伝統行事「力石総社」の復活と伝承
はじめに
岡山県総社市の歴史は古く律令制の下、国司という官僚が中央から派遣され各国の支配にあたるようになり国を統治するほか祭祀と神社管理も重要な仕事であったが、国司の権限の衰退によって神社巡拝をやめ、国内の神社を国府の近くに合祀するようになった。これが総ての社を集めた惣社(=総社)である[1] 各国の国府が置かれた地域では総社という地名が現在も残っている所も多いが市名として使用されているには岡山県総社市のみである。
その中心部に鎮座する備中國總社宮境内にあるのが「力石」である。[写真1] 毎年8月の第4日曜日に持ち上げの行事が行われる、この忘れ去られた「力石」の働きを蘇らせたのが「力石総社」実行委員会である。全国的に消えゆく力石の復活と伝承の文化遺産としての価値を考察する。
1. 基本データー
「力石総社」実行委員会(以下「力石総社」という)は「総社市や總社宮のことを知る」という市の講座の終了後、このまま終わるのはもったいない、何か総社の観光の発展につながるものはないかと思いをめぐらしたところ、境内にあったのが力石であった。これもまた久しく忘れられていた「力石」であったが、これがヒントとなり有志が集まってきたのが平成六年(一九九四)に立ち上がったのが実行委員会である。発足当時は二十名の実行委員で始まった。
1-1 ルール
実行委員会の定めたルールによると「力石」の重さは半貫(1.9㎏)から横綱力石(180㎏)の23種類があり、地上10㎝以上の高さで10秒間持ちこたえると成功。自分が持てると思う石からはじめ二六貫(97.5㎏)を成功すると決勝に進出できる、決勝は三十貫(112㎏)以上の石8種類のうち、審判の指定する石に順次に挑み、最後は横綱力石を持ち上げている時間で優勝を決める。競技に出場できる男女年齢の制限はなく、3歳の子供から高齢者まで毎年200人位の人たちがノミネートして石を持ち上げている。[写真2.3.4.]会場には四ヶ所の丸い土俵が設けられ、ここが持ち上げる場となる。石には縄や帯が結び付けられており、足を少し広げて石が体の真下になるように立ち、縄や帯をつかんで持ち上げる。石が数センチ上がれば時間の計測が始まり、10秒持ち上げていられれば合格、力札の該当欄にシールを貼ってもらえる。
1-2 記録
2020年は2年連続で横綱力石(180㎏)を37秒間持ち上げた奈良県の男性の記録がある。女性では三二貫(120㎏)を持ち上げた地元女性であった。2年間コロナでの中止があったが「2022年の開催では横綱力石まで到達した13人が持ち上げ時間を競い、約30秒と最も長かった岡山市の男性で、女性は三十貫(112㎏)を成功させた地元女性で15回目の栄光を手にした」[2] 優勝者には男子の部は米一俵、女子の部は味噌一年分が授与される。これは昔ながらの米一俵持てたら一人前の男という定説を全うしている。
2.歴史的背景
持ち上げる行為は、石や米俵、餅などの重いものを、道具を用いずに個人の力だけで持ち上げるもので祭事や年中行事として捉えられている。一つは持ち上げの遊戯から派生したもので、昔は力があることが有能と認められ特に男性の場合は力があることで高い地位や報酬を得ることが出来た。[3]
「力石」は農村では米俵を、山村では材木、漁村や港湾地域では醬油樽、酒樽、鰊粕などの運搬に従事する労働者の間から発生したものであり、一定の重量を担げないと一人前とは見なされず、また賃金の値も格差が出ることもあったのである。しかし多くの労働が機械化されるとともに種々の娯楽も増え「力石」は昭和の初め頃より、次々とその存在や意味が忘れさられたのである。
もう一つは通過儀礼による力自慢である。昔は機械がなく、狩猟や農業、漁業にしても力が必要であり、力があることが一人前の証であった。「岡山県総社市中尾では十五歳になると男子は青年団に入った、青年団に入ると四月のお大師様の接待の日に酒を買って挨拶した。また火事や大水などの災害の時に出動したほか、秋祭り・盆踊り・神楽・野芝居などの世話をし、こうした集まり時は、力石などを持ち上げてお互いの力を競い合った(明治期後半~昭和二十年代)」[4]
