「湘南ひらつか七夕まつり」の歴史と展望-うつし文化の独自性-

三浦 祐司

「湘南ひらつか七夕まつり」の歴史と展望-うつし文化の独自性-

1 はじめに
七夕は全国的な年中行事であり、各地で七夕祭りが開催されている。しかし、その多くは「仙台七夕まつり」を模範としたものであり、「湘南ひらつか七夕まつり」もその一つである。松崎は、これを「うつし文化」と称した(1)。「うつし文化」とは、モデルを模範としつつも、それなりの独自性をもって展開を遂げたものである(2)。では、「湘南ひらつか七夕まつり」はどのような独自性をもって展開したのであろうか。本稿では、「湘南ひらつか七夕まつり」の独自性を評価し、今後の展望を考察する。

2 基本データ
「湘南ひらつか七夕まつり」は、神奈川県平塚市の中心商店街において、毎年7月の第1金曜日から3日間に渡って開催される[資料1]。2016年に66回目を数え、湘南の夏の風物詩となっている。かつては平塚市の主催であったが、現在は「湘南ひらつか七夕まつり実行委員会」の主催である(3)。
中心商店街には約500本、市内全域で約3,000本の七夕飾りが掲出され(4)、メイン会場である湘南スターモール商店街には、絢爛豪華な七夕飾りが並ぶ[写真1]。例年、延べ150万人の来場者数を記録し(5)、仙台と並び日本三大七夕祭りの一つに数えられている(6)。

3 歴史的背景
平塚市は、東海道の宿場町として栄え、鉄道開通後は平塚駅を中心に発展した(7)。しかし、終戦間近の空襲で、市街地の約70%が焦土と化す(8)。甚大な被害を受けた平塚市が復興を遂げる契機となったのが「平塚復興まつり」(以下「復興祭」という。)である。復興祭は、当時の柿澤篤太郎市長が戦災による耐乏生活を続けてきた市民を慰労する目的で1950年7月に開催した(9)。開催時期が農閑期であったことから、近隣農村からも見物客が大勢押し寄せ、商店街は爆発的な売り上げを記録する。商店街からは、復興祭を毎年開催して欲しいという陳情がなされたが、復興祭を毎年開催するのは不都合であるため、仙台を参考にした「平塚七夕まつり」を毎年7月に開催することになった(10)。

4 歴史的変遷
(1)伝統行事への過程
「仙台七夕まつり」の見様見真似で始まった「平塚七夕まつり」は、回を重ねるごとに知名度が高まる。1962年に主催が平塚商工会議所から平塚市に変わると、平塚市の産業文化を全国に紹介する機会として発展する(11)。そして、20周年を迎えた1970年には、初めて延べ300万人を超える来場者数を記録した(12)。
順風満帆と思えた「平塚七夕まつり」が最初の危機を迎えたのは、1972年のことである。豪華な七夕飾りを製作しても、露天商に儲けを奪われてしまうため、商店街としては協力できないという申し入れが平塚市に対してなされたのだ。事態を重く受け止めた平塚市は、開催時期を7月上旬から8月上旬に変更し、露天商の集中を回避した(13)。
しかし、翌1973年6月に平塚市が資本参加した平塚駅ビルが開業すると、客足を奪われるとして商店街の不満が噴出し、平塚市との対立が先鋭化する。このため、当時の加藤一太郎市長は七夕祭りの中止を発表したが、商店街の一部から自主的に開催しようという気運が高まり、平塚商工会議所が主催を肩代わりして、同年8月の開催にこぎつけた(14)。
これらの危機は、「平塚七夕まつり」が商店街のためのイベントであったことを裏付けると同時に、平塚の伝統行事であることを市民に強く認識させる契機となった。
(2)市民行事への過程
大きな試練を乗り越えた「平塚七夕まつり」は、1974年から7月開催に戻り、来場者数も300万人前後まで回復する。1993年には、「湘南ひらつか七夕まつり」と名称を変更し、史上最高の361万人の来場者数を記録した(15)。
ところが、バブル崩壊後の景気の低迷や大型ショッピングモールの進出は(16)、商店街の衰退をもたらし、2000年の50周年を節目に七夕飾りの掲出を取り止める商店が相次ぐ。七夕飾りの減少を危惧した「湘南七夕の会」(17)は平塚市に働き掛け、翌年から公募による市民飾りが掲出されるようになった(18)[写真2・3]。
また、平塚駅周辺のマンション開発が進むと、七夕祭り開催期間中の交通規制に対する苦情が数多く寄せられるようになった。平塚警察署からの要請もあり、市民生活に配慮するかたちで、2006年からは開催期間が4日間に短縮された(19)。
さらに、2011年は、東日本大震災の発生を受けて、一時開催が危ぶまれる。しかし、被災地の復興を祈念したいという市民の思いが結実し、規模を縮小して開催される運びとなった(20)。
このように、「湘南ひらつか七夕まつり」の担い手は、商店街から市民へと移行しつつある。現在は、市民行事へ向けた大きな過渡期を迎えているといえよう。

