進化する江戸切子 さらなる発展

我妻 和夫

はじめに
東京都江東区・江戸川区・墨田区などで作られているガラス工芸品である「江戸切子」〔資料1〕。切子とはガラスを削る技術のことで、表面は複雑で美しい模様の「魚子文」や「八角籠目文」など、伝統の文様〔資料2〕を組み合わせている。煌びやかで華やかさがあり、厚みがあって実際に手に持ってみると、ずっしりと重さが伝わる。近年では、この伝統的な文様を生かしつつも新しい江戸切子が生まれている。本稿では、鍋谷硝子工芸の四代目鍋谷 海斗から取材した内容を基に、今後の江戸切子の継続や伝統工芸品としての価値を考察する。

1.基本データと歴史的背景
1−1. 基本データ
江戸切子は江戸切子協同組合〔1〕の登録商標であり、江戸切子協同組合の組合員が作成した製品以外に「江戸切子」を使用することはできない。また、「江戸切子」とは、次の条件に基づき作成された切子製品を意味し、これ以外の条件に基づき作成されたものに「江戸切子」を用いることはできない。①ガラスである②手作業③主に回転道具を使用する④指定された区域(江東区を中心とした関東一円)で生産されている。現在、江戸切子協同組合には46社〔2〕が加盟している。

1−2. 歴史的背景
1700年代後期以降、オランダ船によりヨーロッパのカットガラスが日本に輸入されるようになり、それはダイアモンドを意味する「ギヤマン」とよばれ珍重された〔3〕。当時の日本の人々には大きな衝撃となり、憧れとなって江戸時代においてガラス器の生産が本格化したとされる。江戸切子は1834年(天保5年)に、江戸大伝馬町(現在の東京都中央区日本橋)のビードロ屋を営む加賀屋久兵衛(生年不詳~1874)が金剛砂を用いてガラスの表面に彫刻したのが初めと伝えられている〔4〕。そして1873年(明治6年)に品川興業社硝子製造所(現在の品川区北品川4丁目)が開設され、1881年(明治14年)にはわずか一年余りだが、切子(カット)指導者としてイギリス人技師のエマヌエル・ホープトマン(生没年不詳)を招聘し〔5〕、数十名の日本人がその指導を受け、現代に伝わる江戸切子の伝統的ガラス工芸技法〔資料3〕が確立された。この頃からカット技術の進歩とガラス器の普及により、切子が盛んに作られるようになる。以降、時代とともに技術が向上し、工芸ガラスといえば「カットガラス」といわれるほど急速に、かつ、高度の発展を遂げた。そして江戸切子は1985年(昭和60年)に東京都の伝統工芸品〔6〕に指定され、2002年(平成14年)には、国の伝統的工芸品〔7〕にも指定されるに至った。

2. 評価できる点
2-1. 品質を重視
東京都大田区に鍋谷グラス工芸〔8〕(以下鍋谷)が所在する。創業は1949年で、現在は三代目となる日本の伝統工芸士〔9〕の鍋谷淳一(以下淳一)〔10〕の工房で、四代目として淳一の息子である鍋谷海斗(以下海斗)〔11〕の親子を中心とした経営をしている。鍋谷グラスの江戸切子には、今までは違った独創性や品質力がある。鍋谷の強みとしては、使用されるガラス(素材)は、茨城県龍ケ崎市のKAGAMIクリスタル〔12〕(以下カガミ)を使用している。ガラスの中でも日本最高峰のクリスタルとされ、ガラスの輝きや光の屈折率が高い品質を誇っている。このガラスは、日本で四社のみしか提供されておらず、そのうちの1社が鍋谷である。また、その他にも北海道小樽市の深川硝子工芸〔13〕のクリスタルを使用し、品質を重視している。伝統を受け継ぎ、守り、時代に合わせ昇華させていくことが鍋谷の「ものづくり」の信念になっている。

2-2. 独創性のある世界観
商品をみると男のロック〔資料4〕では、内側に透明なガラス、その上に二層の色被せをおこない「三色被せ」を施している。三色であればガラスを「削る・残す」ことにさらに広い表現が可能となり、口元まで分厚いカットが入り、極厚ゆえに「力強く深いカット」が施されている。次にプラネットロック〔資料5〕では、左右に異なる色を配した二色被せガラスである。これは「プラネットロック」のためだけにカガミに特注したもので、通常の江戸切子より特厚の生地を使用し、肉を厚く、宇宙をイメージしている。片方には墨色を、もう片方には淡い色合いのガラスを被せている。惑星のような玉のカットは触ってみると、その深さに驚かされる。さらに二色の間には伝統紋様の菊繋ぎが横たわり、重厚ではあるが、別の世界観を併せ持っており、独創的で鍋谷にしかない作品作りが展開されている。

