牧野植物園にみる、人の手と自然の交わり

尾﨑 里美

Ⅰ. はじめに

高知県立牧野植物園は、県出身の植物学者・牧野富太郎の業績を讃え、逝去の翌年1958年に造園された植物園である。所在地は牧野の希望であった高知市五台山[註1]の頂上付近に位置し、山野の地形を敷地内に含む構造で、在来の自然と貴重な植物資料を共に観覧することが可能である。
当初は約2.6haの庭園[註2]に温室を含む比較的小さな植物園だったが、1999年に大規模な整備事業が完成し、全体の敷地面積は18.2haに拡大された。自然との調和を継続して意識しながら、展示館や研究施設などの建築が完成され、生態園や記念庭園などが整備された。
観賞施設としても教育普及・研究機関としても充実した内容となった牧野植物園の、稀有な立地と造園形態の持つ意義を、以下に考察していく。

Ⅱ. さまざまな植物園

まず、植物園のそもそもの定義について整理しておくと、植物園によく似た場所として自然公園や庭園などが挙げられる。これらとの違いは、植物園では樹木や草本それぞれに名称や科目分類の札が付けられ、採集地や来歴が明らかなことである。つまり観賞要素のみならず、植物分類学や生物学などの研究を行う機能を持つことが広義の植物園とされる。研究材料は文献や保存された標本だけではなく、生きた動的な資料として多種多様な植物が集められている。
現在の植物園の前身に当たるのは、中世ヨーロッパの薬草を中心とした植物園である。ヴァン=ズイレン(1999)によれば、それまでのヨーロッパの庭園は常緑樹や大理石などを組み合わせた恒常的な形で構成されるものであったが、植物学に興味を持ったルネサンス期の人文主義者たちによって、花の色や植物の成長など可変的な要素が注目され、研究のための植物園が各地に造られるようになった。学術的要素を持つことを定義とすれば、鳥居・高林(1993)によると、古代ギリシアまで溯ってアリストテレスがアテネに造ったものが最初の植物園として挙げられている。
王侯貴族が造らせた庭園や荘園と同じように、それまで特権階級の所有であった植物園が、市民のための教養や憩いの場としての役割を持つようになったのは第二次大戦後である。現在の植物園は規模も形態もさまざまで、役割や方向性はさらに拡がり、環境保護を目的としたり、観賞性が拡張されたテーマパークのような形態[註3]も存在する。
造園形態を細かく分類すれば際限ないが、元々の地形を囲い込んだ自然林や生態園と、人工的に整備された庭園とに大きく分けられる。海外では、広大な庭園型の植物園が多くみられる。日本の都市部の植物園は、土地面積の確保の困難さから、温室主体の運営形態をとることが多い。
牧野植物園は、大規模な造園整備を行いながらも、人工的な植栽で完結しない多様な生態園が基本となっている。山野の自然の中にいると感じられる空間が目指されている。

Ⅲ. 観覧ルートからの空間造形

(1)入口~本館
園内の具体的な構造については、来園者が辿る動線に沿って記述していきたい。
入園前のエリアから、趣向を凝らした植栽は始まっている。正門から入園窓口へと至る小道の周囲には、尾根や谷を流れる水辺を人工的に造成し、高知県の自然植生をジオラマ的に再現している。標高1000m以上の山地植物から海岸植物まで600種以上を集め、一歩進むごとに標高が下降した植生に変わっていく。多くの野鳥や昆虫が見られ、生態園として成熟している。
本館および展示館は、サスティナビリティーをテーマとして設計され、自然環境への負荷がより少ない建築が目指されている。ウッドデッキが敷かれた半屋外空間が広く設けられており[註4]、山野から建築空間への連続性が感じられる。
建築外観は、景観を損なわないよう山や尾根のカーブに沿った自然曲線が造成されている。三日月形に覆う大屋根は、薄い青色に塗られ空の色と同化している。屋根の傾斜から雨水を集めるために設置された水盤[図1]には水生植物が植えられ、水は循環して散水にも利用されている。全体像から細部まで、有機的な力を感じさせる空間構成である。
本館は、シアターホールや図書室[註5]を備え、非公開エリアとして標本室や実験室などが完備されている。

