空間造形の視点から見た「哲学堂公園」の魅力再発見と今後の活用方策

瀬田 敏幸

1.はじめに
「諸学の基礎は哲学にあり」とは、東洋大学の創立者・井上円了(1858-1919年)が残した言葉である。本レポートにおいては、円了が思索を重ね、自らの世界観、哲学観を具現化した「哲学堂公園」について、主に「空間造形」の視点から、その魅力再発見と今後の活用方策について考察してみたい。

2. 基本コンセプト・園内の主な建造物
(1) 名称       「哲学堂公園」
(2) 作庭年代     明治時代末期
(3) 基本コンセプト 「哲学の概念」を可視化した、世界に類を見ない造園空間 (哲学のテーマパーク)
(4) 所在地  東京都中野区松ケ丘1-34-28
(5) 規模   約52,500平方メートル
(6) 構造   古建築物・日本庭園・他
哲学世界を視覚的に表現した、全国にも例を見ない個性的な公園。園内に点在する主な建造物を以下に取り上げてみたい。
①「四聖堂」(明治37<1904>年建造)
哲学堂で最初に建造された建築物。東洋の釈迦と孔子、西洋の古代哲学のソクラテスと、近代哲学のカントの四聖人が祀られており、公園の中心的な建物である。
②「六賢台」(明治42<1909>年建造)
三層六角形の赤い建物で、日本古代の聖徳太子、中世の菅原道真、中国周代の荘子、宋代の朱子、インド仏教の龍樹、仏教以外から釈毘羅仙の六人を、東洋の賢人として祀っている。
③「三学亭」(明治42年建造)
日本古来の三道である、神道の平田篤胤、儒教の林羅山、仏教の釈凝然の三碩学を敬い、三角形の築山の上に、三角形の屋根を三本の柱で支える構造の建物である。

3. 歴史的背景
本園は、円了によって「哲学的精神修養」の空間(場)として創設された。
明治36(1903)年に建設が始められ、同37(1904)年に最初の建物である「四聖堂」が落成。その後、七十七場の整備に、順次精力的に取り組んだ。
哲学による文明開化を志向していた円了は、「余資なく、優暇なき者」でも学べる場を作るべきとの考えから、日本における大学通信教育の先駆けや、生涯学習の提唱にも連なる活動に取り組んだ。
円了の死後、本園は昭和19(1944)年に東京都へ寄付された後、昭和50(1975)年中野区へ移管。平成21(2009)年には、東京都名勝に指定され今日に至っている。

4. 空間造形の視点による「評価軸」
円了の思想と造園のねらいなどは、口述書「哲学堂案内」(大正9年)に詳しいが、私は以下の3点を、魅力再発見の「評価軸」として設定した。

(1)自然立地を活かした「景観と空間構成の独自性」
本園は、高低差のある変化に富んだ地形から、「台地上の中央庭園」「妙正寺川に面した 斜面地」「川沿いの低地」などに分けられる。ゾーニングごとに、眺望のある広場、松林、湧き水、川の水など、景観要素が異なる空間が存在する。「時空岡」には、「四聖堂」などの建築物を配置し、低地の左右の空間には、「唯物園」と「唯心庭」を配置するなど、景観構成の特色を活かした空間を創出した。
また、中国瀟湘八景にならった「哲学堂庭外の風光・八景」(富士の暮雪、御霊帰鵜、玉橋秋月、氷川夕照、薬師晩鐘、古田落雁、鼓岡晴嵐、魔松夜雨にも通じる)として、そのランドスケープデザインを構想している。
このように、自然立地の特性を十分に活かした「景観と空間の構成の独自性」を評価したい。

(2)東洋・西洋の哲学の歴史的経緯を踏まえた「真理・本質追究の継承性」
世界の視点から四聖堂(4人の哲学者)を、東洋の視点から六賢台(6人の哲学者)を、日本の視点から三学亭(3人の哲学者)を、それぞれ祀っている。山尾新三郎が宮大工としての技法を活かし、円了の意向を設計・空間に反映させる中で、それらの歴史的経緯を踏まえた「真理・本質追究の継承性」を評価したい。

(3)テーマから見える独特の「デザイン・意匠の先進性」
本園は、来園者が哲学やその歴史などを学べるなど、開かれたテーマパークとして開園している。それらを踏まえ設計にも反映させた、独特の「デザイン・意匠の先進性」を評価したい。