5 仙台七夕まつりとの比較
仙台における七夕行事の起源は、仙台藩初代藩主伊達政宗(1567-1636)が子女に対する文化向上を目的として、七夕を奨励したことが始まりと伝えられる(21)。しかし、「仙台七夕まつり」の起源となるは、1926年に大町五丁目の商店街で大売出しの装飾に華やかな七夕飾りを採用したことによる。そして、1928年に「仙台七夕まつり」が復活した(22)。仙台でも平塚と同様に、商店街の商業振興を目的として七夕祭りが導入されたのである。ただし、高橋(2003)が仙台の中心商店街で実施した調査では、七夕祭り開催期間中の経済効果は薄いという結果が出ており(23)、平塚とは対照的である。
その原因は、風習の有無が影響していると考える。仙台では、七つ飾りと総称される伝統的な七夕飾りや吹き流しを5本1セットで飾る風習がある(24)[写真4]。一方の平塚には、風習が存在しない。平塚の商店街は、風習にとらわれずに自由な発想で七夕飾りを広告媒体として活用することができたのである。時の話題や世相を取り入れた大型飾りは来場者の注目を集め、宣伝効果も抜群であった[写真5]。
また、平塚の七夕飾りには電飾が施されるようになり、夜間に幻想的な雰囲気を醸し出している点も仙台にはない特徴である(25)[資料2][写真6]。さらに、平塚の七夕祭りが開催される7月上旬は梅雨明け前であるため、1955年に七夕飾りの材料が京花紙から雨に強いビニール等の新素材に切り替えられた(26)。
このように風習による制約なく風土に見合った工夫が自由になされたことが、平塚の七夕祭りとしての独自性をもたらし、戦後復興や商業振興に大きく貢献したのである。

6 今後の展望
現在の「湘南ひらつか七夕まつり」を取り巻く環境は厳しい。七夕祭りの担い手であった商店街は衰退し、七夕飾りの掲出を見合わせる傾向にある。また、七夕祭り開催に伴う交通規制に対する住民理解も進んでいない。平塚市では、従来の商業振興やシティプロモーションに加えて、郷土愛の醸成を七夕祭りの目的に据え、市民協働型の七夕祭りの運営を目指しているが、財政上の問題もあり、取り組みは十分ではない(27)。
今後、七夕祭りの伝統を承継していくためには、何よりも住民理解を得ることが重要である。1955年に市民に七夕祭りを定着すべく、「一戸一本飾り付け運動」を展開した経過がある(28)が、これを町内会やマンション単位で応用すれば、市民に七夕祭りを理解してもらう機会となる。また、郊外の大型ショッピングモールをパークアンドライドの拠点とし、シャトルバスを運行すれば、商店街との共栄共存を図ることもできる。財政面では、ふるさと納税の活用を提唱したい。納税の返礼として、七夕飾りを掲出する権利を与えてはどうだろうか。七夕飾りの減少を補う有効な手段となり得るかもしれない。また、2014年から企業版市民飾りを試行的に実施しているが(29)、七夕飾りの掲出は、商店街と同様に、企業にとっても充分な宣伝効果が期待できる。広告媒体としての七夕飾りの掲出を積極的に企業に提案していくことも検討の余地があろう。

