産業遺産を守る『兵庫運河の自然を再生するプロジェクト』の活動について

河野 崇郎

産業遺産を守る『兵庫運河の自然を再生するプロジェクト』の活動について

はじめに
神戸港は平成29年1月、開港150周年を迎えた。この神戸港の前身である兵庫港に、物流の要所として日本の近代化を支えた「兵庫運河」は完成から100年を超える。今も現役として働いている兵庫運河は、一時は深刻な水質汚染に悩まされてきた。こうした状況に市当局や地元住民や企業が立ち上がり『兵庫運河の自然を再生するプロジェクト』がスタートした。レポートでは、これらの活動についての内容と役割を取り上げる。第1章では、運河の基本データと築造の背景。第2章では、「運河の自然を再生するプロジェクト」の内容と役割。第3章では、他の地域での社会活動の協働事例と意義。さいごに、この兵庫運河の将来の展望について考察する。

第1章 運河の基本データと築造の背景
兵庫運河は、神戸市兵庫区にある5つの運河の総称である。(新川運河1,530m、兵庫運河1,660m、苅藻島運河2,200m、新湊川運河320m、兵庫運河支線760m、合計6,470m)、水面積337,300㎡。場所は、兵庫区南部地区、島上町、今出在家町、高松町、南逆瀬川町、東尻池町、梅ケ香町、長田区苅藻島町、長田区苅藻通である。
1874(明治7)年に工事に着工、1876(明治9)年新川運河が完成する。
1896(明治29)年に再度工事に着手し、1899(明治32)年12月に運河全体が完成した。(図1)
1992(平成4)年に新川運河入江橋~大輪田橋間にプロムナードが整備された。(写真1)

兵庫区南部にある兵庫の港は、平清盛の時代には「大輪田の泊」として日宋貿易の拠点となり、近世には「兵庫津」と呼ばれ、海陸要衝の地として発展した。幕末から明治への転換期、1868(慶応3年1月)年に神戸港(中央区京橋付近)が開港。当時、兵庫港は和田岬を頂点として海に向かって大きく張り出していた。そのため南西からの波浪は防げたが、南東からの波浪には遮るものがないため、激しい暴風雨が吹き荒れる度に甚大な被害を被った。1871(明治4)年に発生した暴風雨の直撃を受けた兵庫港は、避難場所がないために、難破船が580 隻、死者24人行方不明者16人を出した。
1874(明治7)年、当時の兵庫区長であった神田兵右衛門※1は、難所である和田岬を避けて兵庫区島上町から長田区駒栄町に至る運河の築造を計画し、同時に堀削土で苅藻島の埋め立てるために「新川社」を設立した。工事は難航したが明治9年に船舶の避難地として新川運河だけが完成。その後、八尾善四郎※2が中心になって工事は再開され、1896(明治29)年に着工、1899(明治32)年12月に完成した。この工事により和田岬を避けて須磨・駒ヶ林方面と兵庫港との間を航行が可能となった。運河は港湾物流に利用され、周辺は大正から昭和初期にかけて一大商工業地域として栄えた。開削から100年余りが経った兵庫運河は、それ自体が貴重な歴史資源でもあり産業遺産でもある。特筆されるのはこの事業が民間の活力により成し遂げられたことである。(写真2)(注1)

第2章 「兵庫運河の自然を再生するプロジェクト」の内容と役割
この運河を再生させるプロジェクトでは二つのポイントがある。一つは運河とその周辺の美化活動。もう一つは運河の水辺でのビオトープ活動である。
始まりは、昭和40年代になると運河の汚染が頂点になり、夏の暑い日には運河の底からメタンガスが湧き上がり異臭を放つようになった。市当局に対して地域住民からの苦情も少なからず有り、市としても水質汚濁防止の為、公害対策を企業と共に取り組まなければという機運になった。一方運河を利用している企業及び運河に面している企業も同じように、これ以上の汚染はなんとしても食い止めねばという機運が高まっていた。そこで市当局の呼びかけにより、地元木材会社や企業が中心になり、1971年(昭和46年4月)に「兵庫運河を美しくする会」が設立された。事務局に問い合わせしたところ、会長の山下邦人さん※3から丁寧な返事と資料をいただいた。(注2)
それによると、「当会の目的は、兵庫運河の水質の浄化と、周辺の景観の美化を通じて、地域社会に貢献することを目的とし、会員が利用する運河水面その他汚染防止に必要な共同施設の維持、運河水質に関する知識の普及、情報の提供、運河水面の汚染防止、周辺の景観の美化に関する事業などを中心に活動している。(写真3)
また、『兵庫運河の自然を再生するプロジェクト』では、当会と会員である「兵庫漁業協同組合」が、地域の子供たちに真珠貝を通して自然学習をする『兵庫運河・真珠貝プロジェクト』立ち上げた。※4珠入れから育成、浜揚げという、真珠が生まれるまでの一連の作業、実際にできた真珠でアクセサリーを作る工程を行っている。当会の会員である「大月真珠」は技術協力でこのプロジェクトに参加している。
(写真4)(注3)
また、動植物の専門家でもあり、兵庫県内の自然を守っている『兵庫水辺ネットワーク』は、※5兵庫運河での生きもの調査や小学生の環境学習等をするプロジェクトである。このように4団体が協力して、一緒に活動しているのは全国でも珍しい」と語っている。
2016年6月、浜山小学校の児童たちは、兵庫漁協の協力で材木橋東側の砂浜周辺でアサリの育成実験やアマモの移植実験や、清盛橋東側の砂浜でもアサリの育成実験をしている。これらの取り組みで、子供たちは生き物との触れ合いなどを通じて「環境を守る重要性」「生物の生命尊さ」を学ぶことになる。(写真5)

第3章 他の地域での社会活動の協働事例と意義
前章のような、ビオトープ活動例をあげると、兵庫県三木市にある株式会社三木ミツカン三木工場では敷地内にビオトープをつくり、地域住民と協働で管理運営を行っている。このビオトープでは、計画する段階から住民や専門家など5つの団体が※6役割分担をしながら、ビオトープ内外の環境を健全に育成・管理している点が特徴である。
地域市民が中心となるビオトープ倶楽部の活動は、楽しみながら自然を守ることを基本としており、様々なイベントを企画して毎月1回実施している。春は山里の自然を楽しむ散策や山菜採り、夏は草刈りや素麺流し、秋はサツマイモの収穫やお月見、冬は自然の素材を使ったクリスマスリースづくりなどを行っている。さらに三木市内の小学生を中心に、環境活動の一環として社会科見学を受け入れている。(注4)(写真6)
このような社会貢献活動は、その企業の立地しているコミュニティとの新たな地域社会づくりの担い手としての役割を期待されている。企業が社会活動することにより、地域住民との繋がりが一層強くなり、地元行事として定着することが重要なポイントであるといえる。
また神戸市では、阪神淡路大震災の際、多くのボランティア活動やNPOが生まれた。その多くは災害時の救援活動やその後被災地の見回りによる援助活動である。その時生まれた地域活動での経験が、東日本大震災にも活かされた。このような民間の活力による社会活動の多くは、行政では十分に対応しにくい個別的で多様なニーズに柔軟で即座に対応できたという事が、社会で大きく評価されたのだ。

さいごに
兵庫運河の自然を守るために、多くの企業や地域住民が参加している。これらの取り組みは、一つの地域の社会活動の成功例と考えられるが、懸念されることもある。それは「兵庫運河を美しくする会」会員が設立からすでに46年。当初は97社の企業が参加されていたが、平成28年7月現在企業会員42社と個人会員3人と半減している。高齢化や阪神淡路大震災後廃業し、少しずつ減少しているのだ。
そのため神戸市でも2012年に、歴史的資産を活かし兵庫運河を観光資源として新たに活用し、運河周辺の回遊性の向上とまちの魅力向上を求める活用策を打ち出した。さらに、兵庫運河とその周辺地域を新たに「都市景観形成地域」に指定した。(注5)
運河周辺を活性化させるためには、若い世代に関心を持たせることが重要になる。2016年11月6日に開催された「兵庫運河まつり」を覘いてみると、地元中・高校のブラスバンド部や企業の音楽サークルがたくさん参加していた。若者たちの運河周辺を活性化させようとする熱意に心強い思いがした。数十年単位で地域の将来を考えたとき、若い世代の参加は次世代につなぐ良い機会である。(写真7)