3. 特筆すべき点
江戸切子と並んで切子と称されるものに薩摩藩(現在の鹿児島)の薩摩切子が存在する。
薩摩切子は、第27代藩主の島津斉興(1791~1859)が、当時の江戸で硝子師として著名な四本亀次郎(生没年不詳)を招聘した〔14〕。その後、斉興の子・島津斉彬(1809~1858)のもとで急成長を遂げ、斉彬は、ヨーロッパの技術や知識を学び、ガラス製造を殖産興業の一環として推進し、海外への輸出も視野に入れた美術工芸品へと方向転換した〔15〕。島津家の記録によると斉彬が藩主となった年、銅粉を使ってガラスを透明な暗赤色に発色させることに成功させ、この「銅赤」の切子は、薩摩切子を象徴する色としてさまざまな器に作られ、将軍家への献上品や諸候への贈答品とされ、評判を呼んだ〔16〕。そして海外の交易も視野に入れた美術工芸品「薩摩切子」が誕生した。江戸切子との違いとして、どちらもカットガラス(切子)技法だが、江戸切子は、色を薄く被せた色被せガラスなものが中心に対して薩摩切子は、色が濃く、色被せガラスへの加工部分が「ぼかし」と呼ばれるグラデーションの仕上がりとなる〔17〕〔資料6〕。しかし、藩の主導のもとで栄えた薩摩切子は、1858年の斉彬の急逝や1863年の薩英戦争での工場の破壊を受け歴史は一度途絶えてしまう。他方、江戸切子は、庶民の日用品として愛用され、歴史が一度も途切れることなく現代に継承され、さらに国の伝統的工芸品であり、江戸時代では透明なガラスに文様を施していたが、現在では内側が透明で外側に色付きガラスという二重構造の技術を使った製品が多くなり、伝統を生かしつつも革新的(資料7、8)な部分が評価に値する。

4. 今後の展望について
歴史が途切れることなく順風満帆にみえる江戸切子だが、筆者は、同じようなデザインや価格の安い海外製のものが出回り、飽和状態になって、いずれ廃れてしまうのではないかと感じる。先の鍋谷グラス工芸の海斗も江戸切子に危機感を持っており、いずれ飽和状態になり、この先の数十年後には廃れてしまうのではないかと考えている。しかし、新しい試みとして、海斗は、近々、デッサンの技術を学ぶことも視野に入れ、差別化をはかり、数十年先を見据えている。さらに江戸切子協同組合主催で、2024年の3月には「第6回 江戸切子桜祭り2024」〔18〕が東京都中央区の東急プラザで開催された。第6回目となる国内最大規模のイベントで、内容は「江戸切子のある豊かな暮らし」を提案するもので、伝統工芸士から若手作家まで、職人が魂を込めて切り出した渾身の一点ものなどの作品が集い、江戸切子職人30人超による「直売会」、カット体験ワークショップ、作品解説といった企画が盛り込まれ、一般の人々に江戸切子を知る機会の場を設け、普段交流のない職人との直接的な触れ合いは江戸切子を身近なものへと定着させる活動となっている。

5. まとめ
先人たちがヨーロッパのガラス器に憧れ、それが原動力となって江戸切子に情熱を燃やし、現代の職人たちに伝承された。江戸切子協同組合によって、伝統工芸品として長く継承、育むことを目的に推進され、さらに新しいアイデアや技術を取り入れて多様化が進み、今後も継続し発展していくことが予想される。遊び心でもって新しい江戸切子の姿を生み出した3代目の淳一。そして、新しい時代の江戸切子を生み出していく4代目の海斗。今後、作品がどう進化していくのか楽しみであり、この親子のカットしたグラスで、夏の暑い日や特別な日に、お酒や飲み物を飲んだらいつもよりずっと美味しくなりそうである。