7 結びに代えて
「湘南ひらつか七夕まつり」は、商店街の商業振興策として「仙台七夕まつり」を移入し、独自の文化を築き上げてきた。しかし、商店街の衰退に伴い、市民が新たな担い手として求められるようになった。
ところで、本来、七夕は、家庭や集落を単位として行われてきた民俗行事である。見方を変えれば、市民参加型の七夕祭りとは、民俗行事本来の在り方ともいえる。仙台から移入された「湘南ひらつか七夕まつり」は、半世紀以上を経て原点回帰への道を模索しているのかもしれない。

  • 31583123_三浦祐司_資料1 [資料1] 第66回湘南ひらつか七夕まつり公式パンフレット(抜粋)
    出典:【公式】湘南ひらつか七夕まつりホームページ http://www.tanabata-hiratsuka.com/2016/pdf/panf.pdf(閲覧日2017年1月30日)
  • 31583123_三浦祐司_資料2 [資料2] 「第3回平塚七夕まつり」(1953)におけるライトアップされた七夕飾りの様子(写真左中央・左下)
    出典:50周年記念誌運営委員会編『湘南ひらつか七夕まつり50周年記念誌~25万市民の願いを託して~』湘南ひらつか七夕まつり実行委員会(2000)17頁
  • 31583123_三浦祐司_写真1 [写真1] 湘南スターモール商店街の七夕飾りの様子(2016年7月8日筆者撮影)
  • 31583123_三浦祐司_写真2 [写真2] 平塚市子ども読書活動推進協議会(左)とスイングブラジル子供会(右)が製作した市民飾り(2016年7月8日筆者撮影)
     湘南スターモール商店街に掲出される約80本の七夕飾りのうち30本が市民飾りとなっている。商店街の豪華絢爛な七夕飾りが減少するなか、市民の手によって作製される市民飾りの存在感が増している。
  • 31583123_三浦祐司_写真3 [写真3] 保育園や幼稚園、小学校等が手作りで製作した子ども飾り(2016年7月8日筆者撮影)
     くす玉や吹き流し等の基本的な飾りの材料は、湘南ひらつか七夕まつり実行委員会が提供している。
  • 31583123_三浦祐司_写真4 [写真4] 仙台七夕まつりの七つ飾り(左)と5本1セットの吹き流し(中央)(2016年8月撮影)
    出典:仙台七夕まつり協賛会(仙台七夕まつりホームページ) http://www.sendaitanabata.com/outline/photo(閲覧日2017年1月30日)
  • 31583123_三浦祐司_写真5 [写真5] 株式会社オーイズミダイニングの七夕飾り(2016年7月8日筆者撮影)
     2016年大河ドラマ「真田丸」にあやかった七夕飾りの中央に、広告を配置している。
  • 31583123_三浦祐司_写真6 [写真6] 電飾を施した株式会社湘南ベルマーレの七夕飾り(2016年7月8日筆者撮影)

参考文献

<参考文献>

《注釈》
(1) 松崎憲三「七夕まつりの予備的考察-その歴史と地域展開-」成城大学民俗学研究所紀要No.39(2015)84-85頁
 松崎は、「関東で有名な平塚の七夕まつりも、実はこの仙台の七夕まつりの「うつし」、つまり仙台から移入したものにほかならない。(中略)仙台の七夕まつりは「うつし」文化の輸出元としては、魁的存在だったのである。」と述べている。
(2) 松崎憲三「「小京都」と「小江戸」-うつし文化の基礎的研究-」日本常民文化紀要第26輯(2006)4頁
(3) 平塚市が七夕祭りを主催していた時代から「湘南ひらつか七夕まつり実行委員会」は組織されていたが、2011年に実行委員長が平塚市副市長から平塚市商工会議所会頭に交代し、民間主導の組織となった。
(4) 「開催概要」【公式】湘南ひらつか七夕まつりホームページ http://www.tanabata-hiratsuka.com/summary.html(閲覧日2017年1月30日)
(5) 開催期間が3日間となった第61回(2011)から第66回(2016)までの来場者数の平均(152.5万人)に基づく。
 「第66回湘南ひらつか七夕まつりが閉幕 3日間で155万人が来場」平塚市ホームページ http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/press/pres20160065.htm(閲覧日2017年1月30日)
(6) 日本三大七夕まつりの定義については諸説ある。「安城七夕まつりの歴史」によると、「仙台、平塚、安城」と定義しているが、一宮七夕まつりの「由来と特色」では、「仙台、平塚、一宮」と定義している。
 「七夕まつりの歴史」安城七夕まつり公式サイト http://www.anjo-tanabata.jp/history/(閲覧日2017年1月30日)
 「由来と特色」一宮七夕まつり公式ウェブサイト http://www.138ss.com/tanabata_bunner/yurai/index.html(閲覧日2017年1月30日)
(7) 「平塚を知ろう」平塚市ホームページ http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/shoukai/shoukai.htm(閲覧日2017年1月30日)
(8) 中林貴美子「湘南ひらつか七夕まつりのすべて」『平塚本』枻出版社(2016)62頁
(9) 平塚市博物館市史編さん担当編「第2編 第14章 第2節 七夕まつり」『平塚市史第10巻通史編 近代・現代』(2011)1185頁によると、復興祭の開催期間は、1950年7月1日から1週間となっているが、今泉義廣「平塚復興祭と平塚七夕まつり」『図説・平塚の歴史<下巻>』郷土出版社(1994)106頁では、7月5日から3日間となっている。平塚市市史編さん室に確認したところ、当時の新聞には、1950年7月1日から1週間開催された旨の記載があるとのこと。
(10) 平塚市博物館市史編さん担当編「第2編 第8章 第1節 公選初の柿澤篤太郎」『平塚市史第10巻通史編 近代・現代』(2011)986-987頁、平塚市博物館市史編さん担当編・前掲注(9)1185-1187頁
 ただし、臼井弘『湘南平塚くらしの中の俗言』稲元屋(1991)75頁によると、「たなばた祭りは、市内では大部分の家庭が八月七日にしていた。」とあり、元来、平塚市でも各家庭での七夕行事は、8月に行われていた。また、平塚市に隣接する中郡大磯町西小磯で行われる七夕行事は、現在でも8月7日前後の土曜日から日曜日にかけて行われる。
 「大磯の七夕行事」NPO法人無形民俗文化財アーカイブズ http://www.nponia.com/page14-ooisotanabata.htm(閲覧日2017年1月30日)
(11) 平塚市博物館市史編さん担当編・前掲注(9)1189頁
 なお、七夕祭りについては、誘客すなわち観光資源としての側面もあるが、本稿では広く商業振興の一環であると捉えることとする。
(12) 50周年記念誌運営委員会編『湘南ひらつか七夕まつり50周年記念誌~25万市民の願いを託して~』湘南ひらつか七夕まつり実行委員会(2000)104頁
(13) 平塚市博物館市史編さん担当編・前掲注(9)1190-1193頁
 当時は、7月上旬は全国的に催し物が少なかったので、全国の露天商が「平塚七夕まつり」に集中した。そこで、平塚市は、開催期間を「仙台七夕まつり」と重ねることにより、露天商の分散を図った。
(14) 平塚市博物館市史編さん担当編「第2編 第8章 第3節 教育市長の加藤一太郎」『平塚市史第10巻通史編 近代・現代』(2011)1005-1006頁
 平塚駅ビルには、衣料品店や食料品店を中心に118店舗が入店したが、テナントの多くが市外の有名店であり、地元商店は10余店舗に過ぎなかった。
(15) 50周年記念誌運営委員会編・前掲注(12)108-127頁
 名称変更の経緯を示す資料は残っていないが、平塚市の位置がわかりやすいように「湘南」という地域名が付けられたのではないかという説がある。