5. 国内の他事例との比較
「空間造形」の視点から比較を試みる庭園として、「六義園(りくぎえん)」を取り上げてみたい。
(1)名称 「六義園庭園」
(2)作庭年代     江戸時代初期
(3)基本コンセプト  和歌の心 息づく雅な大名庭園
(4)所在地  東京都文京区本駒込6-16-3
(5)規模   約87,800平方メートル
(6)構造と歴史的背景 
江戸幕府の五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が、元禄13(1700)年に築園した。
和歌の趣味を基調とし、繊細かつ温和で起伏のある景観をもつ「回遊式築山池泉庭園」である。
「六義園」の名称は、中国の古い書物である毛詞に配されている、賦、比、興、風、雅、頌の「六義」(りくぎ)に由来し、紀貫之が転用した和歌の六体によるものである。
「楽只堂年録」(荻生徂徠・編纂)の第108巻には、六義園に託した思いや、八十八境の名の由来などが記されている。紀州和歌の浦の景勝や、和歌に詠まれた名勝の景色を、あるいは、「万葉集」や「古今和歌集」から名勝を選び、園内に八十八境を映しだしたものである。
その後明治に入り、三菱の創業者である岩崎彌太郎の別邸となり、昭和13(1938)年東京市(都)に寄付され、昭和28(1953)年には、「国の特別名勝」として指定された。
(7)両園を比較しての「共通点」と「相違点」
両園は、主に以下の3点(①〜③)において、「共通点」が見出せると考える。

①時代背景は異なるものの、哲学堂公園=哲学のテーマパーク 六義園=和歌のテーマパークとして、いずれも「造園設計の基本コンセプト」が明快・明確である点。

②来訪者が園内を回遊して、テーマやコンセプトが理解できるように設計され、哲学堂は 七十七場、六義園は八十八境として、その「回遊性」が確保されている点。

③ 哲学堂は、哲学概念の可視化をめざし「理性の具現化」「理性的空間の創出」を図った。六義園は、「万葉集」「古今和歌集」の景勝地に見られる歌枕や、和歌の浦の景観を演出させるなど、いわば「感性の具現化」「感性的空間の創出」を図った。いずれも、造園テーマに沿っての「可視化と具現化」をめざした点。

一方、主に以下の3点(①~③)において、両園における「相違点」が見出せると考える。

①哲学堂は、東洋・西洋の哲学を究める中で、円了自身による哲学観により設計した点があげられるのに対して、六義園は、「作庭記」(日本最古の庭園書・平安時代)以来の日本庭園の特色を継承しつつ、江戸時代を代表する「大名庭園」のひとつとして設計されている点。

②哲学堂は、東洋・西洋双方の哲学を俯瞰しつつ、園設計に反映させているのに対して、六義園は、日本独自の和歌とその心象風景を活かした設計がなされている点。

③哲学堂公園は、都市公園法による「公園」として、哲学の歴史も学べる独特な空間であるのに対して、六義園は、「庭園」として池泉などを導入した回遊空間であることなど、比較対象のベースとなる基準が異なっている点。

6.空間造形の視点から今後の活用方策
以上述べてきた点などを踏まえ、哲学堂公園の今後活用方策について、私は以下の3点を中心に、すすめていくことを提案したい。

(1)受容性が高い日本人、多様性のある文化の独自表現として再整備することを通じて、東洋・西洋の多様な哲学文化を融合・調和した魅力ある公園として、世界へ発信する契機とする。

(2)2020東京オリンピック・パラリンピックを視野に、「beyond2020プログラム」(文化庁提唱)にエントリーし、次世代に誇れるレガシー(遺産)を創り出す文化プログラムとして展開していく。

(3)「哲学堂本来の価値の向上」や、新たな「都市観光拠点資源」として捉えることを、園内再生整備のコンセプトとし、円了が志向した空間・建造物等の復元とともに、地元自治体(中野区)や東洋大学関係者などが密接に連携・協力し、国の名勝指定をめざしていく。

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    平成29(2017)年9月 筆者撮影
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参考文献

〇 平成29年度「哲学堂祭」講演会参加者向け配布資料、 2017年11月4日
〇『東京人 特集―哲学堂と中野のまちを楽しむ本―』、 都市出版、 2016年2月増刊
〇 東海林克彦 [著]『哲学堂公園に関する造園学的考察』観光学研究、東洋大学編、 2014年3月
〇 東海林克彦 [著]『哲学のテーマパークとしての哲学堂公園』
東洋大学史ブックレットNO.9 井上円了記念学術センター編、2013年11月
〇 「中野区哲学堂公園再生整備基本計画(案)」、中野区HP公表資料、 2017年10月
〇「哲学堂公園・旧野方配水塔周辺地区整備基本方針」、中野区HP公表資料、 2017年3月
〇 哲学堂公園指定管理者・日本体育施設グループ・東洋大学社会学部メディアコミュニケーション学科、「哲学堂七十七場紹介ビデオ映像作品」、インターネットTVステーションプロジェクト、2016年
〇「中野区立哲学堂公園内古建築物調査報告書」中野区教育委員会、中野文化センター郷土資料室、1985年
〇 尼﨑博正[監修]『すぐわかる 日本庭園の見かた』、(株) 東京美術、 2009年9月
〇「庭園へ行こう 東京都公園協会サイト」
〇 「六義園」(入園者への六義園案内パンフレット 2017年9月六義園サービスセンター発行)
〇 森 薀 [著]『日本史小百科 <庭園>』、(株)東京堂出版、1988年3月
〇 大橋治二・齋藤忠一 [著]『ヴィジュアル 日本庭園鑑賞事典』、(株)東京堂出版、2000年9月〇 内閣官房東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局、文化庁
 「beyond2020プログラム」2020年以降を見据えた文化プログラム案内サイト、2017年12月

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