山梨県富士北麓地域のうどん文化について

有川 浩平

山梨県富士北麓地域のうどん文化について

わたしが現在暮らしている山梨県の富士北麓地域には「吉田のうどん」という名物の郷土料理がある。わたしが10年ほど前に山梨県に移住してくるまで、特定の地域の名物のうどんといえば、「讃岐うどん」くらいしか知らなかったが、いざ山梨県富士北麓地域に住んでみると、町のあちこちの店先に「吉田のうどん」というのぼりが立ち、道の駅やコンビニエンスストアなど、お土産を扱うような店には必ず「吉田のうどんセット」や「吉田のうどんカップ麺」が売られているので、地元では一つの名物料理として立場が確立している様子であることに正直なところ驚いたものである。

1、基本データ
吉田のうどんは山梨県の富士吉田市(地元の人々には「吉田」と呼ばれている)を中心に、富士河口湖町、忍野村、山中湖村など、富士山の北麓地域のあちこちの飲食店で提供されている。その多くは吉田のうどんだけを提供している専門店だが、地元の名物であるだけに、道の駅の食堂や、主に観光客向けの飲食店などでもメニューのひとつとしていることがあり、富士吉田市ではうどん屋を巡る観光客向けのマップを発行して町おこしにも活用している。
吉田のうどんの一番の特徴は、麺の太さと硬さだ。断面は正方形に近くて太く、また、硬くてしっかり歯を立てて噛み切らないと食べられないので、食べる際は、一般的なうどんのように箸で何本か一気に手繰り寄せてすする、というのではなく、一本ずつ食べる感じになる。麺類でありながら喉越しの良いつるんとした印象は全くなく、食感と噛み心地は、おでんによく入っている「ちくわぶ」に似ている。「うどん粉を太く練って固めたもの」という印象だ。その麺が、各店オリジナルの味付けの出汁に入っている。多くの場合、汁は煮干出汁か椎茸出汁で、それを醤油や味噌、またはその両方を使って仕上げており、店によって透き通っていたり味噌汁のような色をしていたりと様々だ、その代わり上に載っている具材は決まっていて、必ず、ざく切りの茹でキャベツと甘辛く味付けされた馬肉が載っている。トッピングにきんぴらごぼうを入れる店が多いのも特徴だ。また、赤唐辛子をベースにしてゴマや山椒を加えたものを油で炒めた「すりだね」と呼ばれる辛味調味料がテーブルの上に必ず用意されていて、多くは各店でオリジナルで作ったものであり、その風味の良さを競っている。

2,歴史的背景
山梨県の富士北麓地域は標高が高く、気温が冷え込む土地柄である。その上火山灰の土地であり、古くは稲作が難しかった。そのため言わば代替作物として古くから麦が育てられており、伝統的に小麦を中心とした粉食料理が発展してきた。山梨県で粉食といえば、もうひとつ「ほうとう」という郷土料理もある。こちらは、やや幅のある平麺がにんじん、かぼちゃ、きのこ類などのたくさんの野菜や豚肉と一緒に、味噌仕立てでくたくたになるまで柔らかく煮込まれた料理で、野菜をふんだんに使うため、歴史的にはハレの料理として食されてきた。一方の吉田のうどんは具材は質素であり、麺が主役の食べ物で、こちらはケの料理として立場を二分してきたのである。江戸時代からは富士北麓地域では、他のエリアから富士山を詣でに来る客が増え始め、吉田宿や河口宿などが成立して、客を相手にうどんも売られ始めた。

