子どもたちへの普遍的な愛 ~楽曲『思い出のアルバム』に込めた想い

宮本 かすみ

はじめに
50代以上は『思い出のアルバム』という楽曲を耳にしたことや実際に歌ったことがある人は多いのではないだろうか。また自分の子どもの卒園・卒業式で耳にしたことがあるかもしれない。多くの卒園ソングは歌詞が一人称ないし二人称の回想録であるが、この楽曲は「いつのことだか 思い出してごらん」と問いかけから始まる。歌うことが先生との最後の授業の様であり、先生から子どもへのメッセージを感じさせる卒園ソングなのだ。その卒園ソングの特異性と重要性を考察したい。

1.評価する点
広い世代、地域で「聴いたことがある」というレベルで認知されている楽曲である。現在でも保育に採用されている楽曲の傾向を調査した論文の中で、調査対象209曲のうち44位に位置しており、まだまだ現役の卒業ソングと言える。(註1) 作曲者は作られた当時から楽曲を通して地域の幼児教育に貢献し、生涯純粋に「教育」という立場から子どもに寄り添う楽曲を作成した。

2.楽曲の概要
(1)歴史的背景
『思い出のアルバム』は1961年に出版された『幼児のためのリズミカルプレー』という保育教材誌の中で、リズム遊びの為の楽曲として紹介された。1980年にはテレビ朝日の子ども番組「とびだせ!パンポロリン」で、かおりくみこの歌唱で初めてテレビ放映された。次に1981年NHK「みんなのうた」では服部克久編曲でダークダックスが歌唱、1983年には芹洋子の歌唱でレコード化、加えて近年(2008年)になってからは、グレッグ・アーウィンによる英語版「Rememer the Days」のCDがリリースされた。1960年代高度経済成長期には『おお牧場はみどり』『グリーングリーン』などの外国から入ってきた童謡が日本語で歌われるようになった。同時に『ちいさい秋みつけた』『かあさんのうた』など、急激に変わっていく社会の中で大切にしたい心を歌った童謡も数多く生まれた。その中の一つが『思い出のアルバム』である。働く母親が増加し、乳児保育も始まった時期でもあった。

(2)作者について
作詞 増子とし:1908~1997年。当時東京都墨田区の江東橋保育園園長でクリスチャン、1926年、キリスト教主義保育者養成機関である、神戸の頌栄保姆伝習所に入学し、幼児音楽教育者としての知識と技能を習得した。頌栄では特に音楽の技術力と表現力を付ける教育に力を入れていたと思われる。増子は保母としての経験を積んだ後、教員、東京都の保育要領改訂委員、園長として音楽リズム教育の普及に尽力した。擬声語などリズムを意識した歌詞が特徴である。

作曲 本多鉄麿:(本名:本多慈祐、資料2)1905~1966年。当時東京都調布市の神代幼稚園園長。(1996年に閉園している)神代幼稚園は仏教系幼稚園で、本多は西つつじヶ丘にある常楽院住職でもあった。大正大学在学中、浄土宗教化事業の一環で発足した合唱団で熱心に活動していた。そこで出会った童謡作曲家の引田竜太郎に師事したことがきっかけで、自身も童謡作曲家への道に入ったと言われている。1945年、上野から西つつじヶ丘に移ってきてからは、蔵書を開放して図書館を開くなど、寺と幼稚園の運営のみならず、地域貢献や音楽活動に精力を注いでいた。

(3)楽曲について
本多は保育の場においての情操教育として仏教聖歌を取り入れていたが、常に子どもの視点や世界観が根底にある楽曲を保育現場に用いていた。また、保育士のピアノ演奏技術に合わせて作曲していたということも現場をよく知っている本多ならではの手法だった。保育の研究会で出会った両者は、宗教を超え、幼児教育者という目線で子どもの為の楽曲を生み出した。『思い出のアルバム』の他にも、『うんどうかい』、『おはようのうた』、『朝のうた』などを手掛けている。しかしながら、『思い出のアルバム』が世に知れ渡り愛される様になる前に両者共に他界している。二人の幼児教育への情熱が楽曲を通してこれほどの広がりを見せるとは、本人たちも想像していなかったのではないだろうか。1996年、同曲の歌碑が本多の没後30年を記念して幼稚園の教え子などの有志によって常楽院境内に建立された。

3.他の同様の事例と比較して特筆される点
(1)電車接近メロディーとしての特徴
歌碑がある常楽院の最寄り駅がつつじヶ丘駅だったことから『思い出のアルバム(オルゴール調)』が2017年から接近メロディに採用されている。同じ京王電鉄で使用されている接近メロディは、「カントリーロード」(ジブリ映画)、「ありがとう」(NHKドラマ)、「ピューロマーチ」(サンリオピューロランドテーマ曲)、明治大学校歌などのテレビ番組や映画の主題歌、その駅周辺に関係がある有名人や施設の代表曲などが圧倒的に多い。小田急線、西武線、日比谷線、東西線、千代田線も同様である。日本で作られた童謡を採用しているのは「山のワルツ」(京王井の頭線久我山駅)「おはなしゆびさん」(京王線府中駅)、「今日の日はさようなら」(京王線柴崎駅)などで、童謡を採用している駅は圧倒的に少ない。