  • 81191_011_32085082_1_1_資料1 〔資料1〕
    写真(2024年4月19日筆者撮影)
  • 81191_011_32085082_1_2_資料2 〔資料2〕代表的文様
    文様画像(江戸切子協同組合より提供)、図表(筆者作成)
  • 81191_011_32085082_1_3_資料3 〔資料3〕製作工程
    写真(江戸切子/伝統の技を受け継ぐ職人達の手しごとDVDよりスクリーンショット)、図表(筆者作成)
  • 81191_011_32085082_1_4_資料4 〔資料4〕男のロック
    写真(2024年4月19日筆者撮影)、図表(筆者作成)
  • 81191_011_32085082_1_5_資料5 〔資料5〕プラネットロック
    写真(2024年4月19日筆者撮影)、図表(筆者作成)
  • 81191_011_32085082_1_6_資料6 〔資料6〕江戸切子と薩摩切子の違い
    図表(筆者作成)
  • 81191_011_32085082_1_7_資料7 〔資料7〕その他の江戸切子(1)
    写真(2024年4月19日筆者撮影)、図表(筆者作成)
  • 81191_011_32085082_1_8_資料8 〔資料8〕その他の江戸切子(2)
    写真(但野硝子加工所より提供)、図表(筆者作成)

参考文献

【註】
〔1〕江戸切子協同組合
江戸切子協同組合は、江戸切子をはじめとするガラス加工業に従事する事業所・職人の振興と発展をはかり、美しさと品質を追求したガラス工芸品として江戸切子の伝統を長く継承、育むことを目的としている協同組合である。
江戸切子は、1985年7月15日東京都伝統工芸品に指定、また2002年1月30日には国が指定する伝統的工芸品に指定され、特に高度な卓越した伝統的技術・技法を有する者に与えられる東京都の伝統工芸士、日本の伝統工芸士をはじめ、数々の名誉ある認定を受けた者が当組合に数多く在籍している。
https://www.edokiriko.or.jp/kumiai.html(2024年5月12日閲覧)
〔2〕江戸切子協同組合への加盟数
https://www.edokiriko.or.jp/kumiai.html(2024年5月12日閲覧)
〔3〕土田 ルリ子(著)『切子 KIRIKO ジャパノロジー・コレクション』KADOKAWA、2015年、13頁
〔4〕山口勝旦(著)『江戸切子 その流れを支えた人と技』里文出版、2009年、26頁
〔5〕山口勝旦(著)『江戸切子 その流れを支えた人と技』里文出版、2009年、106頁
〔6〕東京都の伝統工芸品産業
東京の伝統工芸品は、長い年月を経て東京の風土と歴史の中で育まれ、時代を越えて受け継がれた伝統的な技術・技法により作られている。
伝統工芸品は、手作りの素朴な味わい、親しみやすさ、優れた機能性等が、大量生産される画一的な商品に比べて、私たちの生活に豊かさと潤いを与えてくれる。伝統工芸品は地域に根ざした地場産業として地域経済の発展に寄与するとともに、地域の文化を担う大きな役割を果たしている。現在、42品目が東京都の伝統工芸品として指定されている。
https://www.dento-tokyo.metro.tokyo.lg.jp/items/#gsc.tab=0(2024年6月16日閲覧)
〔7〕国の伝統的工芸品
「国の伝統的工芸品」とは次のものである。
・主として日常生活の用に供されるもの
・その製造過程の主要部分が手工業的
・伝統的な技術又は技法により製造されるもの
・伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されるもの
・一定の地域において少なくない数の者がその製造を行い、又はその製造に従事しているもの
上記5つの項目を全て満たし、伝統的工芸品産業の振興に関する法律(1974年法律第57号、以下「伝産法」という)に基づく経済産業大臣の指定を受けた工芸品のことをいう。
2023年10月26日時点で241品目が認定されている。
https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/nichiyo-densan/index.html(2024年6月16日閲覧)
〔8〕鍋谷グラス工芸
https://nabetani-glass.com/(2024年5月12日閲覧)
〔9〕日本の伝統工芸士
一般財団法人伝統的工芸品産業振興協会では、経済産業大臣指定の伝統的工芸品の製造に従事されている技術者のなかから、
高度の技術・技法を保持する者を「伝統工芸士」として認定している。
http://www.kougeishi.jp/list_by_kougeihin.php?kougeihin_id=196&mode=gyoushu_kensaku(2024年6月16日閲覧)
〔10〕鍋谷淳一
1966年 東京都大田区生まれ
1992年 カガミクリスタル入社
1995年 (有)鍋谷グラス工芸社 入社
2001年 東京都知事賞 受賞
2005年 第17回江戸切子新作展 グラスウエアタイムス社賞 受賞
2008年 第20回江戸切子新作展 組合理事長賞 受賞
2009年 経済産業大臣指定 伝統的工芸品 
    伝統工芸士認定
    第21回江戸切子新作展 江東区優秀賞 受賞
    第9回関東伝統工芸士会作品コンクール入賞
2011年 日本のカットガラスの美と伝統展出展
2013年 第25回江戸切子新作展経済産業省商務情報 政策局長賞受賞
2014年 第26回 江戸切子新作展 最優秀賞 受賞
2015年 第27回 江戸切子新作展 東京都知事賞 受賞
2016年 第28回 江戸切子新作展 最優秀賞 受賞
2018年 関東伝統工芸士会作品コンクール 日本伝統工芸士会会長賞 受賞
2019年 東京都伝統工芸士 認定
https://nabetani-glass.com/craftsman/(2024年5月12日閲覧)
〔11〕鍋谷海斗
1994年 東京都大田区生まれ
2016年 カガミクリスタル株式会社 入社
2018年 有限会社鍋谷グラス工芸社 入社
2021年 第33回 江戸切子新作展 テーブルウェア部門金賞 受賞
2022年 第34回 江戸切子新作展 テーブルウェア部門金賞 受賞
https://nabetani-glass.com/craftsman/(2024年5月12日閲覧)
〔12〕KAGAMIクリスタル
1934年、日本初のクリスタル専門メーカーとして創業。
以来、熟達した職人が作り出す極めて繊細なクリスタルは宮内庁御用品としても認められ、広く愛されてきた。
長年培った技術と高い品質はそのままに、時代と世代を超えて愛される最高峰のクリスタルブランドとして“KAGAMI”は新しい歴史を刻み続ける。
https://www.kagami.jp/(2024年5月12日閲覧)
〔13〕深川硝子工芸
1906年にガラスビンの製造を目的として創業。
当時は塩や薬品の保存ビンを製造していたが、昭和中期ごろより業務転換を行いガラス食器の分野へと参入。
以降、今日まで業務用食器や生活雑貨、カットグラスなどの高級食器と多岐にわたるガラス製品を作り続け、先人たちの築いた「吹きガラス」の技術を脈々と受け継いでいる。
https://fukagawaglass.co.jp/(2024年5月12日閲覧)
〔14〕土屋良雄(著)『薩摩切子』紫紅社、1983年、172頁
〔15〕サントリー美術館『美を結ぶ。美をひらく。美の交流が生んだ6つの物語 展覧会図録』サントリー美術館 2020年、76頁
〔16〕NHK「美の壺」制作班(編)『切子/NHK「美の壺」』日本放送出版協会、2007年、42頁
〔17〕土屋良雄(著)『薩摩切子』紫紅社、1983年、22頁 1.紫色切子花瓶から137頁 78.藍色切子三段重盃・盃台
〔18〕第6回 江戸切子桜祭り2024
https://fujimaki-select.com/edokiriko.html(2024年5月12日閲覧)