3,評価すべき点
この頃に今の吉田のうどんにも引き継がれているもう一つの特徴が生まれた。お客にうどんを提供する際に、専門の店舗を構えず、一般の住居を昼時だけ開放してうどんを供し始めたのだ。今でもその名残で、吉田のうどんは、看板も暖簾も掲げない居住家屋の一階居間を利用した店舗が多い。いわゆる「飲食店」という外観ではないのだ。入店する際に「お邪魔します」と声を掛けたくなるような住居の引き戸を開け、玄関のたたきで靴を脱いで上がる。大きな靴箱が整備されていることは少なく、たいがいは客全員がたたきに靴を脱ぎっぱなしにしている。家族経営で少人数で切り盛りしている店がほとんどなので、畳敷きの居間に上がるとちゃぶ台がたくさん並んでいて、座布団の枚数が足りないところには客が自分で座布団を運んできて座り、飲みたい人は水も自分で取りに行くといったセミセルフのようなサービススタイルだ。知らない人の家の居間に上がり込んでうどんを食べるようなこの雰囲気は、慣れない人は面食らうかもしれないが、慣れてくると、この気取らなさや温かみが意外に居心地の良い雰囲気を醸し出していることに気づくだろう。接客サービスが簡素な代わりに、居間でテレビなどを見てのんびりしているうちに、その日に打ち立ての吉田のうどんがアツアツの出汁に入って、たっぷりと湯気を立てながら運ばれてくる。寒い時期などは特に、身も心も温まるような感覚になる。雪でも降れば昼時には満席で、しかも、狭い地域なので店内で地元の知り合いに会うことも多い。居間から厨房が見えている店が多いので、厨房の中で特大の鍋が景色がかすむほどの湯気を出している様子は、見ているだけで温まる気がする。たまたま店内で会った知人と「いやぁ、寒いね。こう寒い日は、やっぱりうどんだよね。」などと声を掛け合いながら待つのも楽しいものだ。店の主が家族でその日に用意した麺と出汁が終われば終了なので、ほとんどの店で、営業時間は午後2時までとしている。
住居の居間でうどんを提供し、昼しか営業しないのは、歴史的背景から生まれた独特の提供スタイルだが、それが変わることなく長く続き、地元では当たり前のスタイルとして確立している。地元の人々の生活の一部として馴染んだオリジナルの空間デザインであり、食文化であると言える。

4,特筆すべき点
経営面を追求すれば、居間で提供するのではなく、きちんと「店」を構えて、もっと多くの客が入れるような造りに変更し、作業も可能な範囲で機械化したほうが効率が良いはずだ。富士北麓地域は富士山が世界文化遺産に登録されて以降観光客が増えて、ホテルなども増えてきており、夜も地元名物のうどん店を営業すればそれなりの集客は見込めると思う。しかし、営業時間を伸ばした店は見たことがない。今でもほとんどの店は午後2時で閉店するし、居間で提供するスタイルもそのままだ。どんな物でも時代とともに変わっていくことはよくあることだが、吉田のうどんに関しては、かたくななまでに昔ながらのスタイルを貫いている。地元ならではの郷土料理や文化の場合は、言うまでもなく、「変わらない」ことに大きな価値がある。吉田のうどんの「らしさ」の部分である、居間で食べるホッとする味をこれからも守り続けて欲しいものである。

5、今後の展望について
そんな「変わらない」吉田のうどんにも、実は近年静かな変化が起きている。数年前にテレビ番組で紹介され、毎日必ず店の前に行列ができている富士吉田市の某人気店へ足を運んでみると、吉田のうどんにしては麺が細いのだ。太いのが特徴のはずなのにである。その上、独特の、もそっとした重い食感はかなり軽減され、やや讃岐うどん寄りに喉越しが良くなっている。入店までに並ぶので他の客の会話が聞こえてくるが、観光客向けの新興店というわけではなく地元の人々にも人気があるようだ。心の中で密かに感じていたことだが、伝統的な吉田のうどんは、正直に言うと少し食べづらい。こんなに太く、硬くなくてもいいのにと思うこともしばしばだ。しかし、そこを特徴としている以上言い出せない雰囲気があるし、自分は他県出身なのでこの良さを完全には理解できていないのではとも思ってきた。しかし、その特徴を軽減して人気店になる店の様子を見ていると、地元の人々でも本当はもう少し食べやすい物を求めていたのではないかとさえ思える。居間で提供するスタイルを今後も守ったとしても、麺の硬さや太さは今後はもう少し食べやすい方向へ変化していきそうな新しい波を見た気がした。変化や進化をしつつも、どこまで「吉田のうどんらしさ」を保てるのか、今後も見守って行きたい。

  • 吉田のうどん写真(非公開)
  • 吉田のうどん地図(非公開)
  • 地元で販売されている吉田のうどんのカップラーメン(非公開)

参考文献