(16) 「OSC湘南シティ」あいとっと http://itot.jp/14203/30(閲覧日2017年1月30日)
 1999年4月に平塚市内最大級を誇るオリンピックシティ湘南(現在のOSC湘南シティ)がオープンした。
(17) 「湘南七夕の会」は、市民団体や市民グループが掲出する七夕飾りの資材の提供や製作の指導をしている市民団体である。かつては、商店街の七夕飾りの製作を支援していた。(「第66回湘南ひらつか七夕まつり公式パンフレット」参照)
(18) 「市民飾り」とは、メイン会場に掲出する七夕飾りのうち、商店街ではなく、市民団体や市民グループが製作している飾りである。湘南ひらつか七夕まつり実行委員会から基本的な飾りの材料(くす玉、行燈、吹き流し、ロープ等)の提供を受け、「湘南七夕の会」の指導のもと、飾りの製作と掲出を行う。また、保育園、幼稚園、小学校などの園児や児童を含む団体を対象とした「子ども飾り」もある。
 「七夕まつり七夕飾り」平塚市ホームページ http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/tanabata/skkazari.htm(閲覧日2017年1月30日)
(19) 来場者数の減少を懸念する商店街の声も多かったが、住民の生活環境、通勤通学事情への配慮を重視する結果となった。
(20) 「七夕まつりのあゆみ」【公式】湘南ひらつか七夕まつりホームページ http://www.tanabata-hiratsuka.com/about.html#ayumi07(閲覧日2017年1月30日)
 主催者であった平塚市は、イベントの自粛ムードの中、「湘南ひらつか七夕まつり」の中止を判断したが、伝統ある七夕の灯を消さないようにと平塚商工会議所が中心となって、民間主導の運営で七夕祭りを開催した。平塚商工会議所が主導的な役割を果たした点では、1973年と同じであるが、商店街ではなく、平塚商工会議所青年部や平塚青年会議所等のメンバーが積極的に運営に関与した点に大きな違いがある。
(21) 松尾恒一『日本の祭り大図鑑②先祖とともにすごす祭り』ミネルヴァ書房(2014)13頁
(22) 阿南透「都市祭礼「仙台七夕まつり」の成立と変容」江戸川大学紀要第19号(2009)39-40頁
 仙台七夕まつりホームページや後藤麻衣子「第4章 七夕」小川直之・服部比呂美・野村朋弘編『暮らしに息づく伝承文化』京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎(2014)53頁では、大町五丁目の商店街が七夕飾りを採用した時期を1927年と記載しているが、本稿では、1926年7月23日付の河北新報に「大通りと東一、競争の七夕飾り-どっちが勝つか」という見出しの記事が掲載されていることを重視した阿南の説を採用し、1926年とした。
 「歴史」仙台七夕まつりホームページ http://www.sendaitanabata.com/outline/history(閲覧日2017年1月30日)
(23) 高橋綾子・初沢敏生「仙台七夕まつりの変容に関する一考察」福島大学地域創造第15巻第1号(2003)7頁
(24) 「特徴」仙台七夕まつりホームページ http://www.sendaitanabata.com/outline/feature(閲覧日2017年1月30日)
 短冊、紙衣、折鶴、巾着、投網、屑籠、吹き流しの七つの飾りが、伝統的な飾りものとされている。また、仙台七夕まつり協賛会に確認したところ、吹き流しは織姫の織り糸を象徴しており、五色とされていたことから5本1セットという風習になったとのことである。
 近江恵美子「仙台七夕の伝統と継承」東北生活文化大学東北生活文化大学短期大学部紀要No.35(2004)44-45頁
 近江は、平塚の七夕祭りを批判するものではないと断ったうえで、「七夕のイメージが絢爛豪華と受けとめられたとしたら、本来の七夕の心というものを伝えることが出来ない」と述べ、「従来の伝統的な七夕飾りをベースにした中にも創意の光る素朴な七夕飾り」を仙台七夕の心として評価している。
(25) 中林・前掲注(8)62頁
 七夕飾りに電飾が施された時期については不明であるが、50周年記念誌運営委員会編・前掲注(12)17頁には、「第3回平塚七夕まつり」(1953)において、ライトアップしている七夕飾りを楽しむ市民の様子が写真で確認できることから、少なくとも1953年には電飾が施されていたようである。
(26) 50周年記念誌運営委員会編・前掲注(12)89頁
(27) 市民飾りは、材料、竹、飾りを支える櫓(やぐら)などの費用(1本あたり約18万円)をすべて実行委員会が負担しているが、その財源は、ほとんどが平塚市の補助金に依拠している。したがって、市民飾りの掲出本数は予算上の制約を受けざるを得ない。
(28) 50周年記念誌運営委員会編・前掲注(12)89頁
(29) 「七夕まつりのあゆみ」【公式】湘南ひらつか七夕まつりホームページ http://www.tanabata-hiratsuka.com/about.html#ayumi07(閲覧日2017年1月30日)

《参考文献》
<論文>
阿南透「都市祭礼「仙台七夕まつり」の成立と変容」江戸川大学紀要第19号(2009)
近江恵美子「仙台七夕の伝統と継承」東北生活文化大学東北生活文化大学短期大学部紀要No.35(2004)
高橋綾子・初沢敏生「仙台七夕まつりの変容に関する一考察」福島大学地域創造第15巻第1号(2003)
松崎憲三「「小京都」と「小江戸」-うつし文化の基礎的研究-」日本常民文化紀要第26輯(2006)
松崎憲三「七夕まつりの予備的考察-その歴史と地域展開-」成城大学民俗学研究所紀要No.39(2015)
<著書>
井口貢『観光文化と地元学』古今書院(2011)
今泉義廣監修『図説・平塚の歴史<下巻>』郷土出版社(1994)
臼井弘『湘南平塚くらしの中の俗言』稲元屋(1991)
海原純子監修『元気になるお祭り・花火』創英社/三省堂書店(2008)
小川直之・服部比呂美・野村朋弘編『暮らしに息づく伝承文化』京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局藝術学舎(2014年)
50周年記念誌運営委員会編『湘南ひらつか七夕まつり50周年記念誌~25万市民の願いを託して~』湘南ひらつか七夕まつり実行委員会(2000)
永田衡吉『かながわの祭と芸能』神奈川合同出版(1977)
平塚市博物館市史編さん担当編『平塚市史第10巻通史編 近代・現代』(2011)
福田アジオ・菊池健策・山崎祐子・常光徹・福原敏男『知っておきたい日本の年中行事辞典』吉川弘文館(2012)
古家新平・俵木悟・菊池健策・松尾恒一『日本の民俗9 祭りの快楽』吉川弘文館(2009)
松尾恒一『日本の祭り大図鑑②先祖とともにすごす祭り』ミネルヴァ書房(2014)
『平塚本』枻出版社(2016)
<Web>
あいとっと http://itot.jp/(閲覧日2017年1月30日)
安城七夕まつり公式サイト http://www.anjo-tanabata.jp/(閲覧日2017年1月30日)
一宮七夕まつり公式ウェブサイト http://www.138ss.com/tanabata_bunner/index_tanabata.html(閲覧日2017年1月30日)
NPO法人無形民俗文化財アーカイブズ http://www.nponia.com/(閲覧日2017年1月30日)
【公式】湘南ひらつか七夕まつりホームページ http://www.tanabata-hiratsuka.com/(閲覧日2017年1月30日)
仙台市公式ホームページ http://www.city.sendai.jp/(閲覧日2017年1月30日)
仙台七夕まつりホームページ http://www.sendaitanabata.com/(閲覧日2017年1月30日)
平塚市ホームページ http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/(閲覧日2017年1月30日)

《謝辞》
 本稿の執筆に当たっては、平塚市産業振興部商業振興課、湘南ひらつか七夕まつり実行委員会、仙台市文化観光局観光交流部観光課、仙台七夕まつり協賛会に多大な御協力をいただいた。特に、平塚市産業振興部商業振興課の高梨大志氏には、貴重な資料の提供や文献の乏しい「湘南ひらつか七夕まつり」の昨今の状況について、詳しくご教示いただいた。この場を借りて厚く御礼申し上げる。