特別史跡キトラ古墳とその壁画について ― 優先された「壁画が持つ価値」 ―

宮﨑 愛子

特別史跡キトラ古墳とその壁画について ― 優先された「壁画が持つ価値」 ―

はじめに
特別史跡キトラ古墳の壁画が2016年秋にキトラ古墳壁画体験館「四神の館」で公開された。古代人によって造られた墓は1300年の時を経て文化財となった。本稿では壁画発見から今日に至るまで「古墳としての価値」より「壁画がもつ価値」が優先された結果どのような問題が起きているのか、また今後の展望について考察する。

1.キトラ古墳概要
キトラ古墳は奈良県明日香村大字阿部山にある7世紀末から8世紀初めに造られた終末期古墳である。下段の直径が13.8メートル、上段の直径が9.4メートルの2段築成の円墳で石槨内から四神・十二支像・天文図・日月像が描かれた壁画が発見された(図3-5)。また漆塗木棺の細片などの副葬品と人骨の一部も発見されている。現在墳丘は整備され、壁画は国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区内の「四神の館」で保存管理され定期的に公開される。周辺には高松塚古墳、文武天皇陵、天武・持統天皇陵などの古墳が存在する。

2.キトラ古墳とその壁画の価値 ― 高松塚古墳との比較 ―

2-1.高松塚古墳概要
高松塚古墳は奈良県明日香村平田で発見された。7世紀末から8世紀初めに造られた終末期古墳である。1972年に石槨内から日本初となる極彩色の四神図(朱雀を除く)と人物群像・星宿図・日月像が発見された(資料5)。墳丘は特別史跡に壁画は国宝に指定される。2004年に大量のカビによる壁画の劣化が判明し墳丘から石槨ごと取り出され、今現在も古墳近くの施設で修復中である。

2-2.二つの壁画の価値
極彩色壁画を持つ古墳は国内で高松塚古墳とキトラ古墳の2例だけである。二つの壁画は天井に星を描き、東に日像、西に月像、東西南北に青竜・白虎・朱雀(高松塚にはない)・玄武を配置している。
高松塚古墳壁画には、青竜と白虎の左右に男子群像と女子群像が描かれている。キトラ古墳壁画には四神の下に獣頭人身十二支像が描かれている。これらはそれぞれ日本独自の壁画である。相原嘉之は「高松塚・キトラ古墳の発見は、わが国の文化形成に東アジア諸国の影響が多大であることを明確にした。」(註1)と述べている。このように二つの古墳の壁画は中国の思想を受け入れ、それぞれにオリジナリティーが加えられ描かれている。日本の文化形成の源流ともいえる東アジアの文化との融合がみられるのである。

2-3.キトラ古墳壁画の価値
キトラ古墳には四神が揃っているのに対し、高松塚古墳には朱雀は見つかっておらず玄武の顔も破壊されていた。またキトラ古墳の天井には内規・赤道・外規・黄道と350以上の星が描かれており、現存する東アジア最古の天文図(註2)と言われているが、高松塚古墳の天井に描かれている星宿図は簡略化されたものであった。そしてキトラ古墳壁画がほぼ発見当初の状態で保存されているのに対し、高松塚古墳壁画は発見当初に比べ激しく劣化し今現在も修復中である。以上の点から壁画としての価値はキトラ古墳のほうが高いと考える。

3.壁画発見からはぎ取りまでの歴史

3-1.壁画発見
1300年間静かな眠りについていた墓は考古学者によって発見された。高松塚古墳壁画と比較できる壁画が必要であった。1978年にキトラ古墳の存在が確認された。高松塚の経験から調査は発掘せずに行われ1983年に玄武が発見される。2001年までの調査でキトラ古墳には四神が揃っていることが確認された。高松塚古墳壁画と比較できる壁画の情報が見つかったのである。しかし、その壁画の価値の高さから調査と保存を国にゆだねることになる。

3-2.はぎ取られた「壁画が持つ価値」
キトラ古墳は2000年に特別史跡に指定される。文化庁のHPには文化財について「我が国の貴重な国民的財産である文化財を適切に保存して次世代に継承し、積極的に公開・活用を行うように努めています。」と書かれている(註3)。2004年の調査で壁画崩落の危険があることが判明し、すべての壁画のはぎ取りが決定した。2009年には現地保存が可能になるまでの「当面の間、石室外の適切な施設で保存管理・公開をする」という方針が文化庁から発表され、2010年にはすべての壁画が取り外され、人骨を含むすべての埋蔵物が石槨外に持ち出された。文化財として「古墳としての価値」より「壁画がもつ価値」が優先され墳丘と壁画と被葬者は分解された。

3-3.被葬者のための壁画空間
キトラ古墳の壁画は石槨内でそれぞれ必然的な位置に描かれている。来村多加史は「キトラ古墳の壁画は天文・日月・四神・十二支の配置によって、鎮墓と昇天を約束する陰陽五行説の理想的な世界を現出した。」と述べている(註4)キトラ古墳は1300年前に被葬者の魂の昇天を願い造られた墓なのである。被葬者のための理想的壁画空間は消滅し、古墳は墓ではなくなってしまった。

3-4.傷ついた「古墳としての価値」
渡邊明義は「古墳の壁画はそれが存在する空間の内容そのものであり、そこに価値の真髄が在る。石槨と共に在るべき壁画を剝ぎ取って他に移してしまえば、古墳の内部空間はその現実としての表現力を失しない、総合的構造体としての価値も大きく傷つく」(註5)と述べている。はぎ取られた壁画は壁面に描かれた図案でしかなく、キトラ古墳は壁画を失い「古墳としての価値」も傷ついた。

4. 分解された古墳の再構築
国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区が2016年秋に開園した(資料6)。歴史や風土、文化を楽しむことができる公園で13.8ヘクタールの敷地面積を持つ。キトラ古墳は公園の一番南にあり、そのすぐ近くにキトラ古墳壁画体験館「四神の館」がある。一階にある「キトラ古墳壁画保存管理施設」では修復された壁画が最先端の技術で保存管理され定期的に公開される(写真2-4 2-5)。キトラ古墳の詳しい情報は地下一階展示室で知ることができる。一方、墳丘は石槨を閉鎖し整備されている。発掘された人骨については「キトラ古墳壁画保存管理施設」内の学芸員女性20代によると「奈良文化財研究所で分析中である」ということである(註6)。一つのエリア内に墳丘と壁画が存在し、古代人の暮らしも体験できる。ここに来ればキトラ古墳を体感できるように公園は造られている。

5.修復されたキトラ古墳壁画の意義
2016年10月7日に参加した文化庁の「キトラ古墳壁画 特別公開(第1回)」では白虎と十二支の戌そして天文図と朱雀、副葬品が公開されていた(資料3)。はぎ取った漆喰片は総数で1143点にも及ぶ(註7)。小さなパーツを無数につなぎ合わせた天文図からは壁画をはぎ取るということの痛ましさを感じた。しかし壁画が図案でしかないとしてもその価値は高く、写真やレプリカでは1300年という時間を感じることはできない。そして古代日本が東アジアとの交流し日本の文化を形成してきたことを目で体感できることは非常に意義のあることである。

考察
現在、壁画は文化財として手厚く扱われている。しかし「古墳としての価値」は傷ついたままであり墓ではなくなった。
発掘調査後に墓として再生した古墳が存在する。奈良県斑鳩市にある史跡藤ノ木古墳から二人の被葬者の遺骨と数々の副葬品が発見された。1988年の発掘調査後に関係者によって二人の遺骨の一部がそれぞれ骨蔵器に納められ石棺内に安置されている(註8)。発掘した人骨を被葬者として扱い、史跡藤ノ木古墳が墓であることを尊重している。また中国の永泰公主墓では壁画をはぎ取り後、墓道に模写した画が描かれている(註9)。壁画は新しく描いたものであっても壁画空間は復活すると考える。
キトラ古墳も壁画と木棺を新調し発掘された人骨を被葬者として埋葬することで墓として再生できる。墳丘に壁画と被葬者が戻れば傷ついた「古墳としての価値」も少しは癒えるのではないだろうか。

おわりに
キトラ古墳壁画は歴史的にも学術的にも非常に価値の高いものである。また文化財としての存在意義も大きい。しかし「壁画が持つ価値」が優先された結果、「古墳としての価値」は傷つき墓ではなくなった。文化財というカテゴリーの中にあっても人骨を被葬者として扱い尊重すればキトラ古墳の在り方も変わると考える。壁画が戻される日まで、キトラ古墳に新しく壁画を描き被葬者を埋葬すれば古墳は墓として再生できる。そして分解された墳丘と壁画と被葬者は統一され特別史跡キトラ古墳の価値も伸長すると考える。

  • 1_0001 資料1.地図
  • 0001 資料2.キトラ古墳及び四神の館の写真
  • 0002 資料2.キトラ古墳及び四神の館の写真
  • 3_0001 3.キトラ古墳壁画 資料
  • 3_0002 3.キトラ古墳壁画 資料
  • 4_0001 資料4.高松塚古墳・藤ノ木古墳 写真
  • 5_0001 資料5.高松塚古墳壁画
  • 6_0001 資料6.国営飛鳥歴史公園キトラ周辺地区 パンフレット

参考文献

脚註
註1 相原嘉之「ふたつの壁画古墳―高松塚・キトラ古墳をめぐる文化的・文化財的意義―」、森公章、『史跡で読む日本の歴史3 古代国家の形成』、吉川弘文館、2010、217ページ。
註2  文化庁HP キトラ古墳概要(http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/takamatsu_kitora/kitora_gaiyo.html  閲覧日:2017年1月24日)
註3 文化庁HP 文化財 (http://www.bunka.go.jp/ 閲覧日:2017年1月20日)
註4 来村多加史『高松塚とキトラ 古墳壁画の謎』、講談社、2008、221~222ページ。
註5 渡邊明義「一、古墳壁画の保存について」、文化庁監修『国宝 高松塚古墳壁画』、中央公論美術出版、2004。
註6 キトラ古墳壁画体験館1階「キトラ古墳壁画保存管理施設」内の学芸員女性20代にインタビュー、2016年10月7日。
註7 若杉智宏「源流を超えた天文図と四神図からみえてくるもの」、監修瀧音能之、「別冊宝島2515号 キトラと日本の古墳」、宝島社、2016、23ページ。
註8 前園実知雄、「Ⅰ 調査に至る過程と経過」、『斑鳩 藤ノ木古墳 第二次・三次調査報告書』、奈良県橿原市考古学研究所、平成5年、75ページ。
註9 毛利和雄『高松塚は守れるか 保存科学の挑戦』、日本放送出版協会、2007、107ページ。

参考文献
相原嘉之「ふたつの壁画古墳―高松塚・キトラ古墳をめぐる文化的・文化財的意義―」、森公章、『史跡で読む日本の歴史3 古代国家の形成』、吉川弘文館、2010。
相原嘉之、「キトラ古墳(阿部山字ウエヤマ)」、『続 明日香村史 上巻』、明日香村、平成18年。
網干善教『高松塚への道』、草思社、2007。
網干善教『古都・飛鳥の発掘』、学生社、2003。
網干善教、「高松塚古墳(平田字高松)」、『続 明日香村史 上巻』、明日香村、平成18年。
来村多加史『高松塚とキトラ 古墳壁画の謎』、講談社、2008。
毛利和雄『高松塚は守れるか 保存科学の挑戦』、日本放送出版協会、2007。
百橋明穂『古代壁画の世界』、吉川弘文社、2010。
渡邊明義「一、古墳壁画の保存について」、文化庁監修『国宝 高松塚古墳壁画』、中央公論美術出版、2004。
山成孝治、「⑤ジャーナリズムの中の古墳時代―高松塚古墳壁画の「恒久保存」をめぐって―」、一瀬和夫 福永伸哉 北條芳隆 編『古墳と現代社会』、同成社、2014。
『斑鳩 藤ノ木古墳 第二次・三次調査報告書』、奈良県橿原市考古学研究所、平成5年
監修瀧音能之、「別冊宝島2515号 キトラと日本の古墳」、宝島社、2016。


公益財団法人 古都飛鳥保存財団HP 高松塚壁画館
(http://www.asukabito.or.jp/html/promenade02.html 閲覧日:1月10日)
文化庁HP 高松塚古墳・キトラ古墳
(http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/takamatsu_kitora/  閲覧日:1月10日)
文化庁HP 古墳壁画保存活用検討会(第6回)議事次第 開催日:平成21年8月4日(火)
 参考資料2「キトラ古墳壁画の取り外し前の状況(フォトマップ)」(http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/kentokai/06/pdf/sanko_2.pdf 閲覧日:2016年11月15日)
文化庁HP 古墳壁画の保存活用に関する検討会(第16回)議事次第 開催日:平成27年1月7日(水)
資料8-1「高松塚古墳壁画及びキトラ古墳壁画の修理について」
(http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/hekigahozon_kentokai/17/pdf/sanko_1.pdf 閲覧日:2016年11月15日) 
文化庁HP 古墳壁画の保存活用に関する検討会(第19回)議事次第 開催日:平成28年3月22日
資料5「キトラ古墳壁画の壁画保存施設の整備について」
(http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/takamatsu_kitora/hekigahozon_kentokai/19/pdf/shiryo_5.pdf 閲覧日:2016年11月15日)
文化庁HP 高松塚古墳壁画展開図 (http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/takamatsu_kitora/takamatsu_gaiyo/tenkaizu.html  閲覧日:2017年1月23日)