「歴史的にみると鎌倉時代(文治二年)には「力石」と記されたものがあり、室町時代末期(一六世紀)に描かれた上杉家蔵(米沢市上杉博物館保管)の「上杉本洛中洛外図屏風(国指定重要文化財)」に「力石(石銘弁慶石)」が描かれている。さらに安土桃山時代の日葡辞書「慶長八年(一六〇三)」にも「力石」を「力試しをする石」として記載されている。現在、日本で一番古い「刻字」のある「力石」は埼玉県久喜市樋の口「八幡神社」にある「寛永九年(一六三二)」である。また千葉県野田市今上下「八幡神社」に「万治四年(一六六一)」の刻字が見つかっている。新しい「刻字」としては東京都江東区永代の紀文稲荷神社の「昭和三四年(一九五九)」がある。」[5]
江戸時代後期から明治時代にかけて東京都では、俵や力石を用いた「力持ち」が盛んに行われ年号、人名、重量などの「切付(刻字)」のある「力石」が数多く残されている。さらに「力石」を有形民俗文化財として保護している区も多くある。しかし現在において有形文化財に指定された石は、ほとんどのものが柵で囲まれていたり、地中に半ば埋め込まれていたり、台座に石碑のように立てかけて固定されているものも多くある。まだまだ多くの「力石」が神社や寺の境内、集落の一隅に放置されているのが現状である。その中で現在「力石」を用いた「力持ち」が行われている所は、全国で十ヶ所ほどある。
3.評価
実行委員会の働きかけで出来た「力石総社」は、総社観光プロジェクトを立ち上げ総社市内にある優れた観光スポットや歴史を保存していこうとする総社市のバックアップの元「力石総社」の後援として総社市・総社市教育委員会・総社宮・総社市PTA 連合協議会が連なり、実行委員会の協力団体として岡山大学ウェイトトレーニング部の協力もあり、前日の会場の設営や当日の競技進行の学生たちの協力がめざましく行司役や進行係、裏方、競技用のウエストベルトなどの貸し出しと大きな力となっている。また「力石総社」には全国各地から力自慢の猛者や「力石」を持ち上げて楽しもうとする小さな子供たちから高齢者まで200人余りの参加者や、それを観覧する人たちで総社宮境内は熱気にあふれるのである。
現在この「力石総社」は参加者を募る方法としては総社市公式WEBサイトや市のホームページから全国規模で人を募っている。2023年8月開催には地元住民や大阪など全国の参加者が250名となった。軽い力石しか持てなかった子が一年ごとに重い力石に挑戦していくことで成長の証しともなり地元の人の集まりにも大きく貢献している。
4.今後の展望
「力石総社」実行委員長・佐野誠氏のインタビューにおいて、「力石総社」実行委員会の改善していく点としては、安全が第一であるためルールの改善や安全策の強化、実行委員の高齢化に伴い若い人たちに実行委員会に入会してもらい地域全体でこの「力石総社」を盛り上げて行ける体制をつくることが望まれる。[6] 平成六年発足当時の実行委員は二十人であったが現在は十名となっている。
4-1 比較
2020年千葉市の寒川神社境内の土の中から185㎏の巨石が見つかり「力石」として使われて、江戸時代~明治時代ごろ、神社近くの寒川港で働く水夫や荷役達が競い合っていたという。その後、途絶えたが、千葉大生、地元住民が2016年に復活させ、寒川神社に連なる神明神社で行事を実施している。その様子はYouTubeで公開している [7]
4-2 対策
広く人々に知ってもらうには、現在はメディアにどう発信していくかが必要不可欠だと思われる。「力石総社」も地元ケーブルテレビは中継をしてくれるが岡山県にある大きな放送局(5局)ではニュース時にほんの数秒ほどの露出でしか取り上げられない。(取り上げていない放送局もある)これからはメディアに対してアピールしていく対策を考えなければならないと考える。
まとめ
現在、社会状況や生活様式の移り変わり、人びとの関心ごとの拡散によって、いろいろな伝統行事が消えつつある、その中「力石」も年々数を減らしている。伝統行事「力石総社」も日本文化として世代を超えて受け継がれていく方法を伝えていかなければならないと考える。
参考文献
参考文献
【注】
[1]
監修:神崎宣武 編者:総社観光プロジェクト実行委員会『総社観光大学』吉備人出版、2021年 P26・P27 第一章 古代吉備の成立と繁栄 総社(=總社)とは 参照
[2]
2022年(令和4年)8月29日(月) 山陽新聞21面 記事参照
「石持ち上げ力比べ 総社宮 県内外の200人挑戦より
[3]
高梁浩徳著 持ち上げの遊戯と行事 P61、P94参照
https://core.ac.UK/downloado/pdf/304910173.pdf
[4]
総社市史 民俗編 第一節 第七章人の一生 若者へP355
[5]
「全国の力石の研究」 四日市大学 高島慎助元教授、医学博士
https://www.za.ztv.ne.jp/takashim/chikars1.htm
[6]
2021年5月13日 佐野誠氏にFAXと電話にて聴き取り
[7]
朝日新聞DIGITAL 境内の土を掘ってみたら約185キロの石 千葉の神社
https://www.asahi.com>articles
YouTube 「さし石さんが大会」 @user-hc7mp9ih6y
文献
『総社市史 民族編』総社市、1985年
『総社市史 通史編』総社市、1998年
『総社観光大学』監修:神崎宣武 編者:総社観光プロジェクト実行委員会、2021年
高島慎助著『山陽の力石』岩田書院、2007年
高島慎助著『石川の力石』岩田書院、2008年
国立歴史民俗博物館研究報告 第103集都市の地域特性の形成と展開過程
青森ねぶたの現代的変容P263~P299 論考阿南透、2003年3月刊行
2022年(令和4年)8月29日 月曜日 山陽新聞 日刊 21面 全県版
「石持ち上げ力比べ」総社宮県内外の200人挑戦 記事(岸研一)
2023年(令和5年)8月28日 月曜日 山陽新聞 日刊 20面 全県版
「石持ち上げ力試し」備中国総社宮250人の挑戦 記事(寺尾彰啓)
インタビュー
2019年8月12日(月)總社宮の拝殿内 渡邉雅夫宮司(60代男性)
「総社と總社宮の歴史と力石について」
2019年8月24日(土)・25日(日)總社宮境内
「力石総社」実行委員長 佐野誠氏(60代男性)
「「力石」の歴史と成り立ちについて」 25日現場立ち合いと写真撮影
2020年の「力石総社」はコロナの影響のため中止となった
2021年5月13日(木)「力石総社」実行委員長 佐野誠氏 FAXと電話にて
「「力石総社」のアピールポイントと改善点について」
2022年8月28日 日曜日 総社宮境内 写真撮影
2023年8月27日 日曜日 総社宮境内 写真撮影
URL
https://www.za.ztv.ne.jp/takashim/chikara1.htm
「全国の力石の研究」 四日市大学 高島慎助元教授、医学博士
2019年8月24日・2021年5月4日・2023年8月21日閲覧
https://www.city.soja.okayama.jp/kanko_project/kanko/inento_sonota/ibennto/chikaraishi_soja.htm1
総社観光ナビ 総社市公式観光WEBサイト 2021年5月4日閲覧
https://www.asahi.com>articles
朝日新聞デジタル>記事 境内の土を掘ってみたら約185㎏の石 千葉の神社
YouTube「さし石さんが大会」@user-hc7mp9ih6y
2021年5月4日・2023年8月21日閲覧
https://core.ac.uk/download/pdf/304910173.pdf
「持ち上げの遊戯と行事」 高橋浩徳著
2023年7月15日閲覧
C:/Users/lalun/Downloads/kenkyuhokoku_186_01%20(2).pdf
国立歴史民俗博物館研究報告 第186集 2014年3月
鈴木正崇著 「伝承を持続させるものとは何か 比婆荒神神楽の場合」
2023年8月12日閲覧