(2)回廊~展示館
本館と展示館を繋ぐ約170mの回廊沿いは、広い道幅がとられ中央が花壇になっている。これは緊急時の車両通路であり、普段は植栽空間に擬態している[図2]。
展示館の外観は本館と対を成し、常設・企画展示室、ギャラリーなどを備える。常設展「牧野富太郎の生涯」では、立体的な展示でその生涯を追い、興味深いエピソードにまつわる品々を観覧できる。「植物の世界」では、標本や模型や映像を用いて植物学を解説している。数ヶ月間隔で切り替わる企画展示は、教育普及を根幹としながら独自の内容が展開されている[註6]。
展示館の裏手には、薬用植物の樹木草本が一堂に会する植栽区があるが、進路が目立たないため急ぎの観光では見落とされがちなエリアである。

(3)南園
展示館を出て南園へ続く連絡道は、緑のアーチが施されたり、ローズ園などで彩られている。南園周辺の隆起する地形には、混々山や結網山と名前が付けられ親しまれている[図4]。また、石灰岩・蛇紋岩などを配して特有の土壌をつくり、適した植物を育成している。
谷地形となる南園中心部は、東洋の伝統植物を中心に植栽した回遊式庭園になっている。後方の山を借景に、六つの池とそこに連なる小川が流れ、四季折々の花と景色が融合している。五台山にはもともと水脈が存在しないため、雨水を貯水して循環する水の流れを造りだしている。

(4)温室
南門傍にはガラスドームの大温室があり、約1000種の熱帯植物が栽培されている。地上からの高さは14m、地下は2m掘り下げられ、内部はテーマ性を持つゾーンに分かれている。
入口は石造りの円塔になっており、内側から見上げると放射状に切り取られた空がみえる[図5]。回廊の壁面には灌水システムが備えられ、シダ植物などで緑化されている。
乾燥地ゾーンにはサボテン類が栽培されている。熱帯の暮らしゾーンは、東南アジアをイメージした小屋が配され、農村の庭先で見られる植物が植えられている。資源植物ゾーンでは、人間の生活に欠かせない食料・飲料・薬の原料となる植物の野生の姿が観賞できる。鬱蒼と茂るヘリコニアのトンネルゾーンの中には、仏教三大聖樹がみつかる。
中央のウォーターガーデン[図6]は、水辺の広がる開放的な空間になっている。上部水槽からの水が滝のように流れ落ち、透明な底を透かして上部に浮かぶ睡蓮やオニバスなどを観察できる。周囲と対照的にアーティフィシャルなこの空間は、神殿がイメージされている。
熱帯のシダ植物などが植栽されたジャングルゾーンにも水域が大きく設けられているが、岩肌を伝う滝つぼのような自然感が再現されている。観覧ルートの高低は三階層になっており、最上部の展望デッキからは、背の高いヤシ類や上方まで続く熱帯雨林の様子を観察することができる[図7]。

Ⅳ. 解像度を上げる

初めて園を訪れたなら、すべての植栽エリアを周ることは難しいかもしれない。足早に全体の景観や目を惹く花々を楽しんでもいいし、気に入った場所で休憩したり写真を撮影してもいい。植物園での過ごし方は自由である。
私が感じるテーマパークやアミューズメント施設等との感覚的な違いは、植物園には何度訪れてもまだまだ知らないことが隠されているような深みが存在することである。いくらでも解像度を上げて観ることが可能で、新たな細部が都度出現する。
来園者が解像度を上げて観るきっかけとなる仕掛けとして、スタンプラリーなどのサイドイベントが実施されている。入口から出口までの主要ルートを抜ければ完成する初級編から、山野を歩き回って対象の植物を探さなくてはならない上級編まで用意されている。対象植物の花や実の形をしたスタンプは、思わずコレクションしたくなるデザインである。今後の計画では、植物の興味深い生態と、視覚の裏にある仕組みや造園のテーマなどを案内するガイドツアーが準備されている。

Ⅴ. 植物園の意義

植物園の大きな意義のひとつは、来園者が植物園で得た知識や体験を持ち帰って、生活の中に再現することにあると考える。直接的にはいえば園芸文化の存続だが、牧野植物園の空間造形からは、もっと緩やかで奥行きのある価値が汲み取れるのではないだろうか。自然と調和した景観の在り方を観察することで、美しい暮らしや町並みが意識されたなら素晴らしいことである。

  • 1 [図1] 本館ウッドデッキ、屋根の水を集める水盤(2014年1月12日 筆者撮影)
  • 2 [図2] 回廊横の緊急車両用通路(2014年10月26日 筆者撮影)
  • 3 [図3] 展示館中庭
    牧野富太郎ゆかりの植物が特に集められている植栽区。水盤のオブジェは夏にクーリング効果をもたらす。(2017年7月16日 筆者撮影)
  • 4 [図4] 記念庭園から混々山を見た景色(2010年10月4日 筆者撮影)
  • 5 [図5] 温室入口「みどりの塔」
    名前の由来は未来の姿で、塔の窓に植えられたアコウが気根を伸ばして網状に覆い、枝葉が茂ってくる姿が計画されている。(2017年7月16日 筆者撮影)
  • 6 [図6] 温室ウォーターガーデンにオープンしたカフェ(2015年2月11日 筆者撮影)
  • 7 [図7] 温室展望デッキから見下ろしたジャングルゾーン(2010年10月4日 筆者撮影)
  • [図8] 植栽地区分図
    出典:高知県立牧野植物園編(2012)『植物目録 2012』、巻頭資料(非公開)

参考文献

― 註釈 ―
[1] 標高約146mの五台山は古くから人々が遊山に訪れる場所として知られていた。四国霊場31番札所「竹林寺」が隣接し、頂上には市街中心部を一望できる展望台施設がある。
[2] 現在の南園にあたる植栽園の面積が2.6haで、当初の敷地全体面積は6haであった。(参照:高知県立牧野植物園編(2012)『植物目録 2012』、「はじめに」頁).
[3] 空中散歩道などを有するガーデンズ・バイ・ザ・ベイ(シンガポール)や、蜂の巣型ドームが組み合わさったエデン・プロジェクト(コーンウォール)など。(参照:木谷美咲(2016)『世界一うつくしい植物園』、p.46-49、p.122-127).
[4] 庇を深くする建築様式は、強い日差しを避けるとともに、雨の多い土地柄に適している。
[5] 図書室には約9000冊の植物学文献が所蔵され、広い窓から中庭を眺めながらの読書が可能である。奥には通常非公開の「牧野文庫」があり、牧野が蒐集した約58000点の植物資料が保存されている。
[6] これまで、「恐竜時代の植物展」や「昆虫植物展」など子どもにも興味を持ってもらえそうな企画、「世界の三大穀物展」や「きびと高知の暮らし展」など食文化を紹介する企画、海外の一地域の植物に焦点を当てた企画などが開催されている。

― 参考文献 ―
ヴァン=ズイレン,ガブリエーレ(1999)『ヨーロッパ庭園物語』(小林章夫監修,渡辺由貴訳) 創元社.
木谷美咲(2016)『世界一うつくしい植物園』エクスナレッジ.
高知県立牧野植物園編(2001)『牧野富太郎記念館 建築案内』(内藤廣建設設計事務所監修) 高知県立牧野植物園.
高知県立牧野植物園編(2005)『A SOUVENIR GUIDE TO The Kochi Prefectural Makino Botanical Garden』高知県牧野記念財団.
高知県立牧野植物園編(2012)『植物目録 2012』高知県牧野記念財団.
"高知県立牧野植物園", http://www.makino.or.jp(参照2018-1-20).
鳥居恒夫・高林成年(1993)『植物園へ行きたくなる本』リバティ書房.

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