行政が色彩を決定しており、フォーラム開催以前に塗装が開始されたという現状が明らかになった[資料6-5]点は悔やまれる。

(3) 改善できる点
駒形橋の工事現場では白い巨大パネルが橋を覆い、工事パネルでは工事説明だけが記載されている。にぎわい文化や歴史的建造物を生かし、橋を重要な観光資源、街のランドマークとして生かすという東京都の景観計画に基づくならば、地域住民や利用者に震災復興橋の存在を知らせる仕組み作りが文化遺産として必要ではないだろうか。

ここで、UR都市機構と横浜駅西口再開発の工事仮囲いを例に挙げる。街の歴史や開発に関わるストーリーを視覚的に紹介し、無機質な工事スペースを有効活用した優れた事例と言えよう。ゆえに、駒形橋の塗装工事パネルでは、駒形橋が隅田川花火大会の第二会場である事、塗装される青をテーマに駒形橋の歴史、本計画の存在や「橋の博覧会」を遠近から感じられる工事パネルが最適な開示方法ではないだろうか。

V. 今後の展望
今日の隅田川は作業船以外にも、屋形船や水上バスのように多くの観光船が盛んに運行されているため、観光要所である事は明白である。隅田川沿いのイベント開催やテラス、ランニングコース等の整備、東京都建設局によって12橋ライトアップも行われている。復興橋梁は歴史遺構であり、復興の文化を後押しした文化遺産である。しかしながら今回の調査を通し、復興橋梁の存在を外的に把握しづらい事が分かった。それは、情報が公に十分開示されておらず、実際に橋を利用する観光客や住民に伝わりづらいためであった。さらに、本計画に少なからず民間が関与する事で、地域住民が自分事として捉え、住民参加によって深い地元愛を育てられるため、民間の関与が重要であったのではないかと考察する。復興橋梁の存在を通し、橋を理由に人が集まる仕組み作りが今後求められるのではないだろうか。

  • 1 【資料1】左から 白鬚橋、吾妻橋、駒形橋、厩橋、蔵前橋
  • 2 【資料2】基本データ
  • 3 【資料3】隅田川復興橋梁5橋塗装変遷と現状(筆者作成)
  • 4 【資料4】色彩決定するまでの各種会合と流れ(筆者作成)
  • 5 【資料5】有志による都市デザインフォーラム記録集
  • 6 【資料6】墨田区、江東区、東京都建設局、NPO景観デザイン支援機構[TDA]への質問と回答
  • 7 【資料7】国外の同様の事例との比較

参考文献

1.(一財)日本色彩研究所 編『隅田川のアーチ - 五橋の色彩計画』(2015)東京都建設局
2. 東京都建設局道路建設部保全課(1998)『東京都の橋』東京都政策報道室都民の声部情報公開課

3. 東京今昔町あるき研究会 編著(2013)『隅田川の橋』彩流社

4. 墨田区景観審議会議事録 https://www.city.sumida.lg.jp/sangyo_matidukuri/matizukuri/matizukuri_suisin/keikan_matizukuri/keikan_shingikai/keikan_gijiroku.html(2017年7月2日アクセス)

5. 台東区景観審議会議事録 https://www.city.taito.lg.jp/index/kurashi/kenchiku/keikan/keikanshingi/keikanshin-gizi.html(2017年7月2日アクセス)

6. 東京都建設局 http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/jimusho/rokken/gaiyo.html(2017年7月4日アクセス)

7. UDI都市環境デザイン会議 「第1回都市デザイン交流会フォーラム 2014」http://www.judi.gr.jp/archives/project/2013-09_report-1.pdf(2017年7月4日アクセス)

8. 武蔵工業大学工学部都市工学科 教授 増田陳紀 著(2009年)『観光資源としてみた橋梁について』 http://www.kawada.co.jp/technology/gihou/pdf/vol28/28_05kikouronsetu.pdf(2017年7月3日アクセス)

9. The City of New York http://www.nyc.gov/html/dot/html/infrastructure/brooklyn-bridge.shtml(2017年7月3日アクセス)

10. The Golden Gate District http://goldengate.org/(2017年7月3日アクセス)

11. 土木学会土木史研究委員会編(2007)白井芳樹『土木史研究・講演集 vol.27-28』(東京市施行隅田川左岸地域震災復興橋梁の橋種・型式選定の考え方/白井芳樹 p.7-p.10)土木学会

12. 赤木重文・名取和幸・大内啓子・江森敏夫(2015)『色彩研究』(隅田川5橋の色彩計画)日本色彩研究所

13. 『横浜駅西口の仮囲い利用し地域情報発信 SNSで写真募集も』ヨコハマ経済新聞 https://www.hamakei.com/headline/9670/(2018年7月7日アクセス)

14. 横浜駅西口仮囲いプロジェクト概要インタビュー記事 http://edit-local.jp/interview/have-a-yokohama/(2018年7月7日アクセス)

15. sorarium『最近、建設現場の仮囲いアートが面白すぎる!!』 https://www.sky-s.net/sky-blog/archives/2008/05/11-052554.php(2018年7月7日アクセス)

16. 東京都建設局「隅田川ルネサンス」 http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/jigyo/river/teichi_seibi/sumida/index.html(2018年7月15日アクセス)

17. WEB塗料報知 2018/01/07 http://www.e-toryo.co.jp/architectural_deco/tokyo-2/(2018年7月15日アクセス)

年月と地域