  • 1-1 (図1)兵庫運河周辺の概略図
  • OLYMPUS DIGITAL CAMERA (写真1)整備された新川運河のプロムナード
  • OLYMPUS DIGITAL CAMERA (写真2)高松橋の側に立つ八尾善四郎像
  • 3 (写真3)2016年10月22日に秋季会員合同清掃活動
  • (写真4)和田岬小学校で行われた真珠貝プロジェクトの浜上式 (美しくする会HP)(非公開)
  • 5 (写真5)浜山小学校と合同で、アサリを観測する環境学習会 (美しくする会HP)
  • 6 (写真6)ビオトープを訪れた地元の小学生(神戸っ子2016年6月号)
  • 7-2016 (写真7)2016年兵庫運河まつりは、お天気が悪い中で開催された。

参考文献

〈脚注〉
※1.神田兵右衛門 1841-1921 明治-大正時代の公共事業家。兵右衛門は新川運河の開削工事、明親館ほか十数か所の学校設立、神戸市の初代市会議長、神戸商業会議所の設立など、数々の業績を残した。
※2.八尾 善四郎 1845-1918 日本の実業家。中断していた兵庫運河を完成させた人物として知られる。神戸市議会議員
※3.山下邦人 水島酸素商会取締役会長。2000年「美しくする会」の活動に参加、13年同会会長に就任。
※4.2007年に地元PTAを母体とした「兵庫運河真珠貝プロジェクト」が正式に発足した。当初の会員は地元小学生とその保護者で、初年度は約200人の会員が集った。現在では神戸市内全域に会員の対象が広がっている。
※5.「兵庫水辺ネットワーク」西宮市立貝類館の館長、元学校校長、姫路水族館飼育員等の方々と行政機関とが協力している団体。
※6 ミツカンよかわビオトープ倶楽部・ミツカン・鹿島建設株式会社・株式会社里と水辺研究所・兵庫県立人と自然の博物館が役割分担をしながら関わり合っている。
〈参考文献・URL〉
(注1) 建設マネジメント技術『土木紀行・兵庫運河』2012年11月号 86-87頁
近畿産業考古学会誌『近畿の産業遺産 兵庫運河・運河橋の建設とあゆみ』2014.5 23-30頁
(神戸市中央図書館3階資料室)
神戸新聞朝刊『兵庫運河・第一部 流れをたどる』①―⑲ 昭和46年1月から
神戸新聞朝刊『兵庫運河・第二部 流れに生きる』①―⑳ (美しくする会提供)
(注2) 兵庫運河を美しくする会 http://www.hyougounga.jp/index.html 閲覧2016.12.18
(注3) 親子で考える環境問題〈兵庫運河真珠貝プロジェクト〉大月真珠
http://www.otsuki-pearl.co.jp/project/ 閲覧2016.12.18
(注4) 地域と共にはばたく兵庫の企業社会貢献活動 100事例集:兵庫県
http://www.hyogo-intercampus.ne.jp/gallery/v-hyogo/csr/csrmodel/index.html 閲覧2016.12.18
ミツカンよかわビオトープ倶楽部 www.ldc.co.jp/filedb/document2010518144153.pdf
閲覧2016.12.18
(注5) 兵庫運河の今昔物語:神戸市
http://www.city.kobe.lg.jp/ward/activate/unga/ungakassei/ungaimamukasi.html 閲覧2016.12.05
・神戸市 http://www.city.kobe.lg.jp/information/project/port/plan/img/p-18-21.pdf
・神戸市http://www.city.kobe.lg.jp/information/committee/urban/scene/74siryou1.pdf