(2)地域の特徴
隣駅である柴崎駅の接近メロディに選ばれた『今日の日はさようなら』を作詞作曲した金子詔一氏は、つつじヶ丘児童館を拠点とし、地域の子どもたちや若者たちが健全に成長していけることを目的としたキャンプなどのボランティア活動をしていた。どちらも大々的に取り上げられる様な有名人ではないが、地域の子どもたちへの温かい思いを持つ教育者であり、今も口ずさまれている楽曲の作者であるという類似点がある。

(3)卒園ソングとしての特徴
人気卒園ソングの代表例『たいせつなともだち』と『思い出のアルバム』を比較してみると、楽曲が作られる背景が時代と共に教育的から商業的に移り変わったことが分かる。『たいせつなともだち』は、作詞 逸見龍一郎、作曲 古川竜也、ベネッセから発刊している『こどもちゃれんじ 体験版』についてくるDVDで、実写やアニメーションで構成されたプロモーションビデオとして流布された。その体験版は幼稚園等で配られた為、知名度は一気に広まった。作詞者はこのビデオの監督、作曲者はゲーム・ミュージック等の作曲者で覚え易いメロディーと感動的な画像が保護者の心を掴んだと思われる。個人的にはどちらの曲も卒園ムードを盛り上げるという点では甲乙つけがたい。しかしながら、楽曲が作られた過程が明らかに『たいせつなともだち』をきっかけに通信教育へ勧誘することが目的であるのは否めない。音楽の作られ方や広がり方が時代と共に変わったことが分かる。

4.今後の展望について
現在人気がある卒園ソングは、『ビリーブ』『たいせつなともだち』『さよならぼくたちの幼稚園 / 保育園』などで、いわゆる学校唱歌のような楽曲ではない。『思い出のアルバム』もだんだんと採用されなくなっていくと思われる。レコードからコンパクトディスク、そして配信と、音楽の媒体は変わってきたが、今後この楽曲は口伝の様な形でしか残存できなくなってしまう可能性がある。

5.まとめ
つつじヶ丘駅周辺にはランドマークや著名人の住居、エピソードなどこれといった特徴がない為、接近メロディ選出の際『思い出のアルバム』に白羽の矢が当たったのは必然と言える。つつじヶ丘でなければ生まれなかった楽曲というわけではない。たまたまこの楽曲の作曲者がつつじヶ丘駅近辺に住んでいただけという巡り合わせではあるが、つつじヶ丘の財産として再評価すべきではないだろうか。保育園での不適切保育がニュースに取り上げられる昨今、特に「子どもへの想い」の重要性を痛感する。誰もが耳にしたことがある楽曲を作成した人物がつつじヶ丘の地にいたという事実とその裏側にある功績、美しいメロディが次世代の心にも浸透して行くことを期待する。

  • 81191_011_32083294_1_1_%e6%ad%8c%e7%a2%91 『思い出のアルバム』歌碑 常楽寺 (2022年12月14日著者撮影)
    東京都調布市西つつじヶ丘4丁目9番地1

    参考サイト:天台宗福増山 常楽院ホームページ http://jorakuin.blue.coocan.jp/
          調布市観光協会公式サイト「常楽院思い出のアルバム 歌碑」
  • 81191_011_32083294_1_2_%e6%9c%ac%e5%a4%9a%e9%89%84%e9%ba%bf%e6%b0%8f 本多鉄麿 本人画像 『本多鉄麿作品集』より (2022年12月13日著者撮影)

    本多鉄麿作品集に寄せられた三者の言葉の中に、全てが凝縮されている。
    「音楽と同時に教育的細かい心づかいが作品上に輝いている」タンダバハ学園長 賀来琢磨
    「晩年の作曲のほとんどは幼児のためのものでしたから」自動芸術研究所主宰 高橋良和
    「どんなに疲れたり具合の悪い時でも夢中で仕事にとり組むこともしばしばでございました」本多ミヨ

    代表曲として『幼児オペラ』全音楽譜出版社、1962年、『子供のための音楽リズム十二か月』ひかりのくに昭和、1959年、『幼児あそび』フレーベル館、1957-1958年など。また作詞家としてのペンネーム「三橋あきら」で、『やさしいこえ』『あかいことりが』『おべんとうのうた』などを発表している。
  • 3
  • %e8%b3%87%e6%96%99%ef%bc%94_page-0001

参考文献

参考文献:
読売新聞文化部『唱歌・童謡ものがたり』、岩波書店、2013年
新沢としひこ『さよならぼくたちのほいくえん・ようちえん』チャイルド社、2012年
周東美材『童謡の近代 メディアの変容と子ども文化』岩波書店、2015年
本多ミヨ『本多鉄麿作品集』全音楽譜出版社、1968年(非売品)

参考論文:
高橋良和『本多鉄麿とその作品についてー仏教聖歌への開拓ー』、佛教大学論文、1979年
松本晴子『教育者増子としの人格形成過程』宮城学院女子大学発達科研究、2019年
宮城学院資料室『宮城学院資料室年報 25号』、宮城学院大学、2019年
榊ひとみ『戦後日本の子育て・子育て支援の社会史:高度経済成長期を中心に』、北海道大学論文 子ども発達臨床研究第10号、2017年

(註1):P15 表1、調査結果集計表
茨木金吾『保育の現場における使用楽曲の傾向について』豊岡短期大学論集No.13,11~20、2016年

年月と地域
タグ: