地域共有の文化遺産「石見神楽」の特性について

渡邉 直子

地域共有の文化遺産「石見神楽」の特性について

1.はじめに

古代より日本では、神座(かみくら)に神を招き祈祷や歌舞が行われてきた。神楽は神が降臨する「神座」が語源で、天岩戸伝説にあるアメノウズメノミコトの舞いは、宮中に伝わる御神楽、民間に伝わった里神楽のルーツである。
島根県西部の石見地方には、石見神楽と呼ばれる地域に伝承された芸能がある。これは、大太鼓、小太鼓、横笛、鍾で構成されるテンポの速い囃子を背景に、古事記や日本書紀等を原典とした優雅な神舞、迫力ある鬼舞、アクロバティックな神と鬼の戦いを豪華絢爛な衣装を纏った舞子達が勇壮優美に演じる神楽である。
現在、石見地方には130を超える神楽団が存在し、日々練習を重ね、神社の祭礼での奉納をはじめ各地で活発的な上演活動を行っている。その上演活動は国内に留まらず海外へも及んでおり、石見神楽は

地域の人々の中で愛され受け継がれ、観光産業など経済活性化にも活躍し、石見地域の人間形成にも役立っている。(註1)

との評価も得ている。
里神楽は、

長い歴史を経て全国各地に様々な形で伝承されてきたが、過疎化や共同体・コミュニティーの崩壊・継承者の不在により、その数は全国的に減少しつつある。(註2)

にも関わらず、石見神楽はなぜこのように活発な活動が可能なのかについてその特性を考察する。

2.石見神楽の歴史背景について

その起源は不確かであるが、江戸時代には石見各地の神社の氏神例祭宵宮で神職数名の採物舞が、また数年に一度の式年祭では多数の神職による大神楽が、六調子の囃子に合わせ演じられていた。明治時代に政府が発布した神職演舞禁止令を受け、神職らは村の有志によって結成された神楽団にその舞いを伝授した。各神楽団はそれぞれに面白さを競い合い次第に娯楽性を高めていった。なかでも人気の神楽団は各地の祭りから神楽奉納の要請を受け、多額の報酬を得るようになり、衣装や演出をより豪華なものへと発展させた。
石見地方の中心部浜田のある石央地域では、テンポの速い八調子神楽が発達し、神楽面に軽くて強度のある石州和紙を用い面の肥大化・舞いの活発化を可能とし、衣装は刺繍技術に優れた細川衣装店を中心に豪華で奇抜なデザインが主流となり、人気演目「大蛇」では提灯製作技術を応用した提灯型蛇胴が用いられ迫力ある舞台演出が工夫されるなど、昭和初期頃には各方面で娯楽性が強まった。
戦後には各地域で異同のあった台本の整備が行われ『校定石見神楽台本』が発刊され八調子の石見神楽の台本が統一されその基盤が整った。しかしながら高度経済成長期の昭和30年代には生活様式の変化や、古い習慣や行事への関心が薄れ、集団就職や出稼ぎによる若者の都市部への流出が相次ぎ、石見神楽に停滞期が訪れ、存続不能となり解散する社中なども現れた。対策として行われた「神楽共演大会」「創作神楽」「子供神楽」などの取り組みが功を奏し危機を脱した。
昭和45年の大阪万博の民俗芸能や祭礼団体が参加した「日本の祭」において「大蛇」を上演したところステージイベントとして大きな評価を得て、石見神楽はその知名度を大いに広め、このことは、その後県外はじめ海外各地での公演に数多く出演する契機となった。

3、新しい取り組み「夜神楽公演」について

一観光客である筆者が、石見神楽と出会ったのは観光地などで夜に上演される夜神楽公演であった。平成28年の夏に山陰の京都津和野を、冬に美人・美肌の湯で知られる有福温泉を訪れ公演を観賞した。どちらの公演も、地元の神楽団が旅館近くの会場で上演を行い、会場には浴衣姿の観光客をはじめ地元の人々等30名程が集まり客席はほぼ満員であった。津和野では石見神楽左鐙社中の「鍾馗」と「大蛇」を、有福温泉では有福温泉神楽団の「塵輪」「恵比寿」「大蛇」を1~2時間程で鑑賞した。演目の間には、神楽や演目についての説明、上演後には衣装に触れたり、大蛇の蛇胴と記念撮影が出来るなど、料金1000円以下という手頃さで石見の文化を肌で感じることが出来た。
石見地方観光振興協議会に問い合わせたところ、夜神楽公演は石見地方の観光地をはじめとする各地で土曜の夜などに神楽を上演するもので、平成20年から県で公演経費の一部を助成するなどしながら始まった事業で、現在は地元市町等が主体となって運営を行っている夜神楽の定期公演であり、この事業によって観光客が増加したという確たるデータは無いが、観光客の満足度向上、リピータの増加などにも貢献している手応えを感じているとのことである。また、県外で行われた上演ステージの鑑賞者が実際に石見の地を訪れ夜神楽を鑑賞するケースもあるそうである。

4.比較すべき芸能について

大元神楽は石見地方に江戸時代から伝わる六調子の神楽の姿を今に伝承しており、石見神楽の原型でもある。大元神楽は6年に一度に訪れる神楽年の晩秋に一夜を徹して執り行われる式年の祭りで、神職等による厳粛な「神事・神事舞」と氏子神楽の「奉納舞」が一体となった神楽で、祖先神の大元神を藁蛇に勧請し、神託を受けるという「神懸かり(神による宣託)」が行われる。神職による舞いや神懸かりは、明治政府の神職演舞禁止令などにより禁じられていたが、大元神楽伝承地帯は石見地方の中でも山間地域であったため政府の目が届きづらく、往時の姿を現在に伝承することができた。大元神楽は全国でも伝承が稀である「宣託の古儀」を継承している点が評価され昭和54年に国の重要無形民俗文化財に認定された。大元神楽伝承地帯においては

「舞いを変えまい」を合言葉に伝承活動が続けられており(註2)

式年祭で執り行われるため、石見神楽のような定期的な上演活動は難しいが、式年祭には多くの県外鑑賞者が訪れる。

5.石見神楽の評価すべき特性について

芸能を芸能史的・民俗学的にみたとき、

芸能には神事性と娯楽性の二面性があり、「神事から娯楽」という図式が想定されがちで、神事性のない芸能は等閑視されていたといった方がよい(註3)

との見方もあり、このような観点から石見神楽をみるとエンターテイメント性を高めそれぞれの社会に適応してきた石見神楽は不利であり、祭祀性を重要視した大元神楽に軍配が上がるかもしれない。
しかしながら、石見神楽の多くの神楽団の保有する演目には、「塩祓」「真榊」「神迎」など採り物を持ち四方を清める神事性の強いものも有り、これらは地元神社で奉納され続けている。石見神楽は、長い歴史の中で代々伝えるべき精神は大切に受け継ぎ、その時々の社会の情勢に合わせて、その在り方を変容させて受け継がれてきた芸能といえるだろう。
今日では神楽団の多くは活動の様子をSNSを活用し広く発信している。(註5)また、3で述べた夜神楽公演をはじめとする定期公演は、県外の観光客等が石見神楽を鑑賞しやすい仕組みづくりといえ、これらのことからも石見神楽は、より良い状況をつくるため、新しいモノを取り込む特性があり、だからこそ、どのような時代にも適合する文化的財産を地域に継承することが出来たといえるのではないだろうか。この特性は伝統芸能の継承を考えるにあたっても評価できるものである。

6.おわりに

この報告書を作成するにあたり、神楽団の方々、旅先で出会った方々、観光案内所をはじめ石見観光振興協議会には、たくさんの情報やご協力を頂いた。調査を進める度に、石見の方々の石見神楽への深い思いを再認識し、石見神楽が人々の生活に根ざした文化であることを実感した。石見の人々の神楽を大切に思う気持ちが原動力となり、石見神楽をより良い状況で後世に伝えようという行為として現れたのが、5で述べた評価すべき特性に繋がるのだろう。
石見神楽は今後も社会のあり方に合わせ、上演形式やその仕組みを変容させていくと思われる。もしかしたら、原初の形に戻るのかもしれないし、想像もつかないハイテク技術を駆使した舞台が出現するかもしれない。しかしながら、石見地域に神楽の囃子が途絶えることは決してないのではないだろうか。

  • 1jsessionidb09263baa416254b7cd09f91a78e2dd0 石見神楽左鐙社中による「鍾馗」の一場面(H28.8.20撮影) 筆者が初めて見た石見神楽。衣装の豪華さ舞いの迫力に驚いた。
  • 2jsessionidb09263baa416254b7cd09f91a78e2dd0 津和野の夜神楽 石見神楽左鐙社中による「大蛇」の一場面(H28.8.20撮影) 神楽の舞台でドライアイスがたかれることに大変驚き、石見神楽が伝統のみを守っているのではないことに気が付いた。
  • 3img_3570 津和野の夜神楽 石見神楽左鐙社中による公演後の一場面(H28.8.20撮影) 公演とはまた違う魅力が発見でき、神楽文化をより堪能できた。旅先での良い思い出ともなった。
  • 4jsessionidb09263baa416254b7cd09f91a78e2dd0 有福温泉神楽団の「塵輪」の一場面(H28.12.24撮影) 温泉街にある湯の町神楽殿での公演。大迫力の神の鬼の戦いの陰で小さな子供もその一員として役割を果たしている
  • 5jsessionidb09263baa416254b7cd09f91a78e2dd0 有福温泉神楽団の「恵比寿」の一場面(H28.12.24撮影) 恵比寿のコミカルな動きに会場中が笑いに包まれた。
  • 6img_3571 有福温泉神楽団の「大蛇」の一場面(H28.12.24撮影) 大蛇が暗闇の中、観客にも迫り子供たちは悲鳴をあげていた。
  • 7jsessionidb09263baa416254b7cd09f91a78e2dd0 夜神楽定期公演の資料 (石見観光振興協議会発行(2016年版)の一部)

参考文献

註1:村川修(平成24年)「館長のあとがき」『伝統文化№42』平成24年新春・神楽特集号 (公財)伝統文化活性化国民協会.
註2:三上敏視(平成21年)『神楽と出会う本』(株)アルテスパブリッシング.
註3:竹内幸夫(平成元年)『傳承読本 だれにもわかる大元神楽』邑智郡桜江町教育委員会.
註4:大石奏夫(平成11年)「芸能の二面性」『講座日本の民俗学8芸術と娯楽の民俗』雄山閣出版(株).
註5:参考とした神楽団のFacebook
石見神楽左鐙社中
https://www.facebook.com/石見神楽左鐙社中-512496198851021/?fref=ts
有福温泉神楽団
https://www.facebook.com/有福温泉神楽団-711519158863445/?fref=ts

参考文献
・島根県立古代出雲歴史博物館(平成25年)『石見神楽-舞いを伝える、舞いと生きる』.
・木原義博他(平成24年)『伝統文化№42』平成24年新春・神楽特集号 (公財)伝統文化活性化国民協会.
・三上敏視(平成21年)『神楽と出会う本』(株)アルテスパブリッシング.
・大石奏夫(平成11年)「芸能の二面性」『講座日本の民俗学8芸術と娯楽の民俗』雄山閣出版(株).
・竹内幸夫(平成元年)『傳承読本 だれにもわかる大元神楽』邑智郡桜江町教育委員会.

参考WEBサイト
・石見観光振興協議会事務局の「なつかしの国石見」石見神楽
  http://www.all-iwami.com/contents/kagura/
・石見神楽左鐙社中フェースブック
  https://www.facebook.com/石見神楽左鐙社中-512496198851021/?fref=ts
・有福温泉神楽団フェースブック
  https://www.facebook.com/有福温泉神楽団-711519158863445/?fref=ts
以上