「ひろめ市場」の成功要因の考察 ―なぜ酒呑みの楽園たりえるか―

藤原 敏洋

「ひろめ市場」の成功要因の考察 ―なぜ酒呑みの楽園たりえるか―

Ⅰ. はじめに
「ひろめ市場」は高知市の中心市街地に位置する帯屋町2丁目商店街に1998年10月17日にオープンした商業・飲食施設であり、高知に関連する食と物産品に限定された店舗構成が大きな特徴である。東西に伸びる帯屋町2丁目商店街と南北に伸びる大橋通り商店街の角に立地し、北には「日曜市」が開かれる追手筋がある(図2)。また、この場所は「高知市中心市街地活性化基本計画」における、にぎわい拠点の西端にあたり、歴史拠点とにぎわい拠点の境目にもあたる[1]。しかし、「ひろめ市場」の成立は行政の支援を受けておらず、運営母体は株式会社ひろめカンパニーである。
「ひろめ市場」の名前の由来は、同地に土佐藩家老、深尾弘人蕃顕(ふかおひろめしげあき)の屋敷があったことにちなむ。本施設の計画を報じた新聞記事のタイトルは「浮上『ひろめ屋敷』活用」であり、成立以前から認知されていた名称と考えて良いだろう[2]。また、市場運営の基本コンセプトもこの名称をもじり、以下のようになっている。

【ひろめ市場の基本コンセプト】
1. 高知の新しい観光スポットとして、高知の衣食住文化を「ひろめる」
2. 高知の人情・人となりを「ひろめる」
3. 高知の基礎知識・芸術・文化を「ひろめる」

本稿では「ひろめ市場」について、中心市街地活性化の成功事例としてその成功要因を分析・評価することを試みる。

Ⅱ. 先行研究による分析と反証可能性
「ひろめ市場」はオープン当初から他県の商店街・自治体関係者からの注目を集めた。結果、ひろめ市場の仕掛け人・岩目一郎によって「姫路ひろめ市場」(姫路市・2003年オープン)と「いろは市場」(高松市・2012年オープン)が同種の事業として展開されたが、ともに1年余りで閉鎖されている。
山口・寺谷(2016)によれば、「ひろめ市場」に類する「形態の経営が存立するためには高知県に特有の要因がある」と分析している[3]。「特有の要因」とはつまり「高知県民は朝から酒を呑むほど酒好き」という点であるが、岩目(発行年不明)によれば、「ひろめ市場」の飲食店の売上構成比は「半分が食事で、後の半分はアルコール」が占めているのに対し、「姫路ひろめ市場」の場合は「9割が食事で残り1割ほどがアルコール等」であった[4]。高知県における成人ひとりあたりのビールおよび発泡酒の販売量が、双方ともに全国トップクラスで推移していることをみても、この指摘には妥当性がある。
しかし、県民の飲食文化のみをもってこの事象の根拠とすることには、反証の余地があると思われる。酒類の消費量に起因するのであれば、他県の中心商店街にも成立の余地があるはずである。そこで、本稿では酒類の消費性向以外の観点から評価を試み、成功の要因を考察する。

Ⅲ. 評価

Ⅲ-ⅰ. 資料にもとづく評価
その成立期にあっては、賃料の安さが特筆される。1コマ(4坪)の賃料は6.5万円/月であり、安価に帯屋町2丁目に出店できるとあって、計画説明会終了後の時点で募集110コマのうち85%が決まったとのことである[5][6]。
この安価な賃料の実現にあたっては、そのビジネスモデルが評価できる。ひろめ市場の建物は地上3階建て、1階が市場、2、3階は220台収容の駐車場――新聞記事によれば建設費は4億円――である。この駐車場からの収益によって、賃料を安く抑えることが実現できている。
これに対して、「姫路ひろめ市場」は計画に一部地権者が参加せず、駐車場を併設することができずに賃料を安く抑えることができなかった[7]。ひろめ市場と比較して早期にテナントの退店が進んだことの一因であろう。ひろめ市場の場合、同地を民間都市開発推進機構が所有していたことから、市場建設を担当した大旺建設株式会社(現大旺新洋株式会社)を通じて5年間の定期借地権契約によって用地が確保されている[8]。
中心市街地活性化において「土地の所有権と使用権の分離」が功奏した先行事例としては高松市の丸亀町商店街が挙げられる[9][10]が、「ひろめ市場」の場合はバブル崩壊にともなって地上げが頓挫、同地が民間都市開発推進機構の管理となったことが成功要因として大きく作用していると評価する。