【参考文献】
・NHK「美の壺」制作班(編)『切子/NHK「美の壺」』日本放送出版協会、2007年 
・山口勝旦(著)『江戸切子 その流れを支えた人と技』里文出版、2009年
・ニッポンのワザドットコム編集部(編)『江戸切子』ブレインカフェ、2011年 
・土屋良雄(著)『薩摩切子』紫紅社、1983年 
・土田 ルリ子(著)『切子 KIRIKO ジャパノロジー・コレクション』KADOKAWA、2015年 
・サントリー美術館『美を結ぶ。美をひらく。美の交流が生んだ6つの物語 展覧会図録』サントリー美術館、2020年 
・宮原克人監『都道府県別伝統工芸大事典』あかね書房、2023年
・ジェイ・クルー(著)『江戸切子/伝統の技を受け継ぐ職人達の手しごとDVD』ジェイ・クルー、2015年
・江戸切子協同組合 公式サイト
https://www.edokiriko.or.jp/(2024年5月12日閲覧)
・すみだ江戸切子館 江戸切子と薩摩切子の特徴比較
https://www.edokiriko.net/whatis(2024年6月19日閲覧)
・日本工芸堂 薩摩切子と江戸切子はどう違うの?そもそも切子とは?
https://japanesecrafts.com/blogs/news/satsuma-edokiriko(2024年6月19日閲覧)

【聞き取り取材】
鍋谷グラス工芸 鍋谷海斗氏
 日時:2024年4月19日(金)19時 場所:有限会社 鍋谷グラス工芸

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