ざざんざ織に見る、日本の伝統工芸の現状と対策

髙柳 洋子

1、ざざんざ織について
(1)基本データ
ざざんざ織は、(有)あかね屋の登録商標であり、初代の平松實が創始した絹織物で、静岡県指定郷土工芸品である。昭和7年に開店した工房兼店舗のあかね屋で織られている。所在地は静岡県浜松市中区中島2-15-1である。
ざざんざ織の名前の由来は足利義政が『濱松の風はざゝんざ』と詠んだ中の言葉で、潮風に耐え、人々に美しさと安らぎを与える松風の音を表現した言葉である「ざざんざ」にあやかってその名がついた。
現在、ざざんざ織は創始の平松實の長男の妻・久子(82才)によって織られている。
作品は、あかね屋店舗を始め、各地の展示会で購入できる。

(2)ざざんざ織の魅力
ざざんざ織の魅力は精緻の極みにある。職人は細かい部分まで手をかけており、仕上げの完璧さに力を尽くしている。完成後、人々の手に渡った後も不具合が少ない。そのため品物は丈夫で風合いが良く、自然の艶と絹織物独特の美しさが生まれてくる。それに加えて、ざざんざ織のすばらしさは見るだけでなく、使用してみて改めて、その良さを発見できることでもある。昨今では高価な着尺だけでなく、比較的手に入りやすい金額で、マフラーやネクタイ、ガマ口や名刺入れなどが販売されている。これにより手仕事に対する大衆の関心を呼び起こしているといえる。
昨年の夏、織元を見学した際に、正倉院に収めた紐の一部を見ることができた。それを参考にしてオリジナルのリボンを注文したところ、出来上がったのは2か月後であったが、作品は色も艶も丈夫さも思っていた通りであった。まがい物ではない、本物の「手仕事」を手に入れることができた。作品を受け取りに行った際、「本当に気に入ってもらえるものを織りたい。」という織人の気持ちが伝わって、大切に使っていきたいと実感した。まだざざんざ織を知らない人たちにも、この感触を実感してほしいと考える。

(3)歴史的背景
ざざんざ織は浜松を中心とした遠州西部地方の産物として古くから知られている綿と藍を素材にして、農家の婦女が糸にして紺屋に出し、紺や浅黄に染めて、着物に仕立てたのが始まりである。明治になると政府の殖産興業で養蚕は盛んになり、全国に製糸場が整備され、この地でも絲入縞として外出用の上質なものが出来上がった。そして世の中の科学の進歩により、手引きの木綿は紡績会社の製品に変化し、植物染料は化学染料とへと代り、手織りは機械織りへと変化させていった。丈夫で温かみがあり雅味のある手織物は影を潜めていったのである。ざざんざ織は、昔の手織物の良さを復活させた織物である。平松家の家業は古くからあった織屋であったが、平松實は柳宗悦の民芸運動に共鳴し、丈夫で味の濃い染織品を生み出したとされている。昭和6年東京銀座の資生堂で個人展覧会を開いたときに、柳宗悦が「工藝には、技巧的なもの、思想的なもの、功利的なものといろいろな層があるが、平松君の織物は實用を主眼としてある。必然的に質に注意が払われておりこのことは工藝の道として、一番至当なものであると考えたい。」と述べている。手仕事は、戦後のアメリカ文化の流入による大衆文化の台頭や近代日本の急成長とともに危機を迎えたが、ざざんざ織は困難を乗り越えて今がある。

(4)ざざんざ織の特徴
浜松という土地柄は、気候風土が温暖で生活がしやすく、そこに住む人柄も「やらまいか精神」という何でもやってみようという先取的な地域である。ものの変化に早く対応できる反面、長い年月をかけて育む伝統工芸が育ちにくい土地柄でもあるとされてきた。そのなかでざざんざ織は丈夫で洗練された染織品で、今日まで愛され育まれてきた数少ない工芸品である。
ざざんざ織に使われる糸は、2頭の蚕がつくる玉繭から複雑に絡み合ってできる節のある絹の玉糸や紬糸を使うため、太さ・細さの変化があり、糸自体の出すムラが特徴である。その節むらが面白く、織物にしても暖かい。12年間使うことによって初めて慣れてくるといわれている。節のある玉糸を数十本、撚りあわせて織り上げることにより、糸は太くなるが、精練工程では約4時間かけて煮沸するため、糸の量は3割以上も減る。これにより、一層ざざんざ織特有のしなやかさが得られる。
染色は大変手間のかかる草木染である。染料の王といわれる藍はざざんざ織で多く使われる色である。既婚女性の証として使われたお歯黒と同じ原理で発色させた五倍子を主とした黒、茜根・紅花の赤、桃皮・苅安の黄、鉄処理した蘇芳の紫、楠の明暗による桃色、カテキューによる茶。ほかにも黒豆、栗、柘榴、梅なども使われる。これらの植物染料を主とし植物の煎汁液や処理剤の濃淡、さらにこれに浸す時間によって同じ材料でも色調が変わる。長年の経験と微妙な呼吸によって染められる色は落ち着きと深みのある日本の伝統色が主である。
織は昔ながらの手機手織りで、近代的な器具を一切使用していない。手引きの糸 は従来、横に使うことが多かったが、ざざんざ織は縦糸にも使われている。

(5)葛布との比較
遠州地方で伝承されてきた葛布について調べてみると、明治以降に壁紙として輸出され、アメリカのホワイトハウスなど欧米の著名な建築に使用された葛布は、現在では織元が数件に減っている。普及活動として葛布作りのすべてを学べるワークショップを行っていることがわかった。全国から集まる受講生は全くの素人から染織作家、研究者と幅広い。作り方、歴史を学べるワークショップである。葛布製作の技術の伝承を目的であるが、自然環境や衣服の自給に興味を持っている人なども対象としている。今年度は28名が参加し(リピート参加者は3名)、来年も引き続き行う予定であるという。それに対して、現在、ざざんざ織は平松久子の次男が週末に織っているというが、専業ではない。専任の織人は平松久子一人である。技法を学ぶための学校やワークショップなども特に開催予定がなく、将来は予測不能の状態である。

(6)今後の展望
今後のざざんざ織は織元の家に生まれ、先に技術を学び創作意識を得て、織物を製作していく方法と美術学校で織物について学んだ後、工房に入り、技術を習得していく方法があると考える。専任の織人が一人しかいない現在、まずは直系に技術を託していきながら、日本全国に普及活動やワークショップ等を行い、ざざんざの魅力を伝えることが重要であると考える。ざざんざ織を絶やさないために、織ることができる人間をいかにして育成していくかが、課題であると考える。行政に働きかけたり、公益財団法人( 明治安田クオリティオブライフ文化財団など)が行っている地域の伝統文化分野への助成制度に公募して、「民俗技術」の継承、とくに後継者育成のための活動を助成してもらうのも一つの方法と考える。現在、ざざんざ織は 小学校の「民芸」の授業の中で取り上げられている。予約が必要であるが、小学校の生徒たちが、工房を見学し、糸に触れ、実際に職人が織っているところや、当初から使われている織機や糸巻機を見ることができ、ざざんざ織の歴史を職人から直接聞けるという貴重な体験ができるのである。こうしたことを積み重ね、ざざんざ織の存在を大衆に認めさせいく方法も有効であると考える。織人側にも伝統を守り続けていくために、ざざんざ織に対して革新をしてもらうことも必要であると考える。古くからの習慣や制度、考え方を変えることにより、今まで培ってきた財産を守り続け、また現代に生かしていくことができると考える。例えばインターネット、スマホを利用したさらなる販売方法の拡大や、国内だけでなく海外にも目を向け販路を拡大し伝えていく。また、技術を変えるのではなく、応用として考え、美術大学や他の業種とコラボレーションして新商品を開発することもよいと考える。

  • 1 赤く染められた玉糸 2017年8月17日あかね屋工房にて撮影
  • 2 あかね屋工房全景 2017年8月17日あかね屋工房にて撮影
  • 3 織機に向かう平松久子氏 2017年8月17日あかね屋工房にて撮影
  • 4 ざざんざ織製作中の平松久子氏 2017年8月17日あかね屋工房にて撮影
  • 5 ざざんざ織(ネクタイ、ガマ口ほか) 2017年8月17日あかね屋工房にて撮影
  • 6 平松久子氏が12年間使い続け、しなやかさを増したざざんざ織(ショール)2017年8月17日あかね屋工房にて撮影
  • 7 2017年8月17日に私がオーダーしたリボン 2017年1月10日撮影
  • 8 正倉院に納めた紐の一部 2017年8月17日あかね屋工房にて撮影

参考文献

茜屋編 『颯ゝ紬』発行年不詳
平松哲司 著『颯ゝ織』、茜屋、1983年
黒田宏治、阿蘇裕矢 著『静岡文化芸術大学研究起要』13巻P149ー152、2013年
URL http://id.nii.ac.jp/1132/00000652/

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