Ⅲ-ⅱ. 現地調査にもとづく評価
調査期間は2016年の12月および1月の計5日間である。ひろめ市場は12月17日に追手筋側出入り口付近の物販コーナーを部分的にリニューアルし、立ち飲みもできる「ひろめばる」として5店舗がオープンした。このコーナーを中心に聞き取りを含めた調査を行った。
ひろめ市場は昼の12時と19時以降が繁忙時間である。通常の飲食店街と異なるところは、商圏が広いという点であろう。周辺には観光スポット、官公庁、学校と多様な施設が存在するため、利用者の属性が多岐にわたる。食事時だけでなく、夕方には学生がおやつを求めて唐揚げを買い求めたり、21時以降には2次会と思われる利用者が増えたりと、空席率は変化しつつも人通りがある印象を受けた(図3から図6)。
特筆すべきは店舗間のつながりであるだろう。1コマの店舗であれば4席程度が限度であり、基本的には通路部分に置かれたテーブル席で購入したものを飲食することになるが、各店舗の席であっても他店舗の商品の持ち込みが可能である。また、その旨は各店舗に明示されている。ある店舗のカウンター席で食事をしながら、他店舗の商品を買いに行くことも可能だ。この措置により、客はグループ内でお互いに好きなものを購入してシェアすることが容易になっており、客はひろめ市場の空間内を気軽に回遊することができるようになっている。また、通常は各店舗の食器については食器センターの係員が回収し、洗浄した上で各店舗に返却される――皿の裏に店舗名を表す文字があり、それを使って判別する――。ある店主によれば、このサービスは有料であることから、カウンターに持ち込まれた他店の食器を洗ってその店に返す、という助け合いもあるとのことである。
「ひろめ市場」は客の回遊性を高めるデザインによって、かえって店舗間の繋がりが生まれ、食事をしながら他店のおすすめ商品を聞くことができるなど、より一層この場所の魅力を高める効果を生み出すことに繋がっていると評価する。さらに、長期にわたって自費でひろめ市場を広報し続けている出店企業もあることがわかった。このような相互扶助の精神があればこそ、現在の成功に結びついたものと推測される。
調査中に「この場所は(酒呑みの)楽園だ。何でも売っている」という利用者の声を耳にした。ひろめ市場の魅力はこの言葉に集約されているのではないだろうか。しかし、ただ売られているだけではないと云える。ひろめ市場全体がシームレスに繋がっていることで、店舗の枠という制約を受けることなく何でも買えることが、その魅力を生み出す要になっている。

Ⅳ. 考察とまとめ
中心商店街の歩行者通行量は2005年のダイエー高知店(帯屋町2丁目)の撤退もあって、2012年まで減少し続けた。このダイエー跡地の再開発が2015年に完了し、ひろめ市場の効果もあって中心商店街の西側では歩行者通行量が大きく回復したことが報じられている[11]。
ところで、ひろめ市場には水曜日を定休日としている店舗が多い。ひろめカンパニー社長の言によると、これは500メートルほど離れた中心商店街のほぼ中央に位置する百貨店(高知大丸)の定休日が同曜日であるため、商店街全体の人通りが減少することがその要因となっている。ひろめ市場ほどの集客力を持つ事例でも、集客について他の影響を大きく受けることの証左であると云える。ひろめ市場も中心商店街の要素の一つなのだ。様々な要素が絡み合い、現在のにぎわいが実現している。個別の事象のみに注目していたのでは、本質を見失う。形態を取り入れるだけでは、「姫路ひろめ市場」や「いろは市場」のように失敗することになるものと考察する。
なお、2017年3月には高知城とひろめ市場の中間に「高知城歴史博物館」が開館することから、観光面での集客力のさらなる向上が見込まれる。しかし、これも中心商店街西側に対しての効果が大きいものとなるだろう。西側を核としながらも、中心商店街全体のにぎわいを実現することが今後の課題であると云える。

  • 1jsessionid4aa14ca6eb46b91e9a8b54ea6cf25aef 図1 ひろめ市場看板
  • 2jsessionid4aa14ca6eb46b91e9a8b54ea6cf25aef 図2 ひろめ市場周辺図(筆者作成)
  • 17%e6%99%82%e5%8f%b0%e3%81%ae%e6%a7%98%e5%ad%90-1_%e5%b7%ae%e6%9b%bf 図3 ひろめ市場内「お城下広場」 2016年12月26日17時台の様子-1
  • 17%e6%99%82%e5%8f%b0%e3%81%ae%e6%a7%98%e5%ad%90-2_%e5%b7%ae%e6%9b%bf 図4 ひろめ市場内「お城下広場」 2016年12月26日17時台の様子-2
  • 20%e6%99%82%e5%8f%b0%e3%81%ae%e6%a7%98%e5%ad%90-1_%e5%b7%ae%e6%9b%bf 図5 ひろめ市場内「お城下広場」 2016年12月26日20時台の様子-1
  • 20%e6%99%82%e5%8f%b0%e3%81%ae%e6%a7%98%e5%ad%90-2_%e5%b7%ae%e6%9b%bf 図6 ひろめ市場内「お城下広場」 2016年12月26日20時台の様子-2

参考文献

[1] 高知市商工振興課(2012)『高知市中心市街地活性化基本計画』, 96頁, 高知市.
[2] 高知新聞「おらんく経済」1998年4月6日付, 面不明.
[3] 山口智之・寺谷亮司(2016)「高知市の飲食文化―ひろめ市場を事例として―」, 『地域創成研究年報』11, 70-78頁, 愛媛大学地域創成研究センター.
[4]岩目一郎(発行年不明)「姫路ひろめ市場 期待と失望-5」, [online]http://www.iwame-ichiro.com/hirome/himeji_open5.html(参照2017-1-31).
[5] 高知新聞「食のテーマパーク10月登場」1998年7月31日付夕刊, 面不明.
[6] 岩目一郎(発行年不明)「高知ひろめ市場 誕生秘話-7」, [online]http://www.iwame-ichiro.com/hirome/open7.html(参照2017-1-31).
[7] 岩目一郎(発行年不明)「姫路ひろめ市場 期待と失望-3」, [online]http://www.iwame-ichiro.com/hirome/himeji_open3.html(参照2017-1-31).
[8] 高知新聞「おらんく経済」1998年4月6日付, 面不明.
[9] 長坂泰之(2011)『中心市街地活性化のツボ 今、私たちができること』, 208-214頁, 学芸出版社.
[10] 衣川恵(2011)『地方都市中心市街地の再生』, 106-108・163-166頁, 日本評論社.
[11] 高知新聞「高知市の中心商店街通行量は西高東低 チェントロ、ひろめ人気」2016年9月15日付, [online]https://www.kochinews.co.jp/article/49314/(参照2017-1-31).

新雅史(2012)『商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道』(光文社新書582)光文社.
商業近代化委員会高知地域部会編(1982)『高知地域 商業近代化地域計画報告書』商業近代化委員会.
鈴木文熹ほか(1993)『高知レポート6 協同組合と地域づくり』高知市文化振興事業団.
辻井啓作(2013)『なぜ繁栄している商店街は1%しかないのか』阪急コミュニケーションズ.
冨永和志(2013)「高知市・中心市街地の再生『3 本の矢』 ~地域再生の起爆剤目指す~ 」, 『全国 住まい・地元 再発見』10, [online]http://www.reinet.or.jp/pdf/saihakken/saihakken_10th_kochi.pdf(参照2017-1-31), 日本不動産研究所.
湯浅良雄・ほか編著(2014)『地域創生学』晃洋書房.
まち再生事例データベース『低コスト・地元資源重視で実現した賑わいの創出 (高知県高知市・ひろめ市場)』(事例番号128)国土交通省都市・地域整備局.
「平成27年度 認定中心市街地活性化基本計画のフォローアップに関する報告」, [online]https://www.city.kochi.kochi.jp/uploaded/attachment/45191.pdf(参照2017-1-31